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第4話:丁寧な毛繕い。初めて通じ合ったモフモフの温もり

本日4話目です。

あとは明日から順次投稿します

 砕け散った氷の刃が、淡い魔力の光となって空気に溶けていく。

 圧倒的な威圧感を放っていた三尾の雪狐は、信じられないものを見るように、サファイアの青い瞳を見開いていた。

『……オマエ、ワタシノ、コトバガ、ワカルノカ?』

 両膝を湿った落ち葉についたまま、エレインは柔らかく微笑んだ。

「――(ええ、わかります。あなたの言葉も、あなたの抱えているその悲痛な痛みも)」

 透き通るような古代精霊語の響きが、森の空気を優しく震わせる。

 張り詰めていた幻獣の警戒心が、ほんのわずかだけ揺らいだ。

 しかし幻獣はすぐに我に返り、喉の奥で低く唸る。

『……ッ! コトバガワカッタトコロデ、オマエタチニンゲンノヤルコトハオナジダ! ワタシヲシバリツケ、チカラヲウバウノダロウ! チカヅクナ!』

「――(大丈夫。私はあなたから何も奪わない。……ただ、その痛みを取り除きたいだけ)」

 エレインは迷わず、膝行で幻獣へと近づいていった。



  三本尾のうちの一本の根元に、どす黒い魔力を帯びた『茨の棘』が深く食い込んでいる。

 おそらく密猟者が仕掛けた捕縛用の呪具だろう。無理に引きちぎって逃げてきたのか、銀色の毛並みは赤黒く汚れ、傷口からは絶えず痛みが発せられていた。

 他者を傷つけたいわけじゃない。

 ただ、これ以上傷つきたくないから、強がって氷の鎧を纏っているだけ。

 重い漆黒のドレスを着せられ、感情を殺して「氷の令嬢」として振る舞い続けたかつての自分と重なり、エレインの胸が締め付けられた。

「――(痛かったわね。一人で、ずっと寂しかったわね)」

『……ッ!』

 エレインの手が、ゆっくりと幻獣へ伸びる。

 幻獣は逃げることも、噛みつくこともできたはずだ。しかし彼女の瞳に宿る、一切の打算のない慈愛の光に縫い止められたように、動けなかった。

 そっと、白い指先が銀色の毛並みに触れる。

「……冷たい」

 万年雪に直接触れるような刺さる冷たさ。

 でもその奥底には、確かにトクトクと脈打つ「命の鼓動」があった。

 こんなにも冷たい体で、たった一人で温もりを探して生きてきたのだ。

 エレインはトランクを開け、二つのものを取り出した。

 傷口の邪気を払う『月光草のポーション』と、精霊の毛並みを整えるために職人に特注した『最高級の獣毛ブラシ』。

 地下室でこっそり傷ついた小精霊の手当てをするために使ってきた、大切な宝物だ。

「少しヒヤッとするわよ。でも、すぐ楽になるから」

 傷口に慎重にポーションを垂らすと、シュワシュワと微かな音を立てて赤黒い呪いの魔力が中和されていく。

 幻獣がビクッと身をよじった瞬間、エレインは素早く、しかし毛を引っぱらない絶妙な力加減で、茨の棘を根元から引き抜いた。

『……キュゥッ!』

 すかさず傷口を優しく押さえ、獣毛ブラシで乱れた毛並みを梳き始める。

 ――サクッ、サクッ、サクッ。

 柔らかなブラシが銀糸のような毛を梳く音が、静寂の森に規則正しく響く。

「えらいわ。もう痛いのは終わりよ」

 サクッ、サクッ。

 ゆっくりと、何度も何度も。

 絡まった毛玉を解きほぐし、呪いで乱れた魔力の流れをブラシの先から伝わる魔力で静かに整えていく。

 長年一人で彷徨い、人間から石を投げられ、罠にかけられ、常に気を張って生きてきた孤高の精霊にとって。

 それは生まれて初めて知る、他者からの無償の愛だった。

『……』

 エレインの手のひらから伝わる、穏やかな体温。

 氷のように冷たかった幻獣の体が、触れている部分からじんわりと温もりを帯びていく。

 張り詰めていた身体から、スゥッと余分な力が抜けた。

 ピンと立っていた耳が、パタリと柔らかく倒れる。

 鋭かった瞳のまつ毛が、とろけるようにゆっくりと伏せられ――やがて、完全に目を閉じた。

 刺すような冷気は消え失せ、代わりにひんやりと心地よい涼風となって、エレインの額の汗を優しく拭う。

『……あたたかい』

 不意に、言葉がはっきりとエレインの脳裏に響いた。

 古代精霊語の威圧的な声ではなく、彼の心の奥底から漏れ出た、純粋で無防備な本音だった。

「ふふっ。本当に綺麗な毛並みね。月光を直接紡いで作られたみたい」

 エレインが微笑みながらブラシを動かし続けると、幻獣はすっかり警戒を解き、喉の奥で「グルグル……」と猫のような音を鳴らし始めた。

 優雅な三本の尾が、エレインの細い腰にゆったりと巻き付いていく。

 ひんやりとしつつも命の温もりに溢れた、極上の触感だ。

「あなたの名前は、なんて言うの?」

 幻獣は薄く目を開け、少しバツが悪そうにツンとそっぽを向いた。

『……ギル。……ギルだ』

「ギル。素敵な名前ね。よろしくね、ギル。私はエレインよ」

『フン。別に、お前のことを完全に信用したわけではないぞ、エレイン。ニンゲンは裏切る生き物だからな。……だが』

 ギルはそっぽを向いたまま、ぽすん、とエレインの膝に顎を乗せてきた。

『……そのブラシは、悪くない。……もう少しだけ、撫でることを許可してやろう』

「あははっ! 光栄だわ、ギル様」

 言葉では強がりながらも、全身の力を抜いてすり寄ってくるギル。

 絹よりも滑らかな極上のモフモフに、エレインの顔はすっかりだらしなく緩みきっていた。

 ああ、なんという多幸感だろう。

 王城の地下室で血の滲むような思いで書類を書き続けた日々は、もう遠い昔のようだ。



  気がつけば、木漏れ日はすっかり姿を消し、頭上の天蓋の隙間から紫がかった夜の闇が降りてきていた。

 森のあちこちで発光苔が淡いブルーとグリーンの光を放ち、幻想的な景色を作り出している。

 ギルの銀色の毛並みも月光を吸ったようにぼんやりと輝き、最高の照明代わりになっていた。

「すっかり暗くなっちゃったわね。今日はここで野営にしましょうか」

 エレインがブラシをトランクに片付けると、ギルは名残惜しそうに「キュゥ……」と短く鳴き、足元に丸くなった。

 どうやら今夜は、彼が最高の毛布兼冷やたんぽになってくれるらしい。

 ――きゅるるるるぅぅ……。

 ロマンチックな夜の静寂を打ち破るように、エレインのお腹から情けない音が鳴り響いた。

『……エレイン。腹が減っているのか?』

「うっ……! え、ええと……」

 顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。

 昼間のチーズパン以来、ずっと歩き通しだったのだ。緊張が解けた途端、胃袋が猛烈に自己主張を始めてしまった。

「……何か温かいものが食べたいわね。お野菜の入ったスープみたいなものが」

 その言葉に反応するように。

 ――ポッ。

 二人の目の前の暗がりで、小さな、本当に小さな、オレンジ色の火の粉が舞い上がった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【★★★★★】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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