2-5.夜は慈悲をたたえた来訪者
出された夕食は、ほとんどがアシャンテにとって食べなじみのあるものだった。
レンズ豆と玉ねぎのスープ。セロリとくるみのサラダ。羊肉と根野菜のトマト炒め。そして二枚貝の焼き米詰めなどが多岐に、次々と出されてくる。
(食文化は、火隆の国とあまり変わらないのですわね)
思いつつ、指を交差させて組み、食事前の祈りを済ませた。
めまぐるしい一日だったため食欲も皆無だが、調理人の顔を潰すわけにもいかない。それに今まで、踊り手として『食べられるときに食べる』という基盤で過ごしてきたのだ。食材への恵みの感謝もあり、拒絶するという選択肢はなかった。
今いる食堂は天井の隅が吹き抜けになっており、温い風が入ってくる。空も見える。晴れた空には細い月と星が鎮座していた。
藍色の空の下、輝くのはろうそくをふんだんに使ったシャンデリア。
(彼女が来ますのね、きっと)
長方形のテーブルの先、上座にある緑の椅子にヴィグジュードは腰かけ、そのすぐ横にアシャンテはいる。残り一脚、目の前に空いている椅子の色は、黄色だ。
アシャンテが祈るさまを見せても彼は何もいわず、追従せず、目をつむってもう一人――思うにファラーニが来るのを待っている。
「お待たせしました、お二人とも」
両開きの扉を使用人が開いた直後、しずしずと部屋に入ってきたのはやはり、ファラーニだった。
彼女は昼間と同じ髪型だが、豪奢な空色のドレスに身を包んでいる。宝飾品が灯火に、淡く輝く。
「陛下、わたしのわがままを聞いて下さってありがとうございます」
とびきりの笑顔で話しかけられても、ヴィグジュードは答えない。
「お昼ぶりでございます、アシャンテさま」
「……ええ」
ファラーニから仮面のような笑みを向けられ、アシャンテは一瞬、たじろいだ。
頭痛を覚えるかと思ったがそれはなく、内心ほっと胸を撫で下ろす。
「こうしてすぐ顔を合わせることができて、嬉しいです。今まで食事も一人でしていたものですし」
「そう、ですの」
彼女は言い、椅子に座った。ファラーニの言葉に、アシャンテは曖昧にうなずく。
(この城で幽閉されているのかしら……? それにしては自由に過ぎるけれど)
これまたヴィグジュードと同じく、祈らないファラーニを盗み見て、思案した。
もしかしたら、ヴィグジュードは、彼女に負い目を抱いているのかもしれない。簒奪されたものとしたもの。二人はきっと複雑な関係にあるだろう。
「食事にする」
アシャンテが思案していたとき、我へ返すように、ヴィグジュードが口を開いた。
彼が手を上げると、控えていた使用人が、それぞれのグラスに葡萄酒を注いでいく。ヴィグジュードがさっそく酒を口にしたのを見てから、アシャンテも酸っぱい酒を一口、嚥下した。
「アシャンテさまは火隆の国から来られたとか。陛下とどう知り合ったのですか?」
「ええ、と」
「俺が港町で見初めた。見事な舞を披露していたからな、それにやられて」
「まあ、踊り手さまなのですか。一体、どんな舞いで陛下を?」
ファラーニは酒に手をつけず、探るような問いを投げかけてくる。
さすがにこれは答えられないだろうと思い、アシャンテが口を開きかけたのだが。
「再生の喜び、という楽曲に合わせて舞っていた。手の動かし方、足の運びにうなったものだ」
食事に手をつけながら、彼は平然と返答する。唖然としてしまったのはアシャンテだ。
(曲のことを知っているの? では、わたくしの踊りを見たのかしら)
内心、戸惑う。黒い服の男たちは見かけていなかったが、フードをかぶった旅人は何人もいた。その中に扮していたのかもしれない。
「失礼ですが、陛下。どんなに踊りに秀でていても、一介の踊り手を妃にするのは無理があるのでは?」
「お前は、グラモーズの現在を知らないわけがないだろう。貴族に遺恨を持つ町民が今、多い。他国の娘とはいえ、同じく平民の娘を娶れば逆に支持を増やせる」
「ふふ、まるで政略結婚をするようなセリフですね」
「どのみち、俺が誰を妃にしようと、お前に口を出す権限はない」
冷徹な言葉に、彼女の顔が一瞬翳るのをアシャンテは見た。
だが、すぐさまファラーニは顔色と目つきを変える。敵視をそのままに、こちらの様子をうかがいながら微笑んできた。
「アシャンテさまには、国母になる覚悟はあります?」
「……陛下と民の皆さまのためならば」
「周到なお言葉ですね。その回る口と美貌で、どれだけの男を籠絡してきたのか」
「ファラーニ」
「なんでしょう、陛下?」
「部屋に戻れ。食事は運ばせる」
彼女の双眸が、また怨嗟の炎に満ちた。憎々しいという感情を隠さず、アシャンテを碧眼で睨んでくる。
「これしきの戯れで傷つくようでは、王妃になどとてもなれませんね」
「俺の命が聞こえないか」
ヴィグジュードにたたみかけられ、ファラーニは落胆したような顔でかぶりを振る。だが、今度こそ素直に席を立ち、無言で一つ腰を落とした。
「……よろしいの?」
ファラーニが退席し、部屋から出ていったあとも彼は冷徹な表情のままだ。アシャンテが問えば、読めない光をたたえた視線でこちらを見つめてくる。
「何がだ」
「ファラーニさまは、今までも一人で食事をなさっていたのでしょう。あまり、追い詰めない方がよろしいかと思いましたの」
「ずいぶん優しいことだ。お前にはファラーニに関わるなと言ってあるはず」
「それは、そうですけれど。孤独は人をむしばみますわ」
アシャンテはぽつりとつぶやく。答えなど期待していなかった。しかし――
「……そうだな」
「え?」
「独りは、絶望となる」
ナプキンで口を拭いたヴィグジュードが、案外柔らかく返答してきたもので、アシャンテは眉をひそめてしまう。
「それでもあれと関わるな。関われば」
「関われば、なんですの?」
再び冷たい口調となった彼が、答えを教えてくれることはない。
結局この日の夕食は、ぎこちなく会話も少ないまま終わった。
――問題は、そのあとだ。部屋に戻ったアシャンテは、再びコルたちにより風呂に入れられ、綿作りの薄く白いシュミーズドレスに着替えさせられた。
ゆったりした長い丈のガウンを羽織ったまま案内されたのは、自室隣にある大きな部屋の前だ。
時間が夜、そして肌が多く露出するドレスを着ている事実――その二つが意味することを、いやでも理解してしまう。
(短刀を取りに戻りたい)
こぶしを握り締め、アシャンテは唇を噛んだ。
しかしそんな内心を嘲笑うかのように、コルが扉を数度、叩く。
「中に入れろ。あとのものは、下がれ」
部屋奥から聞こえたヴィグジュードの返答には、高揚も好色めいた喜びも、ない。緊張しているのがばからしくなってきた。
「どうぞ、アシャンテさま」
アシャンテは周囲へ適当にうなずき、開けられた部屋に入る。
背後で扉が閉まった。暗闇に浮かぶ数十個の蜜蝋と、中央にあるベッドに腰かけたヴィグジュードが、アシャンテを静かに出迎える。
シャツ姿、それはいい。アシャンテが疑問に思ったのは、彼が帯刀しているからだ。
「あなた、剣がないと落ち着きませんの?」
「お前の前では」
またわけのわからないことを言う、と一人、嘆息してしまう。
少しためらったのち、彼の側に近づいた。精一杯背筋を伸ばしたままで。足は震えなかった。表情も多分、上手くごまかせているだろう。
しかし、このあとどうすればいいかわからない。閨では男性に委ねること、それしか知らなかった。
ヴィグジュードの視線は、肉欲もなくただ、胸元に注がれている。胸の痣へと。
「……あの」
「話をしろ」
「はい?」
戸惑うアシャンテをよそに、剣をサイドテーブルに置き、彼は言い放った。
「お前の国の話をくわしく聞きたい」
「ああ……そうですわね。ザハ王と取引するのに、必要な事案ですわ」
「それもある。お前のことも聞かせろ」
「わたくしのこと、とは?」
小首をかしげれば、ヴィグジュードは顔を歪ませる。馬車の中で見たものと同じ――子どもが親へ機嫌をとるような、戸惑いに満ちたおもてとなる。
「好きなもの、嫌いなもの。趣味、色々あるだろう」
「聞いてどうなさるの? それより世継ぎを、その……」
「無理やりされたいというなら、抱く。だが俺は言った。無理強いはしないと」
視線を外して言う彼は、機嫌が悪い幼子のようだ。
「あなたがそう望むのであれば」
なぜか今は、体を求められていないらしい。そのことに心からほっとし、アシャンテは彼と距離をとり、ベッドの隅に腰を下ろした。
「……火隆の国の話を」
ぽつぽつ、小声で自分の故郷の話をする。目線を合わせないように。
ヴィグジュードがこちらを見つめているのはわかった。その視線と注目を、不思議なことにもっと浴びたいと思い、同時に嫌悪する自分がいる。
相反する気持ち、矛盾を疑問に思いつつ、その内心を隠して話を続けた。
夜は優しく更けていく。互いが互いを意識し、それでも決して触れ合わないまま。




