2-2.しかして人語を解するは
……結局それ以上互いに会話することなく、アシャンテは離宮、雷鳴城と呼ばれる城へ入った。
清らかな水が湧いた水路。穏やかな表情まで掘り出された龍の像。通路はタイル敷きで、黄色と赤のツタ模様が細かい。職人の神髄を隠し持つ城は、見た目からして美しかった。
見るもの全て新鮮だが、問題は――
「どうしてあそこは閉ざされていますの?」
あてがわれた部屋のバルコニー。そこへ行く扉が、鉄の板で打ちつけられている。他は申し分ない。いや、王宮にいたときのものより豪華だ。天蓋つきのベッドもクローゼットも、寒さ対策に使われるタペストリーや絨毯も、どれをとっても一流のものだった。
「この城が、陛下直々の離宮となったときからと聞き及んでおります」
「わたくしに見せたくないものでも、あるのかしら」
「陛下のお心は測りかねます」
淡々と答えるのはマリーンではない。コルと名乗った侍女の一人だ。他にも数十人、アシャンテにつき従う使用人がいるとは、自室に行ったヴィグジュードの言である。マリーンも現在、使用人の部屋に案内されている最中だった。
「アシャンテさま、ドレスの具合はいかがでしょう」
「少し胸元と袖が窮屈ですけれど。大きな問題はありませんわ」
「それはよろしゅうございました」
コルのそっけない返答に、アシャンテは大きな姿見で自らの衣服を確認する。
紫色のドレスは金糸で刺繍がなされていた。白い胸上に輝くのはトパーズの首飾りだ。前開きの立て襟はあるも、レースで派手さは緩和されている。
三角錐型のスカートもペチコートも多少わずらわしく思うが、ヒールが高いためか歩いても違和感を覚えない。
髪は、腰までの三つ編みを丁寧に結い直してもらっている。銀髪を縛る金色のリボンが、小窓からの陽射しに輝いた。
もちろん、湯浴みもすでに済ませてある。砂埃にまみれた顔や肌も、今ではくまなくジャスミンの香りを立ち上らせているほどだ。
(まだ、気を張ってはいるけれど)
胸元へ手をやれば、アメジストのブレスレットが涼やかな音を立てる。
(寝てしまうところでしたわね……危ない)
椅子を勧められて浅く座りつつ、内心で気合いを入れ直した。
「アシャンテさまの来訪は、なんせ急なことでしたので。正しい採寸のドレスは、すぐにご用意いたします」
「ええ、お願いしますわね。……一つ、わがままを聞いてもらっても?」
「なんでございましょう」
「これから陛下とお茶会があるそうですけれど、その前に、一人にしてもらってもよろしいかしら。少し、気疲れしてしまって」
「これはご無礼を。慣れない土地だということを忘れておりました」
アシャンテの作り笑いを見越してなのか、コルの表情は動かない。彼女は優雅に礼をしてみせると、目だけで他の侍女を退室させた。
「すぐ側に我々はおりますので。陛下の準備が整いましたら、お迎えに」
「そうして下さると助かりますわ」
奇麗なおじぎを一つ残し、コルもまた、部屋から去っていく。
扉が閉められ、ようやくそこでアシャンテは長いため息をついた。
湯上がりの気怠さが、心地よい睡魔となって襲ってくる。バラの香りで陥ったものではない純粋の眠気。しかし目をつむって、安穏としている場合ではなかった。
立ち上がり、一人、広い部屋の中を確認していく。
猫足の机と椅子、豪勢なベッド。書物が詰めこまれている本棚。ソファーにクッション。タペストリーに風景画――自室となった箇所は、ちり一つなく清掃が行き届いていた。
「あそこだけ、不気味だわ」
バルコニーの入口を見る。近づき、首をかしげながら鉄板に触れた、そのときだ。
『捕らえられてる』
「ええ、そう……え?」
一瞬、誰に返答をしてしまったのかわからず、間抜けな声が出た。振り返ってみたが、部屋の中には自分だけだ。
『捕らえて、捕らえられて。それでいいのかなあ』
男の声とも女の声ともとれる、柔らかい声音。後ろからではない。壁側からだと気づき、視線を窓にやった。
窓枠の上に鳥がいる。全身褐色の小鳥だ。冠羽と長い尾っぽは金色で、目は黄色い。
部屋の近くには、その鳥しかいなかった。
「……ええと、あの」
よっぽど疲れている、とアシャンテは思った。鳥が話すことなどありえない――めまいがした気がして、額に手を当てる。
『事実を認識したまえよ? 話しているのは間違いなく、私だよ』
ぴっ、ぴっ、と愛らしい鳴き声をつけて、鳥が歌うようにささやいた。
「と、鳥が話しているの?」
アシャンテは対応に困り、それでも側へ寄ってみる。窓を開けると、褐色の鳥は遠慮もなく茶色の足でステップを踏み、中へと入ってきた。
『うん、そう、鳥の私が話しているよ』
「奇術? それとも邪獣の類い……?」
『違うよアシャンテ。舞巫女。邪獣なんぞと一緒にするのはやめてくれないかな』
「鳥が言葉を話すの? グラモーズでは当たり前のこと?」
『そんなわけないよ。私は特別』
「……どうしてわたくしの名前を」
『鳥はどこでも、人の会話を耳にすることができるからね』
ぴっ、と片方の羽を広げる鳥に、アシャンテはただ、目をまたたかせる。
「鳥が人の言葉を話して、会話がなり立つだなんて……」
『驚いたかな? でも私も話せるに至るまで、かなり時間を食ったんだ』
「そ、そうなんですのね」
未だ事実が信じられず、しゃべる鳥に小首をかしげてしまった。それでも、とアシャンテは思案をめぐらせ、思う。
(もしかしたら、ヴィグジュード関係者の鳥かもしれない……気をつけなくては)
内心の懸念を漏らさないようぎこちなく笑い、珍妙な鳥へとおもてを近づける。
「ええと、それで……わたくしになんのご用かしら、鳥さん」
『名前、つけて』
「えっ?」
『私の名前、つけて。あなただからお願いしたいんだ、アシャンテ』
「はじめて会った相手に、いきなり名付け親を頼むの?」
『はじめてじゃないよ』
鳥の言う意味がわからない。人語を理解する小鳥など、出会っていればいやでも記憶に残るはずだ。
『ああ、でも君とははじめてかなあ』
「ちぐはぐな言い方ですのね。わたくしたちは初対面でしょう?」
『ふうむ、なるほど。アシャンテは覚えていないんだねえ。百合の痣を持つものとしては、めずらしい』
黄色の瞳が胸元にそそがれていることに気づき、同時に含みを持った物言いにアシャンテは眉を寄せた。
「この痣のことを知ってらっしゃるの? あなたはいったい何者なの?」
『君が思い出していくことだよ、アシャンテ。答えを出すのも君だよ』
「意味がわからないのだけれど」
『ヴィグジュード』
「……陛下がどうなさったの?」
やはり彼に関係するものか、と顔をこわばらせるアシャンテを見てだろう、鳥は愛らしい仕草で首をかしげる。
『アシャンテは彼が憎い。恨んでいる。できるなら、殺したい。そう思ってしまうんじゃあない?』
「な……」
感じたことをまたもや言い当てられ、硬直した。
ヴィグジュードに対して抱いた思い。はじめて出会った人間へ抱く不思議な負の感情。自らを苛む気持ちがあふれ出しそうなのは、事実だ。
『でも、本当にそれだけかなあ? 今の君の気持ちはどうなのかなあ』
「……憎いに決まっていますわ。わたくしをさらい、マリーンを脅しの道具に使うような男ですのよ」
『アシャンテ自身の気持ちは、それだけ?』
「わたくしの気持ち、は」
言い募られ、唇を噛む。刹那、思い出してしまったのは、馬車での出来事だ。
本気で自分のことをどうでもいいと、ただの道具だと考えているのなら、転びそうになってしまったときに無視もできただろう。龍官に会いたいとせがむ自分を、せせら笑うことも可能だったはずだ。
だが、ヴィグジュードはそうしなかった。何に怯えているのかもわからないが、アシャンテを静かに抱きとめ、その意思を尊重してくれた。
相反する傲慢さと優しさ。それらに戸惑う自分がいる。
「まだ……よく、わかりませんわ。だって会って少しですもの。向こうはわたくしを知っているのかもしれませんけれど」
『確かにね。でも、アシャンテとして抱く気持ちを忘れてはいけないよ』
「あの、意味が」
『そろそろ迎えが来るね。私はこれにて失礼するよ。また今度来るから、そのときには名前をつけてね』
「待って、百合の痣の話を」
それ以外にも聞きたいことが山ほどある――と手を伸ばしたが、鳥は小さな羽を小刻みに、大空へと飛び立っていった。
直後、部屋の扉がノックされる。
「アシャンテさま。陛下がお呼びです」
「え、ええ……今、参りますわ」
アシャンテは体を扉に向けて答え、顔だけを窓にやった。
青空の他、何もない。鳥はすでに姿を消してしまっている。
(不思議な鳥だわ)
鳥の言ったことは、ほとんど理解できない。
アシャンテとしてヴィグジュードに抱く気持ちなど、きっとわかりきったことだろう。そう心の奥で思いつつ、なぜかざわつく胸を抑え、開かれた扉へと進んだ。




