1-3.賢しい姫と酷薄な皇帝
ヴィグジュードの言葉に、アシャンテは思わず呆気にとられる。
影武者、ないし偽者の可能性もあった。だが、黙っていても肌を刺すような覇気、ヴィグジュードがまとう王族の気高さは本物だと直感が告げる。
それでも自嘲と、彼の間抜けさに笑いがこみ上げてきた。こらえつつかぶりを振る。
「わたくしを足がかり? あなたは何も理解してらっしゃらないのね、皇帝陛下」
背筋を伸ばし、凍てついた視線を真っ向から受け止めた。
「わたくしに対し、ザハ王はなんら関与しないと布令を出していますの。廃嫡された存在が、あなたが言うところの国同士の架け橋になるなど、ありえませんわ」
「そう、お前は確かに無意味な存在だ。王家のものとして落第点もいいところだろう」
ヴィグジュードが肘をつき、つまらなさそうに瞳をすがめた。けだるさを全面に押し出しつつも、獲物を捕らえる猛禽のようだ、とアシャンテは思う。
「だが、ザハ王は慈悲深い男だと聞いている。同時に、賢王だとも。俺が使うのは王女としてのお前ではない。王の娘、すなわち弱点としてだ」
「……王は、血筋や家族にほだされる甘い方ではなくてよ」
「もちろんお前のみに賭けるほど、俺もばかではない」
「切り札がある様子ですわね」
「わざわざ話すと思うか?」
「察しはつきますわ。邪獣や隣国……風流の国から火隆の国を守るため、武力を提供する。その見返りとしてザハ王の財産、民たるわたくしを娶ろうとするという名目なのでは?」
「賢しいな」
ヴィグジュードが軽く目を開いた。ばかにしきった声音だが、アシャンテはその返答だけで自分の推測が正しいことを悟る。
火隆の国に始者がいない現在、悪しきものを撥ねつける結界は薄まっていた。龍に仇する邪龍、その配下たる邪獣たちは国の脅威となり、民すらも徴兵されている状態なのだ。
そして、不穏な動きを見せているという隣国。今、風流の国に攻めこまれたらひとたまりもない。
(まさか旅の途中で得た情報が、ここで役立つとは思わなかったけれど)
何もできないと胸を痛めていた。慰安の旅で見てきた、国民の疲れ切った様子。それでも自分にできることは、ただ、踊ることだけ。無力さが胸を締めつけ、眠れない日も多くあった。
そんな中、この状況だ。帝国を利用する絶好の好機かもしれない。
「わたくしが素直にあなたの元へ嫁げば、我が国は救われますわね。そしてグラモーズも、皇帝自ら拉致などという犯罪に手を染めたことを、隠蔽できる」
ヴィグジュードからの答えはない。黙ったまま何かを思案しているようだ。
「姫さま……」
「マリーン、あなたは自由ですわ。もう、わたくしの面倒など見なくていいの」
「それは不可能だ。その娘は人質。ザハ王にとってではなく、お前にとっての」
アシャンテはマリーンへ向けた柔らかな視線を、威圧に変えて皇帝へぶつける。だが、彼にとっては痛くも痒くもないらしい。平然とアシャンテを見つめている。
卑怯者だとののしり、唾を吐いてやりたい――その瞳をくり抜いてしまいたい。
アシャンテは思うも、こみ上げてくる感情のるつぼに、内心戸惑った。
ここまで誰かを嫌悪し、憎悪するなど経験したことがない。
きっと反りや馬が悪いのだろう。確かに恐ろしいほどの美形だが、そんなものが心許せるきっかけにはならなかった。
「……他の方々は、音楽隊や裏方のみなさまは無事ですの?」
「くだらない心配をする。が、安心しろ。お前たちだけを捕らえた」
ヴィグジュードが再び立ち上がり、背中を向けた。きれがたなびく。
「大人しくついてこい。今、縄を解く」
「暴れたら?」
「そのマリーンとかいう娘を殺す」
ヴィグジュードに慈悲の心はないらしい。アシャンテは静かに嘆息し、近寄る二名の動きを黙って見つめた。
覆面の二人が、それぞれの縄を短刀で切る。強く縛られていたものの、幸い痕は残っていなかった。
「ある程度は丁重に扱え。力持たず、踊り子とはいえ、もとは王女だ」
酷薄に言い残し、ヴィグジュードが先に倉から出て行く。
覆面のものに挟まれる形で、アシャンテたちもそのあとに続いた。
アシャンテとマリーンを除いた各々が、ランタンをつける。光と闇、両方にアシャンテの目も慣れてきた。
やはり、倉だ。今までいた場所は港の倉庫だった。海の匂いをはらんだ風は少し強く、空にある星々は、冷え切った空気によって光り輝いている。細波の音が、重苦しい沈黙にやけに響いて沁みるようだ。
アシャンテたちが乗せられたのは、停泊していた一隻の船。丸みを帯びた、ずんぐりとした船体が特徴のカラーカだった。よく目をこらしてみたが、当然のようにグラモーズの紋章はない。一般の商業船として擬態しているのだろう。
暗礁や浅瀬がほとんどないサラ海では、様々な船が行き来することをアシャンテも知っていた。実際船に乗ったのは幼いとき以来だが。
少し早足に進む中、ヴィグジュードが不意に、止まる。
「目的地には二日でつく。食事も出す。静かに過ごせ。手をわずらわせないように」
「わかりましたわ」
素直に答えると、アシャンテは胃の辺りに強いむかつきを覚えた。胃もたれなどするはずもないのに、なぜ、こうも彼の言葉に反発したくなるのだろう。
ヴィグジュードと目をあわせたのは、一瞬だ。彼は目を伏せ、それからまぶたを開けてアシャンテたちとは逆の方向に去っていく。
一方、アシャンテが連れていかれたのは、階段を降りた先にある一つの部屋だった。木製の扉を開けられ、騒ぐこともできず無言で入る他ない。ベッドは幸いにして二つあり、幌馬車より広い室内に内心、安堵した。
部屋にマリーンも入ったことを確認してだろう、覆面のものが外から鍵をかける。
外に誰もいなくなってから、アシャンテは思わずマリーンに抱きついた。
「ごめんなさい、マリーン。わたくしのせいであなたまで」
「姫さまのせいじゃあないです。それに、安心したんですよ。姫さまのお側にいるのがあたしだってことに」
「……あなたらしいですわ」
苦笑を漏らし、体を離す。微笑みあったのち、互いに簡易なベッドへ腰かけ、どちらともなくため息をついた。
「わたくしたちが行方知れずとなった、というのは、朝になればみなさま気づくところ。わたくしの素性を知るのは団長だけですし。神殿に知らせが入るのは早くて七日後……くらいかしら」
「ですね。そのときにはあたしたち、グラモーズにいますけど。でも、あれが本物の皇帝陛下だったとして、どうしてこんなまねをしたんでしょう?」
「わたくしをつてとして使うとしても、いささか無謀に過ぎますわね。もしかすれば、舞巫女が結婚できないということを危惧して……」
「みんなの話にあった人さらいって、まさかこれが?」
アシャンテはただ、首を横に振る。
確かにその噂は、各町で聞いたことがあった。さらわれる、といっても捕らえられた娘たちに怪我はなく、次の日に解放されるというのが常だ。しかしアシャンテには裏社会の人間と繋がりがなかったため、それ以上詳しいところまで聞けなかった。
「もし、話にある人さらいがあの方たちの所業だとして。わたくしを探していたのなら、これ以上被害は出ないだろうことが救いですわ」
「姫さまの百合の痣を見てましたよね、あの人」
「ええ。見つけたと言われましたの。とすると、やはり目的はわたくしだったのでしょう」
うなるマリーンをよそに、アシャンテは裂かれたローブの上から、胸元に触れる。
百合の痣は確かに珍しいものだ。かといって、それが始者の象徴というわけではない。生まれついて持った痣がなんの意味かはわからず、神殿に仕える龍官たちも首をかしげていた。
この紋様に価値があるのか、アシャンテは知らない。もしかすると、グラモーズでは大きな意味を持つのかも、とも思う。
だが、四大国から派生した群島国、ならびに帝国でも善たる龍を崇め、悪たる邪龍を忌避するところは変わらない。
文化の下敷きになった神話に百合の話が出てくるか、と自分の記憶を探ってみたが、ついぞ思い出すことはなかった。
「……龍の誕生祭、グラモーズではやるのかしら」
「今年は、千年の節目ですからね。さすがに帝国でもやるんじゃないですか」
マリーンは近くの小窓から、悩むように外を見ている。
数ヶ月後に控えた、龍の誕生を祝う祭り。本来であるなら、アシャンテは王都の神殿で神舞を披露する予定だった。それまでに慰安の旅が終わると信じていたのだ。
(まさかさらわれるなんて……わたくしはどこまでも、父さまの邪魔になってしまう)
無力さにため息が出る。それしか出せない。厳しくも優しい父と国のこれからを思えば、やるせなくなる。
不意に、大きな鐘の音が響いた。出航の合図だ。途端、足音などでやかましくなる。船の振動も全身に伝わってくる。
「出発、しちゃいましたね」
「ええ」
ゆっくり動き出す船の中、マリーンへうなずき窓の外を見た。
どこまでも続く暗闇に、心がざわつく。恐怖や怯えからではない。怒りと憎しみで。
はじめて抱く感情に翻弄されつつ、当然のことだと唇が歪んだ。




