6-3.願うことも望むことも、憎むことも
※ ※ ※
ふと気づけば、手に長剣を持っていた。鉄臭さと饐えた匂いがする、剣を。
「……あたしは」
出した声が嗄れていると気づいた直後、遠くから剣戟と咆哮が聞こえてくる。丘の下に目をやれば、暗雲が立ちこめる空の下、邪獣と龍官たちが戦っているのが見えた。
のろのろと、体を向けていたほうに視線を戻す。城があった。黒い石でできた、曇り空にも暗く輝く小さな城が。
「……行かなきゃ」
この戦いを終わらせるために、と口の中だけでつぶやく。
「あたしは使徒たる乙女、シェトリーネ。代理の戦士、汚らわしい邪龍の戦士を、ゼルザを殺すためだけに生きている」
(本当に?)
気を引き締めてささやけば、頭の内側から誰かの疑念が聞こえた。こめかみが軽く、うずく。
邪獣の待ち伏せもない城へ、あたしは微苦笑を浮かべながら剣を片手に歩き出した。
(あたしとあいつは殺し合う関係でしかない)
(誰が決めたの?)
(そういうさだめだ。龍が邪龍と戦う対であるように。その代理人たるあたしたちも同じさだめなんだ)
(あなたはそれでいいの?)
今日は妙に、頭の中がすっきりしない。意識を半分、誰かと共有しているような感覚に陥る。もう一人、別の自分がいるかのような奇妙さだ。
考えることをやめ、今までの戦いで疲労し、重くなった足を引きずって進む。
大気を揺るがす剣や牙の折れる音、雄叫びや号令で鼓膜が痛くなってきた。
「終わるんだ。あたしがゼルザを殺せば、この戦いも全部」
ささやきが生温い風に溶け消える。
あたしは生まれたとき、龍から祝福を得た。胸にある百合の痣はその印だ。邪龍とその配下、邪獣たちを屠るため、女だてらの膂力や脚力をもらった。ゼルザもそうだと彼に聞いたことがある。
龍と邪龍は、自らの代理人として祝福を与えた。全てを破壊しようとする邪龍の勢いをとどめている龍は、現在、人の世にはびこる邪獣をどうにもできない。
だから乙女がいる。邪龍の力を半分継いだゼルザをしとめれば、彼の力で動く邪獣も消え去るだろう。
「あいつはフィアまでかどわかした。絶対に、許せない」
黒光りする階段を上がりつつ、さらわれた友のことを思う。
龍の神子、フィア。親友にして幼なじみの彼女は、今、無事でいるだろうか。無体なことをされてはいないだろうか。
フィアは自分と同じ学び舎で過ごし、神子として龍に仕え続けた友人だ。彼女がゼルザと共に姿を消したと聞いたとき、心の中がざわついた。
狙うならあたしだけにすればいいのにと。
お前の相手は本来、あたしだけだろうと。
(それがあなたの本音ではなくて?)
(どういう意味だ)
(あなたにとってゼルザは特別なのでしょう。だから、気になる。自分だけを見ていてほしいと思っているのでは?)
頭から反響する声は、どこぞの淑女が幼子にかけるような物言いだ。あたしには到底まねできない『お優しい』言い方。口ぶり。へどが出そうだ。
馬鹿らしい疑問に応えることもせず、ただ黙って通路を行く。
両脇にある松明のかがり火だけが光源だが、長い暗闇で目はとっくに慣れている。
幸い、邪獣もおらず、体力も少し回復した。目の前には扉がある。奥からは人の気配もする。
息を正し、扉の片方を押そうと手をかざしたとき――
「来たか、使徒たる乙女」
扉が勝手に、開いた。響いたのは聞き慣れた声、ゼルザの呼び声だ。
あたしは手を戻し、軍靴を鳴らして中へと入る。
「会うのはこれで何度目だろうな、代理の戦士」
声に反応し、口を開いた。ホールの先、玉座に腰かけるゼルザがいる。
長い黒髪に赤の瞳。陶器のような白い肌を包むのは、漆黒の軍服だ。彼は身動ぎもせずにこちらを見つめている。
「おかしいか、お前がかけた祟りの様子が。おかげであたしを忌避する輩が増えた」
「それは結構なことだな、乙女よ。いっそ精神でも病めばと思ったのだが」
「この程度であたしの気概をそげると思うなよ」
笑うこともせず、あたしはただゼルザを見上げた。彼もまたこちらを見つめている。
ゼルザが放った祟りで黒ずんだ顔、体。醜くなってしまった姿を晒すことに、抵抗などない。
これは勲章だ。彼とあたしだけにある、憎悪という名の繋がりの。
ゆっくりと歩みを進め、広間の途中で止まる。視線がかち合い続ける。
憎み合い、殺し合うこと。それだけがあたしたちに許された関係なのだと、全身で理解する。あたしはどこぞ娘のように、優しく可愛らしい令嬢になんてなれやしない。引き締まった肉体の全ては、闘争のためだけに培われている。
ゼルザが笑う。これからのことを、殺し合いを想像してのことかもしれない。その笑顔は、あたしが待ち望んだものだ。
「我らに言葉は不要だな、乙女」
言って、彼がおもむろに立ち上がる。が。
「待って下さい、シェティ」
剣を構えたあたしが全身を強張らせたのは、フィアの声が聞こえたからだ。
玉座の奥から、ドレスに身を包んだ親友が姿を現す。その姿はいつも見慣れた彼女のもので、あたしは一瞬だけ視線をそちらへやった。
「あたしの親友をたぶらかすなんて、いい度胸をしている」
「違うのです、違うんです、シェティ。聞いて。話を」
「さて、乙女よ。そろそろはじめるか」
フィアの姿が、ゼルザが前に出ることによって見えなくなる。それでいい、とあたしは思う。
「そうしよう。お前の相手は一生、あたしだけだ」
たとえ死しても、何度生まれ変わろうとも、この憎悪は忘れられるものではない。不敵に笑った、そのときだった。
(あなたは彼を手にかけ、死んで、それでいいとおっしゃるの?)
「……っ」
こめかみを刺すほどの頭痛が、あたしを襲う。首を振る。完全な隙を作った。戦場では致命的になるほどのミスだ。
なのに知らない声は続く。頭の中に反響してやまない。
(本当に憎むだけなら、彼と会話をすることを楽しまないはず。あなたの心が弾んでいるのを、わたくしは知っている)
「やめ、ろ」
(剣をぶつけることが嬉しかった。彼の目に、自分が映っていることが幸せだった。たわいないやりとりが、軽口を叩き合うことが面白かった)
「違う。やめろ、あたしの心を勝手に……」
痛みは徐々に、全身に走りはじめる。剣がうまく持てない。息ができない。苦しい。
(あなたは彼を憎んでいる。でも、それは関心があるからでしょう?)
剣を、落とした。乾いた音がこだまする。膝をつき、痛覚と苦しさに全身をかき抱く。
(本当にどうでもいい相手なら、口も利かずに終わるはず。けれどあなたは、あなたたちはそうしなかった。戦うこと、それが二人の踊りの代わり)
「違う、そんなんじゃ、ない……あたしの邪魔をするな」
冷や汗が出る。このまま、ゼルザの一撃を食らえば死ぬとわかっているのに、どうしても獲物を手にすることができなかった。
足音がする。ゼルザが近づいてきている。
(あなたは彼の名前を呼んでみたい。そして名前を呼ばれたい)
「許されることじゃ、ない……そんなの、許されるはずがない!」
地に伏すという情けない姿のまま、あたしはこぶしを床に叩きつける。やるせなさ、どうしようもできない感情が膨れ上がり、今にも爆発しそうだ。
「あたしは、乙女。戦士と戦うために生まれた存在だ。それ以上の意味があるものか!」
(許されない命や思いなんて、ありませんわ。あなたは乙女の前に一人の人間。願うことも望むこともやめなくていいの。それがどんなに醜い思いだとしても)
「そんな、こと」
楽しかった? 面白かった? 幸せだった? 名前を呼ばれたかった?
――そんなの、嘘だ。
だってあたしは乙女。戦う宿命を義務づけられた存在だ。こんなあたしが、よりにもよって代理の戦士を……ゼルザを思っているだなんて、認めたくない。認められない。
膨らむ感情、相反する思いが心の中でとぐろを巻いている。頭に響く声の主は、本当にあたしのものなのだろうか。
あたしは、あたしの、本当の願いは。
息も絶え絶えに体を抱くあたしの側へ、ゼルザが腰を落とした。あたしは顔を上げる。
流れる黒髪。つり目がちな赤い瞳。すっと通った鼻梁。顔の額や頬には、あたしがつけた傷跡がうっすらと残っている。
美しい外見だけにだまされるほどあたしは馬鹿じゃない。それなら、どうして。
「……あたしは」
剣をぶつけ合ううちに、楽しさがまさった。淑女としてではなく、ただのシェトリーネとして見てくれるゼルザの瞳を釘付けにするのが、嬉しかった。
「あたしは」
戦い合ったからこそ、宿命のものとしての寂しさと虚しさを共有できたことが――幸せだった。
「……ゼルザ」
出会ってからはじめて彼の名を呼べば、彼の瞳が大きく見開かれた。




