6-2.満ちるは血潮と時の重なり
「ころ、殺した……?」
「そうよっ。お前が、お前の遠い前世が! シェトリーネがあの方を殺したっ!」
乱暴な所作で、アシャンテはタイル床へと突き飛ばされる。それでも混乱し、困惑し、自然と震える両手を見つめることしかできない。
ファラーニは怨嗟の光を瞳にたたえ、アシャンテを見下ろす。
「百合の痣はシェトリーネの証し。あなただけじゃなく、わたしたちは千年の間、ずっと転生してきた。ゼルザさまの近くにはあなたも必ずいた。そして今世はね、ゼルザさまは陛下として転生なさったの」
「ジュードが……ゼルザ?」
アシャンテははっとする。同時に、泣き出しそうになる。
殺したものと殺されたもの。ヴィグジュードと出会った最初に感じた反発心は、その関係性からきたのだとすれば辻褄が合う。
(……けれど本当に、シェトリーネたちは憎み合うだけだったの?)
頭の片隅、冷静な部分で疑問が募る。
荒くなる息を正し、こちらを見下すファラーニの奥、行き止まりに視線をやった。再び幻影が現れる。玉座に腰かける男――ゼルザの姿が、今度ははっきりと浮かび上がった。
黒い長髪に赤い目を持つ、偉丈夫だ。どことなくヴィグジュードに似ている。
彼は肘をつき、じっと通路を見ていた。瞳は真剣で、それでも憎しみや怒りなどは感じ取れない。あるとすれば、ただただ、切なさ。
玉座のすぐ近くに、彼の目線の先にシェトリーネがいた。血と、黒い痕とでまみれた姿はどこか化物じみている。彼女もまた顔を上げ、ゼルザを見つめていた。
アシャンテは唾を呑む。幻のような二人だというのに、現実感がすさまじい。シェトリーネとゼルザは完全に、互いだけの世界を作っている。玉座の側にはフィアがいるというのにもかかわらずだ。
(この二人……お互いを見てる。いいえ、きっと互いのことしか見ていない)
「シェトリーネの転生した娘たちは、みな、自害したわ。ルゥミ、レフィア、フレス……それだけではなく、たくさんのシェトリーネがね」
ファラーニのせせら笑いに、幻がまた消える。
「百合の痣を持つ娘の末路は、死。ゼルザさまへの贖罪として、その命を捧げることが産まれてきた意味なのよ!」
澄んだ音がする。近くの床を見ると、ファラーニが落としたと思しき短刀が月明かりにきらめいていた。
「ゼルザさまを殺した罪をあがなって。ここで、死んで下さい。本当なら陛下が行うべきことですけど、あの方は優しいから、きっとそんなことができずにやきもきしているのでしょう」
「……う」
「はい?」
「違うっ!」
短刀を手で払い飛ばし、アシャンテは勢いよく立ち上がる。
「ジュードはわたくしを見て下さっているわ! シェトリーネでも、百合の痣を持つ娘でもなく、アシャンテとしてわたくし自身をっ。彼がたとえゼルザの生まれ変わりだとしても、今のジュードはヴィグジュード、それ以外ではありませんわ!」
「何を……!」
怒りと嫌悪に顔をしかめるファラーニに、怯むことなく続けた。
「本当に、シェトリーネとゼルザは憎み合っていたの? それだけでしたの?」
「そう、よ。憎み、殺し合い、ついには二人とも……」
「あなたは、いいえ、フィアは本当に、ゼルザに思われていたの?」
「ッ!」
顔を真っ赤にしたファラーニが、また手を振りかざす。叩かれる、とアシャンテが身構えた刹那だった。
背後で大きい剣戟の音が聞こえはじめたのは。
「アシャンテさま! どこだ、どこにいるっ」
「ギギターさま!?」
剣同士がぶつかる音の合間に、ギギターの大声が届く。アシャンテが振り返った隙を突き、ファラーニは短刀の近くに駆け寄った。
「誰も彼もわたしの邪魔ばかり……!」
『アシャンテ、無事かい!』
「レルマ!」
彼女が短刀を持とうとした直後、それすらも滑空してきたレルマに阻まれる。
「な、によ、この鳥は!」
くちばしで、足で、レルマはファラーニの体をつつき回し、彼女の動きを止めていた。
「アシャンテさまっ!」
拡大する騒ぎの中からやってきたのは、ギギターだ。彼は長剣を構えたまま、アシャンテの側へと寄り添ってくる。
「ギギターさま、わたくしは無事ですわ!」
「ああ、間に合ったようで何よりだ」
「この……ッ」
ギギターが来たことを確認したのか、レルマはファラーニから離れ、アシャンテの肩に乗ってきた。
彼は剣を向け、厳しい眼差しでファラーニを睨む。
「ファラーニさま、これで終わりだぜ」
「早すぎる……バラの薬が切れるまで、ここに来るまで、まだ時間があったはずなのに」
「陛下が解毒薬を用意してくれてたんだよ。いざってときのためにな。それに、アシャンテさまの鳥が、ここまで案内してくれたわけで」
ギギターのセリフに悔しそうに唇を噛み、彼女はうつむいた。
「陛下も今、ここに向かっているんでな。……邪龍信徒と密通していた罪は重いぞ。投降して全てを話すってなら、猶予する面もあるとは思うけども」
「猶予? そんなもの……っ!」
顔を上げたファラーニが、俊敏な動作で動く。
飛びかかるように落ちていた短刀を握り、座ったまま首筋に刃を当てた。
「いけないっ」
「アシャンテさま、だめだ!」
自害する気だと理解する前、アシャンテの体は勝手に動く。ギギターの制止も聞こえない。彼女へと駆け出し、短刀を取り上げようとした、が。
「本当に愚かなシェトリーネ」
「えっ……」
ファラーニの手が、ゆっくりとした動きで見えた。
彼女は首から短刀を離し、そのまま、静かに、笑いながら斜め上――アシャンテの腹部へと突き出したのだ。
アシャンテは、勢いを止めることはできなかった。ローブを貫き、薄い服を通り越し、凶刃は体を穿つ。
灼熱じみた激痛。何かが胃の奥からこみ上げてくる感覚。
「アシャンテさまっ!」
「あ、ああ」
「ふふふふっ、馬鹿な女! はじめから言ってたのに、私の狙いはあなただって!」
「う、あ」
言葉にならない呻きが漏れた。息を吐くと同時に、血をもどす。
ふらりと体が倒れていく。全身が冷たい。寒い。
「クソッ、アシャンテさま、しっかり!」
「わ、た、くし」
崩れ落ちるアシャンテを支えたのは、ギギターだ。
痛みで意識を失いそうになるアシャンテにも、彼がマントを破り、傷口に当ててくれるのがわかる。
(こん、な、ところで……死にたくない……)
かすれる脳裏に浮かぶのは、ヴィグジュードの姿だ。
(愛してると、まだ……伝えていないのに)
愛しいと思う気持ちを、まだアシャンテは彼へ口に出していない。
いつ、どんなことになってもいいと、ヴィグジュードと出会う以前は思っていた。望まれない自分の命がどうなろうとも、今を生きてきたのだから満足できようと。
だが、事実はどうだ。命が惜しい。死にたくない。生きて、彼と共に笑い合いたい。
虚ろになっていく思考と激痛、その二つでまぶたが閉ざされようとしたとき、アシャンテの流す血溜まりにレルマが足を踏み入れたのが見えた。
『時は、ここに満ちた』
「……レルマ……?」
『千年という節目と蓄積された情念、そして我が使徒たる乙女の血により、わたしは奇跡をここに起こす』
血をついばんだレルマの体が、淡く、金色に発光しはじめる。
『シェトリーネの転生体、アシャンテよ。千年の憎悪と輪廻、全てを断ち切るがいい』
レルマの輝き――黄金の光が自らの体を包んだとアシャンテが気づいた刹那、厳かな声によって、アシャンテの意識は吸いこまれるように深い箇所へと落ちていった。




