6-1.乙女と戦士と神子と
悪夢を見る頻度が、減った。代わりに彼女の笑顔と穏やかな寝顔ばかりを見る。
手をつなぎ合う時間。ちょっとした冗談を言い合うとき。
その全てが堪らなく、かけがえのないもののように思う。
このままであればいいと思う反面、少し不安に感じた。
死んできた他の彼女たちは、一体どうなるのかと。
龍には祈らない。邪龍にも屈しない。だが、誰か、助けてやってほしいと願ってしまう。
死んでいった彼女たちも、どうか幸せであれと。
※ ※ ※
龍の神殿は王都の端、グラモーズでいうところの王州区から少し外れたところにある。雷鳴城からは場所的に近い。馬車で半日もかからずだ。
神殿の外見は火隆の国のものと大差なく、白い円柱や細かな龍の彫り物が月明かりに映えている。いささか紛争での損害は見られるものの、図書室や祈祷所、植物園や中庭など、建て直されたと思しき箇所はしっかりとした作りとなっていた。
「アシャンテさま、着替えは終わりましたかね」
「もう少しお待ち下さいまし、リーリさま」
祈祷を行うための神殿の最奥――その横にある更衣室にいたアシャンテは、外からの声に応えつつ、姿見で自分の姿を確認した。
真っ白い祈祷用の服のあちこちにはスリットが大胆に入っており、隙間風が肌寒く感じる。サンダルは、舞い手のものよりもしっかりとした革製だ。
夜になっても黒い痕は、相変わらず体の左側を覆っている。消えるそぶりを見せない。
リーリが準備してくれたと思しき麻のローブをまとい、もう一度身なりを見てみる。
(祝詞で消えればいいのだけれど……)
痛みもかゆみもないとはいえ、不気味なことに代わりはない。顔の部分は禊ぎののち、マリーンの手によって、白粉で見えないよう工夫されている。
頬にそっと指を添え、静かに目を閉じた。
出立直前にヴィグジュードから聞いたが、ギギターを含めた護衛たちには、祟りやファラーニのことを話してあるらしい。黒い痕が病ではない事実も踏まえて。いざというとき、驚いたり躊躇したりし、連携がとれなくなることを危惧してのことだという。
アシャンテはそれを、不快だとも屈辱だとも思わなかった。自分のことを考えた上での采配ならば、ヴィグジュードとギギターのことを信じるまでだ。
この神殿には数日、滞在する予定だった。最初はまず婚姻式のあれこれを話し合うのかと思っていたが、逗留の最中、祈祷を何度か行うと聞かされている。一度で効くのかわからないことを懸念しての、リーリからの提案だ。
「……わたくし、本当に人々に恵まれていますわね」
つぶやいて自覚すれば、強張った顔がほぐれる。気を引き締め、鏡の中の自分にうなずいてみた。
「お待たせしましたわ。今、まいりますわね」
微笑みを消し、扉の外にいるだろうリーリに声をかける。だが、返答がない。
「リーリさま?」
もう、祈祷所に行ってしまったのだろうか。アシャンテは疑問に思い扉を開けた。すると、目に飛びこんできたのは。
「リ、リーリさま!」
眼前の壁前に倒れ伏す彼女の姿がある。駆け寄り、膝をついて肩に触れてみた。
「リーリさま、しっかり……」
外傷もなく、ただ眠っていると気づいた刹那、嗅いだことのある匂いを鼻がとらえた。
――濃い、バラのような香り。
瞬時に思い出す。ヴィグジュードにさらわれたときのことを。
「誰か、どなたか……っ」
口元を手で押さえ、声を上げた。意識が遠のくことに耐えつつ、ギギターとマリーンがいる控え室に向かおうとする。
だが、だめだ。体が軽く痺れてきた。まぶたも重い。視界がうっすらとしてくる。
まだ残してある意識の中、コツン、とどこかから鳴ったヒールの音が大きい。
その場に膝をつき、柱に手をかけて顔を上げる。
黄色いドレスを着た女性――ファラーニが、通路の向こうからこちらへと歩いてきている。背後にいるのはアシャンテの見知らぬ男たちだ。
「やはり神殿に来ましたね、アシャンテさま」
揺れる視界の中、彼女が自分を見下しながら微笑むのを、確かに見た。
「ファ、ラーニ……さま……」
「そのまま絶望して自害でもすればよかったのに。わたしは優しいから、その機会を奪わないでおいてあげたのに。愚かなアシャンテさま」
「何、を」
「これからもっと、もっと辛い目に遭うでしょうね。全てはあなたが悪いのよ、シェティ」
「ちが、う……わた、わたくし、は……」
強い否定の声を投げかけようとして、しかしアシャンテの意識は、ゆっくりと闇の中へ落ちていく。
「運びなさい。せめて最後は丁重に扱って」
誰かが自分の腕を掴んでくる。乱暴な感触を皮切りに、アシャンテは深い睡眠へといざなわれていった。
※ ※ ※
……ひんやりとしたタイル。体をくまなく叩く強風。そんな二つの冷たさに、アシャンテはゆっくりと目を覚ました。
(ここ……は)
ぼんやりとする頭が、思考の邪魔をする。手を軽く右に移動させる。問題なく動いた。痺れは感じない。
「あら、起きましたか、アシャンテさま」
「あっ」
体を起こそうとした刹那、ファラーニのヒールが無遠慮に手の甲を踏みつける。
「ファラーニ、さま」
「しゃあしゃあと、そんな姿になってもまだ生きていたいだなんて。滑稽ですね。でも、やはり龍にすがるのだろうとは考えていましたけど。想定の範囲内すぎます」
靴の底で踏みにじられた手が、痛む。痛覚に歪む顔を見たのか、楽しそうに彼女は笑ってみせた。
唇を噛み締め、アシャンテは寝そべりつつもファラーニを強く見据える。
「ここは一体どこですの」
「まあやだ、怖い顔。ふふ、知りたいですか? ここはあなたの墓場となるところです」
「墓場……?」
「どうぞよく見て下さい。そして、思い出すといいわ」
体重をかけられていた手が、自由になった。距離を離したファラーニから目を背け、周囲の様子を確認してみる。
色褪せたタペストリーや朽ちた調度品。土が隆起し固まった地面、欠けた紫のタイル床。朽ちた廃墟だと、見た目だけでは思う。
「あ……」
ファラーニの持つランタンと月明かり以外には、明かりがない。それでも、わかる。ここが小さな廃城だということが。
「……使徒たる乙女……シェトリーネ」
ささやけば、白昼夢のように、通路を歩く女が見える。銀髪を血に染めつつ、長剣を片手に握りしめながら。
アシャンテは思わず、彼女の行く先を視線で追った。
奥まった行き止まり前で、女は止まる。幻影がまた浮かんだ。奥まった行き止まり、そこに今はなき玉座を視認する。女を見下ろすように腰かけている一人の男。
「代理の戦士、ゼルザ」
頭が針で刺されたように痛む。思い出すなというように。見るなと言わんがばかりに。
だが、構わずアシャンテは見続ける。男の横に、違う女性がいるのを確認したからだ。
「……あれは」
「思い出しました?」
バンッ、と頬をはたかれて、一瞬のうちに白昼夢は消え去る。痛む頬を手で押さえ、眼前にかがんだファラーニの顔を、惚けたおもてで見ることしかできない。
彼女は笑う。うっとりと、陶酔しきったように。
「龍の使徒たる乙女シェトリーネ。邪龍たる代理の戦士ゼルザ。そして、ふふ……ゼルザさまのお側にいるのがわたくし、龍の神子……フィア」
「え、あ」
「そう! わたくしフィアとゼルザさまは愛し合っていた! 思い合っていたっ。誰の目など気にせず、睦まじい時間を過ごした! なのに……なのに」
「きゃっ……」
三つ編みを乱雑に掴まれ、悲鳴を上げた。つい上を向くアシャンテに向かい、ファラーニは唾棄すべきものを見るかのような顔つきで目をすがめる。
「お前がゼルザさまを殺して台無しにしたんだ、シェトリーネっ!」
赫怒と憎悪をぶつけられ、アシャンテはただ、息を呑んだ。




