4-3.真っ白に落ちゆく心
……ヴィグジュードは今日、近くに出没した邪獣を討伐に行くという。凶暴な相手と戦うことを知っても、アシャンテに不思議と心配はなかった。彼ならば大丈夫だろう、そんな確信めいた感情を抱いたのだ。
ヴィグジュードと別れたあと、しばらくののち。
少しの雲が青空を覆う昼間、アシャンテはリーリと共にラオラの庭にいた。
「庭ってここまで奇麗になるもんなんですね。すごいですねぇ、アシャンテさま」
「まだ途中ですけれど。園丁の方々やマリーンのおかげですわ。わたくしは軽く手伝ったくらいですもの」
中央の水路近くに作ったあずまやには、ベンチとテーブルを設置してある。そこに腰かけ、色とりどりの花を愛でつつアシャンテは薄く笑んだ。六つの区画に分けられた庭はそれぞれ色彩を取り戻し、荒れ果てていた様子は見る影もない。
「ラオラさまも花をいじるのが好きな方だったんですけど、それとはまた風情が違うというか。とっても華やかです」
「ありがとうございますわ、リーリさま。陛下のお気に召すかはわかりませんけれど」
「大丈夫ですよ。陛下は縁者のファラーニさまにも許していなかったですからね、ここの庭いじり。それを許可しているだけでも、アシャンテさまを特別に思ってるはずです」
茶を飲み、菓子を頬張るリーリは一人でうなずいている。
アシャンテは数回彼女と茶会を開いており、その中で自分とヴィグジュードの関係を正直に告白していた。胸の痣のこと、ギギターから聞いた夢の話は、まだ口にしていないものの。それでも大抵の疑問に答えてくれている。
「ファラーニさまは先々帝の子女だと聞いております。どうして未だ、この城に?」
「龍官になる予定なんですよ、本当は。でもすごく嫌がってて。立場が立場ですから無理強いもできないし、持てあましているってのが本当のところでしょうねぇ」
「龍官に……」
リーリのセリフに、アシャンテは一瞬、心臓が跳ね上がった気がした。以前聞いた、ヴィグジュードと閨を共にしたことのあるような含み。だが、龍官は清らかな身でしかなれない。とすると、あの言葉は自分を煽るための方便だったのだろう。
(よかった。……よかった? どうしてそう思うの)
ほっと安堵したのち、すぐに混乱する。なぜ安心したのか己でもわからない。
「こっちとしては、早くファラーニさまが龍官になってくれれば、って思いますけども」
「な、なぜですの?」
「貴族どもへの抑止力になりますのでね、はい」
にんまりと口角をつり上げるリーリの目は、しかし笑っていなかった。話していて思うが、彼女はなかなか策士で腹黒いと感じてしまう。
「ま、それは宰相さんたちが考えることだから、横に置いときましょっか。さてさて、アシャンテさま。今日は何を聞きたいんですか?」
「え、ええ。……グラモーズで、百合は特別な花かどうかを聞きたくて。百合そのものでなくとも、素描が刻印などに使われているのかなど」
「百合、ですか。国璽は鷹ですし、百合、百合……」
またもや焼き菓子を口に放り、頬を動かしつつリーリは考えこむそぶりを見せた。
「あっ」と小さく声を上げたのは、菓子を嚥下してしばらく経ってのことだ。
「ちっちゃいとき、前の前の龍官長から、おとぎ話を聞いたことがあります。別に神殿に伝わるものとか、そんな大それたものじゃないんですけど」
「それは、どのような?」
「えっとですね、確か……龍の使徒たる乙女が愛した花が、百合だとか。彼女が邪獣を倒したとき、そのあとには必ず赤い百合が咲いたと」
「あの、そもそも使徒たる乙女と代理の戦士とは、一体何者なのですの?」
「えっえっ。大陸出身のアシャンテさまはご存じない?」
目をまたたかせるリーリへ、アシャンテはうなずく。腕を組み、彼女は難しい顔つきとなった。
「うぅん。多分、国の成り立ちの違いが、龍信仰にも現れてるんだと思いますね。四大国の守護者は始者ですけど、この帝国での守り人は龍そのものですし」
「始者の話は読んだ神話どおりでしたわ。ですが、乙女と戦士の話は初耳ですの」
「気を悪くしたらすみません。もしかしたら、四大国では始者の存在を強めるため、わざと乙女と戦士の話を削って伝えていったのかも、と」
「十分に考えられますわね。なんせ千年前の話ですもの……百合にまつわる逸話はそのくらいかしら」
「ですねえ。あっ、王都ではその話を知っている人が、百合を飾るときもありますよ」
リーリが首肯し、腕をほどいた。彼女の前のカップに茶を注ぎつつ、アシャンテもまた首を縦に振る。
有益といえるほどの情報ではないかもしれない。他に気になることといえばヴィグジュードの夢の話題だが――
「あとは、陛下のご両親……特にラオラさまのことをうかがっても?」
その話を出すのは、私的な弱みをおおやけにしてしまうようで、やめておいた。本人から直接聞いたわけでもない。いずれ彼自身にたずねる機会もあるだろう。
ハーブティーをすすりつつ、リーリが嘆くようなため息をついた。
「ラオラさまはとても奇麗な方でしたよ。でも、前帝さまによって無理やり娶られまして……おかしくなってしまったんです。最期は邪獣の前へ自ら飛び出し、亡くなりました。陛下が十歳のときです」
カップをとろうとしていたアシャンテの指が、凄惨さを想起し一つ、震える。
「まさか、それは陛下の目の前で、ですの?」
「はい。それも含めて陛下は、邪獣を憎んでいるのかもしれませんねぇ」
「自ら出陣なさるのは、それが根本にあるのですわね、きっと」
「もちろんそれだけじゃないですよ? 民を思う陛下の気持ちは誰よりも強いですから。ギギターさんをはじめとする平民出の人間だって、平気でお側に置いちゃうし」
「そんなギギターさまを、わたくしの護衛につかせてもいいかと遠慮がありますけれど」
「あらま、平民はお嫌いで?」
「そういう意味ではありませんわ。陛下の大切なご友人なのでしょう、ギギターさまは。わたくしが独り占めしても大丈夫なのか、など」
「信頼の表れ、かもですね」
カップを置き、リーリはにやりと猫のように笑う。
「アシャンテさまになら友人を分けてもいいと、そう思ったのかも」
「……本当、不器用な方」
リーリの言った『信頼』という言葉と朝方の出来事、その二つにアシャンテは微笑む。
考えてみれば、閨を共にするときも、ヴィグジュードが眠るのはアシャンテが睡魔に負けてからだ。それまで絶対に、彼は目をつむらない。眠りの中、自分を庇護するように。
帯刀しているのも、彼なりの優しさからくるものなのかもしれない――そう思っているうちに、周囲が騒がしくなる。
アシャンテが立って確認すれば、侍女や使用人たちがせわしなく行き来しているのが見えた。空には暗雲がかかり、夕方あたりに一雨来そうだ。
「陛下が帰ってきたのかもしれないですねぇ」
「……わたくしが出迎えて、変ではないかしら」
「むしろ喜ぶんじゃないですかね? それじゃ、行きましょっか」
「少し待って下さいます? その、あれを」
きょとんとするリーリをその場に、アシャンテは近くの薬草を摘む。花にも見えるヤロウの一種だ。切り傷や打ち身によく効くとされている。
(わたくしにはこんなものしか渡せないけれど……)
これも歩み寄りの一歩、と言い聞かせてごまかしても、緊張でだろう、胸が高鳴った。
ヴィグジュードがくれた思いやりに、自分も素直に答えたい。そう思う心に偽りはなく、不器用なのはこちらも同じだと内心、苦笑する。
(似たもの同士、なのかも知れないですわね)
白い花を片手に、リーリと共にエントランスホールまで出向いた。ラオラの庭は奥まった場所にあり、角をいくつも曲がらなければ、直接ホールまで行けないのだ。
扉から入ってきたヴィグジュードが、斜めから見えた。彼のマントは血に塗れている。
「へい……」
「ヴィグジュードさまっ!」
声を上げようとしたとき、別の角から飛び出したファラーニが、ヴィグジュードへと抱きついた。ドレスを血で汚すことを、まったく厭うことなく。脇目も振らずまっすぐに。
抱きつかれたヴィグジュードの顔は、柱で見えない。すすり泣くファラーニの様子しかここからでは視認できない。それでも彼は立ち止まったままだとはわかる。
胸が、痛い。切り裂かれ、えぐられるような痛覚に、アシャンテの顔は歪む。
(撥ねつけて。振りほどいて。拒絶して)
とぐろを巻くような醜い感情がまた、ふつふつとわき出る。なのに何もできない。頭の中が真っ白になったままだ。こちらをうかがうリーリのことも、どうでもよかった。
無造作に、その場へ花を落とす。
「あっ……アシャンテさまっ」
そしてきびすを返した。リーリの焦燥めいた声に答えることもせず、見たくないものに蓋をするように――アシャンテは、二人から逃げ出した。




