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第五話(前編):転移魔法の正しい使い方

今回は少し息抜き回です。


……のはずだったのですが、気が付けば「風呂に入りたい」という理由で、とんでもないことを始める主人公になっていました。


世界を揺るがす魔法と、スローライフへのこだわり。

その温度差を楽しんでいただけたら嬉しいです。


それでは、本編をどうぞ!

昨夜。


「床で良い」


と言ったレイナ。


しかしエリックは良心の呵責に負けた。


「いや、ベッド使えよ」


「だが」


「俺は元々雑魚寝慣れてる」


「そうか」


結果。


レイナがベッド。


エリックが床。


そして翌朝。


ふわふわだ。


柔らかい。


暖かい。


最高だ。


エリックは幸福な気分のまま、うっすら目を開けた。


見慣れない天井。


いや、自分の家だ。


なら問題ない。


問題ないのだが。


なぜか床ではなくベッドの上にいる。


昨夜、自分は床で寝たはずだった。


「……?」


寝ぼけた頭で首を傾げる。


そして横を向く。


レイナがいた。


すやすや寝ていた。


しかも笑顔だった。


「…………」


思考停止。


数秒。


脳が現実を処理する。


そして。


「なんでぇぇぇぇぇぇっ!?」


敵襲か!?」


ガバッと飛び起きるレイナ。


「こっちの台詞だ!」


「夜中に床から落ちていた」


「床で寝てたんだから落ちるも何もないだろ!」


「寒そうだった」


「だからって!」


「風邪を引かれても困る」


そんな騒がしい朝のやり取りを終え、簡単な朝食を済ませた後のこと。


エリックが皿を片付けていると、レイナが荷物をまとめながら声をかけてきた。


「今日は森を調査する」


「行かない」

エリックが言った。


「なぜだ」


「水問題」


「水問題?」


「食器洗うの大変だし」


「それに、スローライフと言えば風呂だろ」


またそれか。

レイナは額を押さえた。


「今日は風呂に入る」


「森の調査が先だ」


「風呂」


「調査だ」


「風呂」


「調査」


数秒睨み合う。


「……ちなみに」

レイナが言う。

「なんだ」

「本当に湯が出るのか?」


エリックがニヤリ。


「入りたいのか」

「違う」

即答。


「入りたいんだな」

「違う」


「入りたいんだな」

「違うと言っている」


だが、その声は先ほどより少しだけ小さかった。

否定の言葉とは裏腹に、わずかに視線が泳いでいる。


「昨日の話を聞いていたか?」


「聞いてた」


「なら森が優先だ」


「いや」


エリックは首を横に振った。

「優先順位が違う」


「何?」


「ダンジョンが出来るかもしれない」


「そうだ」


「ゴブリンが増えてるかもしれない」


「そうだ」


「でも今日は風呂に入りたい」

「そうはならんだろ」


真顔だった。


「監視任務なんだろ?」


「そうだ」


「じゃあ監視しながらやればいい」


「何を」

「水問題の解決」


「今日は風呂だ」


「風呂?」


レイナが眉をひそめる。


エリックは当然のように小屋の裏を指差した。


「あるぞ」


裏手へ回る。


そこには木の柵で囲われた小さな区画があった。


石造りの浴槽。


簡素な風呂釜。


かなり古いが、手入れはされている。


「……風呂だな」


「風呂だ」


レイナは少し考える。

確かに。


少年を一人にするつもりもない。

監視対象から離れる理由もない。


「……何をする気だ」


エリックがニヤリと笑った。


「転移魔法」


レイナが固まる。


「は?」

「川と家を繋ぐ」


「……は?」


「桶専用」


「……は?」


「風呂用」


沈黙。


レイナはゆっくりと額を押さえた。


転移魔法。


国家機密級。


軍事利用可能。


戦略級。


その可能性を秘めた超高位魔法。


それを。


「風呂に入りたい」


と言われた。


「お前は本当に何なんだ……」


エリックは首を傾げた。


「風呂好きな一般人だが?」

レイナは頭を抱えた。


どうやら今日の森の調査は、まだ先になりそうだった。


「まずは家側だな」


エリックは風呂場の近くの地面へしゃがみ込んだ。


小枝を一本拾う。


そして迷いなく地面へ線を引き始めた。


さらさら。


さらさら。


複雑な円。


文字。


幾何学模様。


見たことのない術式が次々と組み上がっていく。


レイナの表情が変わった。


「……おい」


返事はない。


エリックは夢中だった。


さらさら。


さらさら。


線が繋がる。


円が重なる。


魔力を通す導線が完成していく。


レイナは黙って見ていた。


見ているしかなかった。


一級剣士として魔法の専門家ではない。


それでも分かる。


分かってしまう。


異常だった。


そこらの魔導士が描く魔法陣ではない。


王城の魔術師団が見れば卒倒する類の代物だ。


しかも。


「雑だな」


「下書きだから」


下書きだった。


レイナは頭が痛くなった。


やがて一つの巨大な円が完成する。


エリックは満足そうに頷いた。


「よし」


「それで終わりか?」


「いや」


エリックは魔法書をぱらぱらとめくった。


目的の頁を見つける。


そして。


迷いなく術式の一部を棒でぐしゃりと消した。


「なっ」


レイナが固まる。


「何をしている」


「邪魔だから消した」


「消した!?」


国家機密級の転移術式を。


まるで誤字を修正するような気軽さで。


消した。


「そこは人間を通す部分」


「必要ない」


「必要ないのか?」


「桶専用だから」


意味が分からない。


本当に意味が分からない。


エリックはさらに線を消す。


書き足す。


消す。


書き足す。


まるで漫画のネームを直すような気軽さだった。


「ここも要らないな」


さらさら。


「これも要らない」


さらさら。


「ここは残す」


さらさら。


レイナはとうとう聞いた。


「お前、本当に何をしている」


「最適化」


即答だった。


「風呂用に」


風呂用だった。


転移魔法が。


風呂用に改造されていた。


数分後。


エリックは最後の線を書き終える。


そして満足そうに頷いた。


「完成」


「……完成?」


「まだ」


エリックは術式の端に小さな記号を書き加えた。


くるり。


くるり。


妙に癖のある線だった。


「今度こそ完成」


「何を書いた」


「認証機能」


「認証機能?」


エリックは当然のように答えた。


「サインだよ」


「……は?」


「著作権みたいなもん」


「転移魔法に著作権は無い」


「でも誰でも使えたら困るだろ」


レイナは反論できなかった。


確かに困る。


だが。


だからといって。


転移魔法にサインを入れる発想にはならない。


「この印が付いた桶だけ通れる」


「……」


「ゴブリンも通れない」


「……」


「完璧だろ?」


レイナは静かに天を仰いだ。


完璧かもしれない。


それが一番恐ろしかった。


「……本当に動くのか?」


レイナが半信半疑で聞いた。


「たぶん」


「たぶんで国家機密級を扱うな」


エリックは気にした様子もなく立ち上がる。


「次は川だ」



二人は川辺へ移動した。


昨日魚を捕った場所。


澄んだ水が音を立てて流れている。


エリックは再びしゃがみ込んだ。


そして家側とほとんど同じ魔法陣を書き始める。


さらさら。


さらさら。


今度はさらに早い。


レイナは途中から見るのをやめた。


理解しようとすると頭が痛くなる。


「よし」


数分後。


二つ目の魔法陣が完成した。


エリックは持ってきた木桶を川へ沈める。


ごぽごぽと音を立てて水が満たされていく。


やがていっぱいになった桶を持ち上げると、その側面へ小さな印を書いた。


先ほどのサインだった。


「それが認証か」


「そう」


「本当にそれだけか」


「それだけ」


不安しかなかった。


エリックは完成した桶を魔法陣の中央へ置く。


そして。


ぽん。


軽く叩いた。


ふわり。


魔法陣が淡く光る。


次の瞬間。


桶が消えた。


「……」


「……」


沈黙。


レイナが目を瞬かせる。


今。


消えた。


本当に消えた。


「成功」


エリックは満足そうだった。


「待て」


「ん?」


「確認は」


「家に帰れば分かる」


「それでいいのか?」


「いいだろ」


良くないと思う。


だが本人が平然としているので、何を言えばいいのか分からない。


そして二人は小屋へ戻った。


裏手へ回る。


風呂場の前。


そこには――


桶があった。


「おお」


エリックが頷く。


「成功だな」


「成功だなじゃない」


レイナは頭を抱えた。


本当に成功していた。


しかも桶の中の水も一滴も減っていない。


完璧だった。


「これで水汲みは終わりだな」


エリックは満足そうに言う。


「終わり?」


「後は何往復かするだけ」


そう言って再び桶を持ち上げる。


レイナは嫌な予感がした。


非常に嫌な予感だった。


「……何をする気だ」


「風呂を沸かす」


即答だった。


「森の調査は」


「後」


「ダンジョン疑惑は」


「後」


「知性化ゴブリンは」


「後」


「魔王現象は」


「後」


レイナは絶句した。


世界の危機が。


風呂より後回しになっている。


エリックは首を傾げる。


「だって調査したら汚れるだろ?」


「……」


「先に風呂を完成させた方が効率良い」


レイナは反論しようとした。


だが。


出来なかった。


確かにその通りだったからだ。


「ほら」


エリックは風呂釜を指差す。


「湯が沸いたら入れるぞ」


レイナの視線が。


ほんの一瞬だけ。


風呂へ向いた。


エリックは見逃さなかった。


「入りたいんだな」


「違う」


「入りたいんだな」


「違う」


「入りたいんだな」


「違うと言っている」


だが。


その否定は今朝よりもさらに弱かった。


レイナはまだ信じられない顔をしていた。


「本当に作ったのか……」


「便利だろ」


「便利という問題ではない」


国家が欲しがる技術だった。


それを本人だけが理解していない。


「よし」


エリックが立ち上がる。


「水問題解決」


「なら森へ行くぞ」


即答だった。


しかし。


「嫌だ」


エリックも即答した。


レイナが固まる。


「なぜだ」


「スローライフに関係ない」


「あるだろう!?」


「ない」


断言だった。


レイナが額を押さえる。


「ダンジョンかもしれないんだぞ」


「そうだな」


「知性化ゴブリンだぞ」


「そうだな」


「なら調査だ」


「いや」


エリックは首を傾げた。


「風呂だろ」


「は?」


そしてエリックは風呂釜へ向かう。


火の魔法陣をかく


薪を放り込む。

ボーー


火が点いた。


レイナは嫌な予感がした。


とても嫌な予感だった。


「……何をしている」


「湯を沸かす」


「森の調査は」


「後」


「後?」


「だって汚れるだろ」


沈黙。


「えっ?」


レイナの思考が止まった。


「森へ行く」


「うん」


「戦う」


「うん」


「泥だらけになる」


「うん」


「だから先に風呂を沸かしておく」


当然のように言う。


「帰ったらすぐ入れるだろ?」


レイナは何も言えなかった。


理屈としては。


理屈としては正しい。


悔しいことに。


かなり正しい。


しかも。


風呂は嫌いではない。


むしろ好きだ。


任務で何日も野営した後、湯に浸かった瞬間の幸福感はよく知っている。


だからこそ。


一瞬だけ。


本当に一瞬だけ。


頭の中に浮かんでしまった。


(帰ったら風呂か……)


「行くぞ」


レイナは慌ててその考えを追い払った。


「おう」


エリックは気軽に返事をする。


そして二人は森へ向かった。


片やダンジョン疑惑の調査。


片や帰宅後の風呂を楽しみにしながら。


目的は違うが、進む方向だけは同じだった。

ここまで読んでいただきありがとうございました!


国家が欲しがる転移魔法。


軍が欲しがる転移技術。


王城の魔術師団が卒倒しそうな超高位術式。


その用途は――


風呂でした。


エリックにとっては当然です。


生きるために必要なものは、

食事、風呂、快適な暮らし。


魔王やダンジョンはその後です。


たぶん。


そしてレイナさん。


最初は真面目に調査する気だったはずなのですが、気が付けば風呂の完成を待つ側になりつつあります。


本人は認めないでしょうが、かなり楽しみにしています。


作者としても、


「国家機密級魔法の無駄遣い」


を書くのは非常に楽しいので、これからもエリックには全力で文明を生活向けに流用してもらおうと思います。


面白かった!

続きが気になる!

風呂が魔王に勝った!

と思っていただけましたら、


ブックマーク、評価(★★★★★)、いいねで応援していただけると嬉しいです!


皆様の応援が作者の執筆速度と、エリックの快適生活レベルを向上させます。


次回もよろしくお願いします!

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