第四話(後編):森が隠していたもの
いつも読んでいただきありがとうございます。
今回は森での収穫回……のはずだったのですが、気が付けばダンジョン疑惑と同居人増殖イベントになりました。
エリックのスローライフは今日も順調に崩壊中です。
それでは本編をどうぞ。
森を出る頃には、太陽は西へ傾き始めていた。
帰り道。
レイナは終始無言だった。
その横を歩くエリックは、背負い袋いっぱいのキノコを抱えながら上機嫌である。
「いやぁ、収穫だったな」
「……」
「魚もあるし、キノコもあるし」
「……」
「これでしばらく食料には困らん」
「……」
エリックは首を傾げた。
「なんでそんな難しい顔してるんだ?」
「していない」
している。
誰が見てもしていた。
森で見た異常。
知性化したゴブリン。
連携。
誘導。
そしてダンジョン発生の可能性。
一級剣士として無視できる話ではない。
だが。
隣を歩く少年は違った。
「鍋だな」
「……は?」
「今日は鍋だ」
当然のように言う。
「魚の出汁にキノコを入れる」
「今その話をしているのか?」
「重要だぞ」
真顔だった。
「食事は毎日のことだからな」
レイナは頭を押さえた。
魔王現象より夕食。
ダンジョン疑惑より鍋。
価値観が根本から違う。
そんなことを考えていた、その時だった。
がさり。
道端の茂みが大きく揺れた。
「ん?」
エリックが足を止める。
「どうした」
「いや」
がさがさ、と落ち葉を激しく踏み鳴らす音。
薄暗い藪の隙間から、ぴょこん、と真っ白で長い耳が二つ、警戒するように跳ね上がった。
次の瞬間。
「うおっ!」
茂みの中から、丸々と太った一羽の野ウサギが弾かれたように飛び出した。
私たちの足元を猛スピードで駆け抜けようとする。
だが途中で。
ぴんっ。
ピンと張り詰めた、鋭い硬質な音が森の空気を震わせた。
地面に巧妙に伏せられていた引き綱が、ウサギの重みによって一瞬で起動する。
しなった若木の弾性が爆発した。
そして。
ぎゅっ。
「キュッ!?」
野ウサギの後ろ足が頑丈な縄の輪にガッチリと絡まり、そのまま凄まじい勢いで上空へと吊り上げられた。
ばたばたばたばた。
宙吊りになったウサギが、短い手足を必死にバタつかせて暴れている。
「……」
「……」
二人は言葉を失ったまま、頭上で揺れる白い獲物をじっと見上げる。
獲物の重さを利用して確実に足を締め上げる、実に見事な狩猟罠だった。
数秒の沈黙。
じっとウサギを見つめていたエリックが、ぽつりと、しかし確信に満ちた声で言った。
「晩飯が増えた」
レイナは思わず天を仰ぎ、深く、深くため息をついた。
さっきまで世界の危機や、新しいダンジョンの可能性を真剣に考えていたはずなのに。
今は目の前で、極上の鍋の具材がぶら下がっている。
このあまりにも平和すぎるエリックの生活リズムに、早くも慣れ始めている自分が少し怖かった。
「取るぞ」
「えっ」
「晩飯だろう」
「お前も鍋の話してるじゃないか」
さっきまであれほど難しい顔をして世界の大問題を考えていたはずの女騎士が、今は丸々と太ったウサギを品定めするように見つめている。
「違う」
即答だった。
「これは任務の一環だ」
「どこが」
「森の生態系調査だ」
「食おうとしてる奴のセリフかよ」
「胃袋に入れて確認する。一級剣士としての、極めて真摯な調査だ」
真顔だった。どこまでも大真面目な声で言い切る。
レイナはウサギを差し出し、当然のようにエリックへ突きつけた。
「ほら、お前の背負い袋に入れろ。キノコと一緒にな」
「……」
確信した。この女、絶対に鍋を楽しみにしている。
エリックは半目になりながら、手渡された獲物を大人しく袋へと収めた。
食後。
魚とキノコ、それに途中で手に入れたウサギまで加わった鍋は予想以上の出来だった。
じっくり煮込まれたウサギの肉は柔らかく、キノコの旨味を吸ったスープは五臓六腑に染み渡る。
レイナも珍しく無言で箸を進めている。
その勢いは、さっきの「調査」という言い訳が完全に物欲(食欲)だったことを証明していた。
「美味いな」
「だろう」
エリックは少しだけ得意げだった。
自炊歴だけは前世込みで長い。
限られた食材で最高の味を引き出すのはお手の物だ。
鍋は裏切らない。
やがて食事も終わり、温かいお茶で一息ついて、片付けも綺麗に済んだ頃。
レイナが不意に口を開いた。
「エリック」
「ん?」
「しばらく世話になる」
沈黙。
「……は?」
エリックの手がピタリと止まり、完全に固まった。
聞き間違いかと思ったが、レイナは真顔のまま淡々と続ける。
「監視と調査任務だ」
「帰るんじゃなかったのか?」
「状況が変わった」
「変わってない」
「変わった」
「変わってない」
即答だった。
だがレイナは動じない。
子供に教え込むように、美しい指を一本ずつ立てていく。
「知性化ゴブリン」
指を一本立てる。
「ダンジョン発生の可能性」
二本目。
「魔王現象との関連性」
三本目。
「よって監視を継続する」
有無を言わせぬ結論だった。
「いやいやいや」
エリックは慌てて立ち上がる。
「一晩だけって話だっただろ!?」
「そうだったな」
「過去形にするな!」
レイナは当然のように腕を組んだ。
「任務が優先だ」
「横暴だ!」
「仕方あるまい」
全然仕方なくなかった。
エリックはガシガシと頭を抱える。
やっと騒がしい世間から離れて、静かな一人暮らしが始まったと思ったのだ。
そこへ現れた、やたらと顔と腕のいい剣士。
しかも、全く帰る気配がない。
「王都に戻れよ」
「却下だ」
「なんで」
「森を監視する必要がある」
「監視なら森でやれ」
「夜は危険だ」
「俺の家だぞ!?」
「床で良い」
「そういう問題じゃない」
「贅沢は言わん」
「だからそこじゃない」
エリックは頭を抱えたまま、その場にがっくりとしゃがみ込む。
帰らない。
本当に帰らない。
どうやら目の前の女騎士は、この丸太小屋に完全に住み着く気らしい。
レイナはそんな様子を冷徹に見下ろしながら、決定打となる言葉を当然のように放った。
「私は命の恩人だろう?」
エリックはゆっくり顔を上げた。
確かにそうだ。
ゴブリンに包囲され、絶体絶命だった時。
生き残ってこうして温かい鍋を食べられているのは、他でもないレイナのおかげだった。
それは認める。
認めざるを得ない。
だが。
だからと言って、そのまま我が家に住み着いて良い理由にはならない。
「ぐぬぬ……」
しかし、理不尽な正論を前にして、有効な反論がまったく思いつかない。
レイナはわずかに口元を緩めた。
完全に「勝った」と思っている顔だった。
悔しい。
非常に悔しい。
沈黙。
ぱちり、と暖炉の薪が静かに爆ぜた。
その心地よい音を聞きながら、エリックは遠い目をする。
今日、自分はただ森へ野菜を探しに行っただけだった。
そこでキノコを見つけた。
なぜかゴブリンに襲われた。
とんでもないダンジョン疑惑が出た。
そして今。
なぜか美人の同居人が増えようとしている。
意味が分からない。どうしてこうなった。
「なぁ」
「なんだ」
エリックは諦め半分で、力なく言った。
「ゴブリン出てきて良かったな」
「うん」
レイナは反射で深く頷いた。
そして一秒後。
「いや良くないだろ!」
自分の失言に気づき、勢いよく立ち上がる。
さすがのレイナも、今の「うん」は完全に本音が漏れすぎていた。
そんな彼女の慌てっぷりを見て、レイナは思わず吹き出した。
「くすり」
小さく。
本当に小さく。
それは、今日初めて彼女が見せる、任務の仮面を脱いだ年相応の笑みだった。
「何がおかしい」
「いや」
レイナはなおも肩を震わせる。
「確かに、ゴブリンが出なければ私はここにはいなかったなと思ってな」
「だから良くないんだよ。俺の平穏が死んだ」
エリックは本気でそう思った。
だが、レイナはまだ楽しそうに少し笑っている。
エリックは三度、深く頭を抱えた。
どうやら彼の待ち望んでいた平穏な一人暮らしは、思っていたよりもずっと短命だったらしい。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
知性化ゴブリンにダンジョン疑惑、魔王現象の気配と世界は少しずつ不穏になってきていますが、エリックの頭の中は相変わらず「今日の晩ご飯」でいっぱいです。
そしてレイナさん、ついに住み着きました。
本人は「監視任務」と言い張っていますが、どう見ても鍋の味を覚えてしまった人です。
作者としても、ここから二人の掛け合いがますます増えていく予定なので楽しんでいただけたら嬉しいです。
もし少しでも
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「続きが読みたい」
「レイナさん絶対鍋目当てだろ」
と思っていただけましたら、
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