第五話(後編):帰ったら風呂
いつも読んでいただきありがとうございます。
今回は森の調査回です。
知性化ゴブリン。
ダンジョン疑惑。
そして新たな異変。
少しずつ世界の謎が見えてきます。
……たぶん。
なお、エリックは通常運転です。
それでは本編をどうぞ。
丸太小屋を出て、二人は北側の森へと足を踏み入れた。
向かったのは南側とは反対方向。
ゴブリンと遭遇した湿地帯とも離れている。
こちらは一見すると、どこにでもある普通の森だった。
木漏れ日が差し込み。
鳥が鳴き。
風が葉を揺らす。
少なくとも今のところ、異常らしい異常は見当たらない。
しかしレイナは油断していなかった。
あの知性化ゴブリン。連携行動。不自然な誘導。そしてダンジョン発生の可能性。
もし魔王現象が関係しているなら、異変は一箇所だけとは限らない。
慎重に周囲へ視線を巡らせながら歩く。
その隣では。
「鑑定」
ピカ。
「食用」
カゴに入れる。
「鑑定」
ピカ。
「毒。コレは食えないか」
「鑑定」
ピカ。
「食えない。二日目」
「……二日だと?」
レイナの動きが止まった。
「何が二日目だ」
「ん? これ」
エリックが指差したのは、地面に生えた一本の、ごく普通の草だった。
「生えてから二日目。つまり、一昨日までは生えてなかったってことだな。鑑定するとそういう情報も出る」
「……」
レイナは首を振った。
よくない。
非常によくない。
エリックの「鑑定」の精度と分類基準に、危うく流されそうになった。
だが、その情報自体は無視できない。
「エリック」
「ん?」
「私たちは森の調査に来ている」
「分かってる」
返事だけは良い。
しかし本人は次の草を探していた。
「風呂が沸くまで時間あるだろ」
「だからと言って食材探しを優先するな」
「有効活用だぞ」
「方向性がおかしい」
ため息が出た。
だが本人は全く気にしていない。むしろ楽しそうだった。
そうして二人はさらに奥へ進んだ。
しばらくは何事もなかった。
普通の森。普通の木々。普通の鳥の声。
レイナですら少し肩の力を抜き始めた頃。
エリックが不意に足を止めた。
「ん?」
「どうした」
「静かだな」
レイナは耳を澄ませる。
確かに鳥の声が減っている。だが気のせいかもしれない程度だった。
「そうか?」
「いつもより少ない」
エリックは周囲を見回した。
「兎もいないな」
「分かるのか」
「分かる」
当然のように言う。
「森で暮らしてるからな」
それはそうだった。
レイナより、この森を知っているのはエリックの方だ。
その時だった。
少し先の草むらが大きく揺れた。
ガサガサッ。
「――ッ」
レイナの手が剣の柄へ伸びる。
空気が変わる。
魔物か。野生動物か。
二人の視線が一点へ集中した。
次の瞬間。
草むらを押し分けて飛び出してきたのは、一羽の野ウサギだった。
だが様子がおかしい。
必死に後ろ脚をばたつかせている。
逃げている。何かから。
その胴体には。
地面から伸びた巨大な葉が絡み付いていた。
まるで蛇のように。
「……え?」
レイナの動きが止まる。
葉はゆっくりと。
だが確実に、ウサギを草むらの奥へ引きずり込んでいく。
「キュッ――」
短い悲鳴。
それきりだった。
草むらが揺れる。
数秒。
やがて静かになった。
森に再び沈黙が戻る。
「……」
「……」
レイナは言葉を失った。
隣でエリックが眉をひそめる。
「うわ」
「なんだあれ」
レイナは引きつった声で答えた。
「動物を食う植物よ」
「植物?」
「本来なら高濃度の魔力地帯にしか生息できない危険種だ」
エリックが草むらを見つめる。
真顔だった。
そして。
「増えてるな」
レイナが振り向く。
「何?」
「前はこんなのいなかった」
「前は?」
「この辺もたまに来るからな」
レイナは固まった。
前はいなかった。
さっきエリックが言っていた「二日目」という言葉が脳裏をよぎる。
つまり。最近発生した。
あるいは。異常な速度で増殖している。
その可能性が高い。
レイナの背筋を嫌な汗が流れた。
南側にはダンジョン疑惑。
そして北側では、本来存在しないはずの魔植物。
二つの異変。
その意味を考え始めた瞬間だった。
「おかしい……」
レイナが呟く。
「何がだ?」
「...」
「魔王現象学の記録と一致しない」
「魔王現象学?」
「第三王女殿下が提唱した新しい学問だ」
レイナは説明を始めた。
魔王現象とは。
魔王そのものではない。
世界のどこかに発生する”歪み”だ。
最初は小さい。
植物が変異する。
動物が狂暴化する。
魔力が淀む。
やがて魔物が増え。
災厄へ繋がる。
つまり癌のようなもの。
「だが理論上、異変は中心から同心円状に広がる」
「ふーん」
「南側にダンジョンがあるなら、北側に先に異変が出るのはおかしい。順番が逆だ」
エリックは首を傾げた。
「つまり?」
レイナは少し黙り込む。
頭の中ではいくつもの仮説が組み上がっていた。
南側の異変。
北側の異変。
関係があるのか。ないのか。
どちらが先なのか。
魔王現象学の理論に当てはめても、どうにも噛み合わない。
やがてレイナは小さく息を吐いた。
「……分からん」
「分からんのか」
「分からん」
即答だった。
「情報不足だ」
「なるほど」
「なるほどではない」
エリックは軽く頷く。
レイナは額を押さえた。
そうして二人はさらに周囲を調べた。
食肉植物は一株だけではなかった。
少し離れた場所にも。さらにその先にも。
同じような植物が点在している。
だが奇妙なことに、森全体が魔力に満ちているわけではない。
空気は普通だ。
木々も普通だ。
魔力濃度も高くない。
本来なら、この植物が繁殖できる環境ではない。
「おかしい……」
レイナが呟く。
説明がつかない。
理論が当てはまらない。
それが何より不気味だった。
エリックはそんなレイナの横でしゃがみ込む。
「お」
「今度は何だ」
「キノコ」
「食べるなよ」
「まだ食べない」
「まだ?」
「鑑定してから」
少し安心した。
少しだけだ。
「食えるらしい」
「そうか」
「晩飯候補」
「そうか」
レイナはもう止めなかった。
止めても無駄だと学習し始めていた。
しばらく進んだところで、レイナは足を止める。
これ以上奥へ入る意味は薄い。
少なくとも自分一人で判断できる領域を超えている。
「エリック」
「ん?」
「今日はここまでだ」
「帰るのか?」
「ああ」
レイナは北側の森を振り返った。
静かな森だった。
だが、その静けさが逆に不気味だった。
南側のダンジョン疑惑。
北側の異常植物。
どちらも説明がつかない。
そして、そのどちらも放置して良い話ではない。
「やはり報告が必要だな……」
小さく呟く。
第三王女。
魔王現象学。
王都。
頭の中でいくつもの言葉が浮かんでは消えた。
だが今はまだ結論を出せない。
情報が足りない。
圧倒的に足りない。
「帰るぞ」
「おう」
エリックは籠を持ち直して立ち上がった。
中には野草やキノコが少し増えている。
調査の成果なのか食材の成果なのか分からない。
二人は来た道を引き返し始めた。
沈み始めた陽光が木々の間から差し込み、長い影を作る。
帰れば風呂が待っている。
少なくともエリックはそう思っていた。
レイナは異変について考え続けていた。
同じ道を歩いているはずなのに。
二人の頭の中は、まるで別の方向を向いていた。
小屋へ戻る頃には、空は茜色に染まり始めていた。
裏手へ回る。
風呂場からは湯気が立っている。
エリックが満足そうに頷いた。
「よし」
「……本当に沸いているな」
レイナは少しだけ感心した。
国家機密級の転移魔法。
その用途が風呂だったことには未だ納得していない。
だが。
湯は確かに沸いていた。
「先に入るか?」
エリックが聞く。
レイナは反射的に首を振ろうとして――やめた。
森を歩き回った。
汗もかいた。
正直なところ。
少し入りたい。
「……そうしよう」
「おう」
エリックはあっさり頷いた。
拍子抜けするほどだった。
しばらく後。
「…………」
湯船に肩まで浸かる。
温かい。
熱すぎず。
ぬるすぎず。
ちょうど良い。
身体の力が自然と抜けていく。
森で感じた不気味な違和感。
食肉植物。
ダンジョン疑惑。
第三王女への報告。
考えることは山ほどある。
だが今だけは。
少しだけ忘れられた。
「……ふぅ」
小さく息が漏れる。
気付けば。
ほんのわずかに鼻歌まで混じっていた。
本人は気付いていない。
風呂上がり。
夜風が心地良かった。
レイナは髪を拭きながら庭へ出る。
見上げれば満天の星空。
王都では見られない景色だった。
静かな夜だった。
だからこそ。
小屋の窓から聞こえてくる独り言が妙に響いた。
「ここかな」
エリックだった。
何やら庭を見ながらぶつぶつ言っている。
「日当たり悪くないな」
「……何をしている」
「畑の予定地を考えてる」
即答だった。
レイナは額を押さえる。
「まだ作る気だったのか」
「そりゃ作るだろ」
当然のように言う。
「小麦欲しいし」
「買えばいいだろう」
「毎回買いに行くの面倒だろ」
それは少し分かる。
少しだけだ。
「野菜も欲しいな」
エリックは庭を見回す。
「トマト」
「……」
「豆」
「……」
「芋」
「増えているな」
思わず口から出た。
「だろ?」
「だろ?ではない」
エリックは真剣だった。
本当に真剣だった。
魔王現象の話をしていた人間とは思えないほどに。
「鶏も欲しい」
「増えたな」
「卵便利だぞ」
「それは分かる」
言ってしまった。
レイナは少し後悔した。
「だろ?」
「調子に乗るな」
「山羊も欲しい」
「さらに増えた」
「牛は無理だし」
「比較対象がおかしい」
エリックは腕を組む。
真剣な顔だった。
王国の将来を考えている政治家のような顔だった。
考えている内容は山羊だった。
レイナは深いため息を吐く。
その時。
ふと視線が庭へ向いた。
確かに。
日当たりは悪くない。
水も確保できた。
小規模な畑なら作れそうだ。
トマトも。
豆も。
案外育つかもしれない。
そこまで考えて。
「……」
レイナは無言になった。
何を考えている。
自分は。
今日見たのは国家案件かもしれない異変だ。
知性化ゴブリン。
ダンジョン疑惑。
異常植物。
優先すべきは報告だ。
畑ではない。
決して畑ではない。
「やはり王都へ行くべきだな」
レイナが呟く。
エリックが振り向いた。
「買い出しか」
「違う」
即答だった。
「第三王女殿下への報告だ」
「ああ」
だがエリックは普通に頷く。
そして。
「ついでに種買えるな」
「ついでではない」
「鶏も見れる」
「見ない」
「山羊も」
「見ない」
数秒の沈黙。
そして。
「……トマトの種くらいなら」
レイナは思わず口を滑らせた。
しまった。
そう思った時には遅かった。
エリックの目が輝いた。
「だろ!?」
「違う!」
慌てて否定する。
だがもう遅かった。
満天の星空の下。
エリックは完全に王都での買い物計画を始めていた。
一方でレイナは頭を抱える。
明日から王都へ向かう。
その目的は。
第三王女への報告。
決して。
決してトマトの種ではなかった。
たぶん。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
今回は少しだけ世界観のお話でした。
南側ではダンジョン疑惑。
北側では異常植物。
レイナが真面目に頭を悩ませている一方で、エリックはキノコと野草と晩ご飯のことを考えています。
平常運転です。
そしてついに登場しました。
第三王女殿下が提唱した「魔王現象学」。
世界では少しずつ異変が広がり始めています。
……広がり始めているのですが。
風呂に入り。
畑の予定地を考え。
最終的に話題がトマトの種になるあたり、この作品らしい気もします。
ちなみに作者も執筆中、
「今は異変の調査回を書いているはずでは……?」
と思いながら気付けば畑の話を書いていました。
不思議ですね。
次回からは王都編へ向かう予定です。
第三王女への報告が目的です。
決してトマトの種や鶏や山羊のためではありません。
たぶん。
面白かった!
続きが気になる!
レイナさん風呂で完全に陥落してる!
と思っていただけましたら、
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皆様の応援が作者の執筆速度と、エリックの農場拡張計画を加速させます。
次回もよろしくお願いします!




