第三十六話(前編):移動式多重防壁と王女の隣
今回の旅では、エリックの新しい魔法がさっそく大活躍。
……なのですが。
魔法使いたちが気になったのは、やはり「移動式多重防壁」。
そしてもう一つ。
エリシアとエリックの距離が、少し近すぎるような……?
今回も、のんびり旅の一幕をお楽しみください。
エリックは窓の外を指差した。
「田んぼだろ?」
その先に。
水を張った広い田んぼが、街道沿いに広がっていた。
エリシアも窓の外を見る。
「田んぼ……。」
「お米ですか?」
「うん。」
「お米……。」
エリシアの目が輝いた。
「お米があれば、何が作れるのですか?」
「色々。」
「例えば?」
「寿司。」
「寿司とはどんなお料理ですか?」
エリシアが身を乗り出す。
「魚乗せて食べる。」
「お魚を焼くのですか?」
「それとも煮るのですか?」
「生で。」
「生ですか?」
エリシアの目が、さらに輝く。
「良いですね。」
さらに身を乗り出す。
「お米は?」
「酢飯。」
「酢を?」
「うん。」
「良いですね。」
さらに近づく。
「……近い。」
「え?」
エリシアが止まる。
しかし。
「その酢飯には、他に何を乗せるのですか?」
「魚とか。」
「他には?」
「色々。」
「卵は?」
「卵焼き。」
「た、卵焼きとは!」
エリシアがまた身を乗り出す。
「卵を焼いたもの。」
「焼くのですね!」
「うん。」
「甘いのですか?」
「甘いのもある。」
「甘い卵焼き……。」
エリシアの顔が明るくなる。
「それもお寿司に乗せるのですか?」
「うん。」
「食べてみたいです!」
「……。」
エリックが少し後ろへ下がる。
「近い。」
「……。」
エリシアが、また少し離れる。
だが。
「では、お魚はどのように――」
「エリシア様。」
レイナが額を押さえた。
「はい?」
「近いです。」
「……。」
エリシアが、ようやく自分の位置に気づく。
「失礼しました。」
少しだけ身体を戻す。
レイナはため息を吐いた。
「エリシア様が興味を持ったものには、いつもこうなんだ。」
「そうなのですか?」
「そうだ。」
その横で。
ルチアとミーナは。
「…………。」
「…………。」
完全に口を開けたまま固まっていた。
何を突っ込めばいいのか。
もう二人にも分からない。
エリシアは気にすることなく、再びエリックを見る。
「それで、お寿司には他にどんなものが――」
「エリシア様。」
レイナが止める。
「はい?」
「本来の目的を思い出してください。」
「……。」
エリシアが少し考える。
「ガルディアへ向かうことですね。」
「そうです。」
「分かっています。」
レイナはため息を吐いた。
その横で。
ボルグが堪えきれず笑う。
「ははは……。」
ルチアとミーナは、そんな二人を見つめていた。
しばらくして。
ミーナが、ぽつりと呟く。
「……二時間ぐらいですよね?」
ルチアが頷く。
「はい。」
「まだ、出発して二時間くらいですよね?」
「はい。」
ミーナは窓の外を見る。
「……これ。」
「予定通り、辿り着くことができるのでしょうか?」
「……。」
ルチアも窓の外を見る。
「確か、片道十五日……。」
「半月かかる予定だと聞いています。」
「はい。」
二人は車内を見る。
エリシアは、まだ寿司のことを考えている。
「……。」
「……。」
ミーナが小さく呟く。
「そんなことより。」
「はい。」
「エリシア様って、本当に第三王女なのですよね?」
ルチアもエリシアを見る。
「間違いありません。」
「ですよね……。」
ミーナがエリックを見る。
「なのに。」
「はい。」
「エリックさんは普通にタメ口で。」
「はい。」
「エリシア様は……。」
二人は顔を見合わせる。
「立場、反対では?」
「私も、そう思いました。」
ミーナが、そっとルチアへ顔を寄せる。
「先程、タメ口でしたね。」
「殺すしかありませんね。」
「ですね。」
「王女殿下へのタメ口など……万死に値します。」
二人の足が。
カタカタ。
小さく震える。
「……。」
ミーナが頭を押さえる。
「……頭が痛い。」
ルチアも額を押さえた。
「なんだか私も……。」
「……。」
「……。」
「……保留です。」
「了解です。」
その横で。
エリシアが、またエリックへ身を乗り出す。
「エリックさん。」
「ん?」
「お寿司というものは――」
「近い。」
「……。」
レイナは再び頭を抱えた。
ボルグは笑う。
そして。
ルチアとミーナは。
「…………。」
「…………。」
ただ、口をあんぐりと開けていた。
もう。
どこから突っ込めばいいのか。
二人には分からなかった。
そんな二人を尻目に
「エリックさん。」
「ん?」
エリシアが窓の外を見る。
「お米の苗、欲しいですね。」
「だな。」
「植えて。」
「育てて。」
「食べる。」
「うん。」
エリシアが満足そうに頷く。
そして。
もう一度、窓の外を見る。
「……農家の人、いませんかね?」
エリシアが窓の外をきょろきょろと見回す。
「一人ぐらいいても。」
エリックも田んぼを見る。
「そうだな。」
「苗、分けてもらえないでしょうか。」
「聞いてみるのか?」
「はい当然です。」
二人が本気で田んぼを探し始める。
「……。」
レイナは、ゆっくり頭を押さえた。
「……お前たち。」
「はい?」
「まだ出発して二時間だぞ。」
「うん。」
「今から農家の人探すな。」
「……。」
エリシアとエリックが顔を見合わせる。
「……帰りに寄れ。」
「本当ですか?」
「約束だ。」
「はい!」
エリシアが嬉しそうに笑う。
エリックも頷いた。
「帰りに寄る。」
ボルグが横で笑う。
「ははは……。」
レイナは頭を押さえたまま、深いため息を吐いた。
その後快調に走る馬車。
ガタ。
ガタ。
ガタ。
エリシアは窓の外を眺めていた。
草原。
遠くに広がる山々。
青空を流れる雲。
――その景色を。
エリシアは静かに楽しんでいた。
「……。」
その隣では。
エリックが眠っている。
すう……。
すう……。
レイナが一度だけエリックを見る。
「よく寝てるな。」
その声を聞いて。
ミーナが、そっとルチアへ顔を寄せる。
「……寝てますね。」
「寝てます。」
「……チャンスですね。」
「やりますか。」
「……。」
「……。」
コホン。
レイナが咳払いをした。
「…………。」
「…………。」
ミーナが小さく呟く。
「……保留です。」
「了解です。」
ボルグも髭を撫でながら苦笑する。
「出発して、まだ大して経っとらんぞ。」
「疲れているのでしょう。」
エリシアが小さく笑った。
その時。
前方から声が響いた。
「前方!」
「魔物です!」
馬車の中の空気が変わる。
「何体だ!」
「分かりません!」
「空です!」
近衛騎士たちが一斉に身構える。
二号車からも、魔法使いたちが外へ視線を向けた。
「鳥型……?」
「かなりの数です!」
「王女殿下をお守りしろ!」
馬車の周囲が、一気に慌ただしくなる。
ルチアとミーナも杖を握った。
「来ます!」
「近い!」
二人の視線の先。
鳥型魔物の群れが、馬車へ向かって急降下してくる。
「迎撃を――!」
しかし。
エリシアは慌てていなかった。
レイナも。
ボルグも。
誰も動かない。
「……?」
ルチアが三人を見る。
「皆さん……?」
その瞬間。
先頭の一羽が、何もない空間へ突っ込んだ。
パァン!
消えた。
「…………。」
ルチアが固まる。
ミーナも目を見開いた。
「……今の。」
二羽目。
パァン!
三羽目。
パァン!
次々と鳥型魔物が消えていく。
「……。」
「……。」
二人は顔を見合わせた。
「防壁……ですよね?」
「はい。」
エリシアが答える。
「でも……見えません。」
「透明にしていると、エリックさんがおっしゃっていました。」
「……そうでした。」
二人は再び外を見る。
鳥型魔物は防壁の存在に気づいていない。
見えない壁へ。
次々と突っ込んでいく。
パァン!
パァン!
パァン!
「……避けていませんね。」
「見えていないからでしょうね。」
エリシアは何でもないことのように答える。
ルチアが小声になる。
「でも……。」
「はい。」
「触れた瞬間に……消えていますよね?」
「はい。」
ミーナも震える声で続ける。
「ゴブリン程度の魔力しかない魔物なら……。」
「触れただけで消滅するようにしているそうです。」
「…………。」
二人は黙った。
そして。
眠っているエリックを見る。
「……。」
「……寝てますね。」
「寝ていますね。」
エリシアが小さく笑う。
「ええ。」
その時。
ルチアが気づいた。
「……あれ?」
「どうしました?」
「この防壁……。」
外を見ながら、さらに目を凝らす。
「馬車と一緒に……動いてますよね?」
ミーナも確認する。
「……本当です。」
「移動しながら維持している……。」
二人の声が、さらに小さくなる。
「十二層……。」
「はい。」
「その一番外側が……。」
「触れた魔物を消滅させる。」
「…………。」
二人は、もう一度エリックを見る。
エリックは。
何事もなかったように。
眠っている。
「……。」
「……どこから突っ込めばいいんでしょう。」
レイナが小さく笑った。
「今さらだろ。」
ボルグも楽しそうに髭を撫でる。
「わしも同感じゃ。」
エリシアは窓の外へ視線を戻す。
「綺麗ですね。」
「……。」
「「そこですか!?」」
二人の声が重なった。
エリシアは不思議そうに振り返る。
「はい?」
その横で。
エリックは。
まだ眠っていた。
最後の鳥型魔物が、防壁へ触れた。
パァン。
消滅する。
それを最後に。
空から魔物の姿が消えた。
街道に。
再び静かな風が戻ってくる。
近衛騎士たちも、ゆっくりと武器を下ろした。
「……終わったのか?」
「はい。」
「魔物の反応、ありません。」
二号車の魔法使いたちも、まだ呆然としている。
「……。」
「……すごい。」
小さな呟き。
しかし。
それ以上、誰も言葉を続けられない。
エリシアは窓の外を見る。
先ほどまで騒がしかった街道には、何事もなかったように草原が広がっている。
「……綺麗ですね。」
再び景色を眺める。
その隣では。
エリックが眠っている。
すう……。
すう……。
レイナが小さく息を吐いた。
「……本当に寝てるな。」
ボルグが笑う。
「自分で張った防壁が魔物を消し飛ばしとるというのにのう。」
「本人は興味なしか。」
エリシアが微笑む。
「エリックさんにとっては、もう普通なのでしょう。」
「普通、ねぇ……。」
レイナは苦笑した。
その時。
ガタン。
馬車が小さく揺れた。
エリックの身体が、ゆっくりと傾く。
「……。」
エリシアが気づく。
「エリックさん?」
返事はない。
さらに。
もう一度。
ガタン。
エリックの頭が。
エリシアの肩へ、そっと寄りかかった。
「……。」
エリシアの身体が固まる。
頬が、ほんのり赤くなった。
「……寝ていますね。」
レイナが見る。
「……。」
エリックは完全に眠っている。
「……まあ。」
「馬車が揺れただけだ。」
レイナはそう呟いた。
だが。
なぜか。
もう一度、二人を見る。
エリシアは困ったように微笑みながら。
そのままエリックを起こさずにいる。
「……。」
レイナは視線を逸らした。
「……何だ。」
「この感じ……。」
ボルグが横目で二人を見る。
そして。
口元を少しだけ緩めた。
「……ほう。」
小さく。
楽しそうに呟く。
「なるほどのう。」
ボルグは、しばらく二人を眺めていた。
エリシアは。
肩に寄りかかって眠るエリックを起こそうとはしない。
ただ。
少し困ったように笑っている。
「……。」
レイナは、そんな二人を見ていた。
「……。」
やはり。
何かがおかしい。
いや。
おかしくはない。
馬車が揺れた。
エリックは眠っていた。
たまたま、エリシアの方へ傾いただけだ。
それだけ。
「……。」
なのに。
どうして。
こんなに気になる。
レイナは窓の外へ視線を向ける。
草原が流れていく。
「……。」
そして。
また。
見てしまう。
エリック。
エリシア。
肩に預けられた頭。
ほんのり赤くなった頬。
「……。」
レイナは眉を寄せた。
(私は……何を気にしてるんだ?)
別に。
何か悪いことをしているわけじゃない。
エリシアは仲間だ。
エリックも仲間だ。
それなのに。
胸の奥に。
小さな引っかかりが残る。
「……。」
その様子を。
ボルグは黙って見ていた。
そして。
口元をほんの少しだけ緩める。
「……なるほどのう。」
レイナが振り向く。
「……何だ?」
「いや。」
ボルグは髭を撫でる。
「何でもねぇ。」
「……。」
レイナは怪訝そうにボルグを見る。
だが。
それ以上は聞かなかった。
再び窓の外へ視線を戻す。
――その隣で。
エリシアは静かにエリックを見つめていた。
「……よく眠っていますね。」
小さく呟く。
エリックは。
何も知らずに眠り続けている。
馬車は。
何事もなかったように。
街道を進んでいった。
今回は「移動式多重防壁」が、この世界ではどれほど非常識な魔法なのかを少し見せてみました。
魔法使いのルチアとミーナ。
言っていることは物騒なのに、本人たちは小声でヒソヒソ。
そして最後は「保留です」。
この二人は、今後もちょくちょく使えそうですね。
そしてエリックはというと……本人は何も気にせず、すやすや。
その隣でエリシアが嬉しそうにしていて、レイナが何かを気にしていて、さらにボルグまで気づいている。
……さて。
この旅、無事に予定通り進むのでしょうか。
次回もお楽しみに。




