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第三話(後編):魚とキノコと、ゴブリンの気配

いつも読んでいただきありがとうございます。


今回は筋肉痛から始まり、釣りをして、魚を食べて、野菜を探しに森へ入り、キノコを見つけて、最後にゴブリンが出てきます。


改めて書き出してみると、かなり平和なスローライフ回……のはずでした。


なお主人公は相変わらず自分が何をやらかしているのか全く理解しておりません。


少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

魚を食べ終えた後。


二人は鬱蒼とした森の中を歩いていた。


エリックは野菜代わりの野草探しと腹ごなしの散歩。レイナは任務である周囲の警戒。目的は違うが、進む方向だけは同じだった。


「……疲れたな」


エリックが早くもぼやく。


「まだ大して歩いていない。小屋を出てから一刻《約二時間》も経っていないぞ」


「気分の問題だ。慣れない土木作業の後に歩くのは、精神的カロリーの消費が激しいんだよ」


レイナには「精神的カロリー」などという言葉の意味は分からなかった。だが、本人は至って真面目な顔だ。


エリックは早くも帰りたいオーラを全開にして、森の引き返し側を振り返る。


「もう十分だろ、帰るか」


「待て」


レイナが鋭く制し、ピタリと足を止める。


その切れ長の目が、陽の光も届かない森の奥の闇をじっと見据えていた。一級戦闘認定剣士としての五感が、周囲のわずかな変化を捉えている。


「もう少し調べる」


「まだやるのか」


「当然だ」


短く、鉄のような声で答える。


「王都の観測網が捉えた魔物の異常発生。ゴブリンの不自然な増加。そして、魔王現象に近い反応。どれもこの森の深部が起点になっている」


エリックが露骨に嫌そうな顔をして、眉間にシワを寄せた。


「その不穏な単語、また出た。朝から聞く言葉じゃないな」


「重要だからな」


「いや、俺には全く関係ないと思うんだけど。俺が知りたいのは、この近くにキャベツとか大根みたいなやつが生えてるかどうかだけだ」


「お前に関係がないと、そう断言できる明確な根拠はあるか?」


「ない」


「なら調査だ。お前がその規格外の魔法陣をこの森にバラ撒いている以上、巻き込まれている可能性は否定できない」


「めんどくさいな……。本当にめんどくさい……」


頭を抱えるエリックは、心底嫌そうに溜め息をついた。


レイナはそんな少年を横目で見て、小さく息を吐く。


王都の人間であれば、誰もが恐怖に震え上がり、あるいは手柄を立てようと血眼になる話題だ。だが目の前の少年は違う。

世界を滅ぼす魔王よりも、自分の平穏な生活に舞い込んでくる「面倒事」の方が、遥かに嫌いらしい。


そのままさらに森の奥へと進む。


やがて、足元の土が水分を帯びてジクジクと湿り始めた。


周囲の木々には青々とした苔が増え、空気も少しひんやりとしたものに変わっていく。


レイナは再び足を止め、その場にしゃがみ込んで地面を観察した。


折れた細い枝。不自然に踏み荒らされた獣道。

だが、熟練のスカウトでもあるレイナの目から見て、その痕跡は妙に歪だった。


「……」


「どうした?」


エリックが退屈そうに尋ねる。


「静かすぎる」


「静かなのは良いことだろ」


「本来ならゴブリンがいるエリアだ。なのに、痕跡すら無い。……まるで、何かを避けている――」


レイナがそこまで推測を口にした、その時だった。


「おおっ!!」


エリックが突然、狂喜乱舞した声を上げて走り出した。


「待て! 迂闊に動くな!」


反射的にレイナは手を伸ばしたが、もう遅い。


少年は一切の警戒を投げ捨てて、一直線に湿地の奥、ひときわ巨大な大木の根元へと駆けていく。


レイナも慌てて剣の柄に手をかけ、その後を追いかけた。


何か危険な罠を見つけたのか。あるいは新種の魔物か、ゴブリンの軍勢の巣か。


最悪の事態を想定して大木を回り込んだレイナの視界に飛び込んできたのは――


「すげぇ!! 大収穫だ!!」


エリックの、これまで見たこともないような満面の笑みだった。


大木の根元。湿った地面一面を埋め尽くすように、大量のキノコが群生していた。


白くて丸いもの。傘の茶色いもの。そして、見るからに毒々しい赤や紫のものまで、見たこともない種類が入り乱れて自生している。


「キノコだ!」


「……見れば分かる」


レイナは構えていた上体を、脱力とともにガクリと落とした。


「大量だ! これだけあれば、スープにしても炒め物にしても、数日分は完全に野菜の代わりが務まる!」


「それも、見れば分かるが……」


エリックは完全に興奮していた。前世の貧乏浪人生時代、スーパーの特売キノコで飢えを凌いでいた記憶が蘇っている。


群生地の前で勢いよくしゃがみ込み、目を輝かせるエリック。


――だが、次の瞬間。


彼はその満面の笑みのまま、ピキリと彫像のように固まった。


「……」


「どうした。早く採らないのか」


レイナが不審に思って声をかけると、エリックは真顔で首をギチギチと回し、深刻な表情で言った。


「……これ、食えるのか?」


長い沈黙が流れる。


レイナも一歩近づき、湿地に生える色とりどりのキノコを見つめた。


「知らん。私は王都育ちの騎士だ。菌類の識別訓練など受けていない」


「俺も知らん。前世の知識じゃ、エリンギとしめじしか分からん」


「ゼンセ……?」


二人は並んでしゃがみ込み、無言で怪しげなキノコたちを凝視した。


しばらくの思考ののち、エリックはハッと顔を上げ、背負い袋をごそごそと漁り始めた。


「なら、手っ取り早く調べるか」


「調べる? どうやってだ。まさか片っ端から口に入れる気か?」


「そんな命知らずな真似するかよ。確か、ばあちゃんから貰った本に、それっぽい術式が載ってた気がするんだ」


エリックの手から、古びた魔導書が取り出される。


それを見たレイナの美しい眉が、僅かにピクリと動いた。


嫌な予感がした。


この少年が「本を見ながらなんとなく魔法を使う」と言い出した時、ろくな事にならないのを、レイナは身を以て知っていた。


エリックは魔導書を開いた。


ぱらぱらとページをめくる。


「あった」


その場にしゃがみ込み、地面へ指を走らせる。


さらさら。


円。


補助線。


複雑な紋様。


レイナの眉がぴくりと動いた。


「……おい」


「ん?」


「それは鑑定術式か」


「多分」


「多分?」


「本にはそう書いてある」


レイナは頭を抱えたくなった。


鑑定術式。


勇者時代に生み出された失伝魔法。


構造が複雑過ぎて、現在ではほぼ再現不可能。


王都の研究機関ですら解析中の代物だ。


それを。


「多分」で使うな。


そう言いたかった。


だがもう遅い。


術式は完成していた。


淡い光が浮かぶ。


キノコの上へ文字が現れた。


【食用】


「お」


エリックの顔が輝く。


「食える」


「食えるな」


レイナは術式を見下ろした。


そして気付く。


術式の端。


妙に複雑な紋様が混ざっていた。


「……待て」


「なんだ」


「この部分は何だ」


エリックが覗き込む。


「ああ」


一瞬で理解した。


「サインだな」


「サイン?」


「作者名」


沈黙。


「必要なのか」


「別に」


即答だった。


「別に?」


「別に」


レイナは術式を見る。


もう一度見る。


どう見ても重要そうだ。


「術式の一部ではないのか」


「違う」


「違うのか」


「作者の自己主張」


レイナは無言になった。


勇者時代の秘術。


失われた伝説級魔法。


その末尾についている複雑な紋様。


それを。


作者の自己主張で片付けた。


「消してもいいぞ」


「消せるのか」


「術式関係ないし」


「……」


レイナは静かに頭痛を覚えた。


エリックは本を閉じる。


「著作権も切れてるし」


「ちょさくけん?」


「昔の人が作ったものだから自由に使っていいやつ」


「意味が分からん」


「俺もよく分からん」


レイナは空を見上げた。


理解できない。


本当に理解できない。


だが一つだけ分かる。


目の前の少年は。


伝説を伝説として扱っていない。


「よし」


エリックは立ち上がる。


そして嬉しそうにキノコへ手を伸ばした。


「晩飯確保!」


レイナは小さくため息を吐く。


自分が見ているものと。


こいつが見ているものは。


たぶん根本から違う。



これも食える」


「これもか」


「おっ、こっちも」


「待て、また鑑定するのか」


「便利だからな」


「これも食える」


「これもか」


「おっ、こっちも」


「待て、また鑑定するのか」


「便利だからな」


ぴかっ。


【食用】


ぴかっ。


【薬用】


ぴかっ。


【毒】


「おお危ない」


レイナは頭を抱えた。


勇者時代の失伝術式。


王都の研究者たちが再現に挑み続けている伝説級魔法。


それを。


目の前の少年は野草図鑑代わりに使っていた。


「おっ、これも食えそう」


「待て」


「なんだ」


「せめて一度にまとめて調べろ」


「そんな面倒なことできるのか?」


「できないのか?」


「知らん」


レイナは遠い目になった。



しばらくして。


採取したキノコや薬草が山になり始める。


エリックは満足そうだった。


「よし」


「満足か」


「三日は生きられる」


「随分短いな」


「人生そんなもんだろ」


意味が分からなかった。


その時だった。


「……なぁ」


不意に、キノコを凝視していたエリックが、神妙な顔でぽつりと顔を上げた。


「なんだ」


「静かじゃない?」


レイナは怪訝そうに美しい眉をひそめる。


「何を今更。ここは元から静かだと言っただろう」


「いや、そうじゃなくて」


エリックが立ち上がり、警戒を孕んだ目でぐるりと周囲の藪を見回した。

「なんか、いる。……絶対にいる」


その一言で、レイナの意識が完全に任務モードへと切り替わった。


エリックの視線の先を追うように、鋭い目で見渡す。

一級剣士としての五感を研ぎ澄まし、湿った大気の中に混ざる異質な気配を探る。


そして――見つけた。


五体。


木々の陰。生い茂る茂みの奥。


こちらを完全に射程に捉えるように、半円を描いていつの間にか囲まれていた。


低い背丈。緑色の醜悪な肌。


ゴブリンだ。


「……いたな」


レイナが感情の消えた声で静かに呟く。


遅れてエリックもそちらを振り返り、その姿を視界に捉えた。


そして、


「ゴブリンだ!」


「見れば分かる」


「帰ろう!!」


一切の躊躇のない、絵に描いたような即答だった。


だが、レイナは微動だにせず冷徹に告げる。


「無理だ。完全に囲まれているぞ」


「えっ」


エリックの顔が引き攣る。


それを合図にしたかのように、ゴブリンたちがじりじりと足音を忍ばせて距離を詰めてきた。


手に持っているのは、粗末な棍棒や、赤黒く錆びついた短剣。


濁った黄色い目が、美味そうな獲物を前にして、耳障りな声を漏らしながら下卑た笑みを浮かべている。


エリックが一歩下がる。


もう一歩下がる。


背中に大木の幹が当たるまで、ずるずると下がっていく。


「レイナ」


「なんだ」


「任せた。俺、後ろから応援してるから」


「断る。お前も少しは戦え」


言いながら、レイナは腰の長剣の柄へとゆっくり手をかけた。


シャリン、と鋭い金属が擦れる音が静かな森に響き渡る。


その瞬間、森の空気が一変した。


圧倒的な強者の闘気が、レイナの全身から立ち上る。


ゴブリンたちが、その気配に本能的な恐怖を感じて一瞬身を竦めた。


――そして。


その恐怖を振り払うかのように、正面の一体が一際高い叫び声を上げ、地面を蹴って凶暴に飛び出してきた。


「来たぞ」


レイナが静かに呟く。


「うわぁぁぁ!」


エリックは全く静かではなかった。

ここまでお読みいただきありがとうございました。


魚を釣りたい主人公と、規格外の存在を監視したい騎士。


目的は全く違うのに、なぜか一緒に行動している二人です。


今回個人的に気に入っているのは、勇者時代の失伝魔法を野草図鑑代わりに使っているところだったりします。


本人にとっては「便利な生活魔法」くらいの認識ですが、周囲から見るとだいぶ大変なことになっています。


そして最後はゴブリン登場。


次回は少しだけ空気が変わりそうです。


引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。

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