第三話(前編):魚が安心できる構図
第三話前編です。
前回、王都では「魔王復活関連異常事案」として扱われ、王女殿下からも注目され始めたエリックですが――本人は相変わらずです。
今回はそんな彼のスローライフ(本人談)なお話。
魚が食べたかっただけなのに、なぜか川の流れを改造し始めます。
作者にもよく分かりません。
どうぞお楽しみください。
朝。
「……いてぇ」
目が覚めた瞬間、エリックは顔をしかめた。
全身が痛い。腕も。肩も。背中も。昨日、罠の確認で森を駆け回ったせいか、明らかに筋肉痛が酷くなっている。
「なんでだよ……」
ぶつぶつ文句を言いながら身体を起こす。
すると視界の端で、藁の寝床に転がる女騎士の姿が見えた。
レイナ・ヴェルクス。
昨夜、一晩だけ泊める代わりに、携行食と糸と針を置いていった張本人だ。
「……」
寝顔は静かだった。むしろ、不法侵入して居座ったくせに、妙に安らかすぎて神々しさすらある。家主である自分はバキバキの筋肉痛だというのに、その気持ち良さそうな寝顔を見ていると、少しだけ腹が立ってきた。
「俺の方が家主なのに」
不満を漏らしながら立ち上がる。
ふと、エリックは自分の足元――昨夜、自分が寝ていた床のあたりに目をやった。
「……もしかして」
昨夜のことを思い出す。藁の寝床を快適にしようとして、確か『軟質化』の魔法陣を何度も重ね描きしていた。ふかふかにしよう、もっと柔らかくしようと、何本も、何本も。
「……変なの混ざったか?」
重ねすぎて術式がバグり、周囲の空間の重力やら負荷やらが変な形で自分の床側に跳ね返ってきたのではないか。
嫌な予感が頭をよぎる。
だが、エリックは首を振って考えるのをやめた。これ以上深く考えたら、自分の計算ミスを認めるようで負けな気がした。
外へ出る。
朝の森は静かだった。防壁の魔法陣も無事。ゴブリンの気配もない。
「よし」
腰の小袋をポンと叩いて確認する。昨夜、レイナから勝ち取った報酬――糸と針。そして、今朝がた小屋の裏で捕まえておいた虫。
エリックは満足げに小さく頷いた。
「スローライフって言えば、釣りだろ」
異論は認めない。前世のネット小説でも、スローライフの定番はいつだって釣りだった。エリックは意気揚々と川へ向かった。
⸻
その頃。
小屋の中で、レイナは静かに目を覚ました。
「……?」
起き上がった瞬間、猛烈な違和感があった。身体が軽い。異常なほどに軽いのだ。
一級剣士としての長年の過酷な鍛錬と実戦。その中で蓄積していたはずの肩の張りも、腰の疲労も、骨の奥にこびりついていた鈍い痛みすら、綺麗さっぱり消え失せている。
ゆっくりと身体を起こし、自分が寝ていた藁束を見つめる。見た目はただの藁だ。だが、その表面には幾重にも重なり合った、見たこともない複雑な術式の痕跡が、今も微かに残光を放っていた。
レイナは目を細める。
(なんだ、この回復効果は……)
ただの軟質化魔法ではない。細胞の活性化、いや、王都の最高位神官が施す高位回復術式に近い。だが、術式の構造が根本的に違う。理解できない。理屈が全く分からない。
だが――原因を作った犯人だけは、嫌というほど分かっていた。
「……あいつか」
小屋の外を見やるが、すでに少年の姿はない。非常に嫌な予感がした。
レイナは小さいため息を吐き、寝床から立ち上がる。
「……目を離したら、何をしでかすか分からないタイプだな」
捕獲任務ではない。王女殿下からの命令は『観測』だ。あの規格外の少年を観察するため、レイナは気配を消して少年の足跡を追った。
⸻
川べり。
エリックは恐るしいほど真剣な顔で、流れる川を見つめていた。
「……違うな、これじゃ視線が散る」
ザブザブと川に入り、しゃがみ込む。足元にある大きな石を、両手で「ぬん」と持ち上げた。
ごろり。
それを少し上流の別の場所へ置く。さらに別の石を動かす。
ごろり。ごろり。
石の配置を変えるたびに、川の流れが、わずかに形を変えていく。
「よし。これで手前に溜まりができる」
満足そうに頷くエリック。
そこへ、背後から冷ややかな声が飛んできた。
「何をしている」
気配を消していたはずのレイナだったが、エリックは驚きもせず、振り返りもせずに答える。
「構図だよ」
「……構図?」
レイナは美しくも険しい眉をひそめた。
「流れのバランスが良くないだろ」
「は?」
エリックは立ち上がり、濡れた手で川の一角を指差した。
「こっちの岩の下と、そっちの岩の下。石をこう置いて流れを遮ることで、魚が一番隠れたくなる理想のスペースになる」
「……」
「これなら人影もこっち側からは映りにくいし、奥へ逃げる道も塞げる。魚が安心できるだろ」
「安心?」
「安心。ここが見せ場だ」
エリックは真顔で、大真面目に断言した。レイナは完全に理解を諦めた顔になり、ポツリと問う。
「……それは、お前の独自の魔法なのか?」
「これのどこが魔法に見えるんだよ。ただの土木作業だろ」
「違うのか?」
「違う」
即答だった。
エリックは懐から糸を取り出し、慣れない手つきで針を結び、捕まえてきた虫をブスリと刺した。そして満足そうに頷く。
「よし、準備完了」
「何をする気だ」
「釣り。決まってるだろ、魚を食うんだよ」
レイナは、透明度の高い川を見る。泳いでいる魚を見る。そして、そんな原始的な道具を手にしたエリックを見て、ふと思った疑問を口にした。
「……お前、それほどの魔力がありながら、水の魔法は使えないのか?」
その言葉に、エリックの動きがピタリと止まった。数秒。長い沈黙。
「……やっぱ無理なんだよ」
エリックはガシガシと頭を掻きむしり、心底悔しそうに声を絞り出した。
「水だけはどうしても、理屈が分からん!」
川のせせらぎを見つめるエリックの目は、どこか遠い前世の記憶を見ているようだった。
「流れ、波紋、光の揺らぎ……。あの流動的な質量、コマの中に全然収まらないんだよなぁ……。枠線を平気で突き抜けてくる感じがして、イメージが固まらない」
レイナには「コマ」だの「枠線」だのという意味は全く理解できなかった。
だが。目の前の少年が、魔法で水を出したり魚を引き寄せたりできない代わりに、「魚を捕るためだけに、物理的に川の地形を改造し始めた」ということだけは、ハッキリと理解できた。
やはり、どこかズレている。
「……良いのか?」
レイナは、エリックが持っている釣り針を見ながら言った。
「それは昨夜、私が渡した物だろう。貴重な裁縫道具のはずだが」
「別に削れて減るもんじゃないし」
エリックはそこらの適当な枝をナイフで削り、即席の釣り竿を作りながら答える。
「それに、こういうのは一人でやるより、一緒にやった方が楽しいだろ」
レイナは少しだけ目を瞬かせた。「楽しい」、か。任務と訓練に明け暮れてきた我が身には、久しく縁のない響きだった。
「……野営中に、暇潰しでやったことはあるが」
「お、経験者?」
「だが、あまり良い思い出はない」
「釣れなかった?」
「釣れなかった。一匹もな」
即答だった。一級剣士のプライドが少しのぞく。
エリックは戦友を見つけたような顔で、深く深く頷いた。
「分かる、めちゃくちゃ分かるよ」
「分かるのか」
「昨日、俺も罠で人間しか捕まえられなかったからな。今日こそリベンジだ」
「……私は獲物ではないのだが」
「まぁ細かいことはいいから。ほら、見るぞ」
二人は並んでしゃがみ込み、じっと静かに川面を見つめた。
魚はいる。だが速い。異様に速い。
しばらく沈黙。やがてレイナが言った。
「だから私は食料は狩る方が早いと思う」
「それはスローライフじゃない」
「そうか?」
「そうだ」
断言だった。意味は分からない。だが本人は真剣だった。
エリックは最後の石を動かした。
ごろり。
水の流れが変わる。小さな淀みが生まれる。
「よし」
満足そうに頷く。
「何がよしなんだ」
「魚が集まる」
「そんな都合よく――」
言いかけたレイナが止まる。
川の中。一匹。二匹。三匹。魚がゆっくりと岩陰へ入ってきた。
「……」
「ほら」
「……」
「言っただろ」
レイナが黙る。偶然かと思った。だが違う。魚は明らかに流れの変わった場所へ集まっている。
エリックは得意げだった。
「構図」
「構図……」
「読者誘導と同じ」
「魚だぞ」
「魚だ」
真顔で言い切った。
「いいからやってみろ」
エリックが枝を差し出す。レイナは半信半疑で受け取る。
「釣れなかったらどうする」
「釣れる」
「何故言い切れる」
「魚がそこにいるから」
ぽちゃん。
二人の糸が水面へ落ちる。
数秒。レイナは内心苦笑していた。こんなもので釣れるなら苦労はしない。
そう思った直後。
ぴくっ。
「ん?」
糸が動く。もう一度。
ぴくぴくっ。
「……」
「引け」
「え?」
「引け引け」
慌てて引っ張る。
ばしゃっ!
魚が飛んだ。
「釣れた」
「釣れたな」
レイナは固まった。人生で初めて釣れた。
「……釣れた」
「だから言っただろ」
エリックは得意げだった。
レイナは魚を見つめる。そして川を見る。さらに石を見る。最後にエリックを見る。
(本当に流れを変えただけで魚を誘導したのか……?)
また評価が一段上がった。当の本人は。
「魚だ!」
そっちしか見ていなかった。
魚を捌く。内臓を取り除く。枝を削る。串に刺す。そこまでは普通だった。
問題は次だ。
エリックが地面にしゃがみ込む。さらさら、と線を引く。
円。流線。補助線。見慣れた魔法陣。
ぽっ。
火が灯った。
レイナは無言だった。エリックは魚をかざす。
じゅううう……
脂が落ちる。香ばしい匂いが漂った。
「よし」
満足そうに頷く。レイナは少し考えてから聞いた。
「……今のは何だ」
「火」
「そうではない」
「火の魔法陣」
「そうか」
納得したように頷く。
エリックが首を傾げる。「なんだ?」
「いや」
レイナは遠い目をした。
「もう驚くのはやめた」
「?」
意味が分からないらしい。
魚が焼ける。塩を振る。香りが立つ。
エリックが一口かじった。
ぱりっ。
皮が弾ける。白い身から湯気が上がる。
「うまい」
心からの声だった。レイナも少しだけ魚を見る。
「食うか?」
「いただこう」
一口。
沈黙。
さらに一口。
また沈黙。
「……うまいな」
「だろ」
エリックはなぜか誇らしげだった。お前が魚になったわけではない。
「魚は初めてか?」
「いや」レイナは首を振る。「だが、自分で釣った魚は初めてだ」
「へぇ」
「悪くないものだな」
川の音が流れる。森は静かだった。
魔王も。王都も。監視網も。今は遠い。ただ魚を焼く匂いだけが漂っている。
しばらく二人で川を眺める。
穏やかな時間だった。異世界に来てから初めてかもしれない。
そんなことを思いながら、エリックは空を見上げる。
そして。
「……野菜欲しいな」
ぽつりと呟いた。
「野菜?」
レイナが首を傾げる。
「肉と魚ばっかだと辛い」
「環境的にそういうものか」
「健康的にそういうものだ」
真顔だった。
しばらく考える。森を見る。木々の奥。鬱蒼とした緑。
「……探すか」
立ち上がる。だが。数秒後。また座った。
「やめとく」
「なぜだ」
レイナが不思議そうに聞く。エリックは森を指差した。
「ゴブリンいるだろ」
沈黙。レイナは瞬きをする。
「……それが理由か」
「理由だよ」
即答だった。「怖いだろ」
「はぁ?」
今度はレイナが素で聞き返した。
「怖いのか?」
エリックは信じられないものを見る顔になる。
「怖いだろ! ゴブリンだぞ!?」
「ゴブリンだな」
「数日前に殺されかけたんだぞ!」
「一体だけだろう」
「一体で十分怖いわ!」
レイナは黙った。
王都で魔王復活の可能性を告げられても顔色を変えない英雄はいる。だが、ゴブリンをここまで恐れる人間はあまり見たことがない。
「……なら私が同行する」
「え?」
「野草探しだ」
「いいのか?」
「一晩泊めてもらった借りがある」
エリックは少し考えた。そして即答した。
「頼む」
「随分あっさり信用するな」
「ゴブリンよりは信用できる」
「比較対象が酷いな」
レイナは小さくため息を吐いた。
だが。少なくとも。魔王復活の黒幕が口にする台詞ではない。そう思った。
(本当に何者なんだ……)
森の風が静かに吹き抜けた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第三話前編は、レイナ視点で見る「エリックって何なんだろう回」でした。
王都では危険視され、天才王女からも興味を持たれている人物なのに、本人は魚を釣りたくて川の石を動かしているだけ。
そしてゴブリンを本気で怖がっています。
作者としても「お前、本当に大丈夫か?」と思いながら書いていました。
ちなみに今回の川の流れや魚の集まり方は、エリックの中では全部「構図」です。
レイナは最後まで理解できません。
次回は野菜探し……になるかもしれませんし、ならないかもしれません。
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それでは、また次回。




