第二話(後編 ):世界法則からズレた線
いつもお読みいただきありがとうございます。
第二話後編です。
前編では森の中で必死に生き延びていたエリックですが、今回は少しだけ視点を変えて王都側のお話になります。
本人は「水が出ない」「魚が捕まらない」と頭を抱えているだけなのですが、王都ではとんでもないことになっています。
そしてついに、第三王女エリシアと王国剣士レイナが登場です。
エリックが見ている世界と、この世界の人々が見ている世界のズレを楽しんでいただければ嬉しいです。
それでは、第二話後編をお楽しみください。
王都ルミナリア。
王国最大の城壁都市にして、
人類圏最高峰の魔導研究都市。
その中心にそびえる白銀の塔は、
王国の叡智そのものと呼ばれていた。
その最上階。
無数の光板が宙に浮かび、巨大な魔導水晶を中心に複雑な術式が脈動している。
王国第三王女専属監視機構――《魔導監視網》。
通常は国内全域の高位魔法反応を観測・解析するための、国家級の防衛術式である。
だが今、その中心にある巨大な水晶が、不規則に強く明滅していた。
「……また反応が増加しています」
解析官の一人が、わずかに声を強張らせる。
空中に投影された森の立体地図。
その中央、陽の光すら届かない密林――スペルグルフの森深部だけが、まるで黒い墨汁を落とした染みのように、歪に濃く発光していた。
「魔力反応、依然として継続中」
「収束の兆候、なし」
「術式構造……解析不能です!」
別の解析官が眉を深く寄せ、光板のデータを凝視する。
「通常の魔法陣ではありません。円環のバランスに対して、流線|《エネルギーの流れ》の配置が異常です。これは既存のどの魔導書にも載っていない。まるで……」
言葉が止まる。
理論で説明できない歪な構造を前に、誰もが息を呑んだ。
その先を、鈴を転がすような静かな声が引き取った。
「“描いている”みたい、でしょう?」
室内の空気が、ピキリと止まる。
全員の視線の先。
明滅する巨大水晶のすぐ前に、一人の少女が立っていた。
プラチナブロンドの髪。透き通るような白い肌。
まだ十代半ばに見える年若い外見とは裏腹に、その瞳だけが異様なほど深く、静かだった。
王国第三王女、エリシア・ルミナス。
「第三王女殿下!」
解析官たちが一斉に直立し、深く頭を下げる。
だが、エリシアは彼らに一瞥もくれない。彼女の細い指先は、空中の一点を指していた。
森の奥で脈打ち、世界を切り裂くように奔る、あの奇妙な“線”だけを見つめていた。
「固定化された魔力。即興での構築。しかも、複数を重ねて配置している……」
ぽつり、ぽつりと、自分の思考を確かめるように呟く。
「……変ね」
その一言に、室内の空気がさらに張り詰める。
「この構築式、人間の魔導理論じゃないわ。でも、凶悪な魔族のやり方とも違う」
静寂。
水晶の中で、あの歪な魔力線が小さく脈動する。
それは一種の結界に近い。だが、王国の歴史が積み上げてきた既存術式のどれとも、根本的な『構図』が一致しないのだ。
「継続型の防衛術式と仮定した場合、瞬間出力は上級防衛魔法陣相当を大きく超過しています。……殿下、現地一帯を“特級危険区域”へ指定しますか?」
解析官の緊迫した問い。
エリシアは数秒、沈黙した。じっとその線を見つめ、やがて静かに口を開く。
「……違う」
「これは、力の“暴走”なんかじゃないわ」
その瞳が、鋭く細められる。
「生き残るために……その場所に合わせて、必死に組み上げてる」
その言葉に、誰も返事ができなかった。天才と称される王女が、その奇妙な術式の中に「意思」を感じ取っていたからだ。
底知れない何かがある。
「調査対象の重要度を更新」
「スペルグルフの森の異常を、《魔王復活関連異常事案》として再分類します」
空気が一変する。
魔王、という不穏な単語に、解析官たちの顔色が一斉に青ざめ、強張った。
その直後、エリシアは振り返ることなく、部屋の闇に向かってその名を呼ぶ。
「レイナ・ヴェルクス」
部屋の後方。
壁際の影でじっと待機していた一人の女剣士が、静かに一歩前へ出た。
銀髪を後ろでスマートに束ねた、すらりとした長身の女性。
無駄な肉のない美しい立ち姿と、一切の油断がない揺るがない視線。
王国が誇る実戦特化型、一級戦闘認定剣士。
「任務を」
短い、鉄のように硬い返答。
エリシアは視線を再び水晶へと戻し、淡々と告げる。
「スペルグルフの森へ向かって。現地で起きている異常の調査を」
「必要であれば、接触」
わずかな間。
しかし、エリシアの声のトーンが少しだけ低くなった。
「……ただし。絶対に、相手を刺激しないで」
レイナの美しい眉が、わずかに動く。
「魔王関連の、脅威指定では?」
「違うわ」
エリシアは静かに、しかし断固として否定した。
その瞳は、未知の芸術品や、見たこともない美しい絵画を目の当たりにした研究者のようだった。
「まだ、何者か分からない。敵か味方かも。……だから、まずは観測するの」
水晶の中。
歪で、けれどどこか完璧なバランスを持った線が、静かに脈打っている。
まるで世界という真っ白なキャンバスそのものに、誰かが力強く“描き込んでいる”みたいに。
エリシアは、小さく口元を綻ばせて呟いた。
「……面白いわ」
「世界法則|《この世界のルール》から、あきらかにズレてる」
スペルグルフの森。
「……え?」
背筋に冷たい汗が流れる。
視線をゆっくりと上げる。
少し離れた大木の根元。
そこにいた。
「……は?」
人間だった。
鎧。
剣。
長い銀髪。
そして妙に落ち着いた目。
それが、こちらをじっと見ている。
「……」
エリックの思考が止まる。
数秒。
止まる。
さらに止まる。
「……人間?」
ようやく言葉が出た。
もう一度見る。
やっぱり人間だ。
ゴブリンじゃない。
巨大ウサギでもない。
人間だ。
「……なんで?」
思わず口から漏れる。
罠を確認しに来たのだ。
何かがかかった痕跡があった。
だから獲物を回収しに来た。
その結果。
捕まっていたのは人間だった。
意味が分からない。
「いや待て」
思考を整理する。
ここは森だ。
危険な森だ。
奥地だ。
人がいる場所じゃない。
なのにいる。
しかも。
「俺の罠にかかってる……」
現実だった。
何度見ても現実だった。
「……」
女も黙っている。
エリックも黙る。
なんとも言えない沈黙が流れる。
やがて。
「その罠を作ったのは、お前か」
女が口を開いた。
「うわっ!?」
エリックが飛び上がる。
「しゃべった!?」
「人間だからな」
「いやそうだけど!」
思わず叫ぶ。
女は怪訝そうな顔をした。
エリックは胸を押さえる。
心臓に悪い。
異世界に来てから初めて見た人間なのだ。
もっとこう。
順番というものがあるだろう。
村とか。
町とか。
そういう場所で会うものじゃないのか。
なんで罠の中心なんだ。
⸻
女は小さく息を吐いた。
「改めて聞く」
「その罠を作ったのは、お前か」
「……まあ」
エリックは恐る恐る頷く。
女の視線が地面へ落ちる。
追跡型の術式。
誘導線。
補助陣。
連鎖構造。
魔力の痕跡が森の中へ蜘蛛の巣のように広がっている。
レイナは眉をひそめた。
(なんだ……これは)
見たことがない。
王都にもない。
王立魔導大学にもない。
第三王女直属の解析部でも見たことがない。
普通の罠は一点で完結する。
だがこれは違う。
逃げた相手を追う。
誘導する。
予測する。
まるで空間そのものを設計しているようだった。
⸻
「……お前が作ったのか」
「うん」
「独学で?」
「魔法書見ながら」
レイナは沈黙した。
その答えは、答えになっていなかった。
王都の魔導大学。
王立術式研究所。
第三王女直属の解析部。
そのどこを探しても、こんな術式は存在しない。
罠は一点で完結する。
追跡などしない。
逃げた相手を誘導し、先回りし、再び拘束する。
そんな発想自体が異常だった。
「……解除しろ」
結論だけを口にする。
「解除?」
エリックは首を傾げた。
「そうだ」
「えーと……」
嫌な予感がした。
「どうやるんだっけ」
レイナは目を閉じた。
「お前が作ったのだろう」
「作った」
「なら解除できるだろう」
「いや」
即答だった。
「解除方法考えてない」
森に沈黙が落ちた。
風が吹く。
葉が揺れる。
鳥が飛び立つ。
それでも沈黙は続いた。
「……何故だ」
ようやく絞り出す。
「獲物捕まえる用だし」
「獲物がかかった後は」
「回収する」
「人間がかかった」
「想定外」
「当たり前だ!」
思わず声が出た。
エリックは少しだけ肩を竦める。
「でも、多分なんとかなる」
「その根拠は」
「俺が描いたから」
根拠になっていない。
まるでなっていない。
だが本人だけは妙な自信を持っていた。
レイナは深く息を吐く。
(……何なんだ、こいつは)
理解ができない。
だが一つだけ分かる。
目の前の少年は、自分が何をしているのかを正確には理解していない。
そして、その無自覚さが一番危険だった。
しばらくして。
エリックがふと思い出したように顔を上げる。
「そういえば」
「なんだ」
「なんでこんな森にいるんだ?」
レイナは一瞬だけ考えた。
だが隠しても意味はない。
「調査だ」
「調査?」
「この森で異常が発生している」
エリックの眉が僅かに動く。
「魔物の異常発生」
「そして――魔王現象に近い反応が確認された」
エリックの動きが止まった。
レイナは観察する。
驚くか。
焦るか。
あるいは警戒するか。
だが。
「へぇ」
返ってきたのは、それだけだった。
「……へぇ?」
思わず聞き返してしまう。
「大変そうだな」
「大変そう、ではない」
「そうなのか」
「そうだ」
「なるほど」
レイナの眉がぴくりと動く。
「最悪の場合、魔王復活だ」
「へぇ」
「だから何故そこで終わる」
エリックは不思議そうな顔をした。
「だって俺、魔王知らないし」
今度はレイナの思考が止まった。
「……知らない?」
「見たことない」
「そういう問題ではない」
「有名なのか?」
レイナは頭痛を覚えた。
目の前の少年は。
王都の常識を知らない。
魔法の常識も知らない。
なのに、王国中をひっくり返しかねない術式だけは平然と組み上げている。
(本当に何者なんだ……?)
そんな疑問が、初めてレイナの胸に芽生えた。
「……解除できるのか」
「たぶん」
「たぶん?」
「初めて人間捕まえたから」
「そうだろうな」
エリックは地面にしゃがみ込む。
線を辿る。
自分で描いたはずなのに、
「……あれ?」
「どうした」
「どこから始まったっけ」
レイナは頭を抱えた。
しばらくして。
バチッ。
魔法陣の光が消える。
拘束が解ける。
レイナはゆっくり立ち上がった。
自由になった瞬間でも剣は抜かない。
まず少年を見る。
薄汚れた服。
痩せた体。
手は土だらけ。
だが周囲には異常な数の魔法陣。
そして――
生きている。
この森の奥で。
一人で。
「……住んでいるのか」
「住んでる」
「どこに」
「小屋」
「小屋?」
「ある」
指差す。
レイナの視線の先。
丸太小屋。
煙突。
防壁魔法陣。
罠。
罠。
罠。
さらに罠。
「……」
レイナは無言になる。
王国の最前線基地より防御が厚い。
「何だその顔」
「いや」
レイナは小さく息を吐く。
「思っていたより危険人物だった」
「よく言われる」
「初めて言った」
ここで初めて小屋へ移動。
そして。
「帰るのか?」
「いや」
「いや?」
「日が落ちる」
レイナは森を見る。
すでに薄暗い。
今から王都へ戻るのは現実的ではない。
「一晩だけ泊めろ」
「は?」
「報酬は払う」
エリックは少し考えた。
「何が欲しい」
「言えば用意できる」
しばらく悩む。
そして真顔で答えた。
「パンと塩」
レイナは固まった。
「……は?」
「パンと塩」
「それだけでいいのか?」
「重要だぞ」
「それは分かる」
むしろ重要すぎる。
だからこそ理解できない。
王国最強クラスの剣士への報酬要求が、パンと塩。
意味が分からなかった。
「持ってる?」
「塩はある」
「パンは?」
「持ってない」
「じゃあ帰れ」
「待て」
即答だった。
レイナは思わず眉をひそめる。
「切り替えが早すぎるだろう」
「宿代払えないんだろ?」
「払う」
「パン無いじゃん」
「携行食ならある」
エリックの表情が変わった。
「あるの?」
「ああ」
「先に言え」
レイナは小さくため息を吐いた。
どうやら、この少年にとっては金貨より保存食の方が価値が高いらしい。
「なら、一晩だけだぞ」
「十分だ」
エリックは頷き、そのまま森の奥へ歩き出した。
「こっち」
「……随分あっさり信用するんだな」
「罠にかかった人間が何するんだよ」
「それもそうか」
「あと、敵ならとっくに逃げてる」
レイナは少しだけ目を細めた。
その言葉には妙な説得力があった。
やがて木々の隙間から、小さな丸太小屋が見えてくる。
周囲には無数の魔法陣。
歪で不揃いな線。
だが、どれも確かに機能している。
レイナは無意識に周囲を観察していた。
防壁。
罠。
警戒網。
即席で組み上げたとは思えないほど合理的な配置。
本当に一人で作ったのか。
そんな疑問が頭をよぎる。
「入れよ」
扉が開く。
小屋の中は驚くほど質素だった。
机。
椅子。
簡単な調理場。
そして――
「……なんだこれは」
レイナが藁束を見下ろす。
座る。
そして固まる。
「……」
もう一度押す。
沈む。
戻る。
柔らかい。
異常なほどに。
「なんだこの寝床は」
「寝床だけど」
「そういう意味ではない」
レイナは真顔で藁束を見つめる。
そして静かに言った。
「王宮にも無いぞ」
「そうなのか」
「一度でいい」
レイナは真剣な顔で振り返る。
「寝心地を試してもいいか?」
エリックは即答した。
「駄目に決まってるだろ」
第二話後編を読んでいただきありがとうございました。
ついにレイナがエリックと接触しました。
王都側から見れば「世界法則からズレた危険な存在」なのですが、当の本人はパンと塩の方が重要だったりします。
魔王現象を警戒する王都。
静かにスローライフしたいエリック。
その温度差がこの作品の大きな軸になっていく予定です。
そして何より、王国屈指の実力者であるレイナが最初に衝撃を受けたのが防壁魔法でも罠でもなく、寝床だったというのが作者としては少し気に入っています。
面白かった、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などで応援していただけると大変励みになります。
一つひとつ楽しく読ませていただいています。
それでは、また次回でお会いしましょう。




