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第三十話(前編):魔境でカレーを作る

今回は、五十九階層の封印扉から少し離れて、魔境の家での日常回です。


畑で野菜を収穫して、みんなで料理をして。


そして、エリックが作ることになったのは――カレー。


エリックにとっては普通の料理でも、ボルグやジンにとっては知らない料理。


それどころか、魔境の中で王女様や一級剣士、エルフまで普通に料理をしている。


ジンが「普通じゃないだろ」と言いたくなる気持ちも、少し分かる気がします。


そんな賑やかな一日の最後に、ほんの少しだけ気になる場面を入れています。


今回は、魔境での「普通」を楽しんでいただければと思います。

翌朝。


ボルグとジンは五十九階層へ向かった。


封印扉。


長い作業が始まる。


その頃。


エリックは一人、畑へ出ていた。


収穫前のトマト畑。


赤く色付き始めた実が並ぶ。


しかし。


畑の隅。


数株だけ。


葉が少し元気を失っていた。


実も小さい。


エリックはしゃがみ込む。


そっと葉へ触れる。


「……。」


「前より。」


「大きくなってる。」


少しだけ。


ほんの少しだけ成長していた。


エリックは小さく頷く。


「頑張れ。」


「もう少し。」


静かに水をやる。


他の株は元気だ。


だからきっと。


もう少しだけ頑張れば育つ。


そう信じていた。


そして――。


「収穫だ!」


レイナの声が庭へ響いた。


「おぉ!」


「結構あるじゃないか!」


レイナは勢いよく土へ手を入れた。


「この辺だな。」


力を込めて引く。


ぐっ。


ぐぐっ。


「……意外と固いな。」


さらに力を入れる。


スポンッ。


「おっと――。」


バタン。


「……。」


レイナはそのまま畑に座り込んだ。


エリックが首を傾げる。


「大丈夫?」


「……大丈夫だ。」


「魔物の攻撃より。」


「こっちの方が予想外だった。」


リシェルが笑う。


「レイナさん、今のは敵ではありませんからね。」


エリシアも微笑む。


「ですが、立派なジャガイモです。」


リシェルは籠を抱えて笑う。


「こちらもお願いします。」


エリシアは一つ一つ丁寧に実を確認していく。


「ジャガイモ。」


「良好。」


「ニンジン。」


「こちらも十分ですね。」


「玉ねぎも収穫できます。」


レイナは嬉しそうに籠を持ち上げた。


「重い!」


「こんなに採れたぞ!」


エリックは静かに頷く。


「いっぱい。」


四人は畑の中を行ったり来たり。


採る者。


運ぶ者。


土を払う者。


籠へ並べる者。


誰も急がない。


笑い声だけが庭へ響いていた。


「これだけあれば何日分かな。」


レイナが笑う。


リシェルは指を折る。


「しばらく困りませんね。」


エリシアは嬉しそうに言う。


「保存方法も考えましょう。」


エリックは収穫した野菜を見回した。


ジャガイモ。


ニンジン。


玉ねぎ。


エリックは小さく頷いた。


「カレー。」


「「「カレー?」」」


三人が同時に聞き返した。


レイナが首を傾げる。


「何だそれ。」


リシェルも不思議そうに首を傾げる。


「初めて聞くお料理です。」


エリシアも興味深そうに尋ねた。


「カレーとは何ですか?」


「どんな料理ですか?」


「材料は?」


「辛いのですか?」


「私も作ります!」


「どのようなお料理なのでしょう。」


気づけば。


エリシアは身を乗り出していた。


エリックとの距離が、いつの間にか近くなっている。


「……。」


エリックが顔を上げる。


「顔。」


「近い。」


「……え?」


エリシアが目を瞬かせる。


そこで初めて、自分がかなり前のめりになっていることに気づいた。


「……失礼しました。」


少しだけ身体を戻す。


レイナが苦笑する。


「ラーメンを食べてから、エリックの料理に興味津々だな。」


「そうですか?」


エリシアは首を傾げる。


「はい。」


「だって、どれも知らない料理なのに……美味しいんですもの。」


リシェルも微笑む。


「確かに、エリックさんの料理は珍しいものばかりですね。」


エリシアはもう一度、鍋を見る。


「それで、このカレーという料理は――」


また少し身を乗り出す。


エリックが一言。


「……また近い。」


「……。」


レイナが吹き出した。


「はははっ!」


「エリシア様が興味を持つと、いつもこうだ。」


さらにエリックが淡々と、


「……。」


「質問、多い。」


エリシアが少しだけ姿勢を正して、


「……失礼しました。」


一拍。


「では、一つずつお願いします。」


エリックは収納から小さな布袋をいくつも取り出した。


乾燥した葉。


黒い粒。


黄色い根。


「前。」


「森。」


「鑑定。」


「使えそう。」


「採った。」


リシェルが袋を受け取り、中を覗く。


「これは香辛料ですね。」


「うん。」


「擦って。」


「細かく。」


「お願いします。」


「はい。」


リシェルは慣れた手つきで乳鉢を持ち出す。


ゴリ。


ゴリゴリ。


香辛料を擦るたび、食欲を誘う香りが部屋へ広がっていった。


レイナは腕まくりをする。


「私は?」


エリックは収穫籠を見る。


「野菜。」


「洗って。」


「了解。」


レイナは籠を抱え、そのまま井戸へ向かった。


エリシアは棚から大きな鍋を取り出す。


「こちらのお鍋で大丈夫でしょうか?」


エリックはちらりと見て頷く。


「うん。」


「丁度いい。」


「では、お水を入れておきますね。」


エリシアは鍋へ水を張り、竈へ掛ける。


その間に。


エリックは収納へ手を伸ばした。


ゴトリ。


取り出したのはフォレストラビットの肉。


「これ。」


「使う。」


レイナが洗い終えた野菜を持って戻る。


「ああ、この前狩ったやつか。」


エリックは包丁を握る。


トン。


トントン。


一定のリズムで肉を切る。


続いて。


ジャガイモ。


ニンジン。


玉ねぎ。


迷いなく刻まれていく。


レイナは思わず感心した。


「お前、本当に手際がいいな。」


リシェルが香辛料を擦りながら尋ねる。


「どなたかに教わったのですか?」


エリックは手を止めない。


「前。」


「バイト。」


レイナが吹き出す。


「またバイトか!」


エリックは頷く。


「料理。」


「手伝ってた。」


エリシアが微笑む。


「だから、こんなに慣れていらっしゃるんですね。」


「社員。」


「ならないか。」


「言われた。」


「断った。」


三人が一斉に顔を上げる。


「え?」


「何でだ?」


レイナが聞く。


エリックは当然のように答えた。


「漫画。」


「描くから。」


一瞬静まり返る。


そして。


「はははっ!」


レイナが声を上げて笑う。


「やっぱりお前らしいな!」


リシェルも笑みを浮かべる。


「前世でも変わらなかったのですね。」


エリシアも優しく頷いた。


「その頃から、今のエリックさんだったのですね。」


エリックは鍋へ肉を入れながら一言。


「うん。」


「多分。」


その時だった。


ロビーの転移魔法陣が淡く光る。


ピカッ。


「しまった!」


ジンが飛び出してきた。


「忘れ物!」


階段を駆け上がる。


数秒後。


「ありました!」


忘れ物を抱えて階段を駆け下りる。


その途中。


ふわりと漂う香辛料の香りに足が止まった。


「……?」


食堂の扉が少しだけ開いている。


気になって覗く。


そして。


固まった。


レイナが野菜を洗っている。


(レイナさんって……。)


(一級戦闘認定剣士ですよね?)


リシェルが香辛料を擦っている。


(勇者パーティとダンジョンを攻略した伝説のエルフですよね?)


エリシアが嬉しそうに鍋を混ぜている。


「このくらいで大丈夫でしょうか?」


(第三王女殿下ですよね!?)


(魔王現象の調査はどうしたんですか!?)


そして。


その中心では。


エリックが包丁を動かしていた。


「うん。」


「丁度いい。」


誰一人、違和感なく動いている。


まるで。


ずっと昔から、この四人で暮らしていたかのように。


ジンは静かに扉を閉める。


「……。」


「普通じゃないだろ。」


その声に。


中から即座に返事が返ってきた。


「「普通です。」」


ジンは天井を見上げた。


「……もういい。」


夜。


魔鏡の家。


大きな食卓には、空になった皿が並んでいた。


中央には。


最後の一口まで綺麗になった鍋。


ボルグは腕を組みながら、深く息を吐いた。


「……。」


「坊主。」


「何じゃこれは。」


エリックは首を傾げる。


「カレー。」


「それは聞いた。」


ボルグは真剣な顔で鍋を見る。


「聞いたことのない料理じゃ。」


「だが……。」


「うまい。」


ジンも何度も頷く。


「本当に……。」


「魔境で食べる料理じゃないですよね。」


レイナが笑う。


「それ、今日何回目だ?」


リシェルも微笑む。


「ジンさん、もう慣れた方がいいですよ。」


エリシアは穏やかに皿を片付けながら言う。


「ここでは、これが日常ですから。」


ボルグはエリシアを見る。


「王女様まで……。」


そして。


レイナを見る。


「一級剣士まで……。」


リシェルを見る。


「エルフの戦略家まで……。」


最後に。


エリックを見る。


「坊主まで……。」


大きくため息を吐く。


「やはり普通ではないな。」


三人が同時に答える。


「「「普通です。」」」


ジンは静かに天井を見る。


「……。」


「もう分かりません。」


笑い声が食卓に広がった。


しばらくして。


「明日は早い。」


ボルグが立ち上がる。


「五十九階層へ戻るぞ。」


「はい、親方。」


ジンも頷く。


「今日は本当に色々ありました……。」


二人は部屋へ向かった。


そして。


家が静かになる。


エリックは一人。


いつものように。


Gペン型の杖を手に取った。


「……。」


少し眺める。


「少し。」


「変。」


杖先。


いつもなら。


魔法陣を描く時。


線は迷わない。


魔力の流れも、正確に応える。


しかし。


今日は。


ほんの少しだけ。


違和感があった。


「……。」


「気のせい。」


エリックは首を傾げる。


そして。


杖を置いた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


今回は久しぶりに、かなりスローライフ寄りのお話になりました。


畑で収穫して、料理をして、みんなでカレーを食べる。


五十九階層ではボルグとジンが封印扉と向き合っている一方で、こちらではカレー作り。


この温度差が、この作品らしいところかなと思っています。


特に書いていて楽しかったのが、ジンの視点です。


レイナは一級戦闘認定剣士。


リシェルは伝説級のエルフ。


エリシアは第三王女。


そんな三人が、魔境の家で普通に料理をしている。


そりゃあ、


「普通じゃないだろ。」


と言いたくなりますよね(笑)。


でも本人たちは、


「「普通です。」」


なんですよね。


そして最後に、エリックの杖にほんの少しだけ違和感が。


こちらが気のせいなのか、それとも何かの前触れなのか。


次回から、少しずつ物語も動かしていきたいと思います。


今回もありがとうございました。

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