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第二十九話(前編): 作品の声が聞こえる男、ボルグ

六十階層の封印扉を前に、エリックたちは第三封印の解除条件を見つけることができませんでした。


そこでエリシアは、王都から古代施錠術の専門家を招くことを決意します。


魔境へ現れた新たな来訪者が、封印扉を前に何を語るのか──。

三人が庭へ降り立つ。


青白い光が消えた瞬間。


ボルグは周囲を見渡した。


森。


小さな家。


畑。


そして。


異常なほど静かな空間。


「……。」


ジンは恐る恐る辺りを見回す。


「ここが……。」


「スペルグルフの森……?」


声が震える。


名前だけなら知っている。


特定危険地域。


近づくことすら避けられる場所。


しかし。


目の前にあるのは。


穏やかな庭だった。


ボルグは鼻を鳴らす。


「妙じゃな。」


「何がですか?」


ジンが尋ねる。


「静かすぎる。」


ボルグは目を細めた。


「この森は、本来こんな場所じゃない。」


「魔力濃度。」


「魔物の数。」


「どれも異常なはずじゃ。」


その時。


「待って。」


エリックが魔法陣の前にしゃがみ込んだ。


三人が振り返る。


「坊主?」


ボルグが声をかける。


エリックは返事をせず、Gペン型の杖を構えた。


カリ。


カリカリ。


魔法陣へ細かな術式を書き加えていく。


ジンが目を見開く。


「え……?」


「今、転移してきたばかりですよね?」


ボルグは黙って見ている。


エリックは最後の線を書き終える。


「よし。」


淡い光が魔法陣を走った。


《認証復旧》


《一時解除 終了》


《金属転移制限 有効》


《未登録者 転移不可》


エリックは立ち上がる。


「戻した。」


エリシアが微笑む。


「ありがとうございます。」


ボルグは魔法陣を見る。


先ほど王都で見たもの。


しかし。


今度は別の部分を見ていた。


解除。


復旧。


制限。


そして安全性。


「……。」


「坊主。」


エリックが振り返る。


「?」


ボルグは少しだけ口元を緩めた。


「やはり。」


「面白い術式を書きおる。」


ボルグは鼻を鳴らした。


「そういや、まだじゃったな。」


「ワシはボルグ。」


「ドワーフ族の古代施錠術師じゃ。」


親指で隣を指す。


「こっちが弟子のジン。」


「まだ十六。」


「人間の弟子は初めてじゃが、見込みは悪くない。」


ジンは慌てて頭を下げた。


「ジンです!」


「よろしくお願いします!」


エリックも軽く頷く。


「エリック。」


「よろしく。」


その時だった。


ジンが突然、空を見上げて固まる。


「……。」


「親方。」


「何じゃ。」


「……あれ。」


「います。」


全員が空を見る。


森の上空。


巨大な黒い影が、ゆっくりと旋回していた。


ジンの顔から血の気が引く。


「う……。」


「嘘だろ……。」


「あれ……。」


「あれ、ワイバーンじゃないですか!?」


静かな庭に声が響く。


全員が一斉に空を見上げた。


巨大な黒い影。


悠然と森の上空を旋回している。


エリックは目を丸くした。


「……。」


「いた。」


エリシアも思わず笑う。


「本当ですね。」


「まさか今まで気付いていなかったとは……。」


レイナは思わず剣へ手を添えた。


「おい。」


「普通に飛んでるぞ。」


「結界の外か?」


リシェルは少し考えてから頷く。


「以前から時々。」


「畑の上を黒い影が横切ることがありました。」


「ですが。」


「エリックさんの結界のおかげで。」


「魔物の気配が完全に遮断されていましたから。」


「気配だけでは、何も分からなかったんです。」


エリックは空を見上げたまま呟く。


「……。」


「結界。」


「仕事してた。」


レイナは額を押さえる。


「そこじゃない。」


「普通は上を見るんだ。」


エリックは首を傾げる。


「畑。」


「見る。」


「空。」


「見ない。」


リシェルが吹き出した。


「確かにエリックさんらしいですね。」


ボルグは豪快に笑う。


「ぐわっはっはっは!」


「坊主!」


「魔境で空を見ん奴など、お前ぐらいじゃ!」


ジンはワイバーンからゆっくりと視線を下ろした。


そして。


エリックたちの後ろに建つ建物を見た瞬間。


再び固まる。


「……。」


「親方。」


ボルグは空から視線を戻した。


「何じゃ。」


ジンは震える指で家を指差す。


「……あれ。」


「魔境の家じゃ……ありません。」


ボルグも改めて家を見る。


大きな窓。


美しく組まれた木材。


広い庭。


整えられた畑。


まるで王都の屋敷を思わせる佇まい。


「……。」


「確かに。」


「これは森の小屋ではないのう。」


ジンは呆然と呟く。


「王都の貴族でも。」


「ここまで立派な木造住宅は見たことありません……。」


エリックは当然のように答えた。


「家。」


「作った。」


ボルグは苦笑する。


「坊主。」


「お前さん。」


「本当に規格外じゃな。」


「では、ご案内しますね。」


エリシアは玄関を開け、ロビーへ案内した。


「こちらがロビーです。」


中央には二つの巨大な魔法陣。


青白く静かに輝いている。


ボルグはすぐに足を止めた。


「……。」


ジンも息を呑む。


「親方。」


「これ……。」


エリシアは一つ目の魔法陣を示した。


「こちらはダンジョン三十七階層へ繋がる転移魔法陣です。」


続いて隣を指差す。


「そしてこちらが五十九階層へ繋がる転移魔法陣になります。」


二人は固まった。


「……はぁ?」


「ダンジョンとロビーが……。」


「直接繋がっとるのか?」


ボルグは思わず魔法陣へ近寄る。


しゃがみ込み、術式を目で追う。


「……。」


「認証式まで組み込まれておる。」


「未登録者は使えん仕組みか。」


エリシアは頷いた。


「はい。」


「登録された者だけが使用できます。」


「それ以外の方は、魔法陣そのものが反応しません。」


ジンは唖然とした。


「こんなの……。」


「王都にもありませんよ。」


ボルグは腕を組む。


「いや。」


「王都どころか。」


「ドワーフの里にも存在せん。」


「転移魔法陣へ認証術式を重ねるとは……。」


「発想からして規格外じゃ。」


その横で。


エリックは当然のように言った。


「便利。」


ボルグは思わず笑う。


「ぐわっはっはっ!」


「坊主!」


「お前さんは何でも『便利』の一言で済ませるのう!」


エリシアが歩き出す。


「こちらが食堂です。」


扉を開けた瞬間。


ジンが目を丸くした。


「……。」


「親方。」


ボルグは振り返る。


「何じゃ。」


ジンは食堂の奥を指差した。


「見てください!」


「食堂が……。」


「めちゃくちゃ広いです!」


さらに奥を見る。


「しかも!」


「調理場までありますよ!」


ボルグも思わず中を見渡した。


長い食卓。


何十人でも座れそうな広さ。


大きな竈。


広い調理台。


食器棚まで整然と並んでいる。


「……。」


「ほぅ。」


「これは……。」


「ちょっとした宿屋じゃな。」


ジンは目を輝かせる。


「すげぇーー!!」


「これだけ広かったら!」


「みんなで料理できますよ!」


レイナは苦笑した。


「実際、たまにそうなるぞ。」


リシェルも頷く。


「エリックさんが作る日もあれば、私たちが作る日もあります。」


エリックは当然のように一言。


「ご飯。」


「大事。」


ボルグは豪快に笑った。


「ぐわっはっはっ!」


「確かに!」


「坊主らしい理由じゃ!」


エリシアは微笑みながら階段へ向かった。


「では、二階をご案内します。」


全員が後に続く。


「こちらから。」


「私の部屋。」


「リシェルさん。」


「レイナ。」


「そして一番奥がエリックさんのお部屋です。」


ボルグは頷く。


「なるほど。」


エリシアは反対側の廊下を示した。


「こちらは客室になります。」


「空いている部屋はご自由にお使いください。」


ジンは思わず立ち止まった。


「……。」


「まだあるんですか?」


扉を一つ。


二つ。


三つ。


四つ。


「……。」


「十部屋以上ありますよ?」


ボルグも静かに数える。


「王都の貴族屋敷でも。」


「ここまで客室は用意せんぞ。」


エリシアはさらに案内する。


「こちらが書庫です。」


「普段は私が使っています。」


隣の扉を開ける。


「こちらは道具の整備室です。」


「レイナが武器や装備の手入れに使っています。」


レイナは頷く。


「砥石も工具も揃ってるぞ。」


ジンは完全に呆然としていた。


「……。」


「親方。」


「これ。」


「本当に個人の家ですか?」


ボルグは腕を組み、ゆっくり周囲を見回す。


ロビー。


二つのダンジョン直通転移魔法陣。


巨大な食堂。


広い調理場。


十を超える客室。


書庫。


整備室。


そして魔境とは思えない安全な生活空間。


「……。」


「坊主。」


エリックが振り返る。


「?」


「お前。」


「自分が何を造ったか分かっとるか?」


エリックは首を傾げた。


「家。」


ボルグは大きくため息を吐く。


「違う。」


「これでは……。」


少し間を置く。


「ギルド本部が、そのまま建っとるようなもんじゃ。」


ジンも何度も頷く。


「ですよね!」


「宿泊できますし!」


「食事もできます!」


「整備もできます!」


「ダンジョンへ直行できます!」


「こんなの……。」


「冒険者なら誰でも住み着きますよ!」


レイナは苦笑した。


「実際。」


「私たちが住み着いてるしな。」


エリシアは微笑んだ。


「では、皆さん。」


「まずは五十九階層へご案内します。」


四人はロビー中央の転移魔法陣へ集まる。


エリックは魔法陣を見て、小さく呟いた。


「……。」


「まだ。」


「認証。」


「してなかった。」


Gペン型の杖を構える。


カリ。


カリカリ。


魔法陣へ新たな術式を書き加えていく。


「今やる。」


淡い光が魔法陣全体を走った。


《一時認証》


《ボルグ》


《ジン》


《五十九階層転移 許可》


最後の一画を書き終える。


「よし。」


「行ける。」


青白い光が四人を包み込んだ。


青白い光が消える。


四人は五十九階層へ降り立った。


ひんやりとした空気。


静寂。


その先に。


巨大な封印扉が静かに佇んでいた。


幾重にも刻まれた古代文字。


圧倒的な存在感。


ジンは思わず息を呑む。


「……。」


「大きい。」


ボルグは何も答えない。


ゆっくりと扉へ近づく。


目を細める。


古代文字を一つ一つ眺める。


封印の流れ。


魔力の循環。


刻印の配置。


すべてを黙って確認していく。


やがて。


小さく頷いた。


「……。」


「なるほど。」


口元が少しだけ緩む。


「さて。」


「仕事じゃ。」


「ジン。」


「あれを持ってこい。」


「はい、親方。」


背負っていた大きな革鞄を床へ降ろす。


ゴトリ。


金具を外す。


中から次々と見慣れない器具が現れる。


細い針。


木製の治具。


古代文字が刻まれた金属板。


水晶。


小さな歯車。


聴診器にも似た奇妙な器具。


一つ一つ。


まるで手術道具のように床へ丁寧に並べていく。


ボルグは何も言わない。


ジンは慣れた手付きで必要な器具だけを選び、親方の前へ差し出した。


「準備、完了しました。」


「まずは……。」


「ジン。」


「あれを扉へ貼れ。」


「はい。」


ジンは古代文字が刻まれた薄い金属板を両手で持つ。


封印扉へゆっくり押し当てる。


ピタリ。


板が吸い付くように固定された。


続けて二枚。


三枚。


位置を測りながら正確に貼り付けていく。


レイナが小さく呟く。


「まるで手術だな。」


エリシアも頷いた。


「これが……。」


「古代施錠術師の仕事なのですね。」


ボルグは静かに頷いた。


「よし。」


革鞄から最後の器具を取り出す。


丸い木枠に金属管が繋がった、不思議な道具だった。


ジンがすぐに受け取り、親方へ手渡す。


ボルグはそれを耳へ当てる。


そして、ゆっくりと封印扉へ近づいた。


コツ。


器具の先端を古代文字へ軽く当てる。


会話はない。


動きだけが続く。


場所を変え。


また当てる。


さらに場所を変え。


耳を澄ませる。


レイナが小声で呟いた。


「……何をしてるんだ?」


エリシアも首を横へ振る。


「分かりません。」


「ですが。」


「封印術式を読んでいるのでしょう。」


ボルグは微動だにしない。


長い沈黙。


やがて。


器具をゆっくり外した。


「……なるほど。」


低く呟く。


ジンが緊張した表情で尋ねる。


「どうですか、親方。」


ボルグは封印扉を見つめたまま答えた。


「こいつぁ。」


「ただの鍵じゃない。」


「三つの施錠。」


「三つの封印。」


「それぞれが互いを監視し合っとる。」


エリシアが目を見開く。


「やはり三重封印でしたか。」


ボルグは小さく頷く。


「しかも。」


「下手に触れば。」


「最初からやり直しじゃ。」


その言葉に、その場の空気が重くなる。


ボルグは器具を鞄へ戻した。


「今日はここまでじゃ。」


ジンが驚く。


「えっ。」


「もう終わりですか?」


ボルグは鼻を鳴らした。


「焦るな。」


「古代の術式鍵は作品じゃ。」


「作品には声がある。」


「まずは、その声を聞かねば始まらん。」


ボルグは封印扉へそっと手を添えた。


「……。」


「急ぐ相手ではない。」


「まずは、声を聞く。」


「これは。」


「長期戦になるぞ。」

今回から新キャラクター「ボルグ」と弟子のジンが登場しました。


エリックが”作る人”なら、ボルグは”解く人”。


同じ職人同士ですが、考え方も経験もまったく違う二人を書いていてとても楽しいです。


六十階層の封印はまだ始まったばかり。

次回もよろしくお願いします。

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