第二十八話(後編): 古代施錠術師ボルグ
六十階層の第三封印は、エリックの《鑑定》でも解除条件を特定できませんでした。
封印を解くため、エリシアは王都へ戻り、一人の専門家を訪ねます。
古代施錠術師ボルグ。彼との出会いが、新たな物語の扉を開きます。
「今日は。」
「終わり。」
レイナが振り返る。
「……は?」
「いや待て。」
「ここまで来て、終わりって……。」
エリックは首を傾げる。
「無理。」
「今。」
「から。」
「帰る。」
あまりにも迷いがない。
リシェルが小さく笑う。
「エリックさんらしいですね。」
エリシアも少しだけ表情を緩める。
「……確かに。」
「焦って無理に触れるより、情報を集める方が良いですね。」
レイナはため息を吐いた。
「まあ……お前の場合。」
「扉より風呂とアイスの方が大事そうだけどな。」
エリックは頷く。
「大事。」
「……否定しないのかよ。」
四人は転移魔法陣へ向かう。
六十階層の巨大な扉。
二つの封印を失いながらも。
最後の一つだけは、静かに残っていた。
そして。
青白い光が四人を包む。
次の瞬間。
転移魔法陣の光が消え、四人はいつもの我が家へ戻ってきた。
しかし。
誰もすぐには動かなかった。
六十階層。
巨大な封印扉。
三重封印。
二つまでは解除できた。
だが。
最後の一つは、まだ閉ざされたまま。
エリシアは静かに空を見上げる。
「……。」
「やはり。」
「このままでは、私たちだけでは足りませんね。」
レイナが振り返る。
「専門家を呼ぶのですか?」
エリシアは少し迷うように目を伏せた。
「はい。」
「ですが……。」
一瞬、言葉が止まる。
「少し苦手な方なのです。」
リシェルが首を傾げる。
「エリシア様が苦手な方ですか?」
エリシアは苦笑した。
「ええ。」
「あの方は、少々……。」
「扱いが難しい方でして。」
しかし。
すぐに表情を戻す。
「ですが。」
「今は頼るしかありません。」
六十階層の扉。
あの第三封印を解くためには。
自分たちとは違う知識が必要だった。
その横で。
エリックはすでに別の方向を見ていた。
「畑。」
レイナが呆れる。
「……お前。」
「今、その話の後で畑なのか?」
エリックは首を傾げる。
「大事。」
「畑。」
そう言うと、エリックは迷いなく歩き出した。
三人も慌てて後を追う。
畑へ着いた瞬間、エリックの表情が少しだけ変わった。
「おっ。」
「みんな。」
「来て。」
そこには。
数日前とは違う景色が広がっていた。
小さな芽だったものが。
しっかりと葉を広げ。
実を付け始めている。
エリックはしゃがみ込み、一本一本確認していく。
「流石。」
「魔鏡。」
「数時間で。」
「ここまで大きくなってる。」
まだ青い。
しかし。
確かに実っている。
赤くなる前のトマト。
そして。
「……。」
「これ。」
エリックが少し離れた場所を見る。
「きゅうり。」
リシェルが目を輝かせる。
「本当ですね。」
「いつの間に……。」
エリックは満足そうに頷いた。
「明日。」
「収穫できそう。」
その言葉に。
レイナは思わずため息を吐く。
「……。」
「六十階層の封印より。」
「今は野菜なのか。」
エリックは当然のように頷いた。
「うん。」
「大事。」
その日の夕方。
収穫には少し早い野菜を眺めながら、四人は家へ戻った。
エリックはいつものように厨房へ向かおうとする。
しかし。
「エリックさん。」
エリシアが声をかけた。
「少し、ご相談があります。」
エリックが振り返る。
「?」
エリシアは少しだけ迷った後、口を開いた。
「私は一度、王都へ戻ってもよろしいでしょうか。」
レイナが反応する。
「王都へ?」
「六十階層の件か。」
エリシアは頷いた。
「はい。」
「第三封印を解除するためには、私たちとは違う知識が必要です。」
「専門家の力を借りる必要があります。」
エリックは少し考える。
探るような間。
そして。
「分かった。」
あっさりと答えた。
エリシアが少し驚く。
「……よろしいのですか?」
「うん。」
「必要。」
その一言に、エリシアは微笑んだ。
「ありがとうございます。」
翌朝。
エリシアたちは転移魔法陣の前に立った。
いつものように。
エリックが描いた魔法陣。
複雑な認証術式。
淡い光が静かに広がる。
レイナが振り返る。
「忘れ物はないか?」
エリシアは頷く。
「はい。」
その手には、小さな箱。
リシェルが微笑む。
「大切なものですね。」
エリシアは少しだけ恥ずかしそうに頷いた。
「……はい。」
エリックが最後に声をかける。
「エリシア。」
「はい?」
「アイス。」
「忘れるな。」
一瞬の沈黙。
レイナが呆れる。
「そこなのかよ……。」
エリックは真剣な顔だった。
「大事。」
エリシアは思わず笑う。
「分かっています。」
「必ず持ち帰ります。」
そして。
魔法陣へ魔力が流れる。
青白い光が包み込む。
「また来ます。」
エリシアはそう告げた。
次の瞬間。
視界が白く染まる。
――。
光が消える。
目の前に広がったのは。
王都ルミナリア。
中央噴水広場。
多くの人が行き交う、王国最大の都市。
先ほどまでいた森の静寂とは正反対の場所。
エリシアは静かに息を吐いた。
「……戻ってきましたね。」
レイナが周囲を見る。
「やっぱり落差がすごいな。」
リシェルも微笑む。
「少しだけ、寂しく感じますね。」
エリシアは手にした箱を見る。
中には。
エリックが作ったアイス。
そして。
あの静かな生活の記憶。
「……。」
「さて。」
エリシアは顔を上げる。
王女としての表情に戻る。
「六十階層の第三封印。」
「解明します。」
会議室の扉が開く。
重い足音が響いた。
小柄だが岩のように逞しい体。
長い白髭。
鋭い眼光。
ドワーフ族最高峰の古代施錠術師。
ボルグ・グランツ。
エリシアは静かに頭を下げた。
「お久しぶりです、ボルグ殿。」
ボルグは一瞥すると鼻を鳴らす。
「おう。」
「久しぶりじゃの。」
少しだけ間を置き。
「……で。」
「お嬢ちゃん。」
「今日は何の用じゃ。」
会議室の空気が一瞬止まる。
周囲の魔導士たちは思わず顔を見合わせた。
相手は第三王女。
それを「お嬢ちゃん」と呼ぶ者など、王都にはほとんどいない。
しかし。
エリシアは慣れたように微笑んだ。
「今回は、一つお願いがございます。」
ボルグは腕を組む。
「お願い、のう。」
「面倒な匂いしかしねぇな。」
「まず話だけ聞いてやる。」
「続けろ。」
「スペルグルフの森に、新たなダンジョンが出現しました。」
エリシアは静かに切り出した。
「その六十階層で、古代文字によって施錠された巨大な封印扉を発見しました。」
ボルグの眉がぴくりと動く。
「……。」
「スペルグルフの森じゃと?」
「はい。」
「お嬢ちゃん。」
「お前さん、あそこが何処か分かっとるんじゃろうな?」
「王国指定の特定危険地域じゃ。」
ボルグは鼻を鳴らした。
(王直々の依頼ならともかく。)
(お嬢ちゃんの研究に付き合うほど暇じゃねぇ。)
「昔ゃワイバーンが空を飛び回っとった。」
「そんな噂ぐらい、わしも耳にしとる。」
エリシアは小さく微笑んだ。
(試していますね。)
「……あら。」
「珍しく臆しておられるのですか?」
ボルグが眉を吊り上げる。
「はぁ?」
「誰が臆するか!」
「わしには人間の弟子がおる。」
「守る義務ってもんがある。」
「危険と分かっとる場所へ、連れて行くわけにはいかん。」
会議室が静まり返る。
エリシアはゆっくり頷いた。
「つまり。」
「安全が確保されるのであれば、お力を貸していただけるのですね?」
「……。」
ボルグは否定しない。
エリシアは静かに続けた。
「ご心配には及びません。」
「スペルグルフの森には、エリックという少年がおります。」
「彼が森全域へ複合式多重結界を展開しています。」
「ワイバーンであろうと。」
「ドラゴンであろうと。」
「突破は不可能です。」
ボルグの表情が変わる。
「……。」
「複合式……多重結界じゃと?」
その一言で。
会議室がざわついた。
「まさか……。」
「複合式多重結界だと?」
「理論上は存在しますが……。」
「そんなもの実現できるはずが……。」
エリシアは周囲を見渡した。
「皆さん。」
「王都が現在、一級魔導士複数名による多重結界で守られていることはご存じですね。」
全員が頷く。
エリシアは静かに言った。
「エリックさんの結界は。」
「その数倍の強度と耐久性を持っています。」
「これは。」
「この私が保証します。」
沈黙。
ボルグは腕を組んだまま目を閉じる。
(魔法の天才と呼ばれたお嬢ちゃんが。)
(ここまで言い切るとはな……。)
ゆっくり目を開く。
「……分かった。」
「その坊主。」
「一度、この目で見てやる。」
会議室の空気が一変した。
工房。
武器は少ない。
その代わり。
棚一面に並ぶ奇妙な木製機械。
歯車。
滑車。
見たこともない測定器。
古代文字が刻まれた金属板。
虫眼鏡のようなレンズ。
精密な針。
そして。
親指ほどしかない小さな箱。
ボルグは迷いなく棚を開ける。
「これ。」
「これも。」
「……これじゃな。」
小さな革鞄へ次々と詰め込んでいく。
弟子のジンが不安そうに見ていた。
「親方。」
「本当に行くんですか?」
「スペルグルフの森ですよ?」
「特定危険地域ですよ?」
ボルグは手を止めない。
「だから何じゃ。」
「……。」
「昔ならともかく。」
「今は違う気がする。」
ジンは首を傾げる。
「違う?」
「お嬢ちゃん。」
「嘘をつく顔じゃなかった。」
ジンはまだ納得していない。
「でも……。」
「ワイバーンですよ?」
「ドラゴンですよ?」
ボルグは鼻を鳴らす。
「つべこべ言うな。」
「お前も用意しろ。」
「明朝。」
「その坊主の魔法陣とやらで行く。」
「……。」
ジンは観念したように頭を掻く。
「本当に大丈夫なんですかねぇ……。」
「知らん。」
「だから見に行く。」
そして翌朝。
ボルグは噴水広場に描かれた転移魔法陣の前で足を止めた。
「……。」
しゃがみ込む。
ゆっくり術式を追う。
一周。
もう一周。
そして。
突然。
「ぐわっはっはっはっはっ!!」
噴水広場に豪快な笑い声が響き渡る。
通行人が一斉に振り返った。
「な、何だ?」
「ボルグ殿だ……。」
「どうしたんだ?」
ジンは慌てる。
「親方!」
「みんな見てます!」
ボルグは気にも留めない。
笑いながら魔法陣を叩く。
「悪くない!」
「実に悪くない!」
「この坊主!」
「面白い術式を書きおる!」
エリシアは苦笑した。
「お気に召したようですね。」
ボルグは笑みを浮かべたまま立ち上がる。
「行くぞ。」
「会ってみたくなった。」
その様子を見て、エリシアは思わず小さく笑った。
「お気持ちは分かります。」
「私も、初めて見た時は同じでしたから。」
ボルグは鼻を鳴らす。
「ほぅ。」
「なら。」
「さっさと行くぞ。」
エリシアは静かに頷いた。
そして魔法陣へ向き直る。
エリシアは魔法陣の中央へ立つ。
腰を下ろし、そっと術式へ手を添えた。
「エリックさん。」
静かに魔力を流す。
森。
庭先。
転移魔法陣が淡く輝いた。
畑を見ていたエリックが振り返る。
「?」
魔法陣からエリシアの声が響く。
「ボルグ殿とジンさんをお連れしました。」
「お願いできますか?」
エリックは魔法陣へ近づく。
少しだけ考えた。
「うん。」
杖を構える。
「認証。」
カリ。
カリカリ。
術式を書き換えていく。
《王都転移》
《一時認証解除》
《人数制限 三名》
《転移許可》
「どうぞ。」
その瞬間。
王都の魔法陣が強く輝いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回から新たな登場人物、ドワーフ族最高峰の古代施錠術師・ボルグが物語に加わりました。
エリックとはまったく違う視点を持つ職人同士が、これからどのようなやり取りを見せるのか、自分でも楽しみに書いています。
そして、ついにボルグたちはスペルグルフの森へ。
次回はいよいよ、エリックとの初対面です。ぜひ楽しみにしていただけると嬉しいです。




