第十一話( 後編):背景が無い
いつもお読みいただきありがとうございます!
前編で「構図がおかしい」と言い出したエリックですが、後編ではさらに意味不明なことを言い始めます。
「背景が無い」
……作者も書きながら「何言ってるんだコイツ」と思いました(笑)。
ですが、エリックの中では全部筋が通っています。
漫画家脳全開の攻略を、どうぞお楽しみください!
重い扉を開けた先は、異様な空間だった。
天井は見えないほど高く、部屋のあちこちから、赤黒い溶岩のような熱波が陽炎となって立ち昇っている。
その中心に、“それ”はいた。
真っ赤に熱せられた鋼鉄の鎧を纏い、全身から激しい炎を吹き出す巨体。六十階層のボスだ。
ただそこに佇んでいるだけなのに、圧倒的なプレッシャーが肌を焼く。
「……行くぞ、エリック!」
レイナは低く鋭く言うと、大剣を構えて地を蹴った。
重い一撃が、ボスの脳天めがけて振り下ろされる。
ガキィィン!!
レイナの大剣を弾き返したボスは、そのまま一切の淀みなく大剣を振り抜いた。
「っ!?」
剣圧と共に、巨大な火球が一直線に放たれる。
「レイナ!」
エリックの杖が閃く。
空中へ幾何学模様の魔法陣が幾重にも展開され、その直前に半透明の防壁が出現した。
ドゴォォン!!
火球が激突し、防壁が激しく軋む。
「くっ……!」
衝撃は殺し切れず、レイナは弾き飛ばされ、床を何度も転がった。
「レイナ!」
「……この程度で寝てられるか!」
レイナは即座に立ち上がると、間髪入れず地を蹴る。
横薙ぎ。
袈裟斬り。
突き。
流れるように連撃を叩き込む。
しかし──
ガキンッ! ガギィンッ! ギィィン!!
ボスは大盾と大剣だけで、すべてを寸分違わず受け流していく。
(……読まれてる)
エリックは即座に新たな魔法陣を描く。
地面を走る拘束術式。
空間を縫う封印術式。
敵の退路を断つ捕縛術式。
三重の魔法陣が一斉に完成する。
「縛れ!」
だがボスは一歩も慌てない。
大剣をたった一振り。
ズバァッ!
魔法陣そのものを切り裂き、術式は発動する前に霧散した。
(魔法陣ごと斬った……?)
「……全部、斬った?」
レイナが目を見開く。
エリックは静かにボスを見据える。
無駄がない。隙がない。
大剣の軌道も、火球のタイミングも、まるで一寸の狂いもない完璧な「構図」の中に敵が配置されているかのようだ。
「チッ、搦め手も通用しないってわけ……!?」
レイナが焦り混じりに大剣を握り直す。
エリックは、その完璧すぎるボスの立ち姿を冷徹に観察しながら、瞬時に思考を巡らせる。
(確か、扉の前で鑑定した時は『水魔法が弱点』だったな。だが、俺の持ち札に水魔法陣はない。なら——)
「レイナ、水だ」
「水!? 私は前衛だぞ、初級程度しか使えん!」
「それでいい、撃て」
レイナは一瞬だけ怪訝な顔をしたが、即座に大剣を引き、左手をかざした。
「——【ウォーターボール】!」
放たれたのは、大人の頭ほどの小さな水の塊だ。
さっきの強力な風や雷の魔法に比べれば、あまりにも貧弱な初級魔法。
だが、ボスの反応は違った。
ボスはそれを大盾で弾こうとはせず、初めてその巨体を大きく「引いて」、不恰好に横へ跳んで躱したのだ。
水球は虚しく壁に当たり、蒸発する。
「……は?」
レイナは目を見開いた。
「初級程度のウォーターボールだぞ……? 何故、弾かずに躱した?」
エリックはそれを見て、確信に満ちた目で杖を握り直した。
「レイナ。俺、ここに入って直ぐから、ちょっとこの部屋がおかしいと思ってたんだ」
「……あ?」
「床はある。壁はある。天井もある」
エリックは真顔のまま、何もない空間を指差した。
「でも、背景が無いだろ」
「はぁ!?」
レイナは叫んだ。
「何言ってるんだお前、こんなにハッキリ壁も溶岩も見えてるだろ!」
「違う。キャラクターの配置もいい、動線も成立してる。だけど——」
エリックの視線が、一気に地面へと落ちる。
「背景が抜けてる(描き忘れてる)。この部屋は、本来なら“水が通る前提”で成立してるステージだ。
水(背景)がないから、敵の構図だけが浮いて、攻撃のプロットが確定しちゃってるんだよ」
「意味が分からん!」
「要するに、背景を描き足せば、アイツの完璧な構図は崩れる」
エリックは杖の先を、トン、と地面に触れさせた。
微細な魔法陣が、床の石畳に確実な計算の元、染み込んでいく。
「……見つけた。地下の水脈だ」
次の瞬間。
地面が、激しく鳴った。
ゴォォォォッ……!!
地の底から、凄まじい質量を伴った水が噴き上がった。
溶岩の熱波を裂き、空間そのものを塗り替えるように、冷たい濁流が部屋を満たしていく。
火の巨体が、一瞬だけ動きを止めた。
「……!」
初めて見せる、明確な“ズレ”だった。
エリックはそれを見届け、淡々と言った。
「やっぱりな」
「ここは“背景が水でできている”」
溢れ出す水に足を濡らしながら、レイナは息を呑む。
「どういうことだ……?」
エリックは静かに杖を構え直した。
「最初から、こういう場所だったんだ」
地の底から噴き上がった水は、空間のあらゆる“隙間”を埋めるように広がっていった。
水が満ちるにつれ、猛烈だった火が乱れ、敵の構図が目に見えて崩れ始める。
火の巨体が一歩、不恰好に後退した。
「……っ」
レイナは目を見開く。
「効いてる……のか?」
「効いてるんじゃない」
エリックは冷静に答えた。
「“成立し始めてる”」
「は?」
意味が分からない。
だが、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……
火の巨体の“輪郭”が激しく揺らいだ。
まるで、乾いていないインクの上から大量の水をこぼされ、描かれた線がそのまま滲んでいくように。
「……やっぱりな」
エリックが呟く。
「この部屋は、“水が通る前提で成立してる”」
「だから他の魔法は通らない」
「でも、水だけは“背景に触れる”」
レイナの脳裏に、これまでの戦いが過る。
どんな攻撃も先回りして処理されていた理由。それが今、エリックの漫画家としての視点によって暴かれた。
「じゃあ……今のは」
「そう」
エリックは頷いた。
「背景が戻り始めてる」
火の巨体が、なおもこちらを排除しようと動く。
だが、その動きからは先ほどまでの“完成された正しさ”が完全に消え失せていた。
作画が崩壊していくかのように。
ぎこちない。
ずれる。
遅れる。
「なんだ……今の」
レイナが呟く。
「弱くなってる……?」
「違う」
エリックは首を振る。
「“ずっと成立してなかっただけだ”」
火の巨体が咆哮する。
だが、その声は途中で途切れた。
水が、足元から容赦なく侵食していく。
溶けるように。
剥がれるように。
レイナは大剣を強く握り直した。
確信が胸を突く。
「いける……のか?」
エリックは短く言った。
「今なら“描ける”」
「は?」
「背景が戻った」
「なら、コマは成立する」
「成立するなら——壊せる」
レイナは一瞬だけ呆気に取られたあと、ふっと苦笑した。
「お前の理屈、ほんと意味わからん」
「でも」
大剣を正しく構え、正しく地を踏みしめる。
「やることは分かる」
踏み込む。
今度は、邪魔するものなど何もない。
さっきまでの“完璧な防御”はどこにもない。
ただ遅れ、ただズレているだけの、ただの的だ。
「っ……!」
火の巨体が反応する。
だが、遅い。
今度は、確かに手応えがあった。
刃が敵の構造を、肉を、骨を捉える確かな感覚。
レイナの剣が、一寸の狂いもなく振り抜かれる。
一閃。
ゴォンッ!!
火が、真っ二つに割れた。
いや、正確には——
“形が崩れた”。
水がさらに噴き上がる。
地面は完全に清らかな水で満たされていく。
エリックはそれを見つめ、静かに言った。
「終わりだな」
火の巨体はもう、立っていなかった。
溶けるように崩れ、水の中へ沈んでいく。
抵抗するような動きは、もうどこにもない。
後に残ったのは、ただ穏やかな水音と、静寂だけだった。
レイナは肩で息をしながら、剣を収めて呟く。
「結局……水かよ」
エリックは転がったボスの魔石を拾い上げ、じっと見つめながら、ぽつりと言った。
「これでドラゴンの卵、買えるか?」
レイナは呆れたように天を仰ぐ。
「まだ言うのか、それ」
エリックは少し間を置いて。
「……いや」
「まだ足りない」
真顔のまま、真剣なトーンで続ける。
「じゃあ作物の種と鶏は?」
レイナは深くため息をついた。
「発想がブレないな、お前……」
かつて、別の階層の扉の前で、レイナは一度だけ本気で思ったことがある。
──詰んだ、と。
あの時の冷たい絶望感は、今でもはっきり覚えている。
これ以上は無理だと、確かに思った。
全ての階層で、何度も死ぬかと思った。
実際に死んでいてもおかしくなかった場面はいくつもある。
普通なら、途中で心が折れている。
だが今、六十階層を越えたこの場所で思う。
あれは本当に“終わり”だったのか?
視線を横に向ける。
そこにいる男は、いつも通りだった。
構図がおかしいだの、背景がどうだの、魔石で卵がどうだの。
命懸けの戦場のはずなのに、そのプロとしての発想と計算だけは、一切ブレない。
「……なのにさ」
レイナは自分でも意外そうに呟いた。
「なんでだろうな」
「今、お前といると」
少し間。
「楽しい」
エリックは、すでにその先にある次の扉から目を離さずに言う。
「次、行くか?」
「当然だろ」
レイナは即答した。
そして、小さく苦笑する。
「次が楽しみになってる時点で、私も大概だな」
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
六十階層ボス戦、いかがでしたでしょうか。
普通なら弱点は「水魔法」で終わるところを、エリックは「背景が水でできている」と解釈してしまいました。
この作品は、漫画家の常識が異世界では非常識になる──そんな発想を楽しみながら書いています。
そしてボスを倒したあとも、目的は相変わらずスローライフ。
ドラゴンの卵、鶏、山羊……発想だけは最後までブレません(笑)。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます!
ブックマークや評価、感想をいただけると、次回も「背景」を描き足す励みになります。
それでは、また次のお話でお会いしましょう!




