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第九話(後編): 備えあれば憂いなし

いつも読んでいただきありがとうございます。


ついにエリック、冒険者デビューです。


……のはずだったのですが、なぜかゴブリンより先にダンジョンの安全対策を始めました。


本人は真面目に準備しているだけなのですが、周囲から見るとだいぶ怖い人になっています。


今回のお話は「普通のゴブリン相手にそこまでやる?」というレイナと、「森基準で考えると全然足りない」というエリックの温度差を楽しんでいただければ幸いです。

ギルド長室を出た二人は、案内された通り、白銀の塔の地下へ向かって石造りの階段を降りていた。


壁には魔導灯。


降りれば降りるほど、空気が冷たくなっていく。


やがて、巨大な扉が見えてきた。


鉄と白銀で作られた重厚な門。


その表面には、


無数の魔導術式が刻まれている。


門の左右には、ダンジョンを監視するギルドの厳つい門番たちが立っていた。


レイナは思わず扉を見上げた。


「相変わらず、威圧感があるな……」


王都育ちの彼女でも、この扉を見ると少し緊張する。


ダンジョン。


人類が二百年かけても攻略できない場所。


魔王現象の中心。


その入口。


重い音が響く。


ゴゴゴゴゴ……


門番たちの手によってゆっくりと扉が開く。冷たい風が二人の間を吹き抜けた。


暗い通路。その先へ続く、未知の第一階層。


レイナが小さく息を吐いた。


「行くぞ」


そう言って、隣を見る。


エリックは杖を振っていた。

ぶん。

ぶん。

ぶん。


「……何してる」


「ん?」


エリックは細い杖を見つめた。


「この杖」


ぶん。

ぶん。


「空中に描きやすい」


ぶん。

ぶん。


「バランス良いな」


レイナは頭を抱えた。


まだ一歩も中に入っていない。


なのに嫌な予感しかしない。


「森の棒より描きやすい」


「武器として見ろ」


「描く道具だろ」


「杖だ!」


「Gペンだ」


「杖だ!」


ぶん。

ぶん。

ぶん。


Gペン型の杖が空中を走る。光の線が残り、魔法陣が形成されていく。


一つ。

二つ。

三つ。


「何してる」


「準備」


一つ目の魔法陣が完成し、その横に二つ目。

さらに三つ目、四つ目、五つ目。


レイナの顔色が変わる。


「待て」


「ん?」


「何個描く気だ」


「全部」


嫌な予感しかしない。


十分後。


第一階層の入口前が、魔法陣だらけになっていた。


「待て待て待て待て! 何だこれは!」


「対ゴブリン用」


「何種類だ」


エリックが指を折って数える。


「防壁。衝撃吸収。捕獲。拘束。追跡。警報。索敵。幻惑。誘導。減速。落穴。閃光。消音。逃走路確保。予備。予備の予備」


「何種類だ」


「十六」


沈黙。


「はぁ?」


「相手ゴブリンだぞ」


「イヤイヤイヤ! こっちのセリフだぁ!!」

レイナは思わず吼えた。


「一階層だぞ!? ゴブリンだぞ!? 何でゴーレム戦より準備してるんだ!!」


エリックは本気で首を傾げた。


「森で死にかけたって言っただろ。森の奴らは連携してた。囮が出てきて、横から来て、後ろから来て、投石してきて、仲間呼んで――」


「ここのゴブリンはそこまでしない!」


沈黙。


「しないのか?」


「しない」


「本当に?」


「しない」


「連携は」


「多少」


「罠解除は」


「聞いたこと無い」


「囮は」


「聞いたこと無い」


「包囲は」


「聞いたこと無い」


エリックが少し考え、「弱いな」と呟いた。


「今理解したのか!?」


空中には、十六種類の魔法陣が何十枚も整然と浮いている。


普通の魔導士が見たら、その同時展開数と魔力制御の異常さに卒倒しかねない光景だ。


それを見ていた門番が、持っていた槍を落としそうになりながら口を半開きにしていた。


「えっ……」


「あと捕獲陣二枚」


「予備か」


「予備だ」


門番が恐る恐る口を挟む。


「あの……その魔法陣……全部、維持しているんですか?」


エリックが不思議そうに目を瞬かせ、レイナがため息交じりに応じた。


「維持してるな」


「全部ですか?」


「全部だな」


「……」


「エリック、さて行くよ」


レイナはこれ以上付き合っていられないとばかりに、浮遊する魔法陣の群れを従えたエリックの背中を押し、暗い通路へと一歩を踏み出した。


見送る門番は、光の群れを連れてダンジョンへ消えていく二人の後ろ姿を、呆然と見つめるしかなかった。


門番

(レイナ様は……完全に感覚が麻痺してるのか……?)


門番が思い出したように声をかけてきた。


「ああ、そうだ」


「?」


「最近、一階層で怪我人が続出してるから気を付けろよ」


「は?」


「原因がよく分からん」


「ほら」


エリックが「やはり俺の計算通りだ」と言いたげに、十六種類の魔法陣を従えながらドヤ顔をする。


「まだ何も分かってないだろ」


レイナは門番にお礼を言うと、半ば強引にエリックの背中を押して、開かれた扉の先へと進んだ。


そして第一階層へ。


薄暗い通路を、浮遊する魔法陣の淡い光が照らす。


「しかし怪我人か。一階層のゴブリン相手に、熟練の冒険者が遅れをとるとは思えないんだけど……」


少し進んだところで、最初のゴブリン二匹と遭遇した。


レイナが鮮やかに剣を振るい、危なげなく一撃で仕留める。


倒したゴブリンの身体が光の粒子となって消え、その場に小さな魔石が転出ドロップした。レイナはそれを拾い上げ、腰のポーチに仕舞う。


さらに奥へと進む。


「……なぁ、なんか少し、前が見えにくくないか?」

「煙いな」


「え? ああ、言われてみれば……」


「土埃が多い」


「ダンジョンだからな」


「多すぎる」


エリックは目を細めた。ただの埃じゃない。表現者として培った空間の違和感を察知する観察眼が、すでに微かな異変を捉えていた。


二人はさらに通路を進む。


再びゴブリンを倒し、さらに進む。


進めば進むほど、うっすらと白く霞む空気は濃くなり、どんどん前が見づらくなっていく。


「なぁ、おかしくないか。こんなもんなのか?」


「何がだ」


レイナは周囲を警戒しながら答える。


「ダンジョンだよ」


「普通だ」


「そうか?」


エリックは首を傾げた。


しばらく無言で歩く。


そして、


「なぁ」


「今度は何だ」


「ゴブリンって火球投げる奴いるか?」


「居るだろ普通に。珍しくもない」


レイナは即答した。


「……って、なんで今そんなこと聞くんだよ」


エリックは前方を見たまま答える。


「いや」


「壁」


「壁?」


レイナが視線を向ける。


何も見えない。


白い霧。


岩壁。


それだけだ。


「何もないぞ」


「ある」


エリックは断言した。


「焦げ跡」


レイナが止まる。


もう一度見る。


見えない。


全く見えない。


「どこだ」


「ずっと前」


「見えるのか?」


「うっすら」


漫画家だった頃。


背景資料。


遠景。


パース。


消失点。


細かい違和感を拾う癖。


それが今も残っている。


「火球ならゴブリンか?」


「可能性はある」


レイナは少し真面目になる。


「ただ、この辺は低層だ」


「火球を使う個体は珍しい」


「ふーん」


エリックは納得したように頷いた。


そして。


ぼそりと呟く。


「じゃあゴブリンじゃないな」


「は?」


レイナが振り向く。


エリックは前を見ていた。


「焦げ方がおかしい」


「何がだ」


「構図が変」


レイナは頭を抱えたくなった。


また始まった。


そんなレイナをよそに


エリックは

宙を指でなぞった。彼の周囲に浮かぶ十六種類の魔法陣のうち、【防壁】と【衝撃吸収】が不気味なほど素早くレイナの前に移動する。


「え?」


その時だった。


通路の角から現れたゴブリンが、手元に小さな赤い火を灯した。


ゴブリン

「ギャッ!」

放たれた火球が、こちらへ飛んでくる。


いつもなら軽く弾けるはずの、初級の初級魔法。


それが通路の中央に達した、まさにその瞬間。


ドゴォォォォォォン!!


凄まじい衝撃波と、視界を真っ白に染める爆炎。


第一階層の強固な石壁が激しく揺れる。


「なっ!?」


あまりの威力に、レイナは衝撃で後ろへ吹き飛ばされそうになりながらも、目を見開いた。


本来なら、その身を木端微塵にされていてもおかしくない至近距離での大爆発。


しかし、パキン! パキン! と硬質な音が響き、エリックの【防壁】と【衝撃吸収】が爆炎を完全にシャットアウトしていた。


煙が立ち込める中、何十枚もの魔法陣を平然と維持したまま、エリックが冷や汗を流すレイナを見下ろした。


「なぁ」


「……っ、何だよ……!」


「準備して良かっただろ」


完璧にドヤ顔を決めるエリックの横で、レイナは激しく動悸する胸を押さえながらも、返す言葉がなかった。


「……なるほどな。門番の言っていた『原因不明の怪我人続出』の正体が分かったぞ」


エリックは細くなった杖をGペンのように回しながら、冷徹な観察眼で煙を見つめた。


「正体……? あんな威力、普通のゴブリンの火球じゃないわよ!」


「火球は普通だ」


「じゃあ何がおかしい」


「粉」


「粉?」


「魔石」


レイナが眉をひそめる。


「踏み潰されてただろ」


「……あ」


「火薬庫に火を投げたようなもんだ」


レイナがハッと目を見開く。


「それって……粉塵爆発……!?」


「そうだ。戦うほど不利になる空間か。悪くないプロットだな」


エリックがそう呟いた、その時だった。


「――だ、誰かッ! 助けてくれ!!」


エリックとレイナが顔を見合わせる。


通路の奥、爆発が起きたさらに先から、悲痛な叫び声が響いてきた。


先ほどの粉塵爆発の凄まじい衝撃によって、ダンジョンの岩盤が崩落したのだ。

大量の土砂と巨岩が通路を完全に塞ぎ、別のルートを歩いていた冒険者たちが土砂崩れに巻き込まれて生き埋めになっていた。


「そんな……落盤!? エリック、これ……!」


レイナが岩へ駆け寄る。


押す。


斬る。


びくともしない。


「くそっ……!」


崩落の向こうから、かすかな悲鳴が聞こえた。


生存者はいる。


だが声は弱い。


時間がない。


レイナの顔色が変わる。


「まずい……」


エリックも頷いた。


「ああ」


珍しく即答だった。


「医療班と救助隊が必要だ」


「待って!」


レイナが振り返る。


「お前はここに残れ!」


「ん?」


「私は門番のところへ行く!」


「分かった」


即答。


だがレイナは安心できない。


その顔を知っていた。


何かを思いついた時の顔だった。


「……絶対に余計なことするなよ?」


「善処する」


「信用できない!」


レイナは言うが早いか、今来た通路を猛スピードで引き返していった。


扉の前まで戻り、門番へ状況を伝えたレイナは、大急ぎで編成された救護隊と共に、息を切らせて現場へと引き返してきた。


道中、救護隊のメンバーが険しい表情で息を切らす。


「落盤で下敷きか……! 瓦礫の撤去には時間がかかるぞ! 重傷者をすぐ運ぶのは無理かもしれない、現場での処置も覚悟しろ!」


「エリック! 連れてきたわ――」


レイナが言いかけて止まる。


救護隊も止まる。


巨大な岩が浮いていた。


一つではない。


二つでもない。


通路を塞いでいた瓦礫の大半が、宙に浮かんだまま整然と並べられている。


その中心で。


エリックが杖を動かしていた。


「よいしょ」


巨大な岩が横へ移動する。


「よいしょ」


また一つ。


救護隊が固まる。


「……何をしている?」


門番が呟いた。


レイナは即答した。


「救助」


門番

「いや見れば分かる。そうじゃなくてだな……!」


レイナ

(……コイツか。エリックなら、やりかねない)


昨日、訓練場でゴーレムを玩具のようにハメ殺した男だ。一人で重機並みのレスキュー活動をするくらい、こいつにとっては「ついで」の作業なのだろう。


「レイナ、ちょうどいい。瓦礫が片付いたから、隙間を【防壁】の魔力で埋めて、ついでに壁と通路を綺麗に成形し直しておいてくれ。あ、もうやった」


エリックが淡々と杖を引くと、砕けた岩や土砂が【防壁】の魔力にガイドされるようにして壁の傷跡に吸い込まれ、一瞬で元通りどころか、崩れる前より滑らかで美しい石壁へとリフォームされた。


土埃一つ残っていない。


レイナは激しく痛む胃を押さえ、天を仰いだ。


「……はぁ。もう驚くだけ損だわ」


完全にツッコミを放棄したレイナをよそに、呆気に取られていた救護隊もようやく我に返り、エリックが完璧に救出・成形したクリーンな空間で、怪我人たちの治療に取りかかった。


「す、素晴らしい手際だ! すぐに治療を始めるぞ! 医療器具を広げろ!」


エリックは、自分が完璧に描き直した通路の奥へと視線を向けた。


「行くぞ。ネームの材料は揃った」


「……はいはい。行くよ、エリック」


二人は怪我人の治療に追われる救護隊と門番をその場に残し、エリックによって真っ白に美しく修復された通路の奥へ、再び歩き出した。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


ゴブリン相手に十六種類の魔法陣を準備した結果、粉塵爆発を防ぎ、落盤事故の救助まで始めることになりました。


エリックは強いというより、「面倒な事態を避けるためなら準備を惜しまない人」です。


なおレイナ視点だと、


・門前払い

・装備購入

・ダンジョン突入

・粉塵爆発

・落盤事故


を一日で経験しているため、胃痛が深刻化しています。


次回はいよいよダンジョン探索の続きです。


エリックが見つける「構図のおかしい壁」とは何なのか。


そしてレイナの胃は無事なのか。


引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。

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