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第七話(後編): 買い出し用の勝手口

今回の話は、いわゆる「世界の危機」と「生活の欲求」が真正面から衝突する回です。


本来なら魔王現象やダンジョン構造の解明が中心になるはずなのに、主人公の関心は一貫して「食料」「畑」「ドラゴン」という極めて個人的で具体的な生活設計に寄っています。


このズレこそが本作の軸であり、

“世界の重大事が、本人のスローライフ計画に吸収されていく”構造を描いています。


王女エリシアとの邂逅も、政治や軍事ではなく「術式の共有」と「生活インフラ整備」で成立してしまう点に注目してください。


世界は確かに動いているのに、中心にいる本人だけがずっと“生活の話”をしています。

数分後。


王都中央区画、噴水広場。


仕込みを終えたエリックは、ふんふんと鼻歌交じりに女神像を眺めていた。


暇だった。


実に暇だったが、動くなと言われている以上、ここで待つのが大人の義務というものだ。


そんなエリックの前に、突如として長い影が落ちた。


「……」


見上げると、そこには三人。


見るからに仕立ての良い、だが恐ろしく厳つい鎧を纏った男たちが直立不動で立っていた。王宮の紋章が刻まれたマントが風に揺れている。


周囲の一般市民や観光客が、何事かと怯えたように距離を取り始めていた。


エリックは首を傾げた。


「え? 俺?」


自分を指差す。


中央に立つ、一番体格のいい側近が冷や汗をにじませた真顔のまま、音を立てて深く一礼した。


「エリック殿とお見受けいたします。エリシア・ルミナス殿下の御命により、お迎えに上がりました」


「エリシア?」


誰だそれ、とエリックは思った。


王都の偉い人、とレイナは言っていたが、そんな大層な名前だっただろうか。


エリックの怪訝そうな顔を見て、側近は内心で冷や汗を流しながら、慌てて言葉を付け足した。


「レイナ様もお待ちです」


「ああ、レイナか」


エリックは納得した。


それなら話が早い。報告が終わって、自分を呼びに戻してくれたのだろう。


「分かった。じゃあ行くか」


「は、はい。ではこちらへ……」


側近たちは、まるで触れれば爆発する極大魔導具を運ぶかのような手つきで、エリックを中央に挟み、恭しく歩き出した。


何が重要なのか誰にも分からなかったが、とりあえず次の目的地は決まったようだった。


王都中央区画。


白銀の塔。


その最上階へ辿り着いた瞬間。


エリックは思わず足を止めた。


「おお……」


広い。


とにかく広かった。


壁一面を埋め尽くす本棚。


積み上がる書物。


机の上に山積みになった資料。


宙に浮かぶ光板。


見たこともない魔導器具。


巨大な地図。


巨大な水晶。


そして至る所に散らばる書類。


綺麗ではない。


だが不思議と乱雑にも見えなかった。


必要な物が必要な場所にある。


そんな空気だった。


「すごいな……」


思わず呟く。


側近達が少しだけ困った顔をした。


王国最高機密区画へ案内されて最初の感想としては微妙だった。


だがエリックは気にしない。


本棚へ視線を向ける。


魔導理論。


薬草学。


王国史。


魔物生態学。


鉱物学。


地理学。


建築学。


実に面白そうだった。


しばらく眺めているだけでも飽きない。


漫画家だった頃なら、丸一日ここに籠もれた気がする。


「ないな」


少し残念そうに呟く。


「何がですか?」


思わず側近が聞いてしまった。


「作物の育て方」


「はい?」


「山羊の飼い方」


「は?」


「ドラゴンの躾方」


沈黙。


側近達が固まる。


エリックだけが真剣だった。


どれも重要である。


非常に重要である。


特に最後。


そんな時だった。


「ドラゴンを飼う予定なのですか?」


静かな声。


エリックが振り向く。


そこにいた。


プラチナブロンドの髪。


透き通るような白い肌。


年齢は自分と大差ない。


だが。


その瞳だけが妙に深かった。


好奇心。


探究心。


知識欲。


そんなものが全部詰まっているような目だった。


少女は微笑む。


「初めまして」


「エリシア・ルミナスです」


少女は優雅に一礼した。


エリックも何となく頭を下げる。


「エリックだ」


短い挨拶だった。


だがエリシアは気にしない。


むしろ楽しそうだった。


視線が完全に獲物を見つけた研究者のそれである。


レイナが少し嫌な予感を覚えた。


そしてその予感は当たる。


「それで」


エリシアが一歩前へ出る。


「先程の魔法陣ですが」


「ああ」


即答だった。


「買い物用だ」


室内が静まる。


研究員達も静まる。


レイナだけは静かに目を閉じた。


予想通りだった。


「買い物用」


エリシアが復唱する。


「ええ」


「ドラゴンを運ぶ為の?」


「その予定だ」


研究員の一人が頭を抱えた。


国家最高機密級の転送術式。


用途。


ドラゴン輸送。


意味が分からない。


だがエリシアだけは楽しそうだった。


「何故金属を排除したのですか?」


「重いから」


即答だった。


「はい?」


「鎧とか剣とか要らないだろ」


エリックは当然のように言う。


「小麦と豆と鶏と山羊とドラゴン通れば十分だ」


「十分ではありません」


研究員が反射的に突っ込んだ。


エリックは首を傾げる。


何故だろう。


十分だと思う。


エリシアはさらに身を乗り出した。


「では、最後の隠蔽術式は?」


「ああ」


エリックが頷く。


「景観」


沈黙。


「景観?」


「広場に変な模様あったら邪魔だろ」


また沈黙。


研究員達が固まる。


エリシアだけが吹き出した。


「ふふっ」


肩が震えている。


「なるほど」


「そういう発想ですか」


完全に理解したらしい。


レイナは理解したくなかった。


エリシアは止まらない。


「固定術式はどこで学んだのですか?」


「独学」


「空間術式は?」


「独学」


「判別術式は?」


「独学」


「誰の理論です?」


「俺」


研究員達が青ざめた。


エリシアの目だけが輝く。


危険だった。


非常に危険だった。


同類を見つけた研究者の顔だった。


「素晴らしいです!」


「そうか?」


「ええ!」


二人の距離が一気に縮まる。


魔法陣。


術式構造。


魔力効率。


線の意味。


記号の意味。


話がどんどん加速していく。


研究員達が付いていけない。


レイナだけが遠い目をした。


やはりこうなった。


予想通りだった。


十分後。


「多重展開の干渉は?」


「ここ、レイヤー分離。背景とキャラを分ければバグらない」


「……空間の位相を階層化して並列処理しているのね。それなら逆流しないわ!」


研究員達がざわつく。


二十分後。


「結界の圧力による座標のブレは?」


「外側に余白を作ってる。枠線さえ決めれば中は動かない」


「相殺じゃない……枠外で圧力を消費しているのね!」


研究員達がメモを取り始める。


三十分後。


「この超速発動は?」


「作画コストの削減」


「……」


「無駄な線を減らせば速くなる」


エリシアが立ち上がる。


「極限の最適化……!」


研究員達が付いていけない。


「あなたは数百年積み上げた理論を」


「一行で説明したのね」


エリックは首を傾げる。


「いや漫画だけど」


研究員達が固まる。


エリシアだけが興奮している。


そして、


レイナだけが遠い目をした。


話しは、まだ続いてた。


ついにレイナが口を開く。


「エリシア王女」


「何かしら?」


「本来の目的を忘れております」


沈黙。


エリシアが固まる。


「あ」


本当に忘れていた。


研究員達が一斉に頷く。


やっと戻れる。


レイナは小さくため息を吐いた。


エリシアは名残惜しそうにエリックを見る。


「術式の話は後で続きをしましょう」


「別にいいぞ」


「ありがとうございます」


そして表情を切り替えた。


王女の顔になる。


「エリック」


「ん?」


「今回あなたを呼んだ本題です」


部屋の空気が変わる。


魔王現象。


ダンジョン発生。


異常植物。


知性化ゴブリン。


それら全てに繋がる問題。


エリシアは静かに告げた。


「私も調査へ同行する予定です」


エリックは首を傾げる。


「そうか」


反応が薄かった。


世界の危機より、


ドラゴンの方が気になっていた。


レイナはもう驚かなかった。


研究員達が困惑する。


魔王現象である。


国家規模の問題である。


もう少し驚いてもいいはずだった。


だがエリックは少し考え込み、


「あのさ」


と言った。


「何でしょう?」


エリシアが答える。


「森に畑作っていいのか?」


沈黙。


研究員達が固まる。


レイナが目を閉じた。


やはりこうなった。


「……畑ですか?」


「うん」


エリックは真面目だった。


「小麦植えたい」


「豆も」


「山羊も欲しい」


「あと鶏」


どんどん増えた。


研究員達が付いていけない。


エリシアだけが興味深そうに聞いている。


「何故です?」


「食うから」


即答だった。


「なるほど」


何故か納得された。


レイナは頭を抱えたくなった。


エリックは続ける。


「あとトマト」


「トマト?」


「今日売り切れてた」


本当に残念そうだった。


世界の危機より残念そうだった。


「レイナも好きそうだったし」


レイナが少し固まる。


予想外だった。


エリックは気付いていない。


本当に何も考えていない。


「まあ無いなら育てる」


「育てるのですか」


「畑あればな」


エリシアはしばらく考えた。


そして。


「問題ありません」


研究員達が振り向く。


「殿下?」


「スペルグルフの森の外縁部なら王国管理区域です」


エリシアは平然と言った。


「申請はこちらで処理します」


「おお」


エリックの目が少し輝く。


初めて興味を示した。


魔王現象ではなく畑に。


「本当か」


「ええ」


「山羊も?」


「ええ」


「鶏も?」


「ええ」


「ドラゴンも?」


研究員達が吹き出しかけた。


エリシアは少しだけ考え、


「小型飛竜なら問題ありません」


と答えた。


「よし」


エリックが満足そうに頷く。


レイナは悟った。


この少年。


魔王現象の調査協力を頼まれているはずなのに。


今の会話で一番喜んだのは畑の許可だった。


研究員達も同じ結論に至っていた。


誰も口には出さない。


出したくなかった。


そんな空気の中。


エリックがふと思い出したように口を開く。


「ああ」


「?」


「レイナ借りるぞ」


沈黙。


レイナが固まった。


「……は?」


「借りる」


「何故ですか」


「ギルド」


即答だった。


「登録したい」


研究員達が顔を見合わせる。


何の話だろう。


本当に何の話だろう。


エリックは真面目だった。


「金がない」


「……」


「働かないとドラゴン買えない」


理由は明確だった。


非常に明確だった。


レイナは頭を押さえた。


「待ってください」


「何だ」


「今は魔王現象の――」


「その前に生活基盤だろ」


断言だった。


エリシアが吹き出す。


「ふふっ」


肩が震えている。


完全に面白がっていた。


「確かに」


「確かに?」


研究員達が振り向く。


王女まで同調し始めた。


まずい。


非常にまずい。


エリシアは楽しそうに頷く。


「調査には資金も必要ですから」


「そうだ」


エリックも頷く。


話が通じた。


珍しく話が通じた。


レイナだけが納得していない。


「どうせ俺の管理するんだろ?」


エリックが聞く。


「ええ……まあ」


護衛兼監視兼案内役。


その予定である。


「なら一緒だな」


「そうなりますね……」


レイナは諦めた。


もはや今さらだった。


その時。


「ああ、そうだ」


エリックが立ち上がる。


「その前に」


「?」


「サイン入れてやる」


室内が静まった。


エリシアの目だけが輝く。


「サイン?」


「うん」


エリックは当然のように頷いた。


「通りたいだろ」


「通る?」


「魔法陣」


その瞬間。


研究員達の表情が変わる。


エリシアが立ち上がった。


「後から追加できるのですか?」


「できる」


即答。


研究員達が息を呑む。


後付け認証。


聞いたこともない。


「レイナ」


「はい?」


「手」


意味が分からなかった。


だが差し出す。


エリックはその手を取った。


さらさら。


指先が動く。


光の線が走る。


複雑な術式が一瞬だけ現れ――消える。


数秒。


それだけだった。


「終わり」


レイナが手を見る。


手の甲に小さな紋様が浮かんでいた。


「これは」


「通行証」


当然のように答える。


「お前必要だろ」


レイナが少し固まる。


森へ来る。


小屋へ来る。


だから必要。


エリックはそれ以上考えていない。


だがレイナは何も言わなかった。


「私も」


エリシアが即答した。


早かった。


研究員達が頭を抱える。


王女である。


少しは遠慮して欲しい。


「じゃあ手」


「はい」


嬉しそうだった。


本当に嬉しそうだった。


エリックは同じように指を走らせる。


光。


術式。


認証。


そして消失。


「終わり」


エリシアは自分の手の甲を見つめた。


そこには小さな紋様。


そして見慣れない文字。


「これは?」


「サイン」


「サイン?」


「俺の」


当然だった。


研究員達が沈黙する。


レイナも沈黙する。


エリシアだけが楽しそうだった。


「なるほど」


「術者認証ですか」


「無断利用防止だ」


エリックは頷く。


同じ意味のようで少し違った。


「よし」


満足そうに席を立つ。


「これで通れる」


研究員達は顔を見合わせた。


王国最高峰の研究施設。


国家最高機密会議。


その真っ最中。


今彼らの目の前で行われたのは。


世界最高峰の転送術式への入場登録だった。


その理由は。


ドラゴンを買った時に運ぶためである。


誰も頭が追いつかなかった。


「では」


エリックが立ち上がる。


「ギルド行ってくる」


研究員達が固まる。


魔王現象の会議が終わった直後の第一声がそれだった。


「ええ」


だがエリシアは微笑んだ。


「お気を付けて」


「ん」


エリックは軽く手を上げる。


そのまま扉へ向かう。


レイナも慌てて後を追った。


扉の前。


ふとエリックが振り返る。


エリシアは窓際に立っていた。


手の甲に刻まれた小さな紋様を眺めながら、どこか楽しそうに微笑んでいる。


「また後でな」


「ええ」


エリシアが頷く。


そして。


年相応の少女のように。


小さく手を振った。


「また後で」


エリックも何となく振り返す。


扉が閉まる。


静寂。


研究員達が呆然と立ち尽くす中。


エリシアだけが満足そうだった。


「面白いですね」


誰も否定できなかった。



王都白銀の塔。


長い螺旋階段。


その途中。


「レイナ」


「何」


「冒険者ギルドって儲かるか?」


レイナは目を閉じた。


やはりこの男。


魔王現象よりドラゴンの方が大事だった。


(続く)

今回はかなり重要な転換点でした。


・王都最高機密区画

・国家中枢の判断

・魔王現象という世界規模の問題


これらが一応提示されているにもかかわらず、すべてが「畑」「ドラゴン」「ギルド登録」に収束していく構造になっています。


特にエリックの「サイン=通行証」という発想は、

権威や制度ではなく“実用性だけで世界を再定義する”象徴的な行動です。


レイナとエリシアは常識側の人間ですが、その常識すらエリックの前では“最適化対象”になってしまっています。


今後のポイントは一つです。


世界の危機は本当に危機なのか、それとも生活の延長なのか


その境界が徐々に崩れていきます。


次回も、たぶん真面目な話にはなりません。

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