八話(前編):チーム名は人生のタイトル
今回の話は、いわゆる「冒険者ギルド編の導入」でありながら、実質的には“主人公の価値観が世界と正式に接続される回”です。
装備購入・ギルド登録・チーム編成という定番イベントを踏みながらも、中心にあるのは一貫して「スローライフのための合理性」であり、戦闘や名誉ではありません。
また、エリックの行動原理は一切ブレておらず、
・金がない → 借りる
・装備が必要 → 最低限で良い
・名前が必要 → 人生のタイトル
というように、全てが“生活設計”に変換されています。
本来なら緊張感が高まるはずのギルド登録が、むしろ「生活立ち上げ作業」に変質している点が本話の特徴です。
白銀の塔の一階。
その一角に、巨大な扉がある。
冒険者ギルド本部。
鉄と木を組み合わせた重厚な扉の上に、分かりやすい看板。
「登録・依頼受付はこちら」
エリックはそれを見て、納得したように頷いた。
「ここだな」
「そうだ」
レイナは短く答える。
すでに疲れていた。
一日で胃が三回くらい折れている感覚だった。
扉を開ける。
中は想像以上に騒がしかった。
酒場と事務所が混ざったような空間。
冒険者たちの笑い声、武具のぶつかる音、受付嬢の怒号。
その中心で、受付カウンターだけが妙に整然としている。
エリックは周囲を見回した。
「なるほど」
「何がだ」
「ここ、編集部みたいだな」
「は?」
レイナの返事は一拍遅れた。
エリックはカウンターを指差す。
「締切前の原稿みたいな空気してる」
「何を言っている」
レイナの理解は追いつかない。
だが冒険者たちは理解していないのに、なぜか威圧されていた。
エリックはそのまま受付へ歩く。
「登録したい」
受付嬢が一瞬固まる。
「……はい?」
「冒険者」
「……年齢確認と適性試験がありますが」
「問題ない」
即答だった。
後ろでレイナが小さくため息をつく。
(問題ないわけがない)
だがもう止める気力もない。
受付嬢は一応手続きを進める。
「ではこちらに名前を」
「エリック」
「……姓は?」
「ない」
少し間が空く。
ギルド内がざわつく。
「身元保証人は?」
受付嬢がレイナを見る。
レイナは一瞬だけ黙ったあと、
「……私だ」
と答えた。
さらにざわつく。
「レイナ・ヴェルクス。様……?」
「本人だ」
「は、はい……」
空気が一段階変わる。
エリックは気にしていない。
カウンターの木目を眺めている。
「試験は?」
「試験は危険を伴います」
「構わない」
即答だった。
受付嬢は困った顔をする。
「いえ、そういう意味ではなく……」
エリックを見る。
頭の先から足元まで。
もう一度見る。
やはり布服だった。
杖も無い。
剣も無い。
防具も無い。
冒険者が持つべき物が何一つ無い。
「その格好で試験は受けられません」
「そうなのか?」
「そうです」
即答だった。
「最低限の装備を整えてください」
「なるほど」
エリックは素直に頷く。
言われてみればそうかもしれない。
漫画でも初心者装備くらいはあった気がする。
「杖か」
「はい」
「服か」
「はい」
「高いか?」
受付嬢は少し考えた。
「安物なら銀貨数枚程度です」
その瞬間。
エリックの顔が曇った。
「……」
「どうしました?」
「持ってない」
「何をです?」
「金」
「……はい?」
「一枚もない」
受付嬢がゆっくりレイナを見る。
レイナも無言だった。
「レイナ」
「何ですか」
「金貸して」
レイナは数秒黙った。
「……無いの?」
「無い」
即答だった。
「まったく?」
「全く」
レイナが額を押さえる。
「はぁ……」
「何だ」
「いや」
少しだけ笑った。
「そうだとは思ってたけどさ」
「そうか」
「森で金使う場所無かったもんな」
「ああ」
当然だった。
レイナはもう一度ため息を吐く。
「で?」
「杖と服」
「ギルド登録か」
「そう」
少し考える。
そして観念したように肩を落とした。
「わかったよ」
「おお」
「貸してやる」
「助かる」
「その代わりちゃんと返せよ?」
「返す」
「絶対だからな」
「多分ドラゴン買う前に返す」
「そこは悩むな……」
レイナは受付カウンターから離れる。
「行くぞ」
「どこへ?」
「装備屋だ」
「おお」
少しだけエリックの声が弾んだ。
ギルド登録より先に必要な物があるらしい。
冒険者というのも意外と面倒だな、とエリックは思った。
レイナは思わない。
それ以前の問題である。
一文無しで登録に来る方が面倒だった。
白銀の塔から少し離れた商業区画。
王都でも有名な冒険者向けの道具屋。
武器、防具、杖、魔導具。
店内。
壁一面に杖が並んでいる。
初心者用。
上級者用。
火属性特化.
魔力増幅型。
値札も様々だった。
店主が一本差し出す。
「初心者ならこの辺だな」
エリックが受け取る。
眺める。
振る。
戻す。
「違う」
「何がだ」
レイナが聞く。
「なんか違う」
店主が別の杖を持ってくる。
「ならこっちは?」
受け取る。
眺める。
振る。
戻す。
「違う」
「だから何がだ」
「バランス」
「バランス?」
「描きにくい」
沈黙。
店主とレイナが顔を見合わせる。
意味が分からなかった。
三本目。
四本目。
五本目。
全部却下。
店主も困り始める。
「兄ちゃん何が欲しいんだ?」
「んー」
エリックは杖の棚を見回す。
そして。
隅に置かれていた一本を手に取った。
細い。
やたら細い。
杖というより棒に近い。
先端だけ金属製。
「これ」
レイナが見る。
安物だった。
魔力増幅もほぼ無い。
装飾も無い。
冒険者人気も無い。
「それでいいの?」
「いい」
エリックは何度か握り直す。
そして満足そうに頷いた。
「Gペンに似てる」
「ジーペン?」
店主が首を傾げる。
レイナも分からない。
「漫画描く道具」
「漫画?」
「書きやすいんだよ」
当然のように言う。
「漫画家なら一度は使ってみたいだろ」
誰も分からなかった。
エリックだけが納得していた。
杖の性能。
魔力効率。
希少価値。
全部どうでもいい。
重要なのは。
魔法陣が描きやすいかどうかだった。
「じゃあ次は服だな」
「まだあるのか」
「ある」
「杖で終わりじゃないのか」
「終わるわけないだろ」
レイナは即答した。
冒険者とは案外金が掛かる生き物らしい。
エリックは少しだけ難しい顔をした。
服も買った。
杖も買った。
財布の中身は全部レイナの金だった。
「返せよ?」
「返す」
「本当に?」
「多分」
「不安しかない」
その後。
屋台で夕食を食べた。
串焼き。
パン。
よく分からないスープ。
王都の飯は高かったが、美味かった。
少なくとも森よりは選択肢が多い。
レイナは串焼きをモグモグと噛みながら、ふと思った。
(美味いけど……あの森でエリックが作った鍋の方が美味しかったな)
王都の有名屋台の濃い味付けも十分に美味いのだが、なぜかあの時エリックが淡々と出してきた鍋の、絶妙な出汁の旨味が頭をよぎる。
意外にも彼の手料理の方が上だったのではないかと思い至り、レイナはなぜか無性に悔しくなってふいっと横を向いた。
「何よ」
エリックが不思議そうにこちらを見ている。
「なんでもないわよ。ほら、早く食べちゃいなさい。次は山羊と鶏を飼って、畑も作るんでしょ」
「ああ。ドラゴンもな」
落ちる。
王都の灯りが一斉に点き始める。
魔導灯が街を照らす。
石畳に反射する光。
噴水の水面が淡く輝く。
「綺麗だな」
エリックが素直に言った。
レイナは少しだけ黙る。
「……そうだな」
珍しく同意した。
その夜。
レイナの部屋。
白銀の塔中層。
簡素だが機能的な部屋。
「ここで寝るのか?」
「一晩だけだ」
「ふーん」
エリックは特に気にしない。
窓の外。
王都の夜景。
魔導灯の光が街全体に広がる。
その頂上が月光に溶けている。
エリックは窓辺に立つ。
「これ、背景に使えるな」
「……またそれか」
レイナは小さくため息をついた。
「明日は朝一番でギルド登録に行くわよ。装備も揃ったんだし、今度こそ門前払いはナシね」
「ああ。ガッツリ稼いで、早く山羊とドラゴンを買う。畑の開拓も待ったなしだ」
「だから、まずは私への借金返済が先!」
ベッドへ倒れ込む。
まずは金を稼ぐ。
畑も作る。
トマトも育てる。
ドラゴンも欲しい。
魔王現象はその後だ。
「順番が逆だろ……」
レイナの呆れた声を最後に。
エリックはあっさり眠りへ落ちた。
こうして、エリックの王都での慌ただしくも奇妙な最初の1日が、静かに更けていった。
翌朝。
白銀の塔の一階、昨夜門前払いを食らったあの巨大な扉の前に、二人は再び立っていた。
昨夜買った黒い無地の布服に、ペン先のような細い安物の杖。
最低限の装備だけを整えたエリックは、扉へ手をかける直前、ふと足を止めてレイナを振り返った。
「で」
エリックは言った。
「チーム名どうする?」
レイナは即答できなかった。
昨日あれだけ胃を痛め、一文無しのエリックに装備を買い与え、朝一番でようやく手続きにこぎつけたのだ。思考の切り替えが追いつかない。
「チーム?」
「ギルド登録するだろ」
「……するが。まずは個人の登録だ。チームを組むのはその後でもいいだろ」
しかし、エリックは至って真面目な顔で首を振った。
「名前は重要だ」
「どこがだ。ただの識別用の名義だぞ」
「タイトルだぞ」
「何の」
「人生の」
沈黙。
開けようとした扉の前で、レイナは額を押さえた。
また始まった、と胃が小さく悲鳴を上げる。昨夜の「編集部」に続き、この男の判断基準は常に自分の理解の及ばないところにある。
「……あんた、まさかもう考えてあるの?」
レイナの恐る恐るの問いかけに、エリックは淀みなく頷いた。
その頃、まだ誰も知らない。
彼らがこれからギルドの受付で申請するそのチーム名が、後に王都で最も問題視され、数々の物議を醸す名称になることを。
今回の核心は「杖選び」と「チーム名」です。
杖の選定が魔力効率や戦闘力ではなく、“描きやすさ(作画コスト)”で決定されている点は、この世界における魔法体系の根本的なズレを象徴しています。
さらに重要なのは、ギルド登録という社会制度の入口で、すでに「畑」「山羊」「ドラゴン」という生活優先ワードが並列で扱われている点です。
通常であれば魔王討伐やランク上昇が目的になる場面ですが、この作品では逆に「生活の方が上位概念」として機能しています。
そして最後のチーム名提示。
ここは単なるギャグではなく、今後の物語全体に影響する“タグ付け”の瞬間です。
この名前が世界に認識されることで、エリックたちの存在は「個人」から「現象」に変わっていきます。




