幕間 海の上で覚えた英語、横浜で覚えた英語
幕末から明治にかけて、日本には英語を身につけ、外国人と日本人をつなぐ役割を果たした人々がいた。
その一人が、ジョン万次郎である。
万次郎は、土佐の漁師の家に生まれた。
十四歳のとき、漁に出て遭難し、仲間たちとともに鳥島へ漂着する。
そこでアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助された。
船長のウィリアム・ホイットフィールドは、万次郎を気に入り、アメリカへ連れて行くことを決めた。
当初、万次郎と乗組員たちは、互いの言葉が分からなかった。
身振りや手振りを交えながら、少しずつ意思を伝える。
やがて万次郎は、船長とともにアメリカへ渡り、マサチューセッツ州フェアヘーブンで暮らすことになった。
そこで彼を待っていたのは、学校で学ぶ機会だった。
ホイットフィールド船長の保護を受けながら、万次郎は英語だけでなく、読み書き、数学、測量、航海術、造船技術などを学んだ。
船の上で異国の言葉と生活に触れ、アメリカでは学校教育を受ける。
万次郎は、こうして知識と技術を身につけていった。
一方、伊藤鶴吉の道のりは違っていた。
三浦半島の菊名村に生まれ、家族とともに横浜へ移った鶴吉。
母と三人の妹たちがいる。
働きながら暮らしを支え、外国人と接するなかで英語を覚えていったと考えられる。
鶴吉の学校歴については、今のところ詳しいことは分かっていない。
けれど、外国人の言葉を聞き、意味を尋ね、手帳に書き留め、実際に使ってみる。
その積み重ねが、彼の英語を育てていった。
二人の学び方は違う。
ジョン万次郎は、異国の船に救われ、船長の支援を受けてアメリカで学んだ。
伊藤鶴吉は、横浜の町で働きながら、日々の仕事と人との交流のなかで言葉を身につけていった。
どちらが優れているという話ではない。
二人には、それぞれの境遇があり、それぞれの道があった。
そして、二人に共通していることがある。
覚えた言葉を、実際に人と話すために使ったことだ。
英語は、単語を暗記するだけでは身につかない。
相手の言葉を聞き、意味を考え、自分の言葉で返す。
通じた喜びを知り、通じなかった悔しさから、また学ぶ。
その繰り返しが、人と人との間に橋を架けていく。
ジョン万次郎も、伊藤鶴吉も、そうした橋を架けた人々だった。
一人は海の上から、もう一人は横浜の町から。
異なる道を歩みながら、二人は日本と世界をつなぐ存在になっていったのである。




