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『十八歳の通訳、明治を歩く―伊藤鶴吉とイザベラ・バードの旅日記』  作者: C・T・ITOU


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第十七話 日光 ― 東照宮と、大豆の不思議



 日光の山々は、深い緑に包まれていた。


杉並木の間を歩いていると、空気まで変わったように感じる。


高く伸びた杉の木々は、道の両側に立ち並び、まるで二人を奥へ奥へと導いているようだった。


「この木々は、ずいぶん古いのでしょうね」


イザベラ・バードが、頭上を見上げた。


「はい。日光は、山そのものが神聖な場所とされてきました。昔から、山や木を敬う習わしがございます」


「日本の人々は、自然の中に神を感じるのですね」


「そうですね。山にも、川にも、木にも、神さまがいらっしゃると考える者もおります」


やがて、二人は東照宮へとたどり着いた。


そこには、これまで見てきた寺社とは違う、華やかな世界が広がっていた。


色鮮やかな彫刻。


金色に輝く装飾。


柱や門に施された細かな細工。


バードは足を止めた。


「まあ……!」


その目は、建物の細部を追っていた。


「これほど多くの装飾を、一つ一つ手作業で施したのですか?」


「はい。徳川家康公をお祀りする場所ですから」


鶴吉は、東照宮の由来を説明した。


徳川家康は、江戸幕府を開いた人物である。


亡くなった後、この日光の地に祀られた。


江戸幕府にとって、ここは特別な場所だった。


「この門は、陽明門と申します」


鶴吉が説明すると、バードは門を見上げた。


「どこを見ても、彫刻がありますね。人も、動物も、植物も……」


「一日中見ていても飽きないことから、日暮の門とも呼ばれるそうです」


「なるほど。それほど見事だということですね」


バードは、門の細部をじっと見つめた。


さらに、眠り猫や三猿の彫刻にも目を向ける。


「この猫は眠っているのですか?」


「はい。眠り猫と呼ばれています」


「猫の向こうには、雀がいるのですね」


「ええ。猫が眠っているので、雀も安心していられる。そういう意味があるともいわれます」


「小さな彫刻にも、物語があるのですね」


バードは、そう言って微笑んだ。


東照宮を見学したあと、鶴吉はバードを日光の町へ案内した。


「この辺りには、湯波を使った料理がございます」


「ユバ?」


バードは聞き慣れない言葉を繰り返した。


「大豆から作る食べ物です。豆腐はご存じでしょう?」


「ええ。日本で何度かいただきました」


「湯波は、豆腐とは少し違います」


鶴吉は、近くで湯波を作っているところを見せてもらえないか、店の者に尋ねた。


幸い、職人は快く二人を迎えてくれた。


店の奥には、大きな鍋があった。


その中には、白い豆乳が入っている。


職人は、火加減を見ながら、豆乳を静かに温めていた。


しばらくすると、表面に薄い膜ができ始めた。


「これは……?」


バードが身を乗り出した。


職人は、細い道具を使って膜の端をそっとすくい上げた。


薄い膜が、ゆっくりと持ち上がる。


破れないように、慎重に引き上げる。


その膜を広げ、形を整えていく。


バードは、目を丸くした。


「まあ! これは豆乳の表面なのですか?」


「はい。温めた豆乳の表面にできる膜を、こうして引き上げるのです」


鶴吉が説明した。


「これが湯波です」


「豆乳の表面から、食べ物ができるのですね!」


バードは、鍋と職人の手元を交互に見た。


「豆腐を作るだけでも不思議だと思っていましたのに、その途中で、別の食べ物まで作ってしまうのですか」


「はい。日本では、こうして湯波を作ります」


職人は、次の膜をすくい上げていた。


バードは、しばらくその作業を見つめていた。


「では、湯波を取ったあとの豆乳は、どうなるのですか?」


「まだ使えます。にがりを加えれば、豆腐になります」


「まあ!」


バードは、また驚いた。


鶴吉は、職人に尋ねた。


すると、できたばかりの柔らかな豆腐を、少し味見させてもらえることになった。


型に入れて水を切る前の、ふんわりとした豆腐だった。


「こちらは、寄せ豆腐に近いものです」


鶴吉が説明した。


バードは匙で少しすくい、口に運んだ。


「柔らかいですね。普通の豆腐とは、食感が違います」


「できたてですから」


「大豆から、こんなものまで作れるのですね」


鶴吉は、さらに説明を続けた。


「豆腐を揚げれば、厚揚げになります。豆腐に野菜などを混ぜて丸め、揚げたものは、がんもどきと申します」


「同じ豆腐から、また違う料理ができるのですか?」


「はい」


「日本の人々は、大豆がお好きなのですね」


「そうかもしれません」


鶴吉は笑った。


「それだけではありません。大豆をすりつぶして豆乳を作るとき、豆乳と一緒に、おからというものもできます」


「おから?」


「豆乳をこしたあとに残るものです」


「それは捨ててしまうのですか?」


「いいえ。おからも料理に使います。野菜などと一緒に煮るのです」


バードは、少し考えるように鍋を見た。


「豆乳から湯波を作り、残った豆乳から豆腐を作る。そして、豆腐を揚げたり、野菜を混ぜたりする。さらに、豆乳をこした残りまで料理にするのですね」


「はい」


「一つの豆から、これほど多くの食べ物ができるとは!」


バードは、感心したように首を振った。


「日本の料理には、工夫がたくさんあるのですね」


「食べられるものを、わざわざ捨てることはありませんから」


鶴吉は、そう答えた。


その日の食事には、湯波の料理が並んだ。


薄く引き上げた湯波を使った料理。


煮含めた湯波。


そして、柔らかな豆腐。


バードは、湯波を一口食べた。


「これは、豆腐とはまったく違いますね」


「そうでしょう。口当たりも違います」


「同じ大豆から作られたとは思えません」


「作り方を変えると、味も食感も変わるのです」


バードは、もう一口、湯波を口に運んだ。


日光の山々と、東照宮の華やかな彫刻。


そして、豆乳の表面から生まれる不思議な食べ物。


今日もまた、日本には知らないものがたくさんある。


バードは、旅の手帳を取り出した。


目の前で見たものを、忘れないように書き留める。


鶴吉は、その様子を見ながら思った。


日本人にとっては、当たり前の食べ物でも、外国から来た人には驚きになる。


通訳とは、言葉を置き換えるだけではない。


自分たちが暮らしている国のことを、相手に伝える仕事でもあるのだ。


日光の山には、夕方の光が差し始めていた。

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