幕間 明治の医者 ― 変わりゆく医師の世界
幕間 明治の医者 ― 変わりゆく医師の世界
明治十一年。
日本の医療は、大きな変化の途中にあった。
江戸時代まで、日本の医者の多くは、漢方医学を学んでいた。
漢方医学とは、中国から伝わった医学をもとに、日本で発展してきた伝統的な医学である。
脈を診る。
舌や顔色を観察する。
腹に触れて、身体の具合を確かめる。
そして、患者の症状に応じて、生薬を組み合わせて薬を調合する。
町や村には、こうした医者がいた。
患者の家まで出向いて診察する往診も行われていた。
ところが、明治になると、政府は医療制度を大きく変え始める。
明治七年(一八七四年)、政府は「医制」を公布した。
新しい医師制度では、西洋医学を基準とする教育や試験が重視されるようになった。
しかし、長年にわたって医者を続けてきた人々を、すぐに全員廃業させるわけにはいかない。
そこで、従来から医業を営んでいた医師には、一定の経過措置が設けられた。
つまり、昔からの医者と、新しい制度のもとで医学を学ぶ医者が、同じ時代に存在していたのである。
明治七年の全国統計を見ると、医師のうち、漢方医学を中心とする医師は約二万三千人。西洋医学を中心とする医師は約五千人だった。
およそ八割が、従来の医学を学んだ医師だったことになる。
もちろん、これは全国の数字であり、明治十一年の特定の村や宿場の医師の割合を示すものではない。
また、漢方医学と西洋医学を併せて学んだ医師もいた。
当時の医療は、単純に二つに分けられるものではなかったのだ。
そして、ここで一つ、気をつけたいことがある。
当時の西洋医学を学んだ医師を、すべて「蘭方医」と呼ぶのは正確ではない。
蘭方医学とは、江戸時代にオランダ語を通じて伝えられた西洋医学を指す言葉である。
明治時代には、医学の学び方も変わり、政府はドイツ医学を重視するようになっていった。
だから、この時代の医師を説明するなら、「漢方医」と「西洋医学を学んだ医師」と呼ぶ方が分かりやすい。
医師の制度が変わっても、病気になる人がいなくなるわけではない。
遠くに病院があれば、患者を運ぶのも大変だった。
だからこそ、村や宿場にいる医師の存在は、人々にとって大切だった。
新しい医学を学ぶ者。
昔からの医学を守る者。
二つの知識を取り入れながら、患者を診る者。
明治十一年の日本には、そうした医師たちが共に暮らしていた。
制度は変わる。
医学も変わる。
けれど、目の前で苦しんでいる人を助けたいという思いは、昔も今も変わらない。
それが、明治という時代の医療だったのである。




