第二次宇宙開発時代
第5話 第二次宇宙開発時代
世界は、未来へ向かっているように見えた。
月面都市の拡張。
火星の大規模開拓。
小惑星資源産業への巨額投資。
新型宇宙港の建設。
軌道上工場の増設。
各国政府は、それらをまとめて「第二次宇宙開発時代」と呼んだ。
発表された映像では、月の地平線に巨大なドーム都市が輝き、火星の赤い大地を無人採掘車が走り、地球軌道上では何十もの大型宇宙船が行き交っていた。
人類は、再び宇宙へ飛び出す。
そんな明るい言葉が、世界中のニュース番組を飾った。
株式市場では宇宙関連企業の価格が急騰した。
大学では航空宇宙工学や惑星生態学を志望する若者が増えた。
小学校では、将来なりたい職業として「月面建築士」や「火星農業技師」と書く子どもたちが現れた。
誰もが、未来が広がっていると信じていた。
だが、その未来には、期限があった。
七十年。
そして、人類が安定して建造に使える時間は、おそらく五十年ほどしかない。
第二次宇宙開発時代とは、繁栄のための計画ではなかった。
太陽系から逃げ出すための、巨大な避難準備だった。
◇
2250年5月2日。
国際連合地球圏評議会の中央会見場には、世界各地から集まった報道陣が詰めかけていた。
壇上には、各国の宇宙開発担当者と、国際宇宙産業機構の代表が並んでいる。
背後の巨大スクリーンには、青い地球と月、火星、小惑星帯を結ぶ光の線が描かれていた。
エレナ・ヴァルガス議長は、穏やかな表情を作って演壇に立った。
「本日、我々は、人類の次なる発展段階となる『第二次宇宙開発時代構想』を正式に発表します」
会場に拍手が起こる。
「この計画は、地球圏の産業基盤を月、火星、小惑星帯へ拡張し、人類文明をより強く、持続可能なものへ発展させるためのものです」
持続可能。
その言葉を聞いた一部の関係者は、胸の奥に鈍い痛みを覚えた。
本当の意味では、現在の地球文明は持続できない。
だからこそ、別の恒星系へ持ち出そうとしている。
「計画期間は五十年」
エレナは続ける。
「月面での重工業生産能力を現在の十倍へ。火星の閉鎖農業施設を二十倍へ。小惑星資源の年間採掘量を四十倍へ拡大します」
記者たちが一斉に端末へ入力する。
「さらに、深宇宙航行に対応した次世代推進機関の開発を開始します」
会場がざわめいた。
これまでの発表にはなかった項目だった。
「目的は何ですか」
最前列の記者が尋ねる。
「太陽系外探査ですか」
「将来的には、その可能性も視野に入れています」
エレナは答えた。
「有人ですか」
「現段階では研究開発です」
「なぜ今なのですか」
その声は、会場の中央付近から上がった。
黒髪を短く切った女性記者が立っていた。
名前は、レア・モーガン。
地球圏報道ネットワークの調査報道部に所属する三十六歳の記者だった。
彼女は端末を持たず、小さな紙のノートだけを手にしていた。
「この二年間、各国政府は宇宙開発予算を少しずつ削減していました。しかし、この数週間で方針が完全に反転しています」
エレナは表情を変えなかった。
「国際情勢と技術進歩を総合的に判断した結果です」
「数週間で、ですか」
「大規模計画には機会を逃さない判断も必要です」
「では伺います」
レアはノートを開いた。
「なぜ地球気候安定化基金から、月面重工業へ予算が移されているのでしょうか」
会場が静かになった。
「地球環境を守るための予算が、宇宙船建造用と思われる高密度合金工場へ流れています」
「地球圏全体の持続可能性を高めるためです」
「なぜ深宇宙用の放射線防護材を、これほど大量に発注しているのですか」
「将来の航行安全のためです」
「なぜ閉鎖生態系施設が、人口二十万人規模で設計されているのですか」
壇上の一人が、わずかに顔を動かした。
レアは見逃さなかった。
「火星都市用と説明されていますが、設計図には地表環境との物質交換がありません。完全独立型です」
「研究施設の仕様については回答できません」
「なぜですか」
「国家安全保障と企業機密に関わります」
「月面農業の話で、国家安全保障ですか」
会場のあちこちで、記者たちが顔を見合わせた。
レアはさらに続ける。
「もう一つ。過去三週間で、世界中の種子保存庫、動物園、水族館、微生物研究所に対し、保存資料の総点検命令が出ています」
エレナの視線が、ほんの一瞬だけ細くなった。
「それらは宇宙開発とは無関係です」
「本当に?」
「本日の会見は、第二次宇宙開発時代構想に関するものです」
「だから聞いているんです」
レアは壇上をまっすぐ見た。
「あなた方は、何を宇宙へ持ち出そうとしているのですか」
沈黙。
一秒にも満たない間だった。
だが、映像を見ていた何百万人もの視聴者にとって、その沈黙は不自然なほど長く感じられた。
エレナは答えた。
「人類の可能性です」
「それだけですか」
「それだけです」
レアは座らなかった。
「では最後に」
会場係員が制止しようと近づく。
それでも彼女は問いかけた。
「何かから逃げようとしているのではありませんか」
会場が完全に静まり返った。
エレナは、数秒間レアを見つめた。
「次の質問を」
司会者が告げた。
レアの質問は、そこで打ち切られた。
◇
会見終了から二時間後。
エレナは地下会議室で映像を見直していた。
向かいには、情報統制部門、各国政府の安全保障担当者、方舟計画の責任者たちが並んでいる。
スクリーンには、レアの最後の質問が停止された状態で映っていた。
何かから逃げようとしているのではありませんか。
「彼女はどこまで知っている」
エレナが尋ねた。
「核心には届いていません」
情報統制局長が答えた。
「しかし、予算移動、資材発注、生物資料の点検命令を結びつけています」
「情報源は」
「複数です。月面工業省、農業遺伝資源機構、民間企業の調達部門」
「漏洩者がいるのか」
「計画全体を知っている人物ではありません。それぞれが、自分の持ち場で不自然さを感じている」
エルマン博士が静かに言った。
「当然だ」
「何がです」
「人類史上最大の工業計画を、誰にも気づかれず進められると思う方がおかしい」
安全保障担当者が不快そうに顔を向ける。
「では、博士は公表すべきだと?」
「私は最初からそう言っている」
「今公表すれば、計画は崩壊します」
「隠したままでも、いずれ崩壊する」
エレナは二人を制した。
「レア・モーガンへの対応は」
「監視を強化します」
「拘束は」
「現時点では逆効果です」
「妨害は」
「報道機関への圧力は可能です。ただし、本人は独立配信網も持っています」
エレナは黙って考えた。
記者を止めれば、何かを隠していると証明することになる。
自由に調べさせれば、いずれ真実へ近づく。
「接触しないでください」
エレナは言った。
「ただし、彼女が接触した人物と資料はすべて記録する」
「了解しました」
エレナは停止映像の中のレアを見た。
まっすぐな目だった。
その目に悪意はない。
真実を知ろうとしているだけだ。
それが今、人類生存計画にとって最大の脅威になろうとしていた。
◇
レア・モーガンは、会見場を出るとすぐに編集部へ戻った。
机の上には、数十件の資料が並んでいる。
月面鋼材の発注記録。
火星閉鎖農場の設計概要。
大量の放射線遮蔽材。
人工重力研究への突然の巨額投資。
凍結細胞保存装置の世界同時増産。
深宇宙通信中継器。
数百年単位の耐久性を想定した電子記録媒体。
一つ一つなら説明はつく。
だが、すべてを並べると、別の形が見えてくる。
誰かが、巨大な何かを造ろうとしている。
それも、一時的な探査ではない。
長期間、外部との補給なしで生き続けるもの。
都市。
あるいは、世界。
「何を造ってるの」
レアは壁面に資料を貼り付けた。
編集長のナディーム・クロウが、コーヒーを手に近づいてきた。
「宇宙ホテルじゃないことだけは確かだな」
「人口二十万人のホテルなら、ちょっと見てみたいけど」
「記事にするのか」
「まだ無理。証拠が足りない」
「政府の説明は」
「説明になってない」
「予算の再編だけなら、長期宇宙開発でも通る」
「だから、種子と動物細胞が引っかかる」
レアは一枚の資料を指した。
「世界中の保存庫が同じ週に点検を始めてる。絶滅危惧種だけじゃない。食用作物、土壌菌、腸内細菌、海洋プランクトンまで」
「巨大な生物データベースか」
「保存先は月面と軌道上」
「地球に置かない理由は」
「地球では駄目だから」
ナディームは笑わなかった。
「その言い方、あまり好きじゃないな」
「私も」
レアは別の資料を開いた。
宇宙推進技術開発庁が、新設した極秘入札。
計画名は《オデュッセウス》。
目的は、既存推進方式の限界を超える長時間加速型エンジン。
「これを追う」
「危険だぞ」
「今さら?」
「今回は違う」
ナディームは声を落とした。
「軍事機密より深い。政府だけじゃない。月も火星も同じ方向を向いている」
「だから追うの」
「世界全部が同じ嘘をついているなら、君一人で何ができる」
レアは資料から目を上げた。
「一人じゃない」
「誰がいる」
「まだ、誰もいない」
「それを一人って言うんだ」
レアは少し笑った。
「じゃあ、最初の一人になる」
◇
同じ頃。
月の裏側。
外部からの通信が厳しく制限された地下研究施設で、新型エンジンの開発会議が始まっていた。
施設名は、ルナ・ディープスペース推進研究所。
会議室中央には、これまで人類が建造してきた主要宇宙船の性能一覧が表示されている。
化学燃料ロケット。
核熱推進船。
核電気推進船。
核融合パルス船。
レーザー帆探査機。
反物質触媒試験機。
各方式の最高速度、加速度、推進効率、燃料量、船体質量が並ぶ。
方舟推進部門主任、ユン・ハンスは、腕を組んだまま数字を見つめていた。
「まず、逃げ切るという言葉を定義する」
会議に集まった研究者たちは沈黙した。
「ノクスの通過時、どこにいれば安全なのか。それが分からなければ、必要速度も決められない」
軌道力学者のサミラ・ハディドが立ち上がった。
「太陽から離れればいい、という話ではありません」
立体映像に、太陽系が表示される。
赤い軌道でノクスが接近する。
「ノクスは太陽から〇・二天文単位を通過する可能性が高い。通過時、太陽系全体の重心は大きく変化します」
「方舟が海王星軌道より外にいれば」
「不十分です」
サミラは答えた。
「ノクスの重力は外縁部でも無視できません。さらに、カイパーベルトとオールト雲から大量の天体が放出されます」
「どこまで行けばいい」
「最低でも太陽から数百天文単位」
「それで安全なのか」
「通過方向と速度によります。太陽系の進行方向に逃げれば、ノクスと接近する可能性がある。逆方向なら、放出された天体群に巻き込まれる」
画面に複数の脱出航路が描かれる。
上方。
下方。
銀河面に対して垂直方向。
「最も被害が少ないと考えられるのは、太陽系の惑星公転面から大きく離れる方向です」
「黄道面垂直脱出」
「はい。隕石群の密度を下げられます」
「必要な距離は」
「最接近時までに、少なくとも千天文単位」
会議室の何人かが顔を上げた。
千天文単位。
光の速度でも約六日。
現在の有人宇宙船なら、何百年もかかる。
「七十年以内に?」
「正確には、最接近の十年以上前には危険域を出たい」
ユンが言った。
「つまり、使える時間は約六十年」
「建造期間を除けば、航行時間は十年から十五年程度になる可能性があります」
「千天文単位を十五年」
推進技術者が端末を操作する。
「平均速度、秒速約三百十六キロ」
「最低値です」
サミラは言った。
「加速時間、減速、航路修正、重力攪乱の回避を考えれば、巡航速度は秒速五百キロ以上が必要です」
別の研究者が続けた。
「それでは、ただ危険域を抜けるだけです。恒星間移住を考えるなら、さらに速くなければならない」
画面に、最寄りの恒星系が表示される。
四・二光年。
現在の最高性能の有人核融合船。
最高速度、光速の〇・〇六パーセント。
到達まで約七千年。
「七千年の世代船は維持できない」
閉鎖生態系担当者が言った。
「五百年でも厳しい」
「では必要速度は」
「光速の一パーセントなら、約四百年以上」
「二パーセントなら二百年」
「五パーセントなら八十年」
数字が並ぶ。
人類史上、物質を光速の数パーセントまで加速した有人船は存在しない。
無人探査機ですら、そこへ到達していなかった。
「方舟は何トンだ」
エンジン設計者が尋ねる。
ユンが答えた。
「初期案では、一隻あたり三十億トン」
会議室が静かになった。
「三十億トンを光速の一パーセント?」
「そうだ」
「エネルギー量を理解しているか」
「理解しているから、ここに集めた」
スクリーンに計算結果が出る。
必要な運動エネルギー。
推進効率。
廃熱。
放射線。
燃料質量。
既存技術の延長では、どれも現実から桁がいくつも離れていた。
「核融合では足りない」
「反物質は生産量が足りない」
「レーザー帆は船体が重すぎる」
「ワープ理論は数学上の仮説で、負のエネルギー密度を作れない」
「核パルスは船内への衝撃が大きすぎる」
否定的な言葉が続いた。
やがて、一人の若い推進物理学者が手を挙げた。
名前は、イーライ・チェン。
三十一歳。
重力場制御と核融合推進の境界領域を研究していた。
「一つの方式に限定する必要はないのでは」
ユンが彼を見る。
「続けて」
「最初から光速の数パーセントを目指すと、どの方式も破綻します」
「では」
「段階推進です」
イーライは立体図を出した。
「建造地点からの離脱には、月面と軌道上の巨大電磁加速設備を使う。船体自身の燃料を使わず、初速を与える」
第一段階。
軌道上レール加速器。
「次に、太陽系内ではレーザー網と粒子ビームを利用して外部から加速する」
第二段階。
太陽軌道発電網によるビーム推進。
「危険域を離れた後、核融合パルスエンジンへ切り替える」
第三段階。
長期核融合推進。
「さらに、希少な反物質は主燃料ではなく、核融合点火触媒として使う」
第四段階。
反物質触媒核融合。
「理論上の到達速度は」
「船体質量と燃料比によりますが、光速の〇・八から一・五パーセント」
「目標に足りない」
「第一世代エンジンとしては」
イーライは答えた。
「逃げるには足ります」
その言葉で、部屋が静かになった。
恒星へ短期間で到達するには足りない。
だが、ノクスの重力圏と崩壊する太陽系から逃げ出すには、可能性がある。
「エンジン名は」
誰かが尋ねた。
イーライは首を振った。
「まだ概念です」
ユンは立体映像を見つめた。
複数の推進方式を接続した、長大な方舟。
地球文明の既存技術をすべて積み上げ、それでも足りない部分だけを新技術で埋める。
「オデュッセウス・ドライブ」
ユンが言った。
「何です?」
「計画名だ」
彼は会議室を見回した。
「一つの奇跡に賭けるのはやめる。人類が持っているすべての推進技術をつなぐ」
画面上に文字が表示された。
ODYSSEUS HYBRID DRIVE SYSTEM。
「目標巡航速度、光速の一パーセント」
「開発期間は」
「十五年」
「無理です」
「方舟一隻目の建造開始までに試験機を完成させる」
「十五年では」
「七十年しかない」
ユンの声には、怒鳴るような強さはなかった。
それでも誰も反論できなかった。
「我々は、これまでの宇宙船を少し速くするのではない」
彼は言った。
「太陽系を捨てられる船を造る」
◇
数日後。
レアは、月面推進研究所に勤める技術者と接触していた。
場所は、月面都市セレーネの旧市街。
透明ドームの向こうには、星空と灰色の地平線が広がっている。
技術者は顔を見せなかった。
声も変換されていた。
「新型エンジンについて聞きたい」
レアが言った。
「話せない」
「軍事用?」
「違う」
「探査船?」
「違う」
「では何のため」
技術者は黙った。
「あなたたちは、どこへ行こうとしているの」
「記者さん」
変換された声が低くなる。
「調べるのをやめた方がいい」
「脅してる?」
「警告している」
「政府から?」
「違う」
「では誰から」
「一人の人間としてだ」
レアは相手の輪郭を見つめた。
「私たちには、知る権利がある」
「知った後、何をする」
「伝える」
「伝えれば、世界は変わる」
「だから伝えるんでしょう」
「違う」
技術者は強く言った。
「変わるんじゃない。壊れる」
レアの表情から、わずかに余裕が消えた。
「何が壊れるの」
「全部だ」
技術者は立ち上がった。
「これ以上は話せない」
「待って」
「一つだけ言う」
相手は足を止めた。
「新しいエンジンは、遠くへ行くためじゃない」
レアは息を止める。
「何のため?」
技術者は振り返らなかった。
「間に合ううちに、ここから離れるためだ」
それだけ言い残し、人影は通路の奥へ消えた。
◇
同じ夜。
理沙はオリオンの観測室で、ノクスの位置を確認していた。
観測精度はさらに上がっている。
太陽から〇・二天文単位。
その予測値は、ほとんど動かなくなっていた。
画面の端には、方舟の脱出航路が表示されている。
黄道面に対して垂直。
最接近の十年以上前に、千天文単位の外へ。
そのために必要な速度。
最低、秒速五百キロ。
恒星間航行を視野に入れれば、光速の一パーセント以上。
数字は冷たい。
感情を持たない。
人類が何を望んでいるかなど考慮しない。
できるか。
できないか。
間に合うか。
間に合わないか。
ただそれだけだった。
「オーロラ」
「はい」
「現在の技術で、方舟が危険域を脱出できる確率は」
「条件を指定してください」
「オデュッセウス・ドライブが予定どおり完成した場合」
数秒の計算。
「六十二・八パーセント」
「完成しなかった場合」
「十八・一パーセント」
理沙は小さく息を吐いた。
「四割近く失敗するのね」
「成功確率を上げるには、開発期間と試験回数を増やす必要があります」
「時間は増やせない」
「はい」
「方舟を小さくすれば」
「収容人口と生態系安定性が低下します」
「エンジンを大きくすれば」
「建造期間と燃料需要が増加します」
「どちらを選んでも、何かを失う」
「その通りです」
理沙は地球を見た。
青く、美しく、何も知らずに回っている。
「人間は、選ぶことばかりね」
「選択は、有限な資源を持つ知的生命体に不可避です」
「そういう言い方をされると、少し腹が立つ」
「謝罪します」
「あなたのせいじゃない」
理沙は苦笑した。
だが、笑顔はすぐに消えた。
有限な資源。
有限な時間。
有限な座席。
方舟計画とは、限界の中で何を残し、何を捨てるかを決める作業だった。
◇
数週間後。
世界中のニュースは、第二次宇宙開発時代の話題であふれていた。
月面企業の求人が急増。
新しい宇宙工学大学が設立。
火星行き移住希望者の募集。
小惑星採掘船の進水式。
人々は、宇宙へ広がる未来を祝った。
一方、レアは一つの記事を書き上げていた。
題名は、
『第二次宇宙開発時代――人類は何から離れようとしているのか』
記事には、断定はなかった。
中性子星の存在も、太陽系崩壊も書かれていない。
ただ、不自然な予算。
完全閉鎖型都市。
生命資源の収集。
深宇宙用推進機関。
それらを事実として並べた。
最後に、一つの問いを書いた。
これは未来を広げる計画なのか。
それとも、失われる未来から逃げる計画なのか。
公開ボタンの上で、レアの指が止まった。
技術者の言葉が頭に残っている。
知れば、世界が壊れる。
だが、知らないままなら。
百四十億人は、自分たちの運命を他人に決められる。
レアは目を閉じた。
そして、公開した。
◇
記事は、公開から一時間で世界中へ拡散した。
政府は否定した。
宇宙開発機構は「根拠のない推測」と発表した。
企業は取材への回答を拒否した。
多くの人々は、陰謀論だと笑った。
だが、一部の科学者たちは、笑わなかった。
天文学者。
軌道力学者。
深宇宙観測者。
彼らは、最近の観測スケジュール変更を知っていた。
世界中の望遠鏡が、一つの方向へ集中していることを知っていた。
そして、公開データから消された空白があることにも気づき始めていた。
世界はまだ、真実を知らない。
だが、最初の亀裂は入った。
人類を守るための秘密に。
その一方で、月面地下施設では、オデュッセウス・ドライブの最初の試験炉が起動していた。
磁場が形成される。
燃料ペレットが投入される。
反物質触媒が注入される。
核融合反応が始まる。
白い光が、厚い遮蔽壁の向こうで燃え上がった。
それは、人類が太陽系から逃れるために灯した、最初の火だった。
第5話 終
次回予告
第二次宇宙開発時代の裏側に疑問を投げかけた、レア・モーガンの記事。
世界は笑う。
政府は否定する。
しかし、一部の天文学者たちは気づき始める。
世界中の望遠鏡が、なぜ同じ暗黒を見つめているのか。
その頃、月面地下研究所では、オデュッセウス・ドライブの試験が続いていた。
だが、最初の高出力実験で異常振動が発生。
核融合炉の磁場が崩れ、研究施設は緊急封鎖される。
限られた時間。
足りない技術。
そして、外へ漏れ始める秘密。
人類は、エンジンを完成させられるのか。
それとも、方舟は設計図のまま終わるのか。
次回、
第6話「最初の火」
希望を生み出す炉が、暴走を始める。




