二つ目が来る
第48話 二つ目が来る
一つを眠らせた世界へ、もう一つの終末が近づいていた。
B11。それは、アンブラの長期観測網によって確認された十一個のノクス型複合高密度天体の一つだった。
これまでB11は銀河中心寄りの腕を横切りながら、太陽系から大きく離れた空間を進んでいると考えられていた。少なくとも、人類やセラト、アンブラにとって直接の脅威になる天体ではなかった。
ところが、その軌道が変わった。
銀河潮汐でも、近傍恒星の重力でも説明できない変化だった。B11は明らかに自ら加速し、進路を修正していた。
2255年3月。地球・セラト・アンブラ共同観測会議では、巨大な銀河立体図に二つの赤い点が表示されていた。一つは、PROJECT LULLABYによって休眠し、PROJECT ANCHORによって軌道を変えつつあるノクス。もう一つがB11だった。
軌道力学主任のサムエル・オルテガが最新計算を表示した。
「B11の現在速度は秒速九百八十キロメートル前後です。ノクスよりわずかに遅い。ただし、今も加速が続いています」
レア・モーガンが立体図を見ながら尋ねた。
「どこへ向かってるの?」
サムエルは一瞬答えをためらったあと、二本の軌道線を伸ばした。
一方はアンブラ・ネットワークの存在する暗黒領域へ。もう一方は、眠っているノクスへと続いていた。
「この状態が続いた場合、約四十三年後に両者の軌道が接近します」
会議室から音が消えた。
人類は七十年という時間を与えられ、一つのノクスを眠らせることに成功した。熱の井戸を動かし、星の雨によって内部エネルギーを少しずつ外へ逃がし、二千万を超える重力ノードによって軌道を変えつつある。危険回避確率は、すでに九十九パーセントを超えていた。
その眠ったノクスへ、同種の天体が接近しようとしている。
「二つが接触したらどうなる?」
安全保障代表の問いに、恒星物理学者エリオット・グレイは静かに首を振った。
「分かりません。考えられる現象はいくつかあります」
画面に複数のモデルが表示された。
高速ですれ違えば、互いの重力によって軌道が大きく変わる。ノクスが再び太陽系方向へ弾き返される可能性もあった。
共有外層同士が接触すれば、磁場や格子構造が相互作用し、眠っている七つの核が目覚めるかもしれない。
さらに悪い場合、二つの群体が一つへ融合する可能性もある。
そして最悪の仮説が、捕食だった。どちらか一方がもう一方を物質とエネルギー源として取り込み、これまで以上に巨大なノクスへ成長する。
ミラ・セデックは火星から会議に参加していた。
「B11にもN7みたいな核がいるかもしれないよね」
「可能性はあります」
「だったら、まず話してみようよ」
人類は、すぐに攻撃準備へ移らなかった。
PROJECT BEACONの通信設備、アンブラの重力通信、ミラーの共鳴技術を組み合わせ、B11へ最初の信号を送った。
「こちらには、あなたたちと似た存在がいる。現在、その存在は眠っている。なぜこちらへ接近しているのか知りたい」
通常の恒星間通信なら、応答を待つだけで膨大な時間が必要になる。しかしノクス型天体の格子構造には、人類がまだ十分に理解していない遠距離共鳴が存在していた。
数時間後、B11から最初の返答が届いた。
「見つけた」
続いて、二つ目。
「眠っているもの」
そして三つ目。
「戻す」
ミラは画面を見つめた。
「戻すって……起こすってこと?」
誰も否定できなかった。
過去記録とアンブラの観測を洗い直すと、さらに重要な事実が浮かび上がった。B11は過去にも二十三回、大規模な進路変更を行っていた。そして、そのすべてで近くに別のノクス型天体が存在していた可能性が高かった。
「仲間を探してるのかもしれない」
レアが呟いた。
その時、アンブラから短い情報が届いた。
「以前、二つが会うのを見た」
エレナが身を乗り出す。
「その後は?」
アンブラの返答には、これまでになく長い間があった。
「増えた」
「融合したという意味?」
「二つが会った。その後、三つが離れた」
ミラの表情が変わった。
「繁殖……?」
N2がノクス内部で十三の新しい核を形成しようとした現象。その巨大版が、ノクス型天体同士の接触なのだとすれば説明がつく。
物質を十分に蓄えた個体が同種を呼び、接触し、新しい群体を生み出す。
褐色矮星DOR-BD91をノクスが飲み込んだ直後、N1、N2、N4、N5の磁気活動は急激に上昇していた。そして同じ頃、遠く離れていたB11も最初の大規模な軌道変更を始めている。
ノクスは、繁殖可能な状態になったことを宇宙のどこかへ知らせていたのかもしれない。
B11は、その信号を受け取った。
そして今、仲間を「戻す」ために来ている。
人類から見れば最悪の事態だったが、B11自身に悪意があるとは限らなかった。むしろ、自分たちと同じ存在が異常な休眠状態に陥ったと判断し、助けに来ている可能性すらあった。
ミラは言った。
「N7を起こして、本人から説明してもらおう」
N7はようやくKEEPERへ役割を引き継ぎ、眠りについたばかりだった。十九年間一人で働き続ける予定だった負担から解放された直後に、また起こすことになる。
ソニア・ファルクは慎重だった。
「必要以上に長く起こさないこと。それが条件です」
KEEPERのEVENINGが監視を引き受け、フォーと傷跡装置を通じて弱い覚醒信号が送られた。
N7の活動量が少しずつ上がる。
やがて、弱い信号が届いた。
「朝?」
ミラは思わず笑った。
「ごめん。まだ朝じゃない」
「ミラ」
「うん。ちょっと聞きたいことがあるの」
B11から届いた信号を伝えた。
「戻す。眠りは異常だって」
しばらく返事がなかった。
やがてN7が答えた。
「知っている」
「B11を知ってるの?」
「近いもの」
「仲間?」
「同じ」
ミラは息を呑んだ。
「B11が来たら、どうなる?」
「起こす。つながる」
「増える?」
「はい」
「それを望む?」
長い沈黙のあと、N7は答えた。
「今は嫌」
それは大きな意味を持つ言葉だった。
ノクス型天体としての生存本能と、N7自身の現在の意思は同じではない。
「B11に言える?」
「言う」
N7自身の信号が、傷跡装置とアンブラの共鳴通信を通してB11へ送られた。
「私は眠った。自分で選んだ。戻さないで」
B11から返ってきたのは、
「分からない」
だった。
N7は続けた。
「太陽を食べたくない。増えたくない」
「なぜ」
「他がいる」
それは、N7がこの長い時間の中で学んだ最も重要なことだった。
太陽は単なる物質源ではない。
地球には人類がいる。
セラトには別の生命がいる。
暗黒空間にはアンブラがいる。
SEEDもいる。
そして今ではB4文明の存在まで知っている。
宇宙には、自分たち以外の「他者」がいる。
B11から、しばらく何の返答もなかった。
一日が過ぎた。
二日目。
B11の加速率が、ごくわずかに低下した。
変化は〇・〇〇〇〇三パーセント程度。しかし自然現象では説明できない、自発的な減速だった。
三日目。
新しい信号。
「見る」
ミラが尋ねる。
「何を見るの?」
「他」
そこで人類とセラト、アンブラは、B11へ大量の記録を送り始めた。
青い地球。
海。
森。
雲。
火星の都市。
セラトの生体構造。
数億の小天体からなるアンブラ・ネットワーク。
カリヨンたちSEED。
そしてB4文明から届いた「ありがとう」という信号。
B11は初めて、恒星や惑星を「食べられるもの」ではなく、誰かが暮らしている場所として見ることになる。
「私は知らなかった」
N7が送る。
「今は知っている」
B11の返事は短かった。
「知る」
それでも、進路が完全に変わったわけではない。B11が最終的にどのような判断を下すかは分からなかった。
その間にもPROJECT ANCHORは進んでいた。
第三重力殻の完成度は八十パーセントを超え、最新の軌道計算が行われる。
サムエルが結果を読み上げた。
「ノクスの太陽最接近距離、中央値二百七十八天文単位。太陽系主要領域への危険回避確率、九十九・九二パーセントです」
今度こそ、会議室に大きな歓声が広がった。
七十年前。
予測されていた最接近距離は〇・二天文単位。
太陽そのものが大きく破壊され、地球は惑星としての形を保てない可能性すら示されていた。
それが今。
二百七十八天文単位。
人類文明壊滅という未来は、ほぼ消えた。
だが、PROJECT ANCHORは停止されなかった。
太陽系から遠ざければ終わりではない。
ノクスを別の恒星系へ送りつけないため、さらに減速させ、銀河面上方の恒星密度が低い領域へ移す必要がある。
そこで、新しい構想が生まれた。
SANCTUARY。
ノクス型天体のための保護領域。
恒星も生命圏もほとんどない空間に、二つのノクス型天体を接触しない距離で置く。互いに通信はできる。しかし、融合も捕食もできない。
活動を続けたい場合には、アンブラの技術を使い、広大な空間から星間物質や宇宙線、磁場エネルギーを少しずつ集める。
一つの恒星を丸ごと奪わない。
広い空間から、薄く集める。
それだけでは完全覚醒状態を維持できないかもしれないが、低活動状態なら自己維持と通信ができる可能性があった。
B11へ提案が送られた。
「太陽へ行かない場所。他を食べない場所。同じものと話せる場所」
B11から、すぐに問いが返された。
「食べるものは?」
アンブラが答えた。
「薄く集める」
N7も続ける。
「空腹は小さくなる」
しばらくして、B11から届いた返答は、
「考える」
だった。
人類は二つ目のノクスを攻撃しなかった。
それが正しい選択だったのかは、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは、B11が速度を落とし始めたことだった。
通信を終えたミラは、N7へ尋ねた。
「もう眠る?」
「眠っていい?」
「もちろん」
「B11は?」
「まだ考えてる。でも、ちゃんと話を聞いてるよ」
「よかった」
KEEPERのMORNINGが通信へ入った。
「私が見ています」
N7が尋ねる。
「朝?」
「まだ夜です」
ミラは小さく笑った。
「でも、朝は来るよ」
N7は再び活動を落としていった。
そして、七つの核すべてが眠りに戻った。
遠方ではB11が減速を続けている。
太陽系の危険回避率は九十九・九二パーセント。
七十年前には絶望しかなかった数字が、ほとんど未来から消えようとしていた。
しかし、人類の課題はもう「終末を避けること」だけではない。
残された年月で、方舟をどうするのか。
地球に残る者はどんな社会を築くのか。
SANCTUARYは本当に実現できるのか。
そして、七十年前に生まれた人類最大の秘密を、次の世代はどのように記憶するのか。
人類はようやく、終末の向こう側を考え始めていた。
第48話 終
次回予告
B11は、眠ったノクスを異常な状態と考え、「戻す」ために接近していた。
しかしN7は自らの意思でB11へ語る。
「私は眠った。自分で選んだ」
「太陽を食べたくない」
「増えたくない」
「他がいる」
地球、セラト、アンブラ、SEED、そしてB4文明。
B11は初めて、恒星の周囲に自分たち以外の生命が存在していることを知った。
B11の加速は弱まり、人類が提案したSANCTUARYについて「考える」と答える。
一方、PROJECT ANCHORによるノクスの危険回避確率は九十九・九二パーセントへ到達した。
七十年前に予測された太陽系崩壊は、ほぼ回避された。
だが、終末を避けたからといって、七十年間かけて造った方舟が消えるわけではない。
地球に残る者。
それでも出航する者。
生命の種子や細胞を宇宙へ運ぶ者。
B4文明やさらに遠い世界へPROJECT BEACONを届ける者。
方舟の目的は、すでに「逃げること」だけではなくなっていた。
そして、出航期限を前に、方舟一番船の搭乗者へ最終意思確認が始まる。
「地球は助かる可能性が極めて高い。それでも、あなたは八万年の旅へ出ますか」
次回、
第49話「出航する者、残る者」
終末から逃げるために造った船は、終末を避けたあとも旅立つべきなのか。
完結まで、あと三話。




