八・六パーセント
第45話 八・六パーセント
ANCHOR-1。
直径二十二キロメートル。
海王星外側から内側へ散乱した氷天体。
PROJECT ANCHORが生み出した、最初の大きな副作用。
その地球衝突確率。
八・六パーセント。
数字だけを見れば、一割にも満たない。
だが。
直径二十二キロ。
もし衝突すれば。
都市一つ。
国家一つ。
そんな規模では終わらない。
海へ落ちれば、複数大陸沿岸へ巨大津波。
陸地なら、膨大な岩石と塵が成層圏へ達する。
太陽光は遮られ。
気温が低下し。
農業生産は崩壊する。
ノクスが来る前に。
人類が自分たちの手で、新しい終末を作る可能性が生まれていた。
◇
2254年4月。
木星軌道管制センター。
ANCHOR-1は、木星へ接近していた。
現在距離。
約三千八百万キロメートル。
相対速度。
秒速二十九・四キロメートル。
そのまま進めば。
木星の重力圏へ深く入る。
◇
問題は。
どの高さを通すか。
◇
木星表面から遠すぎれば。
重力アシストが弱い。
地球軌道との交差を十分に外せない。
◇
近すぎれば。
ANCHOR-1の軌道が大きく曲がりすぎる。
◇
最悪の場合。
地球への衝突確率が。
八・六パーセントから。
ほぼ一〇〇パーセントへ跳ね上がる。
◇
「目標最接近高度」
軌道力学主任サムエル・オルテガが表示する。
「木星雲頂から、十三万八千キロメートル」
◇
「誤差は?」
エレナ・ヴァルガス。
「プラスマイナス、二百七十キロ」
「それを超えたら?」
「安全側なら、地球軌道交差が残ります」
「危険側なら?」
「衝突確率が急上昇します」
◇
二十二キロメートルの天体を。
木星という巨大惑星の横へ通し。
数百キロの誤差以内で。
地球から遠ざける。
◇
しかも。
ANCHOR-1は。
完全な球ではない。
◇
形状。
不規則。
◇
長軸。
二十七キロ。
◇
短軸。
十八。
◇
自転周期。
六時間十一分。
◇
表面から。
水蒸気。
メタン。
微量の一酸化炭素。
◇
太陽へ近づくにつれ。
氷が昇華し。
弱いジェットを噴き出している。
◇
「勝手に推進してる」
レア・モーガン。
◇
「ごくわずかですが」
サムエル。
「このわずかが、木星近傍では無視できません」
◇
そこで。
SEEDが投入された。
◇
二百四十機。
◇
ANCHOR-1周囲へ展開。
◇
目的。
押すことではない。
◇
表面活動を観測。
ガス噴出。
自転。
質量分布。
それらを秒単位で測定。
◇
必要なら。
表面の一部を弱く加熱し。
昇華量を調整する。
◇
小惑星そのものを。
巨大な天然推進器として使う。
◇
「削るのでは?」
安全保障代表。
◇
「削れば破片になります」
サムエル。
「今回は、一個のまま通した方が制御しやすい」
◇
ANCHOR-1。
木星最接近まで。
三十一時間。
◇
その頃。
別の会議室では。
ノクスの最新軌道計算が行われていた。
◇
PROJECT ANCHOR。
第一重力殻。
アンブラ小天体ユニット。
人類製造ノード。
セラト生体重力節。
◇
それらが加えた。
ごく小さな力。
◇
ノクス速度。
依然。
秒速千百キロメートル以上。
◇
だが。
太陽方向成分。
減少。
◇
方向ベクトル。
わずかに変化。
◇
サムエルたちは。
最新の観測値を。
百万回。
千万回。
億単位のモンテカルロ軌道計算へ投入する。
◇
ノクスの内部質量分布。
◇
星の雨による反作用。
◇
N1からN6の休眠。
◇
N7の活動。
◇
百万単位の重力ノード。
◇
カイパーベルト。
◇
巨大惑星。
◇
銀河潮汐。
◇
近傍恒星。
◇
すべて。
◇
計算。
◇
結果が出た。
◇
エレナ。
「お願いします」
◇
サムエルは。
しばらく画面を見たまま。
何も言わなかった。
◇
「太陽最接近距離」
◇
中央値。
◇
百十八天文単位。
◇
会議室がざわめく。
◇
「百十八?」
◇
カイパーベルトより。
はるか外。
◇
当初。
〇・二天文単位。
◇
太陽外層を引き剥がす可能性さえあった軌道。
◇
それが。
◇
百十八。
◇
「成功した?」
◇
サムエルは。
まだうなずかない。
◇
「確率分布を見てください」
◇
画面。
◇
太陽から五十天文単位以内。
◇
一・七パーセント。
◇
五十から百。
◇
二十九・四。
◇
百以上。
◇
六十八・九。
◇
そして。
太陽系の主要惑星領域へ重大な影響を与えず。
外縁をかすめて通過する確率。
◇
九十八・〇パーセント。
◇
誰も。
すぐに反応できなかった。
◇
九十八パーセント。
◇
七十年前。
人類が。
ノクスの存在を知った時。
◇
太陽系文明崩壊は。
ほぼ避けられないと考えられた。
◇
今。
◇
眠らせ。
熱を抜き。
速度を少しずつ落とし。
進路を変えた結果。
◇
ノクスが。
太陽系外縁を通過する可能性。
◇
九十八パーセント。
◇
ミラ・セデックは。
火星の病室で。
その数字を見ていた。
◇
「二パーセント」
ソニア・ファルク。
「そうね」
◇
「まだ二パーセントある」
◇
「うん」
◇
「でも」
ミラは笑った。
「前は、ほとんど全部だった」
◇
リズ。
ゆっくり拍動。
◇
フォー。
同じ基底波。
◇
N7へ。
知らせる。
◇
太陽へ近づかない可能性
九十八パーセント
◇
返答。
◇
よい
◇
「嬉しい?」
◇
よい
◇
「それしか言わないね」
◇
少し置いて。
◇
N7。
◇
うれしい
◇
ミラ。
笑う。
◇
だが。
サムエルは。
次の資料を出した。
◇
「ここでPROJECT ANCHORを止めた場合です」
◇
九十八パーセント。
◇
高い。
◇
しかし。
残る二パーセント。
◇
さらに。
百十八天文単位を通過しても。
ノクスの質量は大きい。
◇
オールト雲。
散乱。
◇
外縁小天体。
多数。
◇
長期的には。
彗星流入リスク。
◇
「さらに速度を下げる」
エレナ。
◇
「はい」
サムエル。
「そして、進路をもう少し銀河面上方へ」
◇
目標。
◇
太陽最接近。
二百天文単位以上。
◇
可能なら。
三百。
◇
成功確率。
九十九・九パーセント以上。
◇
必要。
◇
第二重力殻。
完成。
◇
第三重力殻。
最低七十パーセント。
◇
追加ノード。
◇
約三百五十万。
◇
「まだ増やすの?」
レア。
◇
「九十八を、どこまで信じるかです」
◇
九十八パーセント。
◇
世界なら。
十分高いと感じる者もいる。
◇
「もうやめろ」
◇
方舟支持者。
◇
「九十八なら十分だ」
◇
「これ以上PROJECT ANCHORを続ければ、また小天体を散乱させる」
◇
逆。
◇
「二パーセントで百四十億人を賭けるのか」
◇
「九十九・九まで上げられるなら続けろ」
◇
「ANCHOR-1を見ただろう」
◇
「作戦そのものが危険を生む」
◇
人類。
◇
また。
◇
確率へ。
未来を預ける。
◇
エレナ。
「PROJECT ANCHORは続行します」
◇
「ただし」
◇
第二重力殻が完成するまで。
第一殻の出力を。
三十八パーセントへ低下。
◇
新たな小天体散乱を抑える。
◇
その代わり。
ノクスの速度低下ペース。
落ちる。
◇
最終目標到達。
約五年遅延。
◇
まだ。
時間はある。
◇
七十年。
◇
その猶予を。
最初から。
人類は持っていた。
◇
今こそ。
急がないために使う。
◇
一方。
ANCHOR-1。
◇
木星最接近。
十二時間。
◇
SEED群。
表面ジェット。
計測。
◇
目標軌道。
誤差。
七百二十キロ。
◇
「大きい」
サムエル。
◇
原因。
予測外の昇華。
◇
ANCHOR-1表面。
巨大な亀裂。
◇
そこから。
水蒸気が噴出。
◇
天然ジェット。
◇
軌道を。
木星へ近づく方向へ。
わずかに押している。
◇
「加熱を逆側へ」
◇
SEED。
百二十機。
反対半球へ移動。
◇
弱いレーザー。
◇
氷。
昇華。
◇
人工ジェット。
◇
天然ジェットへ。
対抗。
◇
誤差。
六百。
◇
四百。
◇
二百九十。
◇
目標許容。
二百七十。
◇
木星最接近。
五時間。
◇
誤差。
二百八十三。
◇
「あと十三」
◇
SEED。
さらに加熱。
◇
だが。
表面温度。
急上昇。
◇
亀裂。
拡大。
◇
「これ以上やると割れます」
◇
止める。
◇
誤差。
二百八十一。
◇
許容外。
◇
わずか。
十一キロ。
◇
二十二キロの天体を。
◇
十一キロ。
◇
宇宙規模では。
何でもない。
◇
だが。
木星重力アシストでは。
未来の数百万キロを変える。
◇
「別の方法」
サムエル。
◇
SEEDが。
小惑星へ力を加えるのではなく。
◇
木星磁気圏。
◇
ANCHOR-1は。
微量ながら。
帯電した塵をまとっている。
◇
木星の巨大磁場。
◇
その中へ入れば。
電磁力。
ごくわずか。
◇
利用できる。
◇
「塵を増やす?」
◇
ANCHOR-1表面へ。
SEEDが。
導電性微粒子を散布。
◇
人工的に。
電荷分布を作る。
◇
木星磁場へ。
入る。
◇
ローレンツ力。
◇
微小。
◇
だが。
十一キロ分の軌道差なら。
可能性。
◇
成功率。
七十四パーセント。
◇
失敗時。
悪化。
二十一。
◇
変化ほぼなし。
五。
◇
実行。
◇
SEED。
導電性塵。
散布。
◇
ANCHOR-1。
木星磁気圏へ。
◇
荷電。
◇
オーロラ帯。
強い磁場。
◇
軌道。
◇
わずかに。
◇
変化。
◇
誤差。
二百七十八。
◇
二百七十四。
◇
二百六十九。
◇
「入った」
◇
許容範囲。
◇
木星。
◇
巨大な重力。
◇
ANCHOR-1。
高速で。
惑星の裏側へ回り込む。
◇
一時間。
◇
二時間。
◇
地球から。
観測できない。
◇
木星大気。
電波ノイズ。
◇
SEED。
断続通信。
◇
そして。
◇
木星の反対側。
◇
ANCHOR-1。
再出現。
◇
速度。
増加。
◇
方向。
◇
地球軌道。
◇
外れた。
◇
衝突確率。
◇
八・六。
◇
一・二。
◇
〇・〇三。
◇
さらに精密計算。
◇
〇・〇〇〇〇四パーセント。
◇
事実上。
回避。
◇
ANCHOR-1。
今後。
土星軌道外側へ。
◇
その後。
双曲線軌道。
◇
太陽系外へ。
◇
司令部。
歓声。
◇
SEED。
生存。
二百二十六。
◇
十四機。
通信喪失。
◇
カリヨン。
◇
記録します
◇
地球を救うための作戦が生んだ。
新しい危険。
◇
その危険を。
さらに別の方法で。
外へ出す。
◇
ただし。
今度は。
太陽系外へ出たANCHOR-1が。
遠い未来に。
別の恒星系へ接近しないよう。
◇
PROJECT BEACONの観測対象へ登録。
◇
何万年。
何十万年。
◇
追跡。
◇
危険を。
見えなくなったから終わりにしない。
◇
それが。
この七十年で。
人類が学び始めたことだった。
◇
その日の夜。
◇
PROJECT BEACON。
◇
B4文明からの信号。
◇
解析。
◇
素数。
◇
二。
三。
五。
七。
十一。
◇
水素線。
◇
恒星スペクトル。
◇
そして。
人類が送った。
B4の軌道図。
◇
同じ図。
◇
ただし。
一か所だけ。
追加されている。
◇
B4型ノクスの位置。
◇
そこから。
一本の線。
◇
自分たちの恒星系から。
外側へ。
◇
「彼らも逃げる計画を?」
レア。
◇
次の信号。
◇
まだ翻訳できない。
◇
しかし。
図だけは。
明確。
◇
B4文明は。
警告を受け取った。
◇
そして。
自分たちで。
危機へ向き合い始めた。
◇
人類が。
七十年前に。
そうしたように。
第45話 終
次回予告
PROJECT ANCHORによる最新軌道計算。
ノクスが太陽系の主要惑星領域を避け、外縁をかすめて通過する確率。
九十八パーセント。
太陽最接近距離の中央値。
百十八天文単位。
かつて〇・二天文単位まで接近すると予測された終末の天体は。
ついに。
太陽系の外へ押し出され始めた。
だが。
二パーセントは残る。
人類はPROJECT ANCHORを止めない。
速度をさらに低下させ。
最接近距離を二百。
三百天文単位へ広げる。
目標。
危険回避確率。
九十九・九パーセント以上。
一方。
地球衝突確率八・六パーセントまで上昇したANCHOR-1は。
木星の重力。
SEEDによる表面昇華制御。
そして木星磁気圏を利用した最後の微調整によって。
地球軌道から外れる。
衝突確率。
〇・〇〇〇〇四パーセント。
危機は回避された。
だが、PROJECT ANCHORはまだ数十年続く。
第二重力殻。
第三重力殻。
合計一千万を超えるノード。
ノクスの軌道を変えれば。
太陽系外縁も動く。
これから数十年間。
同じようなANCHOR天体が再び現れる可能性は消えない。
そして。
B4文明から。
ついに返答が届く。
彼らは警告を理解した。
B4型ノクスの存在も。
自ら観測し始めた。
送られてきた最初の翻訳可能な文章。
「時間を教えてほしい」
彼らは。
自分たちに何年残されているのかを知ろうとしている。
人類は。
七十年前。
自分たちが最初に知りたかった数字を。
今度は別の文明へ伝える立場になる。
その頃。
ノクスを眠らせ続けるN7から。
これまでとは違う信号が届く。
「疲れた」
十九年以上。
一人だけ目覚め続けるはずだったN7。
熱の井戸。
星の雨。
六つの眠った核。
全てを見守り続ける負担が。
予想より早く。
N7を消耗させ始めていた。
N7が眠れば。
PROJECT LULLABYの第三鍵が失われる。
起こし続ければ。
N7そのものが壊れるかもしれない。
次回、
第46話「眠れない一つ」
みんなを眠らせた者にも。
休む時間が必要だった。
完結まで、あと六話。




