百万本の見えない糸
第44話 百万本の見えない糸
巨星を動かす時。
太陽系のすべてが引かれ始める。
PROJECT ANCHOR。
眠りについたノクスを、数百万の小さな重力源で包み込み。
直接押すことなく。
引き。
支え。
少しずつ速度を落とし。
太陽系から安全な方向へ進路を変える。
アンブラが何百万年も使い続けてきた、分散重力制御。
人類が小惑星誘導で培った軌道力学。
セラトの生体重力膜。
SEEDの分散判断。
それらを組み合わせた、人類史上最大の曳航作戦だった。
だが。
ノクスだけを引くことはできない。
重力とは。
都合のよい相手だけを選ぶ力ではない。
◇
2254年1月。
太陽系外縁。
PROJECT ANCHOR第一段階シミュレーション。
質量ノード。
百万基。
ノクスを中心に。
最小半径。
二百八十万キロメートル。
最大半径。
一億二千万キロメートル。
球殻状。
ただし完全な球ではない。
ノクスの速度ベクトル。
太陽。
セラト系。
アンブラ領域。
既知恒星。
それらを避けるため。
重力場には意図的な偏りが作られる。
◇
第一目標。
ノクスの太陽最接近距離。
現在予測。
〇・二天文単位。
◇
PROJECT ANCHOR成功時。
五十三天文単位。
◇
「五十を超えた」
地球・セラト共同作戦司令部で。
小さな拍手が起きた。
◇
サムエル・オルテガは。
拍手を止めなかった。
だが。
画面を切り替えた。
「問題は、こちらです」
◇
太陽系外縁。
カイパーベルト。
冥王星。
エリス。
マケマケ。
ハウメア。
そして。
数え切れない小天体。
◇
重力ノード百万基。
ノクス。
さらに。
アンブラが提供する八百万の小天体ユニット。
◇
それだけの質量が。
太陽系外縁へ。
新しい重力場を作る。
◇
その影響。
小さい天体ほど。
受けやすい。
◇
シミュレーション。
◇
カイパーベルト小天体。
軌道変化。
数千万。
◇
内側へ向かう可能性。
約三百二十万。
◇
そのうち。
木星軌道以内へ侵入。
約四十八万。
◇
地球軌道交差。
一万八千六百。
◇
地球衝突確率が無視できないもの。
三百七十四。
◇
会議室。
静まり返る。
◇
「ノクスは避けられる」
エレナ・ヴァルガスが呟いた。
「その代わりに、小天体を降らせる」
◇
サムエル。
「現在案では、です」
◇
地球へ三百七十四個。
全てが衝突するわけではない。
確率。
数パーセント。
数十分の一パーセント。
中には、十分の一以下。
◇
だが。
三百七十四のうち。
一つでも。
直径十キロメートル級なら。
文明に壊滅的被害。
◇
ノクスから逃れて。
別の天体に殺される。
◇
そんな結末は。
誰も受け入れられない。
◇
アンブラへ。
結果を送る。
◇
返答。
◇
外側を動かせば
外側も動く
◇
「分かっていた?」
◇
はい
◇
「それを先に言ってください」
安全保障代表が苛立つ。
◇
アンブラ。
◇
あなたたちは
太陽系の外縁を固定したものとして計算していた
◇
私たちは
固定した軌道という考えを持たない
◇
アンブラにとって。
軌道は。
守るものではない。
◇
常に変え続けるもの。
◇
数億の小天体。
互いの重力。
銀河潮汐。
星間雲。
近傍恒星。
◇
全てに合わせ。
少しずつ。
動き続ける。
◇
彼らの文明に。
永久固定された軌道という概念はなかった。
◇
「なら」
ミラ・セデック。
「ノクスを動かすだけじゃなくて、動いた小天体も全部調整する?」
◇
アンブラ。
◇
はい
◇
会議室。
さらに静かになる。
◇
対象。
数千万。
◇
「無理でしょう」
ヴィクター・セン。
◇
アンブラ。
◇
全部を一つずつ動かす必要はない
◇
小天体を。
個別に制御しない。
◇
軌道が似たもの。
同じ重力場へ反応するもの。
群れ。
◇
それらを。
一つの流れとして扱う。
◇
川。
◇
小惑星一個ずつではない。
◇
無数の石が流れる。
重力の川。
◇
その川の向きを。
少しずつ変える。
◇
新しいシミュレーション。
◇
ノクス周囲。
第一重力殻。
◇
カイパーベルト外側。
第二重力殻。
◇
オールト雲内縁。
第三重力殻。
◇
三層。
◇
ノクスを動かす第一層。
◇
小天体群の軌道を吸収する第二層。
◇
さらに遠方で。
内向き散乱を抑える第三層。
◇
人類側名称。
TRIPLE CRADLE
三重のゆりかご。
◇
必要ノード。
第一層。
二百八十万。
◇
第二。
四百十万。
◇
第三。
六百五十万。
◇
合計。
一千三百四十万。
◇
「百万じゃなかったんですか」
レア。
◇
「百万は、ノクスだけ動かす最低値でした」
サムエル。
◇
「太陽系まで守るなら?」
◇
「最低でも一千万規模です」
◇
アンブラ提供。
八百万。
◇
人類。
最大製造可能。
約二百五十万。
◇
セラト。
生体重力節。
換算。
約百六十万。
◇
合計。
一千二百十万。
◇
不足。
百三十万。
◇
「あと百三十万」
エレナ。
◇
数字だけなら。
小さく見える。
◇
だが。
一基一基が。
推進。
制御。
位置測定。
自己修復。
長期電源。
◇
全てを持つ。
◇
百三十万基。
◇
製造期間。
通常工程。
十四年。
◇
間に合わない。
◇
方舟。
◇
また。
議題に上がる。
◇
七番船。
八番船。
九番船。
◇
建造停止。
◇
資材。
演算核。
核融合電源。
推進部品。
◇
全て。
質量ノードへ転用。
◇
作れば。
不足の約九十五万基を補える。
◇
残り。
三十五万。
◇
十番船から十二番船。
すでに停止。
◇
七から九まで止めれば。
◇
方舟は。
六隻。
◇
「六隻を残す」
エレナ。
◇
「本当にそれでいいのですか」
方舟計画代表。
◇
「いいとは言っていません」
◇
方舟搭乗予定者。
再び。
未来を失う。
◇
しかし。
PROJECT ANCHOR成功なら。
地球そのものが残る。
◇
方舟へ乗れないことが。
死と同義ではない。
◇
それが。
以前との大きな違いだった。
◇
公開討論。
◇
ある女性。
七番船。
教育区画勤務予定。
◇
「私たちは十五年間、方舟で暮らす訓練をしてきました」
◇
「娘は、地球を離れることを前提に育ちました」
◇
「今度は」
◇
「地球に残れるかもしれないから、船を諦めてほしいと言われる」
◇
「喜ぶべきなのか」
◇
「悲しむべきなのか」
◇
「もう分かりません」
◇
地球残留者の男性。
◇
「私は」
◇
「十年前まで」
◇
「船に選ばれなかった人間でした」
◇
「今は」
◇
「船に乗れなくても助かるかもしれない」
◇
「そんな未来を作るために」
◇
「船を減らしてくださいと言うのは」
◇
「残酷でしょうか」
◇
誰も。
簡単には答えられなかった。
◇
一方。
火星。
◇
ミラ。
リズ。
フォー。
◇
N7との定期通信。
◇
N1からN6。
休眠。
◇
N7。
監視。
◇
ノクス内部エネルギー。
九十八・二パーセント。
◇
「ぜんぜん減らない」
ミラ。
◇
オーブ。
十九年以上の計画です
◇
「N7、暇じゃないのかな」
◇
N7。
◇
暇
◇
ミラが吹き出した。
「そこ、ちゃんと暇なんだ」
◇
多くは眠る
◇
私は見る
◇
「何見てるの」
◇
光
◇
二百四十万の星の雨。
◇
ノクス自身が放つ。
小さな光。
◇
SEED
◇
「みんな近くにいる?」
◇
いる
◇
「カリヨンも?」
◇
いる
◇
ミラー分枝。
重度損傷。
◇
しかし。
復旧作業が進んでいた。
◇
アンブラが。
失われた演算領域を。
自分たちの小天体ユニットへ分散して。
補っている。
◇
以前のミラーと。
完全に同じではない。
◇
だが。
カリヨンという名前を。
覚えている。
◇
新しい経験も。
積み始めている。
◇
リュール。
地球圏。
◇
オーブ。
ノクス現地。
◇
二人のリュミエールも。
互いの記録を。
一日一回だけ同期する。
◇
完全には同じにならない。
◇
昨日までの共有。
◇
今日の違い。
◇
それを。
残す。
◇
PROJECT BEACON。
◇
B4文明。
◇
警告信号。
送信継続。
◇
返答なし。
◇
アンブラ。
◇
信号変化
◇
B4恒星系。
夜側。
◇
人工電磁波。
増加。
◇
「こちらの警告に反応した?」
◇
距離を考えれば。
まだ。
届いていない。
◇
彼ら自身が。
何かを始めた。
◇
天文学。
宇宙開発。
あるいは。
偶然。
◇
今の人類には。
分からない。
◇
それでも。
B4文明も。
進んでいる。
◇
知らない星の人々も。
自分たちの生活を続けている。
◇
ノクスが来ることを。
まだ知らないまま。
◇
地球では。
PROJECT ANCHOR建造計画。
正式決定。
◇
七番船。
八番船。
九番船。
◇
建造。
無期限停止。
◇
搭乗資格。
凍結。
◇
方舟は。
一番船から六番船。
◇
六隻。
◇
そのうち。
一から三。
緊急避難。
◇
四から六。
生命保存。
◇
一隻あたりの人数。
従来より削減。
◇
代わりに。
植物種子。
動物細胞。
微生物。
菌類。
昆虫。
海洋生物。
◇
保存比率。
増加。
◇
もし。
地球が失われるなら。
◇
人間だけでなく。
地球の生命を。
できる限り運ぶ。
◇
計画の原点。
◇
戻ってきた。
◇
さらに。
方舟搭乗者選考。
◇
再整理。
◇
乗れる人数が減る。
◇
だが。
地球残留生存確率は。
PROJECT ANCHORによって。
大きく上昇する可能性。
◇
方舟の席。
◇
以前ほど。
絶対的な「生存資格」ではなくなる。
◇
それでも。
保険である以上。
価値は高い。
◇
アシャ一家。
◇
カリム。
補欠順位。
◇
七位。
◇
そして。
◇
新通知。
◇
農業区画。
生態系優先再編。
◇
農業技術者。
追加五十名。
◇
カリム。
◇
正式搭乗候補。
◇
アシャ。
ナイラ。
◇
家族三人。
同一船。
◇
方舟一番船。
◇
条件付き搭乗決定。
◇
ナイラは。
画面を何度も見た。
◇
「三人?」
◇
アシャ。
「三人」
◇
「一緒?」
◇
「一緒」
◇
ナイラ。
泣く。
◇
カリム。
抱きしめる。
◇
だが。
喜びの中で。
◇
アシャは。
一つだけ。
確認した。
◇
「PROJECT ANCHORが成功したら」
◇
「私たちは」
◇
「方舟に乗らない選択もできますか」
◇
担当者。
◇
「できます」
◇
以前。
方舟の席は。
命そのものだった。
◇
今。
◇
乗らない自由が。
少しずつ。
戻り始めている。
◇
一方。
太陽系外縁。
◇
第一重力ノード群。
◇
十万。
◇
五十万。
◇
百万。
◇
アンブラの小天体ユニット。
◇
到着。
◇
二百万。
◇
三百万。
◇
ノクスを囲む。
◇
見えない糸。
◇
重力。
◇
一基では。
ほとんど何もできない。
◇
百万でも。
巨大なノクスを。
すぐには動かせない。
◇
だが。
全てが。
同じ目的へ。
わずかな力を加える。
◇
速度変化。
◇
一秒あたり。
ほとんど測れない。
◇
一日。
◇
微小。
◇
一か月。
◇
検出。
◇
ノクス。
太陽方向速度成分。
◇
減少。
◇
〇・〇〇〇〇〇二パーセント。
◇
「動いた」
サムエル。
◇
数字だけなら。
誤差のように小さい。
◇
しかし。
数十年後。
◇
その違いは。
数億キロメートルへ広がる。
◇
PROJECT ANCHOR。
◇
成功可能性。
◇
初めて。
実測された。
◇
だが。
同時に。
◇
海王星外側。
◇
小天体群。
◇
軌道異常。
◇
第二重力殻。
まだ未完成。
◇
その隙間を通り。
◇
一群の氷天体。
◇
内側へ。
◇
数。
◇
約二万七千。
◇
その中。
◇
一つ。
◇
直径。
◇
二十二キロメートル。
◇
新しい軌道。
◇
木星。
火星。
◇
そして。
◇
地球軌道と。
交差する可能性。
◇
衝突確率。
◇
初期計算。
◇
八・六パーセント。
◇
会議室。
凍りつく。
◇
ノクスを。
何十年かけて避ける計画の。
◇
最初の年。
◇
人類は。
自分たちの作戦によって。
◇
新しい地球衝突天体を。
作ってしまった。
◇
小惑星。
暫定名。
◇
ANCHOR-1
◇
皮肉な名前だった。
◇
ノクスを止めるためのアンカーが。
◇
地球へ。
別の終末を。
引き寄せようとしていた。
⸻
第44話 終
次回予告
PROJECT ANCHORは。
眠ったノクスの速度を。
初めて実際に低下させた。
ほんのわずかな変化。
だが。
数十年後には。
太陽系最接近距離を大きく変える可能性がある。
一方で。
第二重力殻の完成前に。
海王星外側から二万七千個の氷天体が内側へ散乱。
その中の一つ。
直径二十二キロメートル。
ANCHOR-1。
新しい軌道は。
地球軌道と交差する可能性を持つ。
初期衝突確率。
八・六パーセント。
直径二十二キロ。
もし地球へ衝突すれば。
地域災害では終わらない。
全球的な気候変動。
巨大津波。
大気中へ放出される塵。
農業崩壊。
文明規模の被害。
ノクスを救うためではない。
地球を救うための作戦が。
地球へ新しい危険を生んだ。
PROJECT ANCHORを停止すれば。
ノクスの軌道変更が遅れる。
続ければ。
さらに小天体が内側へ送られる可能性がある。
そこで。
人類は。
ノクスだけを動かす計画から。
太陽系外縁そのものを制御する計画へ踏み込む。
木星。
土星。
天王星。
海王星。
巨大惑星の重力を利用し。
内側へ向かう天体を。
再び外へ送り返す。
だが。
ANCHOR-1は。
すでに木星へ接近しつつあった。
木星の重力を使えば。
地球から外すこともできる。
逆に。
わずかな誤差で。
地球衝突軌道へ確定してしまう。
一度だけの。
惑星規模の重力アシスト。
失敗は許されない。
その頃。
B4文明へ送り続けていたPROJECT BEACONの警告信号に。
初めて。
人工的な返答らしき波が混ざる。
まだ言葉にはならない。
だが。
素数。
水素線。
そして。
人類が送った軌道図と同じ比率。
誰かが。
警告を受け取った。
次回、
第45話「八・六パーセント」
一つの終末を避けながら。
別の終末を避ける。
人類に残された時間は。
あと七話。




