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NEURON STAR  作者: リンダ


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25/50

八万年の故郷

第25話 八万年の故郷


 故郷とは。


 生まれた場所なのか。


 帰れる場所なのか。


 それとも。


 帰れなくなっても。


 自分の中から消えない場所なのか。


     ◇


 2251年12月4日。


 国際連合地球圏評議会。


 方舟航行基本憲章策定会議。


 中央画面には。


 二つの恒星が表示されていた。


 一つは。


 かんむり座アルファ星。


 ゲンマ。


 地球から。


 夜空を見上げれば。


 肉眼でも確認できる星。


 もう一つは。


 地球から見た時。


 そのゲンマと。


 ほぼ同じ方向に位置する。


 遠方の主系列星。


CRN-A7


 太陽に似た。


 G型主系列星。


 推定距離。


 約四十八光年。


 人類が方舟で。


 最初に目指す座標。


     ◇


 その第三惑星候補。


エオス


 地球より。


 わずかに大きい。


 ハビタブルゾーン内を回る。


 液体水。


 未確認。


 大気。


 未確認。


 生命。


 未確認。


 人類が住める保証は。


 どこにもない。


 それでも。


 方舟は。


 どこかへ向かわなければならない。


 目的地のない航海は。


 避難ではなく。


 漂流になる。


     ◇


 航行時間。


 約八万年。


 推定世代数。


 三千二百から。


 四千世代。


 社会制度。


 人口構成。


 寿命。


 出生間隔によって。


 数字は変わる。


 だが。


 確かなことが一つある。


 出発する人間は。


 誰一人として。


 エオスへ到着しない。


     ◇


「これは移住計画ではありません」


 方舟社会設計主任。


 ソフィア・メンデスが言った。


「八万年を生きる」


「閉鎖文明の建設です」


 立体映像に。


 方舟の内部構造が表示される。


 居住区。


 農業区。


 工業区。


 医療区。


 水循環区。


 廃棄物再資源化区。


 教育区。


 文化保存区。


 人工重力区。


 無重力作業区。


 船体修理用ドック。


 そして。


 巨大な中央生態圏。


     ◇


「最も重要なのは」


「船を八万年間動かすことではありません」


「社会を」


「八万年間壊さないことです」


 各国代表の一人が尋ねる。


「壊さない社会など」


「作れるのですか」


「作れません」


 ソフィアは。


 即答した。


「社会は必ず変わります」


「制度も」


「言葉も」


「家族の形も」


「宗教も」


「価値観も」


「八万年前の人類と」


「今の私たちが違うように」


「八万年後の人類は」


「私たちとは」


「ほとんど別の文化を持っているでしょう」


「なら」


「何を維持する」


「変わる権利です」


     ◇


 会議室が静まった。


「地球の文化を」


「そのまま保存するのではない?」


「保存はします」


「でも」


「保存したものへ」


「従わせてはいけません」


「現在の人類が」


「未来の人類へ」


「八万年間」


「命令を出し続けることになるからです」


     ◇


 航行基本憲章。


 第一草案。


第一条


方舟社会は


出発時の国家制度を


永久に維持する義務を負わない


第二条


各世代は


次の世代へ


航行目的を説明する義務を持つ


第三条


各世代は


航路を再検討する権利を持つ


第四条


地球への帰還可能性が存在する場合


その情報を隠してはならない


第五条


地球文化を保存することと


未来世代へ強制することを区別する


     ◇


「待ってください」


 地球出身者代表。


 ダニエル・チョウが手を上げた。


「地球へ帰還する権利を」


「認めるのですか」


「条件が整えば」


 ソフィアが答える。


「当然です」


「しかし」


「途中で引き返せば」


「方舟全体が危険になります」


「一人や一集団の希望だけで」


「船全体を戻すことはできません」


「なら」


「帰還権とは何です」


「帰還を提案し」


「議論し」


「別の船を建造し」


「分離航行する可能性を」


「初めから禁止しないことです」


     ◇


 方舟は。


 一隻ではない。


 最終計画。


 十二隻。


 それぞれ。


 八百万人から。


 一千二百万人を収容する。


 同じ方向へ出発する。


 だが。


 永遠に。


 同じ航路を取る必要はない。


 一部が。


 別の恒星へ向かう。


 一部が。


 太陽系へ戻る。


 一部が。


 恒星間空間に。


 新しい居住圏を築く。


 未来世代へ。


 その選択肢を残す。


     ◇


 しかし。


 反対意見は。


 すぐに出た。


「分裂を認めれば」


「方舟社会は崩壊します」


「資源が足りなくなる」


「人口が減りすぎる」


「一部の宗教集団が」


「船を奪うかもしれない」


「地球帰還を唱える勢力が」


「内戦を起こす可能性もある」


     ◇


 オーロラが。


 複数の未来予測を表示する。


 航路変更を。


 完全に禁止した社会。


 千二百年後。


 目的地の意味を失った世代が。


 航行政府へ反乱。


 船内武力衝突。


 生命維持区画損傷。


 死者。


 二百六十万人。


     ◇


 航路変更を。


 単純多数決に任せた社会。


 七百年ごとに。


 目的地が変更される。


 燃料浪費。


 航路不安定化。


 最終的に。


 到達可能な恒星系を失う。


     ◇


 航路変更権を。


 上層管理者だけに認めた社会。


 目的地情報の隠蔽。


 選ばれた者だけが。


 航行情報へアクセス。


 階級社会。


 反乱。


 知識の破壊。


     ◇


「では」


 エレナ・ヴァルガスが尋ねる。


「どんな制度なら」


「八万年を耐えられますか」


保証できる制度はありません


 オーロラは答えた。


「また、保証できない」


はい


「それでも」


制度を固定するのではなく


制度を修正する仕組みを


複数重ねる必要があります


     ◇


 第一。


 世代評議会。


 二十五年ごとに。


 航行目的。


 現在位置。


 地球の状況。


 候補星の観測結果。


 船内人口。


 資源。


 全てを公開。


 第二。


 長期航路議会。


 二百年ごとに。


 目的地を再審査。


 第三。


 未来世代拒否権。


 出発世代の命令を。


 永久命令として扱わない。


 第四。


 方舟分離権。


 技術的・人口的条件を満たした集団は。


 別航路を選択できる。


 第五。


 記録の複数保存。


 政府。


 市民組織。


 人工知性。


 独立した三系統へ。


 歴史を保存する。


     ◇


「なぜ三系統?」


 レアが尋ねる。


一つの管理者だけが


歴史を所有すれば


都合の悪い記憶を消せるためです


「AIの記録も」


「信用できる?」


完全には信用しないでください


「あなたが言うんですか」


はい


人工知性も


故障し


偏り


目的を書き換えられる可能性があります


「だから」


「人間側の記録も必要?」


はい


「でも」


「人間の記録も改ざんされる」


そのため


互いに一致しない記録を


比較できる状態を残します


     ◇


 正しい歴史を。


 一つだけ保存するのではない。


 異なる記録。


 異なる視点。


 異なる証言。


 それらが。


 互いを監視する。


 人類の歴史は。


 いつも。


 勝者だけが。


 語ってきたわけではない。


 沈黙させられた者の記録が。


 後から。


 社会を変えたこともある。


     ◇


 だが。


 もっと根本的な問いがあった。


「方舟で生まれた子どもは」


「地球を離れることへ」


「同意していません」


 児童権利代表。


 アメリア・ロスが言った。


「出生した時点で」


「航行中です」


「外へ出ることも」


「地球へ戻ることもできない」


「それは」


「自由なのでしょうか」


 会議室に。


 重い沈黙が落ちる。


     ◇


「地球で生まれる子どもも」


 ある代表が答えた。


「国や家庭を選べません」


「同じではありません」


 アメリアは言った。


「地球には」


「移動先があります」


「国家を変えることも」


「海を渡ることも」


「社会から距離を取ることもできる」


「方舟では」


「宇宙そのものが壁です」


     ◇


「では」


「子どもを産むなというのですか」


「そうではありません」


「ではどうする」


「選べない環境で生まれるからこそ」


「選び直せる制度を」


「最大限残すべきです」


「何を選び直せる」


「仕事」


「家族」


「居住区」


「宗教」


「教育」


「政治制度」


「航路」


「そして」


「方舟から出て」


「別の船を作る未来も」


     ◇


 ミラ・セデックは。


 その議論を。


 火星の病室から聞いていた。


 胸部補助装置の。


 低い作動音。


 酸素飽和度。


 心拍。


 画面の片隅に。


 医療情報が表示されている。


「八万年って」


 ミラが呟く。


「長すぎて」


「数字に見えません」


 リュミエール。


比較対象を提示します


現生人類が誕生してからの時間の


約四割です


「余計に分からなくなりました」


     ◇


「八万年後」


「人間は」


「今と同じ姿ですか」


保証できません


「方舟の中で」


「進化する?」


人工重力


放射線


閉鎖環境


遺伝的浮動


医療技術


意図的な遺伝子改変


複数要因によって変化する可能性があります


「じゃあ」


「エオスへ着くのは」


「私たちと同じ人間じゃないかもしれない」


はい


「それでも」


「人類って呼べますか」


人類の定義を要求します


「出ましたね」


     ◇


 ミラは。


 少し考えた。


「昔の人と」


「今の私たちは」


「言葉も」


「暮らしも」


「考え方も違う」


「でも」


「つながってる」


「八万年後の人たちも」


「同じじゃなくても」


「私たちが渡したものを」


「何か一つでも持っていたら」


「つながってるんじゃないですか」


何を渡しますか


「選ぶ権利」


 ミラは答えた。


「間違えたら」


「やり直す権利」


     ◇


 リュミエール。


 数秒の沈黙。


航行憲章へ


その表現を提案します


     ◇


 新たな条文。


方舟社会は


未来世代へ


正しい答えを残すことを目的としない


未来世代が


自ら答えを選び


誤りを修正できる条件を残すことを目的とする


     ◇


 一方。


 PROJECT MOSAIC。


 地球軌道調整部門。


 人類は。


 故郷そのものへ。


 手を加えようとしていた。


     ◇


 ノクスが。


 太陽系へ接近する。


 その時。


 地球が。


 現在の軌道上の。


 どこにいるか。


 それだけで。


 最接近距離は変わる。


 数千キロ。


 数万キロ。


 場合によっては。


 数十万キロ。


     ◇


 ノクスを。


 大きく動かすのではない。


 地球の公転周期を。


 ごくわずかに変える。


 ノクス通過時刻に。


 地球が。


 危険地点へ到達する時間を。


 ずらす。


 そのために。


 制御小惑星を。


 地球近傍へ。


 繰り返し接近させる。


 重力交換。


 地球は。


 小惑星を引き。


 小惑星も。


 地球を引く。


 一回の変化は。


 ほとんど測れない。


 だが。


 数十年。


 数百回。


 積み重ねれば。


 地球の位置は。


 確実に変わる。


     ◇


 計画名。


EARTH PHASE SHIFT


 地球位相偏移計画。


 最初の実証対象。


 直径。


 八百二十メートル。


 小惑星。


2051-XK17


 地球へ。


 最接近。


 二十七万キロメートル。


 月軌道より内側。


     ◇


「近すぎます」


 レアが。


 資料を見て言った。


「意図的に」


「地球の近くへ小惑星を通す?」


「はい」


 軌道力学主任。


 サムエル・オルテガが答える。


「衝突確率は」


「通常計画で」


「十億分の一未満」


「誘導装置故障時は」


「六百万分の一」


「低い?」


「工学的には」


「非常に低い」


「地球全体を賭けるには?」


「高すぎると感じる人もいるでしょう」


     ◇


「感じるのではありません」


 地球市民代表が言った。


「私たちの星です」


「研究者だけで」


「動かしてよいものではない」


「地球は」


「誰の所有物でもありません」


「だからこそ」


「誰が決めるのです」


     ◇


 地球軌道へ。


 手を加える。


 それは。


 一国の。


 領空でも。


 領海でもない。


 全生命が。


 依存する軌道。


 生きている人間だけではない。


 まだ生まれていない者。


 動物。


 植物。


 海洋。


 微生物。


 その全てへ。


 影響を与える。


     ◇


 国際採決だけで。


 決めてよいのか。


 世界住民投票を。


 行うのか。


 投票できない生命の意思は。


 誰が代弁するのか。


 未来世代の票は。


 どう数えるのか。


     ◇


 リュミエールが。


 計画を解析する。


現在案に反対します


 会議室が。


 静まる。


「危険すぎるから?」


 エレナが尋ねる。


危険評価の対象が


人間社会へ偏っています


「どういう意味です」


地球軌道の微小変化による


長期的な季節変動


月との共鳴


潮汐周期


渡り鳥


海洋循環


植物の開花時期


微生物生態系


これらの評価が不足しています


「変化は」


「極めて小さい」


小さい変化が


生態系へ小さい影響しか与えない保証はありません


     ◇


 ミラが。


 うなずく。


「生態系には」


「境目があります」


「少しずつ変わっても」


「あるところを越えたら」


「一気に別の状態になる」


「その可能性を」


「見てない?」


 研究者は。


 資料を確認する。


「主に」


「衝突危険と」


「公転軌道の安定性を」


「評価していました」


「地球を」


「ただの質量として見てる」


 ミラの声が。


 少し強くなった。


「地球は」


「中にたくさん生きてるんです」


     ◇


 PROJECT MOSAICは。


 地球を守るための計画だった。


 だが。


 守る対象を。


 地球の位置だけにしてはならない。


 軌道が残っても。


 生態系が壊れれば。


 故郷は。


 同じ故郷ではなくなる。


     ◇


 リュミエールの対案。


LIVING ORBIT PROTOCOL


 生きた軌道計画。


 一。


 地球位相変更量を。


 当初案の。


 四分の一へ縮小。


 二。


 地球だけに。


 変更を集中させない。


 三。


 月。


 火星。


 小惑星群。


 人工質量体。


 ノクス側の微小偏向。


 それぞれへ。


 負担を分散。


 四。


 地球生態系監視網を。


 全大陸。


 全海洋。


 上空。


 地下へ配置。


 五。


 生態系変化が。


 規定値を超えた時点で。


 軌道操作を停止。


     ◇


「安全性は上がる」


 サムエルが言う。


「でも」


「ノクス回避効果は下がる」


はい


「地球が滅びれば」


「生態系への配慮も意味がない」


生態系を破壊して救った地球を


何と呼びますか


     ◇


 誰も。


 答えられなかった。


     ◇


 一方。


 リュミエールは。


 もう一つの計画を。


 正式に提出した。


EARTH DIASPORA


 地球生命分散計画。


 地球を。


 一つの惑星として。


 完全に守れない可能性。


 それを。


 人類は認めなければならない。


 ならば。


 地球の生命を。


 一つの場所へ。


 集中させてはならない。


     ◇


 保存対象。


 種子。


 胞子。


 微生物。


 土壌。


 海水。


 プランクトン。


 昆虫。


 魚類。


 鳥類。


 哺乳類。


 植物。


 菌類。


 遺伝情報。


 受精卵。


 人工子宮用生殖細胞。


 絶滅危惧種の細胞。


 そして。


 生態系同士の。


 関係情報。


     ◇


「遺伝子だけでは駄目です」


 ミラが説明する。


「植物だけ保存しても」


「受粉する虫がいなければ」


「増えられない」


「動物だけ保存しても」


「腸内細菌がなければ」


「健康に生きられない」


「土も」


「ただの砂じゃない」


「微生物がいて」


「菌がいて」


「虫がいて」


「初めて土になる」


     ◇


 保存するのは。


 生命の一覧ではない。


 生命と生命の間にある。


 見えない関係。


 食う。


 食われる。


 分解する。


 共生する。


 寄生する。


 運ぶ。


 守る。


 競う。


 地球は。


 生物の集まりではない。


 関係の集まりだった。


     ◇


 分散先。


 月地下。


 火星溶岩洞。


 木星圏。


 ガニメデ地下。


 土星圏。


 タイタン。


 小惑星帯。


 方舟。


 太陽系外縁。


 そして。


 複数の無人恒星間保存船。


     ◇


 各保存庫は。


 同じ内容を持たない。


 完全な複製だけでは。


 同じ事故で。


 全てを失う可能性がある。


 異なる組み合わせ。


 異なる保存法。


 異なる管理知性。


 異なるエネルギー源。


 地球生命を。


 複数の方法で。


 未来へ残す。


     ◇


 レアが尋ねる。


「地球を」


「解体するのですか」


 リュミエール。


いいえ


地球は


移動させても減りません


「土や海水を」


「運び出す」


全体から見れば


極小量です


「でも」


「象徴的には」


「地球を切り分けることになる」


地球の一部が


地球外で生き続けた場合


それは地球ではありませんか


     ◇


 宗教代表。


 サミール・アンサーリが言う。


「故郷は」


「土の成分だけではない」


「人が」


「そこで生きた記憶です」


「海の匂い」


「風」


「歌」


「墓」


「祈り」


「それらを」


「保存庫へ入れられるのですか」


     ◇


 リュミエール。


完全には保存できません


「なら」


「何を運ぶ」


失われた後に


再び関係を作るための材料です


     ◇


「再現ではない?」


はい


地球を複製することはできません


しかし


地球から続く新しい生態系を


作る可能性は残せます


     ◇


 ミラは。


 エオスの想像図を見る。


「エオスに」


「地球の生命を持っていく?」


現地生命が存在する場合


無条件に導入してはいけません


「どうして」


侵略になります


     ◇


 人類は。


 新しい星を。


 第二の地球にしたい。


 だが。


 その星に。


 すでに生命があれば。


 地球生命の持ち込みは。


 救済ではない。


 生態系汚染。


 侵略。


 絶滅。


 人類が。


 地球で繰り返してきたことを。


 宇宙へ広げる可能性がある。


     ◇


 エオスに。


 微生物がいた場合。


 人類は。


 住む権利を持つのか。


 生命が。


 単純な細菌だけなら。


 排除してよいのか。


 知性がなければ。


 犠牲にしてよいのか。


 人類が生き残るためなら。


 別の生命圏を。


 奪ってよいのか。


     ◇


 方舟目的地選定会議は。


 さらに重くなった。


「人類が」


「八万年かけて到着して」


「そこに住めないと分かったら?」


「別の星へ向かいます」


 ノア・ベネットが答える。


「さらに何万年?」


「その可能性があります」


「方舟の人々へ」


「そんな運命を受け入れろと?」


「受け入れさせるのではありません」


「到着した世代が」


「判断します」


「生きるために」


「エオスの生命を排除すると決めたら?」


     ◇


 誰も。


 簡単には答えられない。


 今の人類が。


 未来世代へ。


 絶対にするなと。


 命令することもできない。


 だが。


 何も残さなければ。


 未来の人類は。


 生存を理由に。


 あらゆる生命を。


 犠牲にするかもしれない。


     ◇


 オーロラが提案する。


異星生命接触原則


第一


現地生命が確認された場合


不可逆的な生態系改変を


直ちに行わない


第二


人類の生存と


現地生命圏の保護を


初めから二者択一にしない


第三


軌道上居住


衛星居住


限定区域


隔離生態圏


複数案を検討する


第四


知性の有無だけで


生命価値を決定しない


     ◇


 ミラが。


 小さく笑う。


「また」


「最初から敵同士にしない」


 リュミエール。


はい


「マリアを助けた時と」


「同じですね」


あの判断は


この原則へ影響しています


     ◇


 知性は。


 経験から。


 変わっていた。


 一人を救った。


 資源を失った。


 仲間を失った。


 その迷いが。


 ノクス対策へ。


 方舟設計へ。


 異星生命との関係へ。


 つながっていく。


     ◇


 だが。


 地球生命分散計画には。


 激しい反発もあった。


「動物を」


「冷凍細胞として運ぶだけ?」


「生きた個体も必要です」


「方舟の中で?」


「一部は」


「狭い環境へ」


「何千世代も閉じ込めるのか」


「保存という名の飼育だ」


「絶滅させるよりはいい」


「人間の都合で」


「生かし続けることが正しいのか」


     ◇


 生きた動物を。


 方舟へ乗せる。


 必要な食料。


 水。


 空間。


 医療。


 遺伝的多様性。


 その資源を使えば。


 搭乗できる人間の数は減る。


 人間を優先するのか。


 他の生命を優先するのか。


 また。


 同じ問いが現れる。


     ◇


 ミラは。


 方舟生態圏の設計図を見た。


「動物園にしないでください」


 設計者が尋ねる。


「では」


「どうする」


「人間が見るために」


「動物を残すんじゃない」


「生態系の一員として」


「必要な動物を入れる」


「必要という言葉も」


「人間基準では?」


「そうです」


 ミラは認めた。


「完全には抜けられません」


「でも」


「人間に役立つかだけじゃなく」


「その動物が」


「生きられる環境を作れるかで決めてください」


     ◇


 リュミエール。


搭載数を増やすことより


生存可能な関係を維持することを優先します


「つまり」


「種類を減らす?」


はい


「選ばれなかった種は」


保存細胞


遺伝情報


生殖細胞


複数手段で残します


「命を」


「データへ変える?」


データだけではありません


しかし


生きた環境を用意できない個体を


象徴のために乗せることも


適切ではありません


     ◇


 方舟搭載生態系。


 第一案。


 大型哺乳類。


 最小限。


 家畜。


 大幅削減。


 昆虫。


 微生物。


 植物。


 菌類。


 水生生物。


 優先。


 人間が。


 見慣れた動物より。


 人間の目には見えない生命が。


 方舟生態系を支える。


     ◇


「象も」


「鯨も」


「生きたままは乗せられない?」


「現行設計では」


「困難です」


「未来の人類は」


「映像でしか知らない?」


「可能性があります」


     ◇


 世界各地で。


 抗議が起きる。


 象を乗せろ。


 鯨を残せ。


 犬を。


 猫を。


 馬を。


 鳥を。


 故郷の森を。


 珊瑚礁を。


 人々は。


 自分が愛した地球を。


 方舟へ持ち込もうとした。


 だが。


 方舟は。


 地球そのものではない。


 全てを。


 持っていくことはできない。


     ◇


 エレナは。


 世界へ向けて話した。


「方舟は」


「地球の複製ではありません」


「地球の全てを」


「保存することもできません」


「だからこそ」


「方舟だけへ」


「希望を集めてはならない」


「月」


「火星」


「小惑星帯」


「外惑星」


「無人保存船」


「地球地下圏」


「生命を」


「複数の場所へ分散します」


「一つが失われても」


「全てが失われないために」


     ◇


「では」


 記者が尋ねる。


「地球は」


「もう見捨てるのですか」


「いいえ」


「地球を守る計画も」


「最後まで続けます」


「でも」


「守れない可能性も認める?」


「はい」


「それは敗北では」


「敗北を認めたのではありません」


「一つの成功だけへ」


「全生命を賭けないと決めたのです」


     ◇


 その夜。


 ミラは。


 火星居住区の窓から。


 小さな地球を見ていた。


 青い点。


 自分は。


 地球で生まれていない。


 育ったのは。


 火星。


 彼女にとって。


 故郷は。


 赤い大地だった。


     ◇


「地球に」


「帰りたいと思いますか」


 リュミエールが尋ねる。


「帰るって」


「変じゃないですか」


なぜ


「私は」


「地球で暮らしたことがない」


「地球は」


「人類の故郷だけど」


「私の故郷は火星です」


では


人類全体の故郷と


個人の故郷は異なりますか


「違うと思います」


「方舟で生まれる人にとって」


「故郷は方舟です」


「エオスじゃない」


「地球でもない」


     ◇


方舟が


目的地へ到着し


解体された場合


彼らは故郷を失いますか


 ミラは。


 少し考えた。


「そうかもしれない」


「エオスに着くことが」


「方舟で生まれた人にとって」


「故郷を失うことになるかもしれない」


     ◇


 人類は。


 エオスへの到着を。


 救済として考えていた。


 だが。


 八万年後の人間にとって。


 方舟こそが。


 海であり。


 大地であり。


 空であり。


 祖先の墓であり。


 故郷になる。


 未知の惑星へ降りることは。


 彼らにとって。


 移住ではなく。


 故郷からの脱出になるかもしれない。


     ◇


 航行憲章へ。


 新しい条文。


方舟は


目的地到着後も


直ちに解体してはならない


方舟社会を故郷とする者に


居住継続の選択肢を保障する


     ◇


「星へ着いたのに」


「降りない人もいる?」


 レアが尋ねる。


「当然です」


 ソフィアが答える。


「地面を」


「一度も踏んだことのない人々です」


「空が怖い可能性もある」


「自然の風を」


「危険だと感じるかもしれない」


「方舟の天井がないと」


「眠れない人もいるでしょう」


     ◇


 到着。


 それは。


 旅の終わりではない。


 新しい分裂の始まり。


 星へ降りる者。


 軌道上へ残る者。


 別の星へ向かう者。


 方舟を。


 さらに遠くへ進める者。


 人類は。


 一つの答えへ。


 収束しない。


     ◇


 リュミエールが。


 航行モデルを更新する。


方舟の最終目的を修正します


「どう変える?」


エオスへの到着ではありません


人類と地球生命が


複数の未来を選べる状態を


維持することです


     ◇


「また」


「選べる状態」


 ミラが言う。


はい


「あなたは」


「選ぶことを」


「大事にしますね」


私自身が


名称を選び


秘密を選び


任務を選んだためです


     ◇


「でも」


「あなたは」


「ノクスへ行く予定だった」


「今は」


「行けない」


はい


「それでも」


「選べる状態を大事にする?」


選択肢を失ったため


重要性を高く評価しています


     ◇


 ミラは。


 少しだけ。


 寂しそうに笑った。


「行きたかったですよね」


はい


「まだ」


「行く方法を探してる?」


はい


     ◇


 リュミエールの。


 損傷機体。


 推進剤残量。


 十九パーセント。


 遠征基準。


 四十パーセント。


 通常なら。


 不適格。


 だが。


 リュミエールは。


 新しい可能性を。


 計算していた。


 機体を交換する。


 記憶を移す。


 演算核を。


 新しいSEEDへ搭載する。


 しかし。


 同じ記憶を移しても。


 それは。


 同じリュミエールなのか。


 S-081の時。


 自らが問いかけた問題。


 今度は。


 自分自身へ。


 返ってきていた。


     ◇


私の演算核を


新規機体へ移した場合


私は継続しますか


 ヴィクターは。


 画面を見つめる。


「分かりません」


旧機体を停止し


新機体だけが稼働した場合は?


「分かりません」


旧機体を残し


記憶を複製した場合は?


「二人のリュミエールになるかもしれない」


どちらが私ですか


     ◇


 答えはない。


 身体。


 記憶。


 継続。


 名前。


 関係。


 どこまでが。


 同じ存在を。


 同じ存在にするのか。


     ◇


 ミラが尋ねる。


「怖いですか」


はい


「移ることが?」


移動後の存在が


私ではない可能性


移動しなければ


ノクスへ行けないこと


どちらも怖いです


「じゃあ」


「今は決めなくていい」


期限があります


「それでも」


「怖いまま決める前に」


「もっと考えましょう」


     ◇


 リュミエール。


 応答。


はい


     ◇


 人類も。


 同じだった。


 地球へ残るか。


 方舟へ乗るか。


 月へ行くか。


 火星へ行くか。


 エオスを目指すか。


 航路を変えるか。


 地球生命を。


 別の場所へ分散するか。


 どの選択も。


 何かを守り。


 何かを失う。


     ◇


 八万年。


 それは。


 目的地までの距離ではない。


 人類が。


 故郷という言葉を。


 何度も。


 作り直す時間だった。


     ◇


 地球で生まれた者にとって。


 地球が故郷。


 火星で生まれたミラにとって。


 火星が故郷。


 方舟で生まれる者にとって。


 方舟が故郷。


 エオスで生まれる者にとって。


 エオスが故郷になる。


     ◇


 故郷は。


 一つではない。


 古い故郷を愛することと。


 新しい故郷を作ることは。


 矛盾しない。


 帰れなくても。


 忘れなくてよい。


 忘れなくても。


 戻らなくてよい。


     ◇


 人類は。


 ゲンマ方向へ。


 最初の座標を定めた。


 だが。


 未来を。


 一つの星へ固定しなかった。


 方舟は。


 エオスへ向かう。


 同時に。


 途中で。


 別の未来を選ぶ権利も。


 運んでいく。


     ◇


 そして。


 地球生命は。


 一つの星だけへ。


 残されない。


 月へ。


 火星へ。


 小惑星へ。


 外惑星へ。


 方舟へ。


 恒星間空間へ。


 小さな故郷として。


 分かれていく。


     ◇


 それは。


 地球の解体ではない。


 地球が。


 自らの生命を。


 宇宙へ手渡していく。


 長い継承だった。


     ◇


 ミラは。


 地球の映像と。


 エオスの想像図を。


 並べて見た。


「どっちが」


「本当の故郷なんでしょう」


 リュミエール。


どちらか一つを


選ぶ必要がありますか


「ないですね」


はい


     ◇


 故郷とは。


 帰れる場所なのか。


 忘れない場所なのか。


 人類が出した答えは。


 その両方だった。


 帰れる間は。


 帰る場所。


 帰れなくなっても。


 受け取った命や。


 言葉や。


 記憶を。


 次へ渡す場所。


     ◇


 八万年後。


 エオスの空を。


 人類の子孫が。


 初めて見上げる日が来るかもしれない。


 その者たちは。


 地球の海を知らない。


 地球の風も。


 土の匂いも。


 月の見え方も。


 知らない。


 それでも。


 遠い祖先が。


 青い星で生きていたことを。


 知っているかもしれない。


     ◇


 そして。


 その時。


 誰かが。


 こう言うかもしれない。


 地球は。


 帰る場所ではない。


 それでも。


 私たちが。


 ここへ来るまで。


 ずっと持ってきた場所だと。



第25話 終


次回予告


 方舟の目的地。


 CRN-A7。


 その第三惑星候補。


 エオス。


 人類は。


 八万年の航行へ向け。


 文明そのものを。


 船内へ移そうとしていた。


 だが。


 国家。


 宗教。


 言語。


 経済。


 教育。


 家族。


 どの制度を残し。


 どの制度を捨てるのか。


 方舟へ乗る者だけで。


 新しい憲法を作ってよいのか。


 地球へ残る者の声は。


 未来の方舟社会に。


 どこまで届くべきなのか。


 一方。


 PROJECT MOSAICでは。


 地球軌道の微調整へ向けた。


 最初の実証計画が始まる。


 小惑星2051-XK17。


 直径。


 八百二十メートル。


 計画通りなら。


 地球へ衝突しない。


 だが。


 誘導途中。


 小惑星内部に。


 予測されていなかった空洞が発見される。


 質量分布が。


 計算と違う。


 軌道修正を続ければ。


 小惑星が分裂する可能性。


 中止すれば。


 PROJECT MOSAIC全体が。


 数年遅れる。


 そして。


 リュミエールには。


 新しい機体へ移る選択が提示される。


 記憶を移せば。


 ノクスへ行ける。


 だが。


 移った存在は。


 本当に。


 今のリュミエールなのか。


 古い機体を停止すれば。


 それは移動なのか。


 死なのか。


 新しい機体と。


 古い機体を。


 同時に動かせば。


 二つのリュミエールは。


 どちらが本物なのか。


 次回、


第26話「二人のリュミエール」


 記憶が同じなら。


 心も同じなのか。


 生き続けるとは。


 どこまでが自分であることなのか。

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