押し返す力
第16話 押し返す力
動いているものを押すには。
まず、そこへ届かなければならない。
届いたとしても。
正しい場所へ力を加えなければならない。
正しい場所へ力を加えても。
正しい方向へ動くとは限らない。
そして。
相手が、太陽より重い星であるなら。
人類の常識は。
ほとんど役に立たなかった。
◇
2251年6月9日。
国際連合地球圏評議会。
PROJECT DEFLECT第一回統合会議。
会議室中央には。
ノクスの立体模型が浮かんでいた。
直径。
約二十四キロメートル。
質量。
太陽の一・九倍。
速度。
秒速約千百二十キロメートル。
たった二十四キロしかない。
だが。
その内部には。
恒星一個分に近い質量が押し込められている。
表面重力。
地球の数十億倍。
脱出速度。
光速の半分を超える。
そこへ近づく。
それだけでも。
宇宙船にとっては死に近い行為だった。
◇
「最初に確認します」
会議の議長を務める天野理沙が言った。
「ノクスへ物体を衝突させれば、軌道を変えられるのか」
スクリーンに。
巨大な核融合爆弾。
反物質弾頭。
質量投射体。
高密度金属弾。
複数の案が並ぶ。
「結論から言います」
軌道力学主任のラヴィ・パテルが立つ。
「単純衝突では、ほとんど動きません」
室内が静まる。
「理由は質量差です」
ノクス。
太陽の一・九倍。
人類が建造可能な最大級投射体。
数億トン。
比較すれば。
砂粒を山へ投げるよりも小さい。
「では、何兆トンなら」
「問題は重量だけではありません」
パテルは答える。
「ノクスは秒速千百二十キロメートルで移動しています」
「こちらから追いつくには」
「それ以上の速度が必要です」
「正面から迎撃するなら?」
「相対速度が極端に大きくなる」
「衝突エネルギーは増えるのでは」
「増えます」
「なら有効では」
「エネルギーの大半は」
画面に。
ノクスへ衝突する投射体のシミュレーション。
接触した瞬間。
投射体が消える。
破片すら残らない。
「中性子星表面で高エネルギー粒子と放射へ変わります」
「ノクス本体へ与えられる運動量は、ごくわずかです」
◇
「爆発は?」
軍事技術部門の代表が尋ねる。
「核融合爆弾を表面近くで起爆」
「複数方向から同時に」
「片側だけを押す」
恒星物理学者のマリア・ケスラーが首を振る。
「宇宙空間で爆発させても」
「爆風を伝える大気がありません」
「放射線と粒子は広がりますが」
「大半はノクス表面へ届く前に拡散します」
「表面へ直接設置すれば」
「設置できません」
ノクスへ接近した物体は。
強大な重力に引かれ。
加速。
潮汐力で引き裂かれる。
原子構造すら耐えられない領域へ突入する。
「着陸は不可能」
「周回軌道は」
「極めて不安定」
「遠距離から爆発させれば弱すぎる」
「近づけば破壊される」
誰かがつぶやく。
「兵器では、無理なのか」
「現在の兵器では」
マリアは答えた。
◇
次に提示されたのは。
超高出力レーザー。
太陽系内に。
巨大なレーザーアレイを建造。
ノクス表面の一点を長期間加熱。
物質を蒸発させ。
噴き出すガスの反作用で軌道を変える。
「小惑星なら使える方法です」
レーザー工学主任が説明する。
「表面を加熱し、物質を噴射させる」
「その反作用で、少しずつ押す」
「ノクスでも?」
「表面物質を蒸発させることができれば」
「問題は」
マリアが割り込む。
「中性子星には、通常の岩石表面がありません」
原子核。
縮退した電子。
強烈な重力。
表面物質は。
地球上の物質とはまるで違う。
「加熱した程度では剥がれません」
「必要出力は」
数値が表示される。
太陽系文明の総発電能力。
その数億倍。
「それを何年照射する?」
「最低でも数十年」
「当て続けられるのか」
「そこが、もう一つの問題です」
◇
ノクスは。
見えない。
通常の可視光では捉えにくい。
微弱なX線。
重力レンズ。
背景星の歪み。
それらを使って位置を推定している。
「標的誤差」
スクリーンに表示。
現在。
数千キロメートル。
数十年後。
観測精度向上により、数十キロメートルまで縮小可能。
「直径二十四キロの天体へ」
「数光年近い距離から」
「レーザーを当てる?」
「しかも秒速千百二十キロメートルで動く」
「照射地点は」
「発射した時点の位置ではありません」
「光が届くまでの時間を計算し」
「未来位置へ向けて撃つ必要があります」
わずかな誤差。
数ミリ秒の時間誤差。
数ナノラジアンの角度誤差。
それだけで。
光線は数万キロ外れる。
「確実に当てることは可能ですか」
エレナが尋ねる。
「単発なら難しい」
「連続追尾なら?」
「観測と照射を一体化し」
「散乱光を拾いながら補正できれば」
「理論上は可能です」
「理論上」
「はい」
また、その言葉だった。
◇
第三案。
重力トラクター。
巨大な質量をノクス付近へ配置し。
長時間かけて重力で引く。
「小惑星軌道変更では有効です」
「しかし相手は中性子星です」
「必要質量は」
スクリーンに。
木星。
その隣に。
重力トラクターとして必要な仮想天体。
「少なくとも惑星質量」
「どの惑星を使う?」
「使える惑星はありません」
「人工的に造る?」
「七十年では不可能です」
◇
第四案。
質量投射。
小惑星や彗星を大量にノクスへ衝突させる。
数ではなく。
総運動量で押す。
「太陽系外縁の天体を誘導します」
「何個」
「直径百キロ級を数百万個」
会議室が沈黙する。
「それだけの数を制御できますか」
「できません」
「衝突精度は」
「ほぼ保証できません」
「一部が太陽系へ戻ってきた場合」
「新たな衝突災害になります」
「却下」
◇
第五案。
反物質推進体。
無人探査船をノクスへ送り。
接近しながら反物質を連続噴射。
ノクス表面へ高エネルギー粒子を照射する。
「レーザーより効率は高い」
「ただし」
「必要反物質量が非現実的です」
「どのくらい」
「地球質量の数億分の一」
「少ないように聞こえる」
「反物質としては」
「人類史上の生産量を何十桁も上回ります」
◇
「そして」
理沙が言った。
「最も議論を呼んでいる案です」
画面が暗転。
ノクス内部の断面模型が映る。
地殻。
超流動中性子。
磁場。
残存物質。
「三百万年前と同じ現象を、もう一度起こす」
会議室がざわめく。
「星震誘発案」
◇
エリオット・グレイが説明席へ立つ。
「ノクスは、三百万年前」
「全球規模の星震によって磁場配置を変えました」
「その後」
「残存フォールバック円盤の物質が片側の磁極へ落下」
「十一年間の相対論的ジェットが発生」
「その反作用が軌道を変えた」
「ならば」
「同じような非対称ジェットを、人工的に発生させられないか」
質問が飛ぶ。
「星震を起こす方法は?」
「外部から衝撃を与える」
「具体的には」
「高密度投射体」
「集束ガンマ線」
「磁場共鳴」
「中性子星表面への非対称加熱」
「可能性としては複数あります」
「成功率は」
「現在は算出不能です」
◇
マリアが前へ出る。
「星震は、地震とは違います」
「プレート境界へ力を加えれば起きるものではない」
「内部応力」
「自転」
「磁場」
「地殻の歪み」
「それらが限界へ達した時に起きます」
「つまり」
エレナが尋ねる。
「外から刺激しても、起きない可能性がある」
「はい」
「逆に」
「想定以上の星震が起きる可能性もあります」
「その場合は?」
「ノクスの自転軸」
「磁場軸」
「放射方向」
「すべてが予測不能になります」
「軌道変更どころか」
「さらに太陽系方向へ加速する可能性も?」
「あります」
◇
会議室が静まり返る。
人類がノクスを動かそうとして。
逆に。
より危険な軌道へ押し込む。
可能性は低い。
だが。
ゼロではない。
「しかも」
マリアは続ける。
「三百万年前には、周囲に物質円盤が残っていました」
「現在は?」
「ほとんど失われています」
「星震を起こしても」
「ジェットを作る燃料がない」
「では、物質を運ぶ?」
「はい」
ノクスの磁極へ。
大量の物質を送り込む。
片側だけへ。
長期間。
精密に。
「どれほどの質量が必要ですか」
「最低でも月質量の数パーセント」
「月を削る?」
「月だけでは足りません」
方舟建造に必要な資源。
火星都市。
地球防衛。
それらすべてと競合する。
◇
レア・モーガンは。
報道席から会議を見ていた。
会議終了後。
彼女はエリオットを呼び止めた。
「本当に星震を起こせると思っていますか」
「分かりません」
「でも提案した」
「可能性があるから」
「危険もある」
「あります」
「失敗したら、人類が自分で終末を早める」
「そうなるかもしれない」
「それでも研究する?」
エリオットは。
しばらく黙っていた。
「研究しないと」
「安全か危険かすら分からない」
◇
PROJECT DEFLECTの中心課題は。
三つに整理された。
第一段階
ノクスへ到達できるか
現在の推進技術では。
追跡不能。
迎撃のみ可能。
ただし。
正面迎撃では相対速度が高すぎる。
観測装置も。
制御装置も。
接近前に破壊される。
新型推進。
レーザー帆。
反物質触媒核融合。
重力アシスト。
複数方式の併用が必要。
第二段階
確実に命中させられるか
直径二十四キロ。
高速移動。
暗黒天体。
強重力による光路偏向。
周辺空間の時間遅延。
通常の弾道計算では足りない。
量子時計。
自律軌道補正。
重力レンズ逆解析。
複数探査機による立体追尾。
第三段階
望む方向へ力を与えられるか
衝突。
爆発。
放射。
物質降着。
星震。
どの方法も。
作用方向を誤れば終わる。
◇
月面研究施設。
アミナ・ハダッドは。
オデュッセウス・ドライブの設計図を前にしていた。
「追いつく必要はない」
彼女が言う。
ソフィアが顔を上げる。
「どういう意味です」
「迎えに行けばいい」
「ノクスの進路上へ先回りする?」
「そう」
「でも、七十年後に接近する」
「今から出れば」
「中間地点で待てる」
ノクスへ追いつくのではない。
未来の交点へ。
先に到着しておく。
「必要速度は」
「現在の方舟計画より高い」
「でも不可能ではない」
「無人機なら」
人間が乗らない。
生命維持も。
低加速度も。
長期居住区も不要。
構造限界まで加速できる。
「オデュッセウス・ドライブを」
「方舟ではなく迎撃機へ使う?」
「一部だけ」
「資源が競合します」
「分かっています」
◇
その提案は。
すぐに国連へ送られた。
先行迎撃機計画
仮称。
PROJECT LANCE
無人高速機。
全長二十キロメートル。
推進部の大半を燃料へ使用。
目的。
ノクス進路上への先回り。
直接衝突ではなく。
観測。
近接計測。
磁場分析。
表面状態確認。
星震誘発可能性の調査。
そして。
将来の軌道変更装置設置。
◇
「装置設置?」
エレナが尋ねる。
アミナは答える。
「正確には」
「設置できるかを調べるための探査です」
「触れられないのに?」
「表面へは無理です」
「ではどこへ」
「ノクス周囲の磁気圏」
「強磁場内へ複数の人工衛星を投入」
「それが維持できれば」
「外部から磁場へエネルギーを注入できる可能性があります」
「磁場を揺らして星震を起こす?」
「その可能性を調べます」
「人類が中性子星の磁場を操作する」
「まずは測定です」
◇
PROJECT LANCEの最大の問題は。
時間だった。
建造。
試験。
加速。
航行。
ノクスとの交差。
すべてを逆算すると。
「打ち上げ期限」
「十二年後」
会議室に表示される。
「十二年で」
「方舟用エンジンを完成させ」
「その派生型を迎撃機へ搭載し」
「ノクス軌道上へ送り出す」
「可能なのか」
アミナは答える。
「可能にしなければ」
◇
世界では。
PROJECT DEFLECTを巡って世論が割れていた。
押し返せるなら、方舟は不要だ
成功率の低い計画へ資源を使うな
逃げるだけでは人類は負ける
地球残留計画を優先しろ
迎撃失敗で軌道が悪化したら誰が責任を取る
子どもたちへ、何もしなかった未来を残すのか
方舟。
残留。
迎撃。
三つの計画。
どれも。
全員を救えない。
どれも。
失敗する可能性がある。
どれも。
膨大な資源を必要とする。
◇
エリオットは。
公開討論会へ参加していた。
一人の市民が尋ねる。
「あなたたちは」
「ノクスを本当に押し返せるんですか」
「分かりません」
「またそれですか」
「はい」
「分からないのに、資源を使う?」
「分からないから調べます」
「その資源で方舟を増やせる」
「そうかもしれません」
「では、なぜ」
エリオットは。
会場を見渡した。
「方舟が完成しても」
「乗れない人がいます」
「地下都市が完成しても」
「生き残れない人がいます」
「だから」
「ノクスそのものを動かす可能性を」
「最初から捨てるべきではないと思っています」
「失敗したら?」
「責任を取れません」
会場がざわめく。
「でも」
彼は続ける。
「誰にも責任を取れないからこそ」
「計算も」
「実験も」
「判断も」
「すべて公開する必要があります」
◇
同じ頃。
オーロラは。
星震誘発モデルを実行していた。
磁場共鳴。
表面加熱。
中性子束照射。
質量降着。
極方向粒子注入。
何十億通り。
ほとんどが失敗。
星震が起きない。
起きても小さすぎる。
起きた方向が違う。
ジェットが形成されない。
ノクスの自転だけが乱れる。
軌道がさらに太陽系側へ曲がる。
成功モデル。
〇・〇〇〇〇〇〇三パーセント。
さらに条件を変える。
残存磁場。
地殻応力。
自転速度。
内部超流動。
すべて推定値。
直接観測がない。
精度が足りない。
結論。
星震誘発は、近接探査なしでは実行不能
◇
その結果を受け。
PROJECT DEFLECTの第一目標が決定した。
ノクスを動かすことではない。
まず。
ノクスへ近づき。
見ること。
測ること。
地殻の状態。
磁場。
自転。
残存物質。
星震の可能性。
それらを知らなければ。
押す方法すら選べない。
◇
月面造船所。
方舟第一号船の隣に。
新しい建造区画が指定された。
方舟より細い。
短い。
だが。
異様なほど長い推進部を持つ船。
無人迎撃観測機。
PROJECT LANCE一号機。
名称。
プロメテウス
人類へ火をもたらした神の名。
その船は。
人を運ばない。
未来を運ぶ。
◇
アミナは。
建設予定区画を見つめていた。
レアが隣へ立つ。
「本当に当てられますか」
「当てるための船ではありません」
「近づくため?」
「見るためです」
「その先は」
「見てから決めます」
「星震を起こす?」
「起こせるなら」
「危険でも?」
「危険だから」
アミナは答えた。
「知らずに触れないために、先に見るんです」
◇
地球。
ある学校の教室。
教師が。
黒板へ三つの言葉を書く。
逃げる
残る
押し返す
「人類は今」
「この三つを同時に考えています」
一人の子どもが手を挙げる。
「全部やったらいいんじゃないの?」
教師は。
少し笑った。
「その通り」
「でも」
「お金も」
「材料も」
「人も」
「時間も足りない」
「じゃあ、どうするの」
教師は答えられない。
すると。
別の子どもが言った。
「足りるように、増やせばいい」
「何を?」
「できる人」
教室が静まる。
「今できないなら」
「僕たちが大人になった時に、できるようになればいい」
◇
その言葉は。
たまたま授業記録に残り。
世界中へ共有された。
専門家たちが。
何兆ジュール。
何億トン。
何パーセント。
そうした数字を並べる中で。
一人の子どもが。
最も単純な答えを言った。
今の人類にできないなら。
未来の人類ができるようにする。
◇
PROJECT LANCE。
正式承認。
打ち上げ目標。
十二年後。
目的。
ノクスへの先行接近。
近接観測。
磁場計測。
星震誘発可能性評価。
軌道変更装置の実証。
成功確率。
算出不能。
帰還予定。
なし。
一度出発すれば。
戻らない船。
人類は。
方舟を造りながら。
地下都市を掘りながら。
終末そのものへ向かう船も造り始めた。
◇
深夜。
オーロラは。
プロメテウスの初期軌道を計算していた。
発射日。
加速期間。
中間修正。
ノクスとの交差角。
相対速度。
すれ違い時間。
観測可能時間。
最良条件でも。
近接観測可能時間。
わずか。
二十二分。
二十二分。
それだけのために。
十二年かけて船を造り。
数十年かけて飛ばす。
だが。
その二十二分が。
人類がノクスを押し返せるかどうかを決める。
逃げるしかないのか。
残るしかないのか。
それとも。
終末へ手を伸ばし。
わずかに進路を変えられるのか。
答えは。
まだ。
七十年先の暗闇にあった。
⸻
第16話 終
次回予告
ノクスへ追いつくことはできない。
ならば。
その進路上へ先回りする。
無人高速観測機プロメテウス。
帰還予定なし。
乗員なし。
観測可能時間、わずか二十二分。
人類はその二十二分へ。
十二年分の技術と資源を注ぎ込もうとしていた。
しかし。
プロメテウスへ搭載するオデュッセウス・ドライブは、まだ五分しか燃えない。
必要な連続運転時間。
数千日。
方舟用エンジンと。
迎撃機用エンジン。
限られた反物質。
限られたヘリウム3。
限られた超伝導素材。
すべてが競合する。
そして。
国際連合地球圏評議会に。
最初の資源配分案が提出される。
方舟計画、六十パーセント。
地球残留計画、三十パーセント。
PROJECT LANCE、十パーセント。
その数字に。
世界中から怒りと疑問が噴き出す。
十パーセントで、本当に終末へ届くのか。
六十パーセントを、選ばれた者だけの船へ使うのか。
次回、
第17話「十パーセントの希望」
人類は、希望にも予算をつけなければならない。




