第2話:行くしかない
ノートパソコンの画面は、同じところで止まっている。
スクロールする手が、さっきから動かない。
――『道が見える』
――『近い』
画面の中の言葉と、あの夜の言葉が重なる。
偶然にしては、出来すぎている。
***
机の上には、メモが散らばっている。
「鹿児島」
「海岸」
「音がしない」
「近い」
自分でも分かるくらい、雑な整理だ。
でも、それ以上どうまとめていいか分からなかった。
共通点はある。
けれど、決定的な何かが足りない。
――いや。
“足りていないのは、自分の方かもしれない”。
そんな考えが、一瞬だけよぎる。
***
スマホを手に取る。
智恵美とのトーク画面は、開いたままになっていた。
最後のメッセージ。
『ねえ』
『道が見える』
『近い』
――こんな内容だっただろうか。
もう何度目か分からない確認をする。
スクリーンショットを開く。
そこには、同じ文面が残っている。
変わっていない。
変わっていないはずなのに。
“さっき見たものと違う気がする”。
***
通知が鳴る。
一瞬、心臓が跳ねる。
LINEだ。
***
反射的に開く。
智恵美の名前。
――ではない。
企業の広告だった。
***
……当たり前だ。
そんなこと、分かっている。
分かっているのに。
ほんの一瞬だけ、“来た”と思った。
***
スマホを伏せる。
それ以上見ていると、余計なことを考えそうだった。
***
警察の対応は、変わらない。
「引き続き捜索は行っています」
「新しい情報があれば連絡します」
その繰り返しだ。
責める気はない。
ただ、進んでいる感じがしないだけだ。
***
「……自分で行くか」
口に出してみると、妙に現実味があった。
言葉にした瞬間、それが“決定事項”に変わる。
***
鹿児島。
行ったことはない。
どんな場所かも、正直よく知らない。
分かっているのは、海があるということだけだ。
***
パソコンの画面に目を戻す。
スレッドは、まだ残っている。
あの海岸の話。
古いログ。
似たような書き込み。
全部、断片的だ。
でも、完全に無関係とも思えなかった。
***
マウスを動かす。
別のタブを開く。
地図。
「鹿児島 海岸」
検索結果が並ぶ。
聞いたことのない地名が、いくつも表示される。
どれも、それらしく見える。
どれも、決め手に欠ける。
***
地図を拡大する。
海岸線をなぞる。
指先が、止まる。
***
どこでもいい。
そう思った瞬間。
――“どこでもいいわけじゃない”。
そんな感覚が、はっきりと浮かぶ。
理由は分からない。
でも、“違う場所に行く気がしない”。
***
「……分かるわけないか」
小さく呟く。
当たり前だ。
“場所が特定できるような話じゃない”。
むしろ、特定できない方が自然だ。
***
それでも。
行けば、何か分かるかもしれない。
そんな気がしていた。
根拠はない。
でも、それ以外にやれることもなかった。
***
スマホをもう一度手に取る。
通話履歴。
一番上に、智恵美の名前がある。
発信時間は、あの日のまま止まっている。
再生ボタンはない。
当然だ。
録音なんてしていない。
***
それでも、耳の奥に残っている。
波の音。
砂を踏むような音。
そして、最後の言葉。
――「後ろで」
***
ザッ
***
一瞬、音がした気がした。
思わず振り返る。
誰もいない。
当然だ。
部屋の中だ。
***
……気のせいだ。
そう思おうとする。
でも、さっきの音は。
***
スマホの画面が、点灯する。
触っていないのに。
***
ロック画面。
通知はない。
ただ、黒い画面に自分の顔が映っている。
***
――その“後ろ”。
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何かがいる気がした。
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反射的に、画面を伏せる。
心臓が、速い。
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深く息を吐く。
落ち着け。
考えすぎだ。
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航空券を取る。
画面を操作しながらも、どこか現実感が薄い。
本当に行くのか。
自分でも、まだはっきりしていない。
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予約を確定する。
「完了」の表示が出る。
***
それで、決まった。
もう、引き返せない。
***
パソコンの画面に戻る。
スレッドは、まだ開いたままだ。
閉じようとして、手が止まる。
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少しだけ、スクロールする。
新しい書き込みはない。
――はずだった。
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画面の一番下に、見慣れない行があった。
さっきまで、なかったはずの行。
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『行くなら夜にしろ』
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心臓が、一瞬だけ強く鳴る。
***
誰の書き込みだ。
IDを確認する。
見覚えはない。
時刻を見る。
――今だ。
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リロードする。
表示は変わらない。
***
もう一度、見直す。
***
『行くなら夜にしろ』
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意味が分からない。
誰に向けた言葉だ。
***
カーソルが、返信欄に点滅している。
いつから開いていたのか、覚えていない。
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指が、動く。
***
「どういう意味だ」
***
打ち込んで、止まる。
送るべきか、迷う。
***
数秒。
画面を見つめる。
***
――ここでやめれば、まだ戻れる気がした。
***
それでも。
***
エンターキーを、押した。




