第1話:見ていただけのはずだった
そのスレッドを、開かなければよかった。
――本気で、そう思っている。
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マウスを持った右手が震えている。
やっと見つけた。
智恵美が、いなくなる前に言っていた“場所”を。
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最初にそれを見つけたのは、ただの偶然だった。
海岸。
知らない道。
音がしない。
よくある話だと思った。
作り話。
創作。
どこにでもある、ありがちなネタ。
――そう思っていた。
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俺の名前は、渡瀬。
年齢は三十手前。
どこにでもいる会社員だ。
そして、智恵美は――恋人だった。
***
三週間前。
智恵美は、友人と鹿児島に旅行に行っていた。
温泉に行くとか、海を見に行くとか、
そんな、普通の旅行だった。
最初の数日は、何もおかしくなかった。
写真も送られてきた。
食事。
景色。
海。
『めっちゃ綺麗』
『今度一緒に来ようね』
どこにでもある、普通のやり取り。
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最後に連絡が来たのは、三日目の夜だった。
やけに遅い時間だった。
LINEの通知音で目が覚めた。
画面を開く。
智恵美からのメッセージ。
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『ねえ』
それだけだった。
続けて、もう一件。
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『変な道見つけた』
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寝ぼけていたせいもあって、最初は軽く流した。
観光地なんて、そういうのいくらでもある。
『どこ?』
そう返した。
既読は、すぐについた。
でも、返事は少し遅れた。
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『わかんない』
『なんか』
『静か』
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ここで、少しだけ違和感を覚えた。
でも、その時はまだ、気のせいだと思った。
眠気の方が勝っていた。
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『怖いなら戻れよ』
適当にそう返した。
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既読は、またすぐについた。
そして。
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『でも』
『近い』
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その一言で、目が覚めた。
何が、とは聞かなかった。
聞くべきじゃない気がした。
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『ホテル戻れ』
そう送った直後だった。
電話が鳴った。
智恵美からだった。
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出ると、最初に聞こえたのは――音だった。
波の音。
それも、やけに近い。
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「ねえ」
智恵美の声は、小さかった。
風の音はしないのに、波の音だけが強い。
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「変なの」
「さっきまで、なかったのに」
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何が、と聞こうとして。
その前に、智恵美が言った。
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「音、しないの」
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意味が分からなかった。
さっきから、波の音は聞こえているのに。
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「でも」
「聞こえるの」
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その瞬間。
通話の向こうで、音がした。
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ザッ
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砂を踏む音。
明らかに、人の足音だった。
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「今」
「後ろで――」
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そこで、通話は切れた。
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それが、最後だった。
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警察にも連絡した。
同行していた友人にも話を聞いた。
でも、その時間、智恵美は一人で外に出ていたらしい。
どこに行ったのかは、分かっていない。
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そして今。
俺は、そのスレッドを見ている。
海岸。
音がしない。
近づいてくる何か。
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一致している。
――いや。
一致している“気がする”。
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スクロールする。
指が、止まる。
怖い。
でも、やめられない。
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「……ここだ」
誰もいない部屋で、呟く。
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あの時の言葉と。
画面の中の言葉が。
重なっていく。
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『変な道見つけた』
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そのメッセージを、もう一度開く。
何度も見たはずなのに。
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――違和感があった。
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こんな文面だっただろうか。
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画面を見直す。
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『ねえ』
『道が見える』
『近い』
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息が止まる。
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書き換わっている。
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そんなはずはない。
スクリーンショットも残っている。
履歴も確認した。
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なのに。
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もう一度、開く。
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『ねえ』
『道が見える』
『近い』
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指先が、震える。
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画面の向こうで。
何かが、近づいてくる。
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――このスレッドを、最初から読むべきじゃなかった。




