第16話:朝
朝だった。
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目が覚めたとき、しばらく動けなかった。
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天井を見る。
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見慣れた天井。
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自分の部屋。
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カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
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静かだ。
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何も起きていない。
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ただの朝。
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「……」
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ゆっくりと息を吐く。
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体を起こす。
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夢じゃない。
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あの夜のことは、はっきり覚えている。
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それでも。
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ここにいる。
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戻ってきている。
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それだけが事実だった。
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隣を見る。
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布団が、わずかに沈んでいる。
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「……」
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手を伸ばす。
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そこには、確かに温もりがあった。
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少しだけ、安心する。
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立ち上がる。
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リビングへ向かう。
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ドアを開ける。
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キッチンに、人影がある。
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「……おはよう」
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声をかける。
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少し間があって、振り向く。
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「おはよう」
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智恵美が、笑う。
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その顔を見た瞬間、肩の力が抜けた。
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「よかった」
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自然に言葉が出る。
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「帰ってこれて」
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智恵美は、少しだけ首を傾げる。
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「帰ってきた?」
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聞き返す声は、穏やかだった。
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「……ああ」
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一瞬、言葉に詰まる。
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けれど、深く考えないことにする。
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「なんでもない」
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そう言って、テーブルに座る。
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朝の光が部屋を満たしている。
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普通の光。
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普通の部屋。
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キッチンから音がする。
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包丁の音。
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まな板の音。
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生活の音。
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それだけで、現実に戻った気がした。
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「コーヒーでいい?」
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背中越しに声がする。
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「ああ」
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短く答える。
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やり取りはいつも通りだ。
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変わらない。
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何も。
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――何も。
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「……」
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ふと、思う。
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あの場所のことを、聞くべきか。
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ヨナヅキ。
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あの道。
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だが。
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口は動かなかった。
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聞いたところで、何かが変わる気がしなかった。
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それに。
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もう終わったことだ。
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そう思いたかった。
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カップが置かれる。
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目の前に。
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湯気が立つ。
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手に取る。
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温かい。
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現実だ。
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一口飲む。
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苦い。
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いつもと同じ味。
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「どうしたの?」
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声がする。
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顔を上げる。
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智恵美がこちらを見ている。
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「いや……」
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首を振る。
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「なんでもない」
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そう答える。
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しばらく、会話はない。
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ただ、朝が流れていく。
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時計の音がする。
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カチ、カチ、と。
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規則的に。
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その音を聞いていると。
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ふと、違和感が浮かぶ。
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秒針。
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動いている。
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しかし。
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ほんの一瞬だけ。
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止まったように見えた。
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「……」
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見つめる。
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また、動く。
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何事もなかったように。
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気のせいか。
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そう思う。
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視線を外す。
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コーヒーを飲む。
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温かい。
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問題はない。
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そのはずなのに。
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背中に、わずかな冷たさが残っていた。




