第5話:覚えていないこと(思い出せないのではなく)
待ち合わせは、市内のカフェだった。
観光客も地元の人も混ざる、よくある店。
ガラス張りの窓から、昼の光が差し込んでいる。
明るいはずなのに、どこか落ち着かない。
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時間より少し早く着いて、奥の席に座る。
背中側の壁に寄る位置。
無意識に、出入口が見える席を選んでいた。
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水のグラスに触れる。
冷たい。
その感覚だけが、やけに鮮明だった。
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「……渡瀬さん?」
声をかけられて、顔を上げる。
女性が立っていた。
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智恵美の友人。
「佐藤、さん?」
「はい」
軽く会釈される。
ぎこちない。
お互い、どう話していいか分からない空気だった。
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向かいに座る。
店員が来て、注文を取っていく。
コーヒーだった気がする。
でも、はっきりとは覚えていない。
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少しの沈黙。
周囲の会話が、やけに遠く感じる。
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先に口を開いたのは、佐藤の方だった。
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「すみません、あの……」
言い淀む。
視線が、テーブルの上を彷徨う。
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「もっと早く、ちゃんと話せばよかったんですけど」
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「いえ」
短く返す。
責めるつもりはなかった。
ただ、知りたいだけだ。
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「当日のこと、聞いてもいいですか」
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佐藤は、小さく頷いた。
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「その日……三日目の夜ですよね」
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「はい」
「ホテルに戻って、少ししてからです」
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「智恵美が、“ちょっと出てくる”って」
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そこで、少しだけ言葉が止まる。
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「……それだけですか?」
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「はい」
即答。
でも、そのあとに、わずかな間があった。
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「……たぶん」
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引っかかる。
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「たぶん?」
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「いえ、その……」
少しだけ困ったように笑う。
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「細かいところ、あんまり覚えてなくて」
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曖昧な言い方だった。
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「変な様子とかは?」
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視線を落として、少し考える。
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「……普通、だったと思います」
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“思います”。
言い切らない。
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「スマホは持ってましたか?」
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「はい、それは」
今度は迷いがない。
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「ずっと持ってました」
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「電話とか、してました?」
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その質問で、表情が少しだけ固くなる。
ほんの一瞬だけ、呼吸が止まる。
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「……してた、かも」
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「かも?」
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「ごめんなさい」
小さく頭を下げる。
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「その辺り、思い出そうとすると……」
言葉を探すように、視線が泳ぐ。
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「ぼやけるっていうか」
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違和感のある言い方だった。
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「ぼやける?」
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「はい」
ゆっくり頷く。
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「はっきり思い出せないんです」
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ただの記憶違いじゃない。
“触れたくない場所”みたいな言い方だった。
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「そのあと、戻ってこなかった?」
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「はい」
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「連絡は?」
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「……一回だけ」
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顔を上げる。
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「どんな内容でした?」
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少し考えてから、口を開く。
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「“変な道見つけた”って」
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息が止まる。
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「それだけですか?」
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「あと……」
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「“静か”って」
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心臓の音が、少しだけ大きくなる。
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「それ、誰かに見せましたか?」
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「いえ」
首を振る。
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「すぐ既読つかなくなって」
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「電話したんですけど、出なくて」
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テーブルの上の手が、わずかに震えている。
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「次の日、警察に行って……」
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そこから先は、知っている話だった。
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「車は?」
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話を切り替える。
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「レンタカーです」
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「ああ……はい」
少しだけ表情が曇る。
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「朝、車ごといなくなってて」
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「……」
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「どこ行ったのか、分からなくて」
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言葉が続かない。
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「警察には?」
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「もちろん話しました」
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「でも、見つかってなくて」
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沈黙が落ちる。
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「……ごめんなさい」
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ぽつりと呟く。
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「何も、分からなくて」
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その言い方が引っかかる。
“分からない”じゃない。
“思い出せない”に近い。
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いや。
違う。
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“思い出さないようにしている”みたいだった。
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「いえ」
短く返す。
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十分だった。
これ以上は同じだ。
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席を立つ。
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「ありがとうございました」
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頭を下げる。
佐藤は何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。
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店を出る。
外の空気が、少しだけ重い。
昼のはずなのに、どこか鈍い。
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ポケットの中で、スマホを握る。
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画面を開く。
智恵美のトーク履歴。
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『ねえ』
『道が見える』
『近い』
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さっき聞いた言葉と、重なる。
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でも。
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“変な道見つけた”
その文面は、ここにはない。
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立ち止まる。
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どっちが、正しい。
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佐藤の記憶か。
この画面か。
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ゆっくりと、指を動かす。
スクロールする。
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変わらない。
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『ねえ』
『道が見える』
『近い』
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その下。
空白のはずの場所に、
一瞬だけ、文字が見えた気がした。
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『静か』
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息が止まる。
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瞬きをする。
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もう一度見る。
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何もない。
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ただの空白。
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「……」
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画面を閉じる。
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分からない。
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分からないまま、立っている。
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どこかで、波の音がした気がした。




