表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/15

第5話:覚えていないこと(思い出せないのではなく)

待ち合わせは、市内のカフェだった。


観光客も地元の人も混ざる、よくある店。


ガラス張りの窓から、昼の光が差し込んでいる。


明るいはずなのに、どこか落ち着かない。


***


時間より少し早く着いて、奥の席に座る。


背中側の壁に寄る位置。


無意識に、出入口が見える席を選んでいた。


***


水のグラスに触れる。


冷たい。


その感覚だけが、やけに鮮明だった。


***


「……渡瀬さん?」


声をかけられて、顔を上げる。


女性が立っていた。


***


智恵美の友人。


「佐藤、さん?」


「はい」


軽く会釈される。


ぎこちない。


お互い、どう話していいか分からない空気だった。


***


向かいに座る。


店員が来て、注文を取っていく。


コーヒーだった気がする。


でも、はっきりとは覚えていない。


***


少しの沈黙。


周囲の会話が、やけに遠く感じる。


***


先に口を開いたのは、佐藤の方だった。


***


「すみません、あの……」


言い淀む。


視線が、テーブルの上を彷徨う。


***


「もっと早く、ちゃんと話せばよかったんですけど」


***


「いえ」


短く返す。


責めるつもりはなかった。


ただ、知りたいだけだ。


***


「当日のこと、聞いてもいいですか」


***


佐藤は、小さく頷いた。


***


「その日……三日目の夜ですよね」


***


「はい」


「ホテルに戻って、少ししてからです」


***


「智恵美が、“ちょっと出てくる”って」


***


そこで、少しだけ言葉が止まる。


***


「……それだけですか?」


***


「はい」


即答。


でも、そのあとに、わずかな間があった。


***


「……たぶん」


***


引っかかる。


***


「たぶん?」


***


「いえ、その……」


少しだけ困ったように笑う。


***


「細かいところ、あんまり覚えてなくて」


***


曖昧な言い方だった。


***


「変な様子とかは?」


***


視線を落として、少し考える。


***


「……普通、だったと思います」


***


“思います”。


言い切らない。


***


「スマホは持ってましたか?」


***


「はい、それは」


今度は迷いがない。


***


「ずっと持ってました」


***


「電話とか、してました?」


***


その質問で、表情が少しだけ固くなる。


ほんの一瞬だけ、呼吸が止まる。


***


「……してた、かも」


***


「かも?」


***


「ごめんなさい」


小さく頭を下げる。


***


「その辺り、思い出そうとすると……」


言葉を探すように、視線が泳ぐ。


***


「ぼやけるっていうか」


***


違和感のある言い方だった。


***


「ぼやける?」


***


「はい」


ゆっくり頷く。


***


「はっきり思い出せないんです」


***


ただの記憶違いじゃない。


“触れたくない場所”みたいな言い方だった。


***


「そのあと、戻ってこなかった?」


***


「はい」


***


「連絡は?」


***


「……一回だけ」


***


顔を上げる。


***


「どんな内容でした?」


***


少し考えてから、口を開く。


***


「“変な道見つけた”って」


***


息が止まる。


***


「それだけですか?」


***


「あと……」


***


「“静か”って」


***


心臓の音が、少しだけ大きくなる。


***


「それ、誰かに見せましたか?」


***


「いえ」


首を振る。


***


「すぐ既読つかなくなって」


***


「電話したんですけど、出なくて」


***


テーブルの上の手が、わずかに震えている。


***


「次の日、警察に行って……」


***


そこから先は、知っている話だった。


***


「車は?」


***


話を切り替える。


***


「レンタカーです」


***


「ああ……はい」


少しだけ表情が曇る。


***


「朝、車ごといなくなってて」


***


「……」


***


「どこ行ったのか、分からなくて」


***


言葉が続かない。


***


「警察には?」


***


「もちろん話しました」


***


「でも、見つかってなくて」


***


沈黙が落ちる。


***


「……ごめんなさい」


***


ぽつりと呟く。


***


「何も、分からなくて」


***


その言い方が引っかかる。


“分からない”じゃない。


“思い出せない”に近い。


***


いや。


違う。


***


“思い出さないようにしている”みたいだった。


***


「いえ」


短く返す。


***


十分だった。


これ以上は同じだ。


***


席を立つ。


***


「ありがとうございました」


***


頭を下げる。


佐藤は何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。


***


店を出る。


外の空気が、少しだけ重い。


昼のはずなのに、どこか鈍い。


***


ポケットの中で、スマホを握る。


***


画面を開く。


智恵美のトーク履歴。


***


『ねえ』

『道が見える』

『近い』


***


さっき聞いた言葉と、重なる。


***


でも。


***


“変な道見つけた”


その文面は、ここにはない。


***


立ち止まる。


***


どっちが、正しい。


***


佐藤の記憶か。


この画面か。


***


ゆっくりと、指を動かす。


スクロールする。


***


変わらない。


***


『ねえ』

『道が見える』

『近い』


***


その下。


空白のはずの場所に、


一瞬だけ、文字が見えた気がした。


***


『静か』


***


息が止まる。


***


瞬きをする。


***


もう一度見る。


***


何もない。


***


ただの空白。


***


「……」


***


画面を閉じる。


***


分からない。


***


分からないまま、立っている。


***


どこかで、波の音がした気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ