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16話


 朝から風のない日だった。

 麦の葉が一枚も動かない。穂だけが空へ向かって立って、そこに日が真上から刺さっている。青いところと、白っぽく色の抜けたところが、まだらに散っていた。

 ノエは、畦道に座っていた。

 膝に板を載せて、その上に紙を五枚。指で押さえていないと、風もないのに端が反ってくる。

 どれも、いちばん下の行が同じだった。

 村長。

 六枚目にも、そう書いた。

 書いてから、手が止まった。

 畑では、セルグが棒を倒している。持ち上げるたびに腰を反らせて、片手を後ろへ回した。誰も見ていないと思っているらしい。

 道の脇では、ボルドが丸太に斧の柄を当てていた。

 かたん。

 棒の倒れる音が、土のやわらかいところで鈍くなる。

「十だよ」

「はい」

 ノエは、左手の小石を一つ、右手へ移した。

 じゃり、と鳴った。

 汗が、こめかみから顎まで一気に落ちた。額をぬぐうと、手の甲に土がついた。


◇


「精が出るね。なにをやってるんだい?」

 テッサだった。籠を提げて、日陰を選んで歩いてくる。籠の中で、青菜がしおれかけていた。

「石を数えてます」

「石?」

 テッサは籠を下ろして、ノエの右手をのぞきこんだ。

「なんだい、それっぽっち」

「十回倒したら、一つ移すんです。だから、三つで三十回分です」

「ああ、あのときもやってたね。こう──」

 テッサの手が、空中で握って、開いた。

 それから、急に黙った。

「……うちの母ちゃんのと、似てるね」

「お母さん、ですか?」

「縄だよ。あんたが手紙を書いてくれたあと、結び目を五つ寄越したろ。あれさ」

 テッサは、籠の縁を指でなぞった。

「うちの母ちゃんは、昔から、なんでも結んで寄越すんだ。手紙みたいにね。あたしにしか、わかりゃしないんだけど」

 風が来た。

 やっと来た、といった様子で、麦がいっせいに鳴った。

 ノエは、右手を見た。

 小石が、三つ。

 ──縄なら、おぼえなくていい。


◇


 家の裏で、母が縄を巻いていた。

「うちに縄? これしかないよ。明日、井戸の修繕に使うつもりで──ああ、もう、いいよ! 持ってきな。あんた、そんなわかりやすくしょんぼりしなくても──」

 語尾は、聞こえなくなった。

 母は巻きかけの縄をそのまま押しつけて、家の中へ入っていった。

 戸口の前には、父の椅子が出したままになっている。

 脚が一本短いので、人が座ると必ず一度、かたんと鳴るのだ。

 かたん。

 ガロンが、そこに座った。

 ノエは、その前に膝をついた。土が膝から冷たく上がってくる。

 ガロンの前で、縄を四つに切る。

「切っちまうのか?」

「はい」

「切って──また、結ぶのか」

「はい」

 ガロンが、口を開けた。

 開けたまま、しばらく閉じなかった。

 ノエは、切った端と端を結んだ。

 こぶが、できる。指で押すと、固い。

「ここが境です。ここまでが一つの辺で、こぶを越えたら、次の辺です」

 ガロンが、太い指でこぶをつまんだ。つまんで、少しひねる。

「こぶが畑の角なのか」

「そうです」

 ノエは、片方の端を折り返して輪を作った。

「こっちが、はじめです。輪のあるほうからはじめてください」

「棒を倒すのは、わかるよ」

「十回倒したら、大きな結び目を一つ作ります。あまったぶんは、小さい結び目です」

「小石と同じなんだな」

「はい、これなら、おぼえなくて済むと思います」

 ガロンが、縄を受け取った。

 結ぼうとして、指が滑った。

 節が太い。爪が割れている。小さく結んだつもりのものが、大きい結び目とまるで見分けがつかない。

 ほどいて、もう一度結んだ。

 同じだった。

 三度目も、同じだった。

 ガロンが、縄を膝に置いた。

「……おれの手は、こういうのに向いとらん」

 家の裏で、薪を割る音が止まった。

「そこは、ノエにやらせればいい」

 父だった。楽しそうな声音だ。

「……こいつがやったら、おれが結べんままです」

「そらそうだ」

 すぱん。

 薪が、割れた。

 父が軽やかに笑った。

 ガロンも笑った。

 笑い方は、うまくなかった。

「立ち会う人に、結んでもらってください」

 ノエは、膝をついたまま言った。

「見てるだけだと、あとで見た見ないになります。結んでもらえば、その人もいっしょに数えたことになります」


◇


「ところで、東ってのはどっちだ?」

 ノエは、口を開けた。

 辞典には、こう書いてあった。

 東。四方の一。西に相対する方をいう。

 西を引くと、こう書いてあった。

 西。四方の一。東に相対する方をいう。

 あのとき、それで足りると思った。二つが向かい合っているとわかれば、東と西を取り違えることはない。

 東の森があって、西の森がある。そういうものだと思っていた。

 ラントに森があるかどうかを、ノエは知らない。

 親指の腹で、人差し指の側面をなでる。

 なでても、何も出てこなかった。

「わからんのか?」

「……はい」

 ガロンは、それ以上聞かなかった。

 縄を巻いて、輪のところで一度、指を引っかけた。


◇


 次の日も、紙がたまった。

 いちばん下に、村長、と書く。

 九枚目だった。

 ふと、気づく。

「テッサさん」

「なんだい」

「村長さんの名前って、なんですか?」

「ん? 村長は村長だろ?」

「名前です。あると思うんですけど……」

 テッサの手が、止まった。

 それから、道の向こうへ声を張った。

「デュラ! あんた、村長の名前、知ってるかい?」

「村長だ」

「名前を聞いてるんだよ!」

 デュラが、歩いてきた。歩幅が小さい。

 途中で止まって、口を開けて、閉じた。

「……寄合で、呼ばれたことしか」

「呼ばれるのはあんたの名前だろ」

 デュラは、それきり答えなかった。腰をさすりながら、畑の向こうへ行ってしまった。

 ガロンが、棒を担ぎ直して言った。

「うちの村も、村長は村長だ」

 テッサが、腕を組んだ。

 組んでから、ぷっと吹き出した。


◇


 村長の家の卓は、今日も磨いてあった。

 一枚板の、村で一番大きな卓だ。窓から入った光が、木目に沿って細く伸びている。

「村長、名前を教えてください」

「名前? わしのか?」

「はい。紙に書きたいので」

 村長が、顎を撫でた。

 撫でて、こめかみを押さえて、それから咳をした。

「……トバだ」

「トバさん」

「あ、いや、村長でいい」

 ノエは、紙のいちばん下に書いた。

 トバ。

 村長が、のぞきこんだ。

「そこは、もう少し大きくてもよかろう」

「大きく、ですか」

「見えん者もおるだろう? 年寄りのデュラとか」

 村長は、指で卓に字を書いた。

 ト、バ、と、二つ。

 書いてから、咳をした。

「……村長でいい」

 次の日、道の向こうからテッサが呼んだ。

「トバさーん!」

「なんだ」

 村長は、返事をしてから、「村長でいい!」と言った。

 村で流行った。

 デュラが呼んだ。ゲルダが呼んだ。ボルドまで呼んだ。

「トバさーん」

「やめんかと言うとるだろう」

 村長は、そう言いながら畑のほうへ歩いてきた。

 別に用はなかった。

 棒の倒れるところをしばらく見て、ノエの頭をひと撫でして、それから帰っていった。

 次の日も来た。その次の日も来た。

 三日目には、卓が二度磨かれていた。

「村長」

 ボルドが言った。

「その卓、そのうち薄くなるぞ」

「うるさいわ」


◇


 六日目の昼に、坂の下から土埃が上がった。

 がらがら、がらがら。

 馬が首を振って、鼻を鳴らす。

 ハンナは、話を聞き終える前から指を折りはじめていた。

「南のラントまで、人を乗せて往復。三日」

「はい」

「向こうで待つのが、一日」

「はい」

「そのあと代官所だろ。あたしのルートじゃないよ。北も南も抜けるんだから、往復で六日。──十日だ。十日、うちの荷が止まる」

 ハンナが、荷台の板を平手で叩いた。

 ばん、と鳴って、馬が耳を動かした。

「二人の食い扶持と、馬の飼葉。あたしの十日」

 息を吸う。

「麦で、四袋だね」

「四袋!」

 テッサの声が、門の外まで飛んだ。

「手紙は二升って話じゃ……」

「手紙は、ついでだからさ。ついでじゃないものを、ついでの値で運べって言うのかい?」

 ハンナは、テッサとしっかり目を合わせた。

「代官所なんか、あたしも行ったことないんだよ。誰も頼まないからね。道だって、聞きながら行くんだ」

 ガロンが、下を向いた。

 肩が薄い。襟から出た首が、日に焼けて細かった。

「……それは、払えん」

 声が、地面に落ちた。

「今年の麦は、まだ穂だ。それも、この届けが通らなけりゃ、おれの麦じゃなくなる……」

 誰も、答えなかった。

 馬が、足踏みをした。

 村長が、前に出た。

「村のぶんから、二袋出す」

「トバさん! あれは干し肉のかわりの蓄えだろう? みんなで獲って、みんなで干して、その分麦を冬に分けるって、あんたが言ったんじゃないか!」

「──うちの、下見じゃよ」

 村長は、落ち着いた声で答えた。

「ラントの書付が通れば、このやり方でいいということになる。──来年じゃよ」

 それきり、言わなかった。

 テッサが、口を開けた。

「……来年、うちも──」

 言いかけて、両手を下ろした。

 デュラの、いつもの閉じ方に似ていた。

 麦の袋が二つ、卓の横に並んだ。ずしり、と板が鳴った。

「あと二袋だね」

「わしのぶんから、一袋出す」

 村長がもう一つ、袋を並べた。これで三つ。


◇


 ガロンが、卓の前に膝をつけた。続けて、地面に頭をつける。

「いい、やめんか」

 村長が言った。

 ガロンは、顔を上げなかった。

「うちの村は、遠いです」

「知っとる」

「歩いて四日です。冬は道が消えます。行き来はありません」

 野宿で四日歩くということが、いったいどれほどの大変なことなのか、ノエは知らない。

 ただ、村長やテッサの表情を見て、なんとなく感じるところはあった。

 膝の下で、土が鳴った。

「あんたに、なんも返せません」

 村長は卓を見ていた。

 ガロンの、割れた爪が地面をつかんでいる。

 その背中が震えていた。

「四日歩いて、四日歩いて、また四日歩いて、四日歩いて、なんも持って帰れんかった。おれは、字も書けん。数もおぼえられん。そんなやつなんです」

 顔を、上げた。

「なのに、なんで、よその村が」

 声が、大きかった。

「なんで、あんたらが出してくれるんですか?」

 村長は、答えなかった。

 顎を撫でて、こめかみを押さえて、咳をした。

 それから、袋のほうへ手をやった。

「……重いぞ。持ち上げるのは、若いのがやれ」

 ガロンが、袖で顔をこすった。

 こすってから、笑った。

 やっぱり、笑い方はうまくなかった。


◇


 村長が、家の奥へ入っていった。

 布に包んだものを抱えて、出てきた。

 卓の上で、布を開く。

 魚だった。細長いのが、十尾。塩を吹いて、腹が白くなっている。

 尾のほうの端が、茶色く焦げていた。

 テッサが白い目で村長を見た。

「……なんだい、それは?」

「川魚の干物だ」

「たいそう、うまそうに炙ってあるじゃないか?」

「……」

「誰が炙ったんだい?」

 村長が、咳をした。

 ゲルダが、下を向いていた。口元を押さえて、肩が細かく震えている。

 村長のほうは、一度も見なかった。

「……ゲルダさん?」

「──頼まれたんだよ」

「いつからだい?」

「……去年の、秋だったかねぇ?」

 テッサが、声を出して笑った。デュラが卓を叩いた。ボルドの声が、いちばん大きかった。

「村長! あんた、蔵の話をするとき、えらそうに──」

「うるさいわい」

 村長は、卓の木目を見ていた。

 耳が、赤かった。

 ハンナが、一尾つまみ上げた。

 鼻に近づけて、それから端をかじった。

 噛む音が、しばらく続いた。皆が黙って見ていた。

 ハンナが飲みこんだ。

 ごくり、と鳴った。

「……これ、売れるよ」

「──やめんか」

「売れるって言ってるんだ。そのつもりで出してきたんだろう?」

「そ、そういう話をしとるんじゃない!」

 村長が、布を取り返そうと手を伸ばした。

 ハンナが、ひょいと上へ上げた。

 背が、村長より高かった。

「一袋ぶんで受けるよ。売れたら、差額は持って帰る。売れなかったら、あたしが食うけどね」

 それから、はじめて笑った。声を出して笑った。

「村長。さすが、いいもん隠してたね」

 村長は、咳をした。

 三度、した。


◇


 その日の夕方、荷馬車は門の前に止まったままだった。

 北の荷が、積んだ半分だけ降ろしてある。残りは、明日また積み直すのだろう。

 ハンナが、飼葉を荷台の下に押しこんでいた。いつもより、ずっと多い。

 押しこんで、上から縄を回して、二度締めた。

「出るのは明日の朝だよ」

「今日は、行かないんですか?」

「馬が、十日も走るんだよ?」

 ハンナは、馬の首を叩いた。

「腹が減ってちゃ、走れやしないからね」


◇


 次の朝、ガロンが御者台の横に座った。

 腹に縄を巻いている。上着の下に入れて、その上から一度、手で押さえた。

「ガロンさんの畑はどうしてるんですか?」

「メッカに頼んである。あいつは口が悪いが、麦は枯らさん男だ」

 ノエは、下から見上げた。

 朝の光が、荷台の縁を白く光らせている。

「輪のあるほうが、はじめですからね」

「はじめ」

「そこから……東です」

「……結局、東ってのは」

 ハンナが、手綱を巻き直した。

「東は、日が出るほうだろう?」

 ガロンが、坂の下を見た。

 朝日が、道の先から真っすぐに来ている。

「ああ、わかった」

 それだけだった。

 ノエも、坂の下を見た。

 道の先が、光っていた。

「ノエ」

「はい」

「──村長の名前は、なんだった」

「トバさんです」

「トバ」

 ガロンが、二度言った。それから、もう一度言った。

「……一つなら、おぼえられるよ」

 ハンナが、馬の腹を軽く蹴った。

 がらがら、がらがら。

 坂を下りていく音が、遠くなっていった。


◇


 棒が、五本になった。

 ボルドが道の脇で削っている。削りくずが、足元にうずたかく溜まっていた。

 ノエは、その横に座って紙を数えた。

 十一枚。

 右手の中指の、内側の関節が硬くなっている。爪の際に、落ちないインクの染みが二つ。人差し指の腹が、乾いて縦に割れていた。

 押すと、痛い。

「ノエ」

「はい」

「あれは、何日だ」

「四日で戻る予定です」

「今日で、三日だな」

 ボルドは、手を止めなかった。

「……数えてたんですか?」

「数えとらん」

 斧が、すぱん、と鳴った。

 削りくずが、一つ跳ねた。

 麦の穂に、色が差しはじめていた。

 まだ、青のほうが多い。


◇


 四日目の夕方だった。

 坂の下から土埃が上がって、荷馬車が門の前で止まった。

 ガロンが崩れるように降りてきた。

 降りるとき、足が地面をさぐった。さぐって、届いてから、体が落ちた。

 顔が、白い。

 二歩あるいて、しゃがみこんだ。

「……せかいが、揺れてる」

「……大丈夫ですか?」

「歩いたほうが、まだいい。……あんなもんに乗るもんじゃなかった」

「三回も休憩を挟んだじゃないか」

 ハンナが、御者台から言った。

「一度は、草むらの中まで行って、しばらく帰ってこなかったね」


◇


 ガロンが、上着をめくって腹の縄をほどいた。

 汗で、色が変わっている。

 ノエは、それを両手で受け取った。

 輪を、左手に持つ。

 輪から、指を送っていく。

 大きいのが、一つ。二つ。三つ。四つ。

 そこから、小さいのが八つ続いた。

「東は、四十八です」

「そうだ」

「東は、何がありますか」

「メッカの畑だ」

 こぶを越える。

 大きいのが五つ。小さいのが、二つ。

「西は、五十二」

「ゴサの畑だ」

「東と、四本ちがいます」

「まっすぐじゃないんだ、うちのは」

 ガロンは、しゃがんだままだった。

「あとから入った者の畑は、余ったところをもらうから、角がそろっとらん」

 こぶを越える。

 大きいのが、七つ。指が、なかなか終わらなかった。小さいのが、一つ。

「南は、七十一ですね」

 ガロンが、道の土を見ている。

「南は、石だ」

「石、ですか?」

「親父が拾った石だ。畑の端に、壁みたいにうまく積んである」

 ガロンは、指で地面に丸を描いた。描いて、その横にもう一つ描いた。

「入って一年は、それだけをやっとった。掘れば石だ。掘っても掘っても石だった」

 指が、止まった。

「積んだら、壁になった。おれの腹ほどもある」

 夕日が、坂の下から来ていた。

 ガロンの首と、割れた爪と、地面の丸を、まとめて赤く照らしている。

「あれから、一つも増えとらんが、一つも崩れもしとらん。──動かんものだ」

 ノエは、板を膝に載せた。

 紙を置いて、書いた。

 南は、石。

 書いた字を、指で押さえた。

 ガロンが、膝に手をついて、立ち上がろうとした。うっと口元を押さえて、また座った。


◇


 こぶを越える。最後だった。

 大きいのが六つ。小さいのが、九つ。

「北は、六十九ですね」

「道だ。村へ行く道だ」

 ノエは、顔を上げた。

「立ち会った人は?」

「ラント。メッカ。ゴサ」

「ラントさんって、誰ですか?」

「村長だ。うちの村長は、ラントだ」

「村の名前と同じなんですね」

「そうだ。まぁ、これまでみんな、村長としか呼んどらんかったが」

 ノエは、それも書いた。

 書いてから、ガロンを見て、くすりと笑った。

「三つ、おぼえて帰ったんですね」

 ガロンが、こちらを向いた。

 太い指を、三本立てる。

 立ててから、しばらく見て、もう一本足した。

「トバも入れて、四つだ」

 それから、笑った。

 笑い方は、まだうまくなかった。

 少しだけ、ましになっていた。


◇


 次の朝、改めて見ると、荷台が出た時よりずいぶん重そうに沈んでいる。

 麻の束が、荷台の後ろまで積んである。縄が、いつもより二重に回してあった。

「荷が多いですね?」

「ラントは麻が安いんだよ」

 ハンナは、それだけ言った。

 包みの上を、平手で一度叩く。

 ノエは、書いたものを渡した。

 ハンナが受け取って、二つに折る。

「荷主は誰だい?」

「え?」

「窓口で聞かれるらしいんだよ。どこの誰の使いなんだって。荷には荷主が要るんだ。手紙だって同じなんだろうさ」

「……村長さんです。お金を、出したのは」

「じゃあ、トバさんの名前で持ってくよ」

 ハンナは、紙を胸のあいだに入れた。

 御者台の下に、布の包みが押しこんである。魚の尾が、布の端から少しだけ出ていた。

「六日後だ」

「はい」

 馬が、首を振って鼻を鳴らした。

 がらがら、がらがら。

 荷馬車が、坂を下りていく。

 ノエは、門の外へ一歩出た。

 それから、もう一歩。

 道は、坂の下まで続いていた。


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