第4話 お稲荷さんと猫
依頼人から聞いた話を、ざっとまとめとくよ。
娘さんの名前は紗奈ちゃん。十二歳、小学六年生。
いなくなったのは、ひと月ほど前の日曜日だった。
その日、母娘は家から自転車で二十分くらいの公園に出かけて、ベンチで一緒にお弁当を食べた。で、帰りがけ、それぞれ自転車にまたがったところで、紗奈ちゃんが「ちょっと行ってくる」と言って、公園の中にある小さな神社に入っていった。
お稲荷さんの神社で、まわりを木に囲まれてるせいでいつも薄暗い。でも中が見えないほどじゃないし、時間もまだ昼過ぎで、外は十分に明るかったって。
そこはいつも野良猫だらけでさ、紗奈ちゃんは猫が大好きだった。だからお母さんも、また猫を見に行ったんだろうと思って、自転車にまたがったまま待ってた。
十分たっても出てこない。
呼びながら中に入った。
紗奈ちゃんは、どこにもいなかった。
鳥居の脇に、紗奈ちゃんの自転車だけが停めてあった。
神社のすぐ隣には交番がある。お母さんはそのまま駆け込んだ。
子供の行方不明ってのはさ、警察もかなり重く扱うんだよ。その日のうちに大勢で周辺を探して、聞き込みもして、チラシも作った。それから、ひと月。手がかりは、何ひとつない。
つまり本来なら、俺がいつも丁寧にお断りしてる方——優先順位は高いのに、それでも進まない案件ってやつ。
ただ、写真の件は警察には話してないそうだ。
「言えるわけないじゃないですか」
そりゃそうだよね。どれだけ優秀な警察だって、写真の中身までは捜査してくれない。
だからこの依頼は、どっちでもない。はずれってわけ。
写真が変わってるのに気づいたのは、紗奈ちゃんがいなくなって三日目くらいだったそうだ。最初は自分の目がおかしくなったんだと思った。アルバムも、スマホの中の写真も、全部。
で、帰りがけに、事務所の近くの電柱に貼られた例のチラシを見たんだけどさ。そこに写ってたのは、ごく普通の、少しはにかんだ女の子だった。いなくなったその夜に、お母さんがスマホから警察に渡した写真だそうだ。
見知らぬ誰かに配るための写真は、変わってない。持ち主にとって意味のある写真だけが、変わってる。
持論の通りってわけだ。全然うれしくないけど。
ちなみに、なんで俺のところに来たのかって聞いたら、「こういうことに強い探偵さんがいるって、知り合いの知り合いから」だって。
どこから漏れたのかなんて、だいたい見当つくでしょ。
辻だ。
その日はひとまず帰ってもらって、何かわかったら途中でもこまめに連絡するってことで話をまとめた。
はずれくじでも、引いちまったもんは仕方ない。
翌日、俺は辻の事務所に写真を持っていった。
辻は写真を受け取って、しばらく黙って眺めてた。それから顔を上げて、妙なことを聞いてきた。
「お前、これが心霊写真やって、なんでわかったん」
なんでって、冷たかったからだよ。そう答えると、辻は写真の端を指でつまんで、ひらひらさせた。
「普通の紙やで」
「……そう?」
「冷たないで。全然」
辻は、俺の顔と写真を、何回か見比べた。それ以上は何も言わなかった。
で、気を取り直して、俺はおかしいと思ったところを並べてみた。
なんで三輪車なのか。なんでわざわざ体を折りたたんで、小さすぎる三輪車に乗ってるのか。なんで赤ん坊の写真にまで、十二歳の顔を押し込んであるのか。なんでどれも同じ顔で笑ってるのか。
「写真に入り込むんは、普通は持ち主に執着しとる霊や。母親か、娘か、どっちかにな」
辻は写真を机に置いた。
「けどこれは……なんやろな。執着にしては、どっか、ずれとる」
「ずれてる?」
「わからん。現場、見てからや」
はっきりしないのは、いつものことだけどね。
俺たちはその足で、例の公園に向かった。
住宅街の中にある、そこそこ広い公園でさ。遊具があって、ベンチがあって、奥の方がこんもりした木立になってる。その木立の中に、神社はあった。
朱色の剥げかけた小さな鳥居。苔むした石の狐が二体。その奥に、物置くらいの大きさのお社。
薄暗かった。
昼間なのに、木の葉に光をほとんど遮られて、境内だけが一段暗い。暗いといっても、中が見えないほどじゃない。お母さんの言った通り。
鳥居をくぐった途端、空気が変わった。ひやっとして、湿ってて、濡れた落ち葉と獣の匂いがする。背中の方で聞こえてた子供の声が、急に遠くなった。ほんの数歩、入っただけなのにさ。
猫がいた。
狐の台座の上に一匹。お社の縁の下に三匹。賽銭箱の上に一匹。木の根元に、塀の上に。数えるのをやめたくらい、いた。
全部、こっちを見てた。
一匹も、鳴かなかった。
俺が一歩動くと、その全部の首が、少し遅れて、揃って動く。尻尾の一本も揺れてない。瞬きしてるやつも、いなかった気がする。
木立の切れ目から、隣の交番の白い壁が見えた。中で若い警官が書き物をしてるのまで見える。
こんな場所でさ、子供がひとり消えたわけ。
辻は境内の真ん中で立ち止まって、しばらく目を閉じてた。
「……おった。おった気がする」
気がする、ね。
それから辻は、賽銭箱の前にしゃがみこんだ。猫がひょいと飛び降りた。辻はポケットから小さなライトを出して、賽銭箱の投入口の隙間から中を照らした。
小銭と、枯れ葉と、埃。
その間に、紙が一枚挟まってた。
細かく蛇腹に折りたたまれて、投入口から落とし込まれたあとに、少しだけ開いたみたいな形。開いたところから、見覚えのある文字がのぞいてた。
『さがしています』
町の電柱に貼ってある、あのチラシだった。
「……いたずらか」
俺がそう言うと、辻は答えなかった。賽銭箱には鍵がかかっててさ。町内会が管理してるらしい。
立ち上がった辻は、さっきまでと顔つきが違ってた。
「これな。お祓いでどうこうできる話と、ちゃうかもしれん」
「どういうこと」
「お稲荷さんの庭やで、ここ。神さんが絡んどったら、俺にできることなんか、ほとんどない」
神様——いや、辻の言うところの「神さん」だ。今じゃ俺まで、すっかりそう呼ぶ癖がついちまった。
で、俺は余計なことを言っちゃったわけ。
「お得意の地平座標系で、なんとかならないの」
辻は、怒鳴りはしなかった。
ただ、ゆっくりこっちを向いて、低い声で言った。
「神さんはな、座標になんか縛られてへんねん。縛られてへんもんに、何を気づかせんねん」
それから、俺から目をそらさずに、
「冗談でも、ここで言うな」
長い付き合いだけど、辻が本気で怒ったのを見たのは、たぶん初めてだったんじゃないかな。
「……冗談だよ、冗談」
猫たちは、まだ黙ってこっちを見てた。
で、辻の機嫌を直すためにさ、近くの駅前の酒屋に寄った。
店先にビールケースを積んで、板を一枚渡しただけの立ち飲み台がある。いわゆる角打ちってやつ。その台を囲んで、近所のじいさんが三人、煙草をふかしながら、棚の上の小さなテレビで競馬を見てた。
俺はワンカップを二つ買って、ひとつを辻に押しつけた。辻は黙って受け取った。
で、じいさんたちに話を聞いた。そういうのは、俺の本業だからね。
紗奈ちゃんのことは、みんなチラシで知ってた。
「ああ、あの子な。交番の隣やのになあ」
「かわいそうに」
ただ、それ以上のことは誰も知らない。あの日、あのあたりで何か見たって話も出てこなかった。
代わりに、神社の話が出てきた。
「あっこのお稲荷さんはな、もともと裏の山の上にあったんや」
「わしらがガキの頃は、まだ山の上にお社があってな。年寄りが登られへんようになったいうて、下に移したんや。わしの親父らの代やな」
山の上の方は「元宮」って呼ばれてて、今はもう誰も行かないって。石段も鳥居も、とっくに崩れてるだろうって。
「宮司さんは?」
「ここ何年か、見てへんなあ」
「施設に入ったて聞いたで」
「息子さんは外国やろ。ほんで、掃除やら何やらは町内会でやっとるんや」
なるほど。管理する人間がいない神社を、近所の人がなんとなく守ってる。よくある話でしょ。
話が一段落したころ、ずっと黙ってテレビを見てた一番年寄りのじいさんが、ぼそっと言った。
「最近な、山の方、えらい猫が増えとるで」
「猫?」
「夜中になったら、山の方から猫の声がすごいんや。何十匹もおるんちゃうか」
じいさんは煙草を灰皿に押しつけて、それから、俺じゃなく辻の方を見て言った。
「せやけどな。昼間行ったら、一匹も鳴かへんねん。あんだけおって」




