第10話 募集
依頼人は目を開けてからもしばらく、布団の中で動けなかったって。
それからは、目を閉じるのが怖くなった。
仕事はできる。人と話すのも、ご飯を食べるのも、普通にできる。目を閉じさえしなければ、何も起きない。
でも、人間ってのは一日に何千回もまばたきをするんだよね。眠る時にはどうしたって目を閉じる。
眠れない日が続いて、体も気持ちもすっかりまいっちまったらしい。で、ネットで噂を探し回ってるうちにどこかで辻の評判を聞きつけて、連絡してきたってわけ。
ひと通り話を聞いて、俺は聞いた。
「で、これ、あいつなの?」
「どっちとも言われへん」
辻は珍しく歯切れが悪かった。
あいつが憑いてるなら、会った瞬間にわかる。あいつじゃない別の霊でも、何かが憑いてるのは、すぐわかる。わかれば、いつものやり方で祓える。
ところが、依頼人には何も憑いてなかったんだって。
「頭の中に何か見せるいうんは、普通は、何かが憑いとらんとできへんことや。それが、何もおらん」
「じゃあ、何なの」
「せやから、どっちとも言われへん言うとるやろ」
お手上げってこと。
依頼人に会って直接話を聞くことも考えた。
でも、聞いたところで、出てくるのは頭の中の景色の話だけでしょ。山と、木と、女と、指。それをいくら細かく聞いても、手がかりになるとは思えない。
だったら、ほかの人間の話を集めた方がいい。同じものを見てる人が何人もいるなら、どこかにその人たちだけの共通点があるかもしれない。
人探しってのは、結局そういう地道な作業なわけ。
手始めにXで話を聞かせてくれる人を募ってみた。
……集まらなかった。
ほとんど反応がない。たまに来たと思えば、明らかな作り話か、冷やかしのDM。でなきゃ、怪しい投資の勧誘。
『私も見えます! 今もあなたの後ろに……』なんてのも、何件か来た。後ろには、事務所の壁しかないよ。
無名の探偵のアカウントなんて、そんなもんでしょ。
どうしたもんかと考えてて、ふと、ひとりの顔が浮かんだ。
あの女なら。
覚えてるかな。寺の仏像の頭に跨がって、袖で螺髪を磨いてた、あの女。
あの一件のあと怪談師に転向して、有名チャンネルにも呼ばれるようになった、って話はしたよね。
実は俺、あの頃、一度だけ彼女に話を聞きに行ってるんだよ。あいつの手がかりが何か残ってないかと思ってさ。
その時は丁寧に断られた。まだ鎖骨も治りきってなくて、気持ちの方もだいぶ参ってるように見えたから、無理には押さなかった。名刺だけ渡して、帰ってきた。
小林さとみ。
それが、彼女の名前。
藁にもすがる思いで、彼女のチャンネルの概要欄に載ってた仕事用のアドレスにメールを送った。
返事は驚くほど早かった。
『探偵さん! 覚えてます! 名刺、まだ持ってます!』
……ビックリマークが多い。
会ったのは駅前の喫茶店だった。
小林さんはあの頃とはまるで別人だったね。
長かった髪をばっさり短くして、服は上から下まで黒。声がよく通って、よく笑う。……ちなみに、仏像の頭に跨がってた時のことは本人がいちばん覚えてないわけ。
例の騒ぎのことは、当然知ってた。というか、知ってるどころじゃなかった。
「あれ、絶対ヤバいやつですよね! 私が聞いた話だと、あの民家って、昔まるごと消えちゃった村の最後の一軒で、映ってる女の人は、その村の——」
「小林さん」
辻が穏やかに割って入った。
「その話、ものすごい気になるんで、また今度ゆっくり聞かせてもらえますか。今日は先にこっちの話をさせてもろて」
「あっ、はい! すみません!」
見事なもんだった。三十分は続きそうだった話をひと言で畳んだ。
ああいうところだけは、ほんと、うまいんだよね。
俺が事情を話す間、辻は黙ってコーヒーを飲んでた。
一度だけ、辻の目が、小林さんの肩の向こうに動いた。
彼女の後ろの、少し離れたあたり。誰も座ってない、空いた席の方。
ほんの一瞬。辻はすぐに目を戻して、何も言わなかった。
俺も、何も聞かなかった。
話を聞き終えると、小林さんはふたつ返事で引き受けてくれた。
自分のチャンネルで情報提供を呼びかける動画を出してくれるって。
ただし、条件がひとつ。
「その調査、私も連れてってください」
目が、きらきらしてた。
俺はしぶしぶうなずいた。こっちからも、条件をひとつ付けてね。
調査の様子も、話を聞かせてくれる人のインタビューも、一切撮らないこと。録音もなし。
「えー……」
「それが無理なら、この話はなかったことに」
「……わかりました。撮りません」
ものすごく残念そうだった。
動画が上がると、反応は凄まじかった。
たった一日で三百人を超える人から連絡が来た。
……三百人だよ。俺がXで一週間かけて集めたのが、冷やかし込みで十件ちょっと。
世の中ってのはそういうふうにできてるらしい。
そこからは、ふるい分けの作業。
これは俺の本業だからね。嘘をつく人間の話にはだいたい癖がある。ネットの噂をそのままなぞってるだけの話。聞かれてもいないのに、やたら怖い方へ盛っていく話。細かいところを聞き返すと、答えがころころ変わる話。
逆に、本当に見てる人の話は、地味なんだよ。怖がらせようとしない。説明に困って、言葉に詰まる。それでも、こっちが聞いてもいない木の皮のざらつきなんかを、自分から話し出したりする。
辻は辻で例の直感で選り分けてた。こっちは正直、当たってるのかどうか、俺にはさっぱりわからないけどさ。
チャットと電話でひとりずつ話を聞いていった。それで、二週間。
ふるいにふるって、最後に残ったのが、ひとりの男性だった。住まいが近くて、話の中身もいちばん本当らしい。こっちとも、予定が合う。
会ってみると、四十代の市役所勤めの男性だった。几帳面を絵に描いたような人。
話は辻の依頼人と、ぴったり同じだった。
放送の晩に、たまたま一分ほど、あの場面を見た。その夜から、目を閉じると山が見える。顔のない女が立ってる。噂ではある日消えたことになってるのに、自分のは消えない。それどころか、少しずつ近づいてくる。
「消そうとは、したんです。何度も」
男性は膝の上で両手を組んだまま言った。
「考えないようにしよう、思い出さないようにしようって。そうすればするほど、はっきりしてくるんです」
……シロクマだ。
俺は、黙ってメモを取った。
「最近は」
男性は少し言いよどんだ。
「腕を、上げかけてるんです。こう、ゆっくり」
隣で聞いてた辻が、ふっと顔を上げた。
「……ひとりやない」
「何が」
「同じもんが、同じように、何人もの頭に出とる。いっぺんに、や」
辻は自分に言い聞かせるみたいに続けた。
「霊いうんは、何かに執着して、そこに縛られとるもんや。場所か、物か、人か。ひとりに憑いとるもんが、離れたとこにおる何十人、何百人に、同時に同じもん見せるなんてこと、あらへん」
「じゃあ」
「人に憑いとるんやない」
辻は男性の方に向き直った。
「頭の中の、あの山や。あそこに、おるんや」
男性には辻がわかったことを、ひと通り説明した。たぶん、近いうちに片がつく。だから、あまり気に病まないでほしい。何かあったら、すぐ連絡をください。
男性は何度も頭を下げて帰っていった。
……片がつく、ね。言い切るなあ、と思ったよ。
山を探す方法は、案外簡単だった。
番組を作った会社に聞けばいい。あの場面を、どこで撮ったのか。
ちょうど小林さんが、その制作会社のスタッフと、前に怪談番組で一緒になったことがあったらしくてさ。電話一本で、あっさり場所がわかった。
大阪から車で二時間ほど。県境の、山あいの集落の外れ。
民家は空き家で、なんと番組の監督が、撮影のために自腹で買い取ったものなんだって。今どき田舎の空き家なんて、びっくりするような値段で売りに出てるからね。
ただ、あくまで撮影用。撮ったのは家の外だけで、中はほとんど手つかずのままらしい。
「中も、好きに見てもらってかまわない、って。鍵は、玄関の植木鉢の下だそうです」
小林さんが電話を切りながら言った。
……防犯って言葉、知らないのかな、その監督。
段取りは、すぐに決まった。
辻と小林さんは、山へ。俺は、民家へ。
山の中を歩き回るのは、辻の領分でしょ。俺には何も見えないんだから、ついて行っても足手まといになるだけ。それより、家を調べる方がよっぽど性に合ってる。
この時は、そう思ってたわけ。
自分が、いちばん楽な役を引いたって。




