第3話 消えた鎖
時計塔へ向かう前に、白瀬さんは応接室へ戻った。
全員の所在を確認するためだった。
この館では、誰かが一人になるたびに、何かが起きている。
音楽室で蓮司さんが死んだ。
篠原さんは自室で倒れていた。
先生の鍵束は書斎から消え、時計塔で見つかった。
だから、白瀬さんは何度も言った。
誰も一人にならないでください、と。
応接室では、重い沈黙が続いていた。
紗英さんは玲司さんの姿を見るなり、椅子から立ち上がった。
「玲司さん」
「大丈夫だ」
玲司さんはまたそう言った。
けれど今度は、紗英さんも何も言わなかった。
ただ、その表情には、もうその言葉を信じられないという疲れが滲んでいた。
久世さんは暖炉の近くに立ち、指輪を撫でている。
奏太さんは俯いたまま、膝の上で両手を握りしめていた。
静乃さんは椅子に座ったまま、まるで雨音を聞いているように目を細めている。
美和さんは、篠原さんのそばにいた。
篠原さんは応接室の長椅子に横になっている。
意識はまだはっきりしないようだったが、呼吸は落ち着いている。
白瀬さんは全員を見渡し、静かに言った。
「音楽室で、凶器と思われるものを見つけました」
その一言で、応接室の空気が変わった。
奏太さんが顔を上げる。
久世さんの指が止まる。
紗英さんは玲司さんの腕を掴んだ。
「凶器……」
玲司さんが、低い声で呟いた。
「グランドピアノの内部です。低音側、低いラの近くに、血のようなものが付着した細い調律道具がありました」
奏太さんが青ざめた。
「ピアノの中に?」
「はい」
「そんなところに」
白瀬さんは頷いた。
「隠されていました」
「それを使える人間は限られるんですか」
久世さんが尋ねた。
「ある程度は」
「調律師、ということですか」
その言葉に、応接室の視線が一瞬だけ白瀬さんへ向いた。
白瀬さんは、少しも動じなかった。
「私にも扱えます」
彼女は自分で言った。
「宗一郎さん、蓮司さん、篠原さんも、知識があった可能性があります。鷺沼さんは、館の管理者として、場所を知っていた可能性があります」
鷺沼は扉のそばで静かに頭を下げた。
「私は、凶器の存在は存じませんでした」
「今は、そう記録します」
白瀬さんは言った。
僕はメモ帳を開いていた。
白瀬さんの言葉を、できるだけそのまま記録する。
凶器候補。
グランドピアノ内部。
低いラ付近。
細い調律道具。
扱える可能性のある人物。
白瀬、宗一郎、蓮司、篠原。
場所を知っていた可能性。
鷺沼。
その行を書いてから、僕は小さく息を吐いた。
白瀬さん自身の名前を、容疑の線上に書くことになるとは思わなかった。
しかし、彼女はそれを避けなかった。
「もう一つ」
白瀬さんは続けた。
「自動演奏ピアノの底板に隠されていた録音機を確認しました」
玲司さんが目を伏せた。
あの録音。
七年前の宗一郎、蓮司、篠原の声。
第五楽章の名前をめぐる争い。
金属音と短い悲鳴。
あれは、玲司さんにとって、兄の死よりもさらに古い傷を開くものだった。
白瀬さんは、録音の内容を簡潔に伝えた。
宗一郎が、蓮司に第五楽章を返せと言ったこと。
蓮司が、それは自分の曲だと反論したこと。
篠原さんの名前までも消されようとしていたこと。
そして最後に、金属音と短い悲鳴が入っていたこと。
応接室では、誰もすぐには言葉を発しなかった。
やがて、静乃さんが小さく笑った。
「やっぱり、残っていたのね」
「静乃さん」
白瀬さんが彼女を見る。
「録音の存在を知っていたのですか」
「あるかもしれないとは思っていたわ」
「なぜ」
「宗一郎さんは、音を捨てられない人だったから」
「捨てられない」
「そう。あの人は、自分に都合の悪い音でさえ、消しきれなかった。隠すことはできてもね」
白瀬さんは、少し考えるように目を伏せた。
「その録音を、今夜誰かが再生した可能性があります」
「でしょうね」
静乃さんは淡々と言った。
「七年前を、もう一度鳴らしたかったのでしょう」
「誰が?」
「それを私に聞くの?」
「知っているなら」
「知らないわ」
静乃さんは、そこで少しだけ声を低くした。
「でも、七年前を鳴らしたい人間なら、この館には多すぎるほどいる」
その言葉に、誰も反論しなかった。
篠原さん。
玲司さん。
紗英さん。
鷺沼。
静乃さん自身。
そして、死んだ蓮司さん。
七年前に縛られている人間は、この館に多すぎる。
「録音の確認によって、零時頃の悲鳴は死亡時刻の証拠ではなくなりました」
白瀬さんが言った。
久世さんが、少し身を乗り出した。
「つまり、蓮司さんはもっと早く殺されていた可能性がある」
「その線は十分にあります」
「もっと遅くは?」
「発見時にはすでに死亡していました。遅くとも、扉を開けた時点より前です」
「それは当然ですね」
「当然のことから確認します」
白瀬さんは、久世さんを見た。
「当然だと思ったことほど、事件では危険です」
久世さんは薄く笑ったが、何も言わなかった。
「そして、次に確認すべきものがあります」
白瀬さんは、僕のメモ帳を見た。
「蓮司さんの右手に握られていた、割れた懐中時計です」
「懐中時計?」
紗英さんが小さく言った。
「十一時二十分で止まっていたものですよね」
「はい」
「それが、何か」
「鎖がありませんでした」
応接室の空気が、また変わった。
奏太さんが眉をひそめる。
「鎖?」
「懐中時計には、通常、鎖がついています。音楽室のガラスケースにあった十一時二十分の懐中時計には、鎖がありました。けれど、蓮司さんが握っていた割れた懐中時計には、鎖がありませんでした」
僕はメモに書いた。
割れた懐中時計には鎖がない。
白瀬さんは続けた。
「真柴さんは、低いラの後に金属音を聞きました。それを、鍵か鎖のような音だと表現しています」
「はい」
僕は頷いた。
「懐中時計の鎖が、金属音や仕掛けに関係している可能性があります」
「鎖を探すんですね」
「はい」
「どこを?」
「時計が集まる場所です」
玲司さんが言った。
「音楽室の時計ケース」
「そこも確認します」
「他には」
白瀬さんは、静かに答えた。
「時計塔です」
また時計塔。
霧雨館の中央にある、止まった時計。
十一時二十分。
本物の第五楽章が隠されていた場所。
音響管があった場所。
正体不明の人影が逃げた場所。
「時計塔に、鎖があるんですか」
僕が尋ねる。
「あるかもしれません」
「なぜ」
「時計塔には、金属音を鳴らす機構がありました。音楽室とつながる音響管もある。もし、懐中時計の鎖が何かの合図や仕掛けに使われたなら、時計塔で見つかる可能性があります」
「懐中時計の鎖を、時計塔で使う?」
「見せたい時刻は十一時二十分です」
白瀬さんは言った。
「その時刻を示す懐中時計から鎖だけが消えている。偶然とは考えにくい」
偶然とは考えにくい。
この館で、偶然という言葉は何度も出てきた。
そしてそのたびに、白瀬さんは慎重に扱っていた。
今はもう、僕にも分かる。
偶然に見えるものほど、誰かがそう見せている可能性がある。
「時計塔へ行きます」
白瀬さんが言った。
「ただし、今回は確認するものがはっきりしています」
「鎖ですね」
「はい。金属の鎖、切れた輪、細工された部品。音響管の周辺も確認します」
玲司さんは立ち上がろうとした。
しかし、紗英さんが腕を掴む。
「玲司さん」
「行く」
「また?」
「兄の時計かもしれない」
「でも」
「紗英」
玲司さんは、彼女を見た。
「僕はもう、知らないままでいるのは嫌なんだ」
紗英さんは何も言えなくなった。
その言葉は、彼女にも突き刺さったのだと思う。
彼女は玲司さんを守るために、蓮司さんからの手紙を隠した。
知らない方がいいと思った。
でも、その結果、玲司さんはさらに深く事件に巻き込まれている。
「分かりました」
紗英さんは小さく言った。
「でも、戻ってきて」
「戻る」
「大丈夫って言わないで」
「……戻る」
玲司さんは、そう言い直した。
白瀬さんは、同行者を決めた。
白瀬さん。
僕。
玲司さん。
鷺沼。
前回と同じだ。
ただし、今回は目的が違う。
時計塔の保管庫ではない。
音響管と、金属音と、消えた鎖。
僕たちは応接室を出た。
玄関ホールへ向かう途中、僕は音楽室の方を見た。
閉ざされた扉。
その向こうには蓮司さんの遺体があり、グランドピアノの中には凶器候補がある。
自動演奏ピアノの底板には録音機。
そして、低いラの鍵盤には黒い糸。
あの部屋は、事件の舞台だった。
だが、時計塔は舞台裏なのかもしれない。
音を運び、時刻を見せ、手がかりを隠す場所。
玄関ホールの奥、タペストリーの影にある細い木扉。
時計塔への入口。
前回開けた時と同じように、扉は閉まっていた。
鷺沼が鍵を差し込む。
今度は、先生の鍵束ではない。
鷺沼が管理する通常の鍵だという。
かちゃり。
扉が開く。
石造りの階段から、冷たい空気が降りてきた。
僕たちは一列になって階段を上がった。
湿った石壁。
狭い階段。
ランプの光。
上へ進むほど、館の音が遠ざかる。
雨音さえ、壁の向こうに押し込められていく。
代わりに聞こえてくるのは、自分の呼吸と、階段を踏む音だけだった。
時計塔の機械室に着くと、前回と同じように、巨大な歯車と鎖が沈黙していた。
止まった時計。
動かない機械。
けれど、そのどこかで、何かが鳴った。
ちん。
小さな金属音。
僕は反射的に振り向いた。
「今の」
「聞こえました」
白瀬さんが言った。
「どこからですか」
「この部屋です」
彼女はランプを掲げ、機械室の奥を見た。
前回、先生の鍵束が落ちていた場所。
黒い糸の切れ端があった場所。
保管庫の木箱があった場所。
その近くに、細い金属管が伸びている。
音響管だ。
白瀬さんは、その周辺へ慎重に近づいた。
「真柴さん、足元に注意してください」
「はい」
床には埃が積もっている。
前回の足跡も残っている。
ただ、その中に新しい擦れ跡があった。
細い線のような跡。
何かが引きずられたように、音響管の根元から歯車の下へ伸びている。
「これは」
「鎖を引いた跡かもしれません」
白瀬さんが言った。
「懐中時計の?」
「まだ分かりません」
彼女はしゃがみ、音響管の根元を見た。
「ここに、小さな輪があります」
「輪?」
「金属の輪です。何かを引っ掛けるためのもの」
僕は覗き込んだ。
確かに、音響管の横に小さな輪が取りつけられている。
古い部品のようにも見える。
だが、周囲の錆に比べて、その輪だけ少し新しい。
「後付けですか」
「おそらく」
僕はメモする。
時計塔、音響管の根元。
小さな金属輪。
後付けの可能性。
床に細い擦れ跡。
白瀬さんは、金属輪の下を見た。
「ここに、切れた輪があります」
「切れた輪?」
「鎖の一部です」
僕は息を呑んだ。
ランプの光の中、床の隙間に小さな金属片が落ちていた。
輪状の金属。
途中で切れている。
懐中時計の鎖の一部と言われれば、確かにそう見える。
「これが、消えた鎖ですか」
「少なくとも、その一部と見ていいでしょう」
「金属音の正体?」
「その線が濃くなりました」
白瀬さんは、音響管を見た。
「鎖をこの輪に通して引く。切れかけた輪に一定の力がかかれば、小さく弾けるような音が出る。その音が音響管を通って、音楽室へ届く」
「低いラの後に聞こえた金属音」
「はい」
「でも、なぜそんなことを」
「低いラに、金属音を続けるためです」
「それだけのために?」
「音の順番を作るためです」
低いラ。
金属音。
悲鳴。
その順番を、誰かが作った。
僕が聞いたのは、偶然連続した音ではなく、仕組まれた順番だった。
「鎖は、どこから来たのでしょう」
玲司さんが言った。
「蓮司さんの懐中時計から外された可能性があります」
「兄の時計の鎖を、仕掛けに使った?」
「あるいは、仕掛けに使った鎖を外し、その時計を蓮司さんに握らせた」
玲司さんの顔色が変わった。
「順番が逆かもしれない、ということですか」
「はい」
「僕たちは、蓮司さんが時計を握っていたから、その時計が重要だと思った」
「重要なのは確かです」
「でも、時計そのものより、鎖の方が重要だったかもしれない」
「その線はあります」
僕はメモした。
割れた懐中時計は、鎖を失っていた。
鎖は時計塔の仕掛けに使われた可能性。
時計は、鎖を外された後で蓮司に握らされた可能性もある。
これまで、十一時二十分の文字盤ばかり見ていた。
でも、白瀬さんが見ているのは、その時計にないものだった。
消えた鎖。
ないものを見る。
それが推理なのだと、僕は少しだけ分かった気がした。
その時、鷺沼が低い声で言った。
「白瀬様」
「何か」
「その鎖の輪ですが」
「はい」
「旦那様の懐中時計の鎖に似ております」
玲司さんが振り返った。
「伯父の?」
「はい。雨宮家の紋章入りの懐中時計に使われていた鎖は、特殊な編み方をしておりました」
「蓮司さんの時計ではなく?」
「蓮司様が持っていたものかどうかは分かりません。ただ、旦那様のコレクションには、同じ鎖がいくつかございました」
「音楽室のケースにあったものですね」
白瀬さんが言った。
「はい」
「鷺沼さん。あなたは、どの時計にどの鎖がついていたか覚えていますか」
「完全には」
「完全には?」
「いくつかは覚えております。旦那様が特に大切にしていたものは」
「十一時二十分で止まった銀の懐中時計は?」
鷺沼は少し沈黙した。
「覚えております」
「鎖は?」
「ついていました」
「今も音楽室のケースには、鎖付きの懐中時計があります」
「はい」
「では、蓮司さんの手にあった割れた懐中時計は?」
「本来、鎖がついていたはずです」
僕はペンを止めた。
やはり。
蓮司さんの時計から、鎖が失われている。
「その鎖がここに使われた可能性があります」
白瀬さんが言った。
鷺沼は静かに頷いた。
「ございます」
「それを知っていた人物は?」
「旦那様。時計の手入れをしていた私。篠原様も、楽譜整理の際に音楽室へ出入りしておりましたので、ご覧になっていたかもしれません」
「蓮司さんは?」
「もちろん、ご存じだったと思います」
「玲司さんは?」
玲司さんは首を振った。
「僕は、そこまで時計に詳しくありません」
白瀬さんは頷き、僕へ言った。
「記録してください」
僕は書いた。
特殊な鎖。
宗一郎、鷺沼、篠原、蓮司は知っていた可能性。
玲司は詳しくないと証言。
白瀬さんは、音響管の周辺をさらに調べた。
「音響管の入り口に、金属片の擦れ跡があります」
「鎖が当たった音?」
「ええ。ここで鳴った小さな金属音が、管を通って音楽室へ届いた可能性があります」
「つまり、僕が音楽室の前で聞いた金属音は、時計塔で鳴っていたかもしれない」
「はい」
「低いラは音楽室。金属音は時計塔。悲鳴は録音機」
僕は思わず言った。
「その可能性が高くなりました」
白瀬さんは静かに言った。
「真柴さんが聞いた一連の音は、一つの現実ではなく、組み合わされた演奏だった」
組み合わされた演奏。
また、その言葉に戻る。
事件を演奏する。
誰かが、低いラと金属音と悲鳴を組み合わせて、僕に聞かせた。
そして、僕はそれを「音楽室の中で殺人が起きた音」だと思った。
「これで、密室の意味も変わりますね」
僕は言った。
「ええ」
白瀬さんは頷いた。
「音が音楽室の中で起きた事件を示している、という前提が崩れます」
「つまり、蓮司さんはその時すでに死んでいたかもしれない」
「はい」
「あるいは、まだ死んでいなかった可能性もある」
「あります」
「結局、死亡時刻はまだ分からない」
「ただし、零時頃という根拠は弱くなりました」
僕はメモした。
零時頃死亡説の根拠は弱い。
低いラ、金属音、悲鳴は、別々の仕掛けで作られた可能性。
白瀬さんは、床に落ちた切れた鎖の輪を見た。
「この鎖は、警察に渡すべき証拠です」
「拾いますか」
「手袋と袋を使います」
鷺沼が白い布と小さな袋を差し出した。
白瀬さんは慎重に金属片を拾い、袋に入れた。
僕はその様子を記録する。
時計塔で鎖の一部を回収。
音響管付近。
金属音の発生源の可能性。
「白瀬さん」
玲司さんが言った。
「この仕掛けを作った人物は、時計塔にも音楽室にも詳しい」
「はい」
「伯父、鷺沼、篠原さん、兄」
「そのあたりが候補になります」
「でも、伯父は死んでいる。兄も殺された」
「仕掛けが七年前から存在した可能性もあります」
玲司さんは言葉を失った。
「七年前から?」
「この館では、七年前のものが今夜使われています。録音機も、おそらく七年前の音を残していました。音響管や時計塔の仕組みは、もっと前からあった可能性があります」
「では、今夜の犯人は、七年前の仕掛けを利用した?」
「そう考えておくべきでしょう」
「あるいは、七年前の関係者本人が、今夜動かした」
「はい」
七年前の仕掛け。
今夜の殺人。
その二つが、少しずつ分かれて見えてきた。
七年前に宗一郎が作ったもの。
誰かが隠したもの。
今夜、誰かが利用したもの。
それらは同じではない。
事件は、過去の機械に、現在の殺意が乗ったものなのかもしれない。
その時、階段の下から声が聞こえた。
「白瀬さん!」
紗英さんの声だった。
切迫している。
玲司さんが反射的に階段へ向かった。
「紗英!」
「待ってください」
白瀬さんが言ったが、玲司さんは止まらなかった。
僕たちは急いで階段を降りた。
途中、足を滑らせそうになりながら、玄関ホールへ戻る。
そこに、紗英さんが立っていた。
顔が真っ青だった。
「篠原さんが」
「また意識を?」
白瀬さんが尋ねる。
紗英さんは首を振った。
「違います。篠原さんが、いなくなりました」
応接室の空気が凍った。
「いなくなった?」
玲司さんが聞き返す。
「美和さんが少し目を離した隙に。長椅子から起き上がって、どこかへ」
「怪我をしているのに?」
「はい」
「どこへ行ったんですか」
「分かりません」
白瀬さんの顔が、初めてはっきりと険しくなった。
「探します」
「全員で?」
「いいえ」
白瀬さんは短く答えた。
「篠原さんは、何かに気づいたのかもしれません」
「どこへ向かったと思いますか」
僕が聞く。
白瀬さんは、音楽室の方を見た。
それから、書斎の方を見た。
最後に、玄関ホールの奥、時計塔への扉を見た。
「彼女が戻りたい場所は、一つです」
「第五楽章ですか」
「いいえ」
白瀬さんは静かに言った。
「名前を消した場所です」
僕は息を呑んだ。
篠原さんは、消された名前に向かっている。
それが音楽室なのか。
時計塔なのか。
それとも、七年前の記憶そのものなのか。
まだ分からない。
ただ一つ分かるのは、事件がまた動いたということだった。
そして、その動きは、今までよりも危うかった。




