94 選ぶのは、あっしじゃなくてお客の方だろ?
さすがに言い過ぎ、やり過ぎですよね。
仲裁に入る、周囲。
それで収まれば、いいんですけど…
「マスター、あの…」
「根岸さん、ケンカしにきたわけじゃないんでしょうが…」
見かねて、れんげちゃんとナベさんが止めに入った。
「いやまあ、確かに…」
自分は冷静なインテリなのだと思い出したようで、先に根岸の方が引いてくれた。
「だろ?そうだろ?ラーメンの味も判らないで、通ぶってちゃいけないヨ」
おいおい親父、そこでさらにツッコムなよ。
「い、いや、ご亭主、私が言いたいのはそういうことではなくて…」
ほら、根岸のヤツ、ムキになっちゃって、顔が紅潮してるよ。
まあ、理性的に判断すれば、ムチャクチャ言っているのは親父の方だし。
信金野郎にもそれなりのプライドがあるというのはよく判るんだけど。
今の親父に道理を説いても、仕方がないとは思うんだけどね。
「ホウホウ、どういうことなんだい?まあ、味覚オンチに何を言われても、上手く答えられないがネ」
親父、調子に乗って、手をヒラヒラさせて挑発している。
「マスターってば…」
さすがにこうなるとれんげちゃんもお手上げみたいで、声に覇気が無い。
「いいから、酒ッ!」
逆に親父からコップを突き出されて、反射的に注いであげている始末だ。
「ご亭主、私はなにも、ご亭主の腕前に文句をつけているわけではないんですよ。
ただ、今の鳴人君に麺茹でを任せるのは、まだ早すぎると申し上げているだけなのです。お判りですか?」
努めて冷静に話そうとしている根岸。
肩が震え、額に脂汗をかきながらも、声は落ち着いたものだった。
さすがは信金一筋23年のキャリアを誇るだけのことはある。
「いいや、判らないネェ」
そんな努力を、あっさりと一言で親父は蹴っ飛ばした。
「な、なにが判らないって言うんですか?!
現に、お客さんがドンドン減っていってるじゃありませんか?!
このままでは店の信用がガタオチになるから、ご亭主のケガが良くなるまで、お店を休まれたらどうですかと、そう申し上げているんですよ」
一気にまくし立てて、根岸はビールをあおった。
横で、ナベさんがウンウンと頷いている。
ハハン、根岸にご注進したのは、ナベさんらしいな。
でも、自分で言うと親父に嫌われるかもしれないから、直接的な物言いのできる根岸を使ったわけか。
「だから、何度も言ってるだろ?あっしは、あっしの味を守るために店を開けてるんダ。あっしとカミさんが誓い合った、この来々軒の味を守るためにネ」
「…」
根岸とナベさんは、お互いに顔を見合わせて、困った表情を浮かべている。
話が、完全に堂々巡りになってしまっている。
「これだけ言ってモ、まだ判らないのかィ?
…鳴人くんは、あっしと同じように麺を茹でてくれている。あっしの味を、昔っからアイしてくれている。まぎれもなく、あっしの味に、近づいているんダ。
なのに、なんで店を休む必要があるんだネ?
あっしは、あっしの味を守るために店を開けているんだ。選ぶのは、あっしじゃなくてお客の方だろ?それがラーメン屋ってもんだろ?」
「…」
「…」
「…」
「…」
店の中が、静まり返った。
俺も、れんげちゃんも、根岸も、ナベさんも、しばらく親父さんの顔を見つめている事しか出来なかった。
それでも、根岸が、使命感にでも駆られているのかどうかは知らないけれど、懸命に言葉を絞り出す。
「つまり、ご亭主は、この若者の味はつまり、自分の味と同じだから、例えお客にどう思われようとも、そのままの味で出すと言う事なんですね?」
「ああ、そうだヨ。もちろん、まだ完全じゃないけどネ。それこそ、やっていくうちに覚えてくれるモンだと信じてるヨ」
そうなのか、親父?
本当に俺に任せていいのか?
「…お店の責任者として、そういう方針で続けていくと結論づけて宜しいんですね?」
念を押すように、根岸が尋ね返す。
「モチロンだとも。あっしは最初っから、そう言い続けてきたつもりなんだがネ」
「…判りました。それじゃウチとしては、店への融資の話は、無かったと言う事にさせて頂きたい」
「ちょ、ちょっと根岸さん、話が違うじゃないですか」
俺としては、根岸の野郎の結論は、まあ当然だと思っていたけど。
意外にもナベさんから、反論が上がった。
「俺は、お父さんを説得して貰いさえすればいいわけで、なにもそこまで…」
「ワタナベ君、私も金融のプロだよ。お客の信用よりも自分の方針が大事だという店に、大事な資金は貸せないでしょう」
あぁあ、むくれちゃってるよ。
ま、俺としても、あんまり付き合いたいヤツじゃなかったから、別にいいけどね。
「そ、そんな…」
「いや、ワタナベ君、あっしも、それで別に構わないよ。こんな味覚オンチな奴に協力して貰いたいとは、最初から思ってないしネ」
お、親父、なに強気になってんだよ。
ろくな担保も保証人もなくて、客は入っても採算すら危ういウチみたいなラーメン屋が、改装資金を借りようってこと自体、かなりムチャな話なのに。
「い、言うに事欠いて、私を“味覚オンチ”だと…!」
ほらほら、根岸さん、完全に怒らせちゃったよ。
仕方がないな…
「ああ、判ってない。ゼンゼン判ってないヨ。
…いいかい?ウチが改装資金を借りて、キチンと返せるようになるためには、今の倍のラーメンを茹でなきゃならないんだろ?
スープや具は、調理場が大きくなればなんとかなるし、客席が広がればお客さんももっと入れられる。
だがね、麺茹でを一人で800食というのは、あっし一人じゃ、そりゃムチャな話だヨ。
だから、あっしと同じ味を出せる鳴人君を育てる必要がある。だろ?
確かに、今の鳴人君は、まだ完璧にあっしと同じ味は出せてはいないヨ。
だけどネ、あと一週間、一週間もすれば、もう一人前の麺茹で職人になれるヨ。
そうだろ、なあ、そうだろうが。
あっしは物の道理を通してるつもりだし、判ってないのはアンタの方だネ。
…れんげ、こちらのお方には、もう帰って貰いなさい。あっしも、こんな物の判らないヤツと一緒に、酒は飲みたくないからネ」
プイッと横を向いて、もう話す事などないと言わんばかりに、手酌でビールを飲み始めてしまった。
あぁあ、根岸もプライド高いんだろうけど、親父さんの頑固さはもっと上を行きそうだな。
「スイマセン、そういう事ですので、どうぞお引き取り下さい」
れんげちゃんも普段の愛想の良さはどこへやらで、そそくさと根岸やナベさんの皿やコップを片づけ始める。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ」
「なんだい?あっしは、もう話す事なんかないヨ」
「いや、私も、このまま味覚オンチと思われるのは我慢できない。ご亭主の言うように、もう一週間、待ってみましょう。この、えー、鳴人君が、本当にご亭主と同じ味が出せるのかどうか」
息巻いてしゃべる根岸の方を、親父は見向きもしない。
「いや、いいよ別に。アンタの言ってる“信用”なんて、所詮そんなもんだろうからネ」
「こっちが良くないんだよ!私も、飲食業界で信金の営業続けてるんだ、味覚の善し悪しが判らないで、この業界で食っていけないんだよ。
もし、ご亭主の言うように鳴人君が同じ味を茹でられるのなら、ああ、分かりましたよ、無担保、保証人無しで、私が全責任を持って資金をお貸ししましょう!」
は?
そんな口約束して、いいのか?
…ま、いいのか。どうせ、俺に1週間で今の親父の味なんて、出せるわけないし。
「ウカツな事は、言わない方がいいんじゃないのかい?」
親父、ようやく向き直った。
俺とは逆の意味で、自信タップリらしい。
「その代わり、鳴人くんが出来なかったら、今後はご亭主の茹でたラーメンは、ずっとタダで食べさせて頂きますよ、構いませんね?」
「いいともお安いご用だ。アンタの信金23年とか言う“信用”の程、見せて貰おうじゃねえか」
「そっちこそ、約束忘れるなよ。私は、ご亭主のラーメンが大好きなんだからな。ああ、ラーメン代儲かったなぁ!」
ガキみたいな捨てゼリフを残して、れんげちゃんの差し出すコートを羽織り、根岸は店を出て言った。
「れんげ、塩、撒いとけっ!」
「ハイっ!」
れんげちゃん、人気相撲取りがやるみたいに、実に盛大に塩をばら蒔き始めた。
…血が繋がってるわけでも無いのに、変な所でよく気が合うんだよなあ、この二人。
交渉決裂とまでは行きませんが、店の改装資金調達は、鳴人君の成長に掛かることになりました。
さすが主人公ですね。持ってますね。やりますね。
作者、強引過ぎないか?
ん-どうでしょうね。二人のむさ苦しい親父たちが、プライドを掛けて口喧嘩ですからね。
こういうのって、なぜか長引くんですよ。よぅやるわ、と思う位にね。
まあ、規模を拡大するなら、麺方がもう一人必要だよね、というのは、間違ってませんけどね。




