93 こんな簡単な事も判らないで、よくラーメン通を名乗れるネェ?
お店の責任者は、親父。
外から余計な事を言って来るんじゃないヨ!
いやしかし、このままでは店が潰れてしまいますよ。
私は、そういう店を何件も見てきたんだ。
お互い、相当な意地っ張り。プライドを掛けた戦いです。
うん、傍目から見ると、むさ苦しいだけだけど。
「いや、根岸さん。鳴人君に麺方をさせてるのは、あっしなんだ」
「…はぁあ?」
今までの勢いをイキナリ止められて、キョトンとしている根岸。
「いや、鳴人君なら出来る。きっと、あっしと同じように麺を茹でる事が出来ると見込んで、やらせているンだ」
「な、何を根拠に、そんな…」
やけに自信タップリな親父の口ぶりに、さすがの根岸も口がアワアワいっている。
って、俺もその自信の根拠はよく判らないが。
「いや、確かに最初は酷かったよ。そりゃ、初めてに近いんだから、当たり前だろう。でもね、今の鳴人君の麺は、あっしのそれと、もうほとんど変わらないんだヨ」
「お、お父さん、そりゃ、いくらなんでも身びいきが過ぎませんか?」
ナベさん、そんな泣きそうな顔で言わなくっても。
「いやホントだよ。最近客足が落ちてきてるだろ?だから、昼の賄いの時に、鳴人君にラーメンを茹でさせて、味を確かめてみたんだ。そしたら…」
「ええ、本当にマスターの麺に近づいてますよ」
片づけが終ったらしい(ホント速いよなあ)れんげちゃんが、俺と親父の間に割り込むようにしてチョコンと座ってきた。
ナベさんが一瞬、しまったという顔をしたが、彼女との間に、俺という壁が作られてしまってから嘆いても、もう遅い。
「根岸さんも、来々軒のラーメンの味は、ご存じなんですね?」
正面からじっと見据えられて、ちょっとたじろいた根岸。
「も、もしかして、君がココに勤める前の、親父さんが一人で店を開けていた頃の、来々軒の味の事か?」
「ええ、そうです」
れんげちゃんは、確信のこもった顔で、キッパリと言い切ってくれた。
「わたし、マスターのあの味に感動して、お店をお手伝いさせて頂けるようにお願いして、ここに勤めさせて頂いているんですから」
「…そ、そうなの?」
完全に毒気を抜かれた根岸。
そりゃそうだろう。俺だって、初めて彼女の話を聞いたときには思いっきりパニックに陥ったからな。
ナベさんだけは、なんの話か飲み込めずにいるみたいだ。
どうも、いまだにれんげちゃんは親父の実の娘で、仕方なく手伝いにしているものだと思い込んでいるらしい。
まあ、ナベさんは以前の来々軒の味を知らないから、無理もないけど。
「だから、鳴人さんの事を悪く言わないで下さい。悪いのはわたしなんです。わたしの手際がもっと良ければ…
いや、それはないってば。
どうしてれんげちゃん、なんでも自分のせいにしたがるのかなあ。
「いや、それは別に関係ないんだ。問題なのは、ご亭主、あなたにあるでしょうが」
おっと、根岸のヤツ、矛先を急に変えてきたぞ。
「ほほぉ、あっしにあると?」
親父も、なんか目が座ってきてるぞ。
この間、銀行員と丁々発止とやりあったあの顔だ。
「もちろんですとも。ご亭主は、この来々軒の全ての決定を一身に担っておられる。そして、その責任も」
「もっともだヨ」
「ならば、ここ最近の客足の減少の原因も、全て承知の上で、この若者に麺を茹でさせている。この責任をなんと心得ているんですか?!」
根岸のヤツ、酔うと理屈っぽくなるタイプなのか。
「あっしはあっしの責任で鳴人君に麺を茹でさせていると、さっき言ったばかりじゃなかったかネ、ああん?」
親父も親父で、酒が入ると感情の制御が利かなくなるみたいだし。
まあ、泣きたいときに泣いて、怒りたいときに怒れるのなら、ある意味とても健康的なんだけどさ。
「その結果が、いまの来々軒の味そのものなのではないのですか?!
我々客は、ご亭主の茹でるあの麺が食べたくて店に来るんだ。
それを、紛い物とすら呼べないようなラーメンを出しても当然とするのは、いかがなものかと…」
「いえ、鳴人さんの麺はマスターの味に近づいてます!」
「だから鳴人君の麺はあっしの茹で方に近くなってるんだヨ!」
期せずして、親父とれんげちゃんの声がハモル。
「判らない、全然判らないですねぇ。あのラーメンのどこがご亭主の味に近いのか…
ただ、はっきり言えるのは、このままではお客は誰も来なくなるだろうという事ですよ」
さすがは理屈屋だけあって、根岸のヤツ、現実的な路線で責めて来る。
って言っても、同じ事の繰り返しなんだけどさ。
「イヤ、そんな事はないヨ。昔っからの常連さんは、変わらずに来てくれるヨ」
…昔っからの、常連?
あの、れんげちゃんが来る前の来々軒に、常連?
もちろん、俺は、まあ、ほとんど毎日通ってたから、否定はしないけどさ。
いや、だからこそ言える。んな奴いたら、俺が必ず判るはずだぞ。
「その、常連さんって、何人くらいいるんですか?それで経営は、成り立つんですか?」
根岸も、かなりシツコイ。
まあ、コイツなりに店の事を思ってのことなのは判るけどさ。
「い、いや、はっきり覚えてるわけじゃないんだが…」
雲行きが怪しい親父。なんだ、所詮は親父の戯言か。
「でもねェ、あっしの味は、あっしが目指したラーメンは、間違ってなかった、なかったんだヨ。それが判っただけで、あっしはもう、充分だヨ」
「味って…?」
怪訝そうな根岸。
いや、それは俺も聞きたいぞ。
親父の持っている、妙なこだわり。
あのクソ不味いラーメンを、ずっと作り続けてきたその妙なこだわりは、元常連今従業員として、聞いておきたいぞ。
「あっしと、あっしの女房が一緒に作った味なんだ。だから、あっしはどんな事があってもあっしの味を守る、守るんだヨ…」
目を天井に向けて、一人ごとのように呟く親父。
ダメダ、完全に酔っている。
何を言ってるのか判らない。
「ご亭主、何を仰っているのか、私にはさっぱり判らないんですがね」
「判らない?ハ、ハ、こんな簡単な事も判らないで、よくラーメン通を名乗れるネェ?」
二人の(むさ苦しい)中年男が、テーブル越しに睨み合う。
親父は、別に根岸を納得させなくてもいいんです。
だって元々、部外者だしね。
融資がどうこう言ってきたんで、話だけでも聞いてやろうと思ってるだけ。
そこに割り込み、食らい付き、離さない根岸が、大したもんなんですよ。
まあ、むさ苦しいけど…




