90 あっしは鳴人君のラーメンが食べたいんだ
客は、麺だけを残している。
もう、バレちゃったついでだ。
君の作るラーメンがどれほどのものか、賄いにして確かめてみよう。
あっしは、君のラーメンを食べたいんだ。
親父、何を考えてるんだろうね?
「よし、賄いにしよう」
麺の仕込みが終わりかけた頃、親父は俺に向かってそう言った。
「はい、ただいま…」
「いや、れんげ…さんに言ったんじゃないんだ。鳴人君、麺を茹でてくれ。今日の賄いは鳴人君のラーメンにしよう」
「…はい」
いつになくキビシイ、親父の目。
自分の怪我に、そして俺の茹でるラーメンに。
それなりの踏ん切りをつけるつもりなんだろうか。
親父の気持ちは判らないけど、とにかく。
俺は、麺を茹で始めた。
心得ているかのように、れんげちゃんがドンブリの支度を始める。
「あ、れんげ、手を出さないでくれ。あっしは鳴人君のラーメンが食べたいんだ」
「は、ハイッ!」
親父から呼び捨てにされて、れんげちゃん、なんだか嬉しそうだ。
彼女の事を、従業員としてじゃなくて、娘として見ている事の表れだから。
…なんて余裕ぶっている場合ではない。
今までは麺を茹でるのに夢中で、ドンブリの支度を同時にやった事はないんだよな、俺って。
でもまあ、たかが賄いの三食分。
ドンブリの支度は普段からやっているから、麺が茹で上がる前にやってしまえばいい。
俺なりに手慣れた手つきで、ドンブリを並べる。
が。
スープを入れるタイミングと、麺を揚げるタイミングを同時に考えなければならない事に気がついた。
先にスープを入れて、その中に麺を「魚を生け簀の中に滑り込ませるかのように」入れるのだが。
あまり早くスープを入れると、冷めてしまうだろうし。
あまり遅くスープを入れると、麺が伸びてしまう。
えっと、どうしたらいいんだろう…
尋ねようとして親父の顔を見ると。
「鳴人君、あっしはマズいラーメンは食いたくないヨ」なんて、先に言われてしまった。
目が「自分で考えてやってみろ」と言っている。
くそっ、判ったよ。
出来ないわけじゃ、ないんだ。
全ての手際を速くすればいいだけの事なんだ。
普段かられんげちゃんが言っているように「丁寧に正確に、そして素早く」だ。
麺を揚げるタイミングは、もう飲み込みつつあるんだ。
後は、実践のみ。
三食分のスープを仕込む、俺なりの手際ギリギリで、作業を始める。
一杯目、二杯目、三杯めと。
調味スープを同じように入れ始めると、麺を茹でる大鍋の辺りから、ピリピリした感覚が伝わってくる。
判ってる、判ってるよ。
スープの準備を終えると同時に、急いで麺を揚げて、リズミカルにドンブリに入れていく。
焦ってはだめだ。あくまでも「丁寧に」だ。
「正確に」そして「素早く」は、その後でもいい。
麺を三つとも入れ終えたその先から、具材を手際よく乗せていく。
これは、普段やっているから、充分身に付いている。
よし、出来た。
ちらっと、親父の顔色を伺う。
特に文句はないようだ。
れんげちゃんも、同じく。
ただ、ちょっと心配そうに、俺と親父を見比べている。
「よし、まずは腹ごしらえだ。夕方からも忙しいからネ」
親父の掛け声で、俺たちはラーメンを啜った。
ズズ、ズズズズ…
ウッ…
やはり、不味い。
麺が、不味い。
なんか、どうしようもなく水っぽくて、茹ですぎて伸びている感じだ。
はっきり言って、客が食べ残すのも頷ける。
だが、俺、どこかで、こんな味のラーメン、食べた事がある。
記憶の片隅にだけど、やけにはっきりと覚えているんだ。
スープや具の味が抜群にいいだけに、影に隠れてしまっているのだが。
確かに、どこかで食べた事があるんだ、この不味さは。
そう、まさにこれは、れんげちゃんが勤め始める前の、親父さん本来の来々軒のラーメンだ。
俺が、マズいマズいと思いながら通っていた、こんな不味いラーメンをよく客に出せるなと密かな優越感を抱いてさえいた、あの来々軒のラーメンの味だ。
そして、親父も、れんげちゃんも、ただ黙々と食べている。
なにも、言わない。
「いや、そんなに無理して食べなくても…」
「い、いえ、無理しているわけじゃ、ないですよ」
「そうだとも。悪くない、悪くないヨこのラーメン」
そうは言ってくれるけど。
れんげちゃん、なんか使命感にでも駆られているかのような、悲痛な笑顔を浮かべているし。
親父も、額に異常な汗をかきながら、俺を慰めるかのように「悪くない」を連発してるし。
…当時は、なんでここまで不味く出来るんだ、と思っていたけど。
自分が作る側に回ってみて、その不味さに絶望感すら覚えてしまう。
「どうして…俺、親父さんと同じようにやってるつもりなんだけどな…」
言っている側から、自分にあきれる。
負け惜しみ、とすら言えないよなあ。
第一、「同じように」なんて、親父にしてみれば失礼この上ない話じゃないか。
「ス、スイマセン、ナマイキな事言って…」
「いや、鳴人君、大丈夫だヨ。確かに鳴人君は、あっしと同じようにやってくれているヨ」
親父さん、それは「昔」の話でしょ?
自分もそうだったから、俺の気持ちも判るっていう事?
ハハハ、そこまで哀れんでもらうと、俺、余計、惨めになるよ。
同じようにやっているなら、こんなに不味くはならないはずだから
親父の茹でる麺、ムチャクチャ美味いというわけじゃないけど。
なんか、こう、懐かしいような、優しいような、そんなほのぼのとした味わいで。
それが、あっさりしていながらコクの深い来々軒のスープと、絶妙の調和を生み出しているんだ。
お客は、その「来々軒のラーメン」を食べに来ているんだ。
俺なんかが茹でた、こんなクソ不味い麺を食べに来ているんじゃないんだ。
なのに…
「さあ、食べ終わったら、店を開けるよ。お客様が、お待ちかねだからネ」
カラ元気でもなんでも、親父はそう、威勢のいい掛け声をかけた。
~ ・ ~
だが、お客は、待ってはいなかった。
いつも通り、5時から店を開けたのだが、行列は、出来ていなかった。
むろん、全く客がこなかったと言うわけではなく、仕事帰りのサラリーマンや、工場勤めの作業員とか、部活帰りの学生などが、やけに空いているのを気にしながら、ちらほらと店に入っては、来るのだ。
まあ、普通の、ごく一般的なラーメン屋の雰囲気ではある。
それでも、いつもの活気に満ちた空気が失われてしまったかのようで、寂しい事は寂しい。
やはり、客の舌は敏感なのだ。
一度失った信用は、中々取り戻せない。不味いと判れば、もう店には来ないのが当然の情というものだ。
そして、その責任は、やはり俺の腕のマズさにあるとしかいいようがない。
「鳴人君、手を抜いてはダメだ」
「だって、親父さん…」
「こういう時だからこそ、普段以上にしっかりとしたラーメンを出さないとナ。さあ、賄いの時にやってみせたように、自分でドンブリの支度もするんだヨ」
「は、はい…」
まあ、客の入りがボチボチなので、対応出来ないということはない。
むしろ、余裕をもって取り組めるといえば、そうなのだが。
…そういえば、れんげちゃん、ラーメンを取りにくる以外は、厨房に入ってこないな。
よくよく見ると、いつも以上に丁寧にテーブルを磨き、お客さんと談笑し、こまめに水を取り替え、店の隅々にまで気配りを行き届かせているようだ。
忙しい時は忙しいなりに、丁寧に。
そして、暇な時こそ、もっと丁寧に。
ああ、そうだよ。
彼女はいつでも前向きで。
どんな時でも一生懸命で、手を抜くなんて考えたこともないんだろうな。
俺も、一生懸命に仕事しなくちゃな。
でも、もう隠すこともなくなった、彼女の下げてきたドンブリには、キッチリと麺が大量に残されてきていた。
(続く)
ある意味、元々の来々軒に戻ったと思えば、気持ちも落ち着くというもんだよ。
いや親父さん、今の来々軒のラーメンの原価って、とんでもないことになってるんスけど。
これじゃ、話にならないんですけど。
このお話は「繁盛記」ですからね。良い時もあれば、ダメな時もあるんですよ。
繁盛する時はトコトン上へ。
ダメな時は、もうドン底へ。
まさに「白河流」ですなぁ。




