89 まだ仕事中だぞ!君も片づけを手伝いたまえっ!
れんげちゃんの様子、気になるなぁ。
おっと、ちゃんと麺茹で、出来てるぜ、親父。
鳴人君、中々大変ですけど、器用にこなしてますよネ。
こなすだけなら、ね。
翌日、ひたすら麺を茹でながら。
親父の目を盗むようにして、れんげちゃんの様子をなんとか伺ってみた。
「いらっしゃいませー!3名様ですね?はい、こちらのお席にどうぞ…」
相変わらず、テキパキと動いていて、普段と違うようには思えない。
なんで、あんな事言うんだろう?
「鳴人く…」
おっと、親父に言われるまでもない。
だいぶ、麺茹でのコツが掴めてきたんだ。
この、麺がふわっと浮き上がったタイミングで、ザル上げすればいいわけだ。
湯切りの要領も、だいぶ掴んできたし。
まだ親父のように、リズミカルにチャッチャという音は出せないけど。
形だけはきちんと、麺を跳ねさせる事ができるようになってきたんだ。
と、申し合わせたように、れんげちゃんがドンブリを並べている。
さすがだよなあ、とか思いながら、茹で上がった麺を注いでいく。
れんげちゃん、俺、なんとか、形になってきたでしょ?
最後の麺をドンブリに開けて、彼女の顔を見る。
そんな俺の視線に気づいたように、彼女は笑みを返してくれた。
しかし、その笑みは、どこかこわばっているように感じられた。
なんとか、昼の分を捌き終えて、店の中で一息つく事ができた。
気がつくと、2時をとっくに回っていた。
普段なら1時半にはスープ切れで店を閉める算段を始めるのに。
昨日から、れんげちゃん、どこか変なんだよな。
ちょっと、フラフラしているような感じで、顔色もあまり良くない。
かなり、無理しているみたいだ。
「すいません、すぐにスープの支度しますから。麺の方、仕込みは間に合いますか?」
「なあに、あっしもいるんだ、大丈夫間に合うヨ」
…んなこといって、親父はまだ手伝える状態じゃないでしょうが。
でも、まあ、要領は掴んだから、なんとかなると思うよ。
「それより、れんげちゃん、どこか具合が悪いんじゃない?風邪でも引いた?」
「わ、わたしは、大丈夫、大丈夫ですよ。ほら」
にっこり笑って、大きなゴミバケツを重そうに抱えてみせた。
「そんなに無理しなくていいんだってば」
つい、手を貸そうとすると。
「大丈夫ですってば、いつもやっている…」
そのまま、外に運ぼうとして、彼女が急にふらついた。
「あ、危ないっ!」
思わず手を出そうとしたけど、れんげちゃんはまるでバケツを庇おうとでもするかのように、背中を向けた。
弾みで、俺は彼女を突き飛ばす格好になってしまった。
ドシャッ…!
「あっ、ゴメン…」
あちゃぁ、厨房一杯に、生ゴミをぶちまけちゃったよ。
辺り一面、黄色い麺が、波うつ海のように広がっている。
で、そこにチラホラと、牛骨や鶏ガラ、野菜カスが、難破船の残骸のように浮かんでいた。
麺。
そう、麺の海、だった。
なんで、こんなに…
「ご、ゴメンナサイ、すぐ片づけますから…」
彼女にしては、慌てた素振りで生ゴミを片づけ始めようとする。
だが、俺は黙って立ったまま、手伝う事が出来なかった。
「なると、君?」
見かねたような、親父の声。
「親父さん、俺…」
今までは、麺を茹でるのに夢中で、はっきりとは判らなかった。
だが、こうなる事は最初から判っていた。
判っていたはずなんだ。
自分の茹でた麺を試食した時からすでに、客はスープだけ飲んで、麺は絶対に残すし、もう二度と店にはこないだろうなって。
判っていたんだ。
「鳴人君、ほら、君も手伝って…」
親父の声が、遠く聞こえる。
俺は最初っからシロウトで、まだ麺茹でなんて始めたばかりなんだ。
出来なくて当たり前だし、俺は天才でもなければ才能があるわけでもない。
判ってるんだ。
なのに、なんで、こんなに胸がイタイんだろう。
どうしてこんなに、体が震えているんだろう。
食べてもらえなかった、俺のラーメン。
それは、つまり俺自身であり、俺そのものなのだと、どうしてそう思ってしまうんだろう。
判っている、つもりだったのに。
俺は、なにも判っていないんじゃないのだろうか?
「鳴人君!」
「は、はいっ!」
いきなり、親父が大声を上げた。
「まだ仕事中だぞ!君も片づけを手伝いたまえっ!」
「は、は、はいっ!」
思わずびくついて、手が反射的に床掃除用の水箒を求めて彷徨う。
すでに、生ゴミは、食べ残された麺はあらかた片づけ終えたれんげちゃんは、そのままゴミバケツを外に運んでいる。
彼女の顔は、見えなかった。
いや、俺は、彼女の表情を、見る事が出来なかった。
彼女が、どんなに来々軒のラーメンをアイしているのか、よく判っていたから。
~ ・ ~
午後からの仕込みの最中、誰も、何も、言わなかった。
普段なら、笑い声が満ち、冗談をかわしたり、鼻唄を歌いながら仕事をしているのだが。
ただ、黙々と作業を進めていた。
店の営業時間が伸びていたのは。
れんげちゃんの調子が余り良くない様に感じていたのは。
つまり、れんげちゃんが俺に、残された麺の入ったドンブリを見せないように気を使っていたからなんだという事に、俺はようやく気がついた。
あまりに巧みにそうしていたので、麺を茹でるのに夢中になっていた俺は、ついぞ気付かなかったのだ。間抜けな話だ。
だが、親父は、客が麺を大量に残している事に気づいていたんだろうか。
かなりボケている親父だから、判らなかった可能性も、ないわけじゃない。
いや、そんなわけないか。今の親父のやっている事といえば、俺の仕込みや麺茹での様子を見ているだけなんだし。
それこそ、ボケてれんげちゃんの様子すら判らなかった俺より、ずっと余裕があるんだから、気づかないはずもない。
じゃあ、なんで店を開け続けているんだ?
明らかに「来々軒」の評判を落としているというのに。
とても客に出せるラーメンじゃない事は、残された大量の麺が物語っているじゃないか。
自分の手落ちで怪我をして麺を茹でられないから、却って意地になって店を開け続けているのか?
いや、子供じゃあるまいし、そんな意地を張って、一体どうなるっていうんだ。
親父、一体なにを考えているんだ?
すでに、破綻してましたね。
バレちゃいましたね。
薄々は、知ってましたよね。
でも…
親父さんも、れんげちゃんも、普通に接してくれてましたし、ね。
鳴人君、君のせいじゃないよ。
鳴人君、君のせいだよ。
でも、さすがに責任は取らなくてもいいけどね。
おれ、作者なのに、すでに色々と言いたくなってるのは、なんでだろうね?




