84 一体、なにを根拠にそんな事言い切れるんだ?
麺方の修行。当然ながら、悪戦苦闘です。
いや、普段からあっしを見ている鳴人君なら、出来るはず。きっと出来るヨ!
そうかぁ?
これ、見るとやるとでは大違いだぞ?
来々軒は、昔から平ザルに拘っています。
普通に深いザル(てぼ)を使えば、ここまでの苦労はしません。
でもねぇ、平ザルで茹でると、麺の茹で上がり方が、まるで違うんだよねぇ。
ここは鳴人君に。ぜひ頑張って習得して頂きましょう。
作者め、俺ばっかり苛めやがって…
ソリャソウデショ。アンタ主役なんだもん。
あんな可愛い子が側にいて、一つ屋根の下で一緒に働いたり生活してたり(部屋は別)してるんだよ?
むしろ、感謝して貰いたいね。
く、くそぉ…
午前を目一杯掛けて、なんとか100玉、麺をほぐし終えた。
しかし、俺の見た目でも、麺はダマになっていたりバラバラだったりと、まともな仕事とは思えない。
考えてみれば、親父は開店前に200玉、汗だくになりながらもきっちりほぐしているんだ。
まあ、俺の横で、それこそ付きっ切りで、「そこはチガウ」とか「この辺の手の使
い方はネ」とか、教えてくれてはいるんだけど。
一言一言、気にしながらやってはいるのだが、当然、手元がはかどるわけもない。
終いには、親父が何を言っているのか、判らなくなってくる始末だ。
熱心に教えてくれようとしているのは判る、判るのだが。
なんというか、親父、人を教えるのが猛烈に下手くそだ。
まあ、俺の不器用さも、当然あるにはあるのだが。
俺たちが悪戦苦闘している間に、れんげちゃんは、練習用にと、普段のメインスープを一鍋仕上げてしまい、明日のスープの仕込みも終わらせている。
最初に茹でて失敗した麺を、中華鍋で一気に水気を飛ばして、焼きソバらしき賄いに仕立て上げてくれた。
午後から、茹で方の練習を始めた。
といっても、平ザルの使い方から始めなきゃならないわけで、これが結構難しいのだ。
買ってきた糸こんにゃくを麺に見立てて、手首の返し方、スナップの利かせ方を練習するのだが、こんにゃく、じゃなくて、麺が全然、宙を舞わない。
「鳴人くん、チガウ、チガウんだよ。そんなに腕を振り回しちゃダメだダメだ。もっとこう、グッとパッとだネエ…」
親父、んな事言われても、ちっとも分かんねえよ。
グッとかパッとかって、一体なんなんだ?
ああ、横でギャアギャア騒がないでくれ、気が散るって。
…なんて、さすがに従業員の身では言えない。
れんげちゃんは、俺たちのことには完全にノータッチを決め込んでいる様で、セッセと床やテーブルを磨き込んでいる。
まあ、どうしても無理なら、れんげちゃんに麺を茹でて貰えば済む…わけないか。
俺に、接客は絶対無理だというのは、この前、信金野郎根岸が来たときにちょっとやってみて、よぉく判ったし。
スープや具の盛りつけも、俺の代わりに彼女がこなすだろうから、せめて麺はしっかりと茹でなければならないよな。
「鳴人君、ほら、手がおろそかだよっ」
「は、ハイっ!」
親父、それなりにキビシイ。
でも、とてもウルサイのだが
結局、親父やれんげちゃんみたいに、チャッチャッと湯を切って、というのは、まだ出来ないので、細かくザルを揺すって、なるべく速くドンブリに入れるという形で落ちついた。
本来は、麺が傷むし、充分に湯切り出来ないのだが、れんげちゃん、茹で鍋の塩加減を強めにして、やや固めに茹で上がるようにしてくれると言ってくれた。
「だから、大丈夫ですよ、きっと」
そういって彼女はいつも通り笑ってくれたが、なんか、その表情が固いように思えたのは気のせいだろうか?
とにかく、れんげちゃんも厨房に入って、実際に麺を茹でてみる事にした。
熱く煮立った茹で鍋の中に、麺の塊を5つ入れる。
親父はいつも、8つの麵玉を、少しずつ時間差をつけて入れていた。
そうする事で、茹でムラをなくし、均一な茹で加減の麺を出すためだ。
だが、俺の手つきを考えて、最初は5つにしようと親父が言い出したのだ。
じっと、大鍋の中で揺れる麺を見守る俺と親父。
れんげちゃん、ササッとドンブリを並べて、まだ、スープは注がないでいる。
さすが、俺とほとんど同じタイミングでスープを入れるのを待っているわけだ。
そ、そうか。
スープを注ぐタイミングに合わせて、麺を上げればいいんだ。
なんて、茹で加減を見ているはずもないれんげちゃんに、そんな芸当ができるはずもない。
と思ったら、れんげちゃん、一杯目のスープを注ぎ始めた。
同時に、親父も「鳴人くん!」と声を掛けてくる。
「ハ、ハイっ!」
あわてて最初の麺を掬い上げ、ジャッジャジャッジャッって感じで振り回して、ドンブリに放り込む。
バシャっと、スープが跳ねて、れんげちゃんに掛かってしまう。
「あっ、ゴ、ゴメンっ!」
「いいです。それよりっ!」
れんげちゃん、気にもしないで二杯目を注いでいる。
は、速いよ、タイミングが速すぎるよ?
「鳴人くん!…イテテッ」
え?
見かねて親父が手を出そうとする位、俺が遅いの??
あわてて二杯目の麺を揚げたけど。
「ゴメンナサイね」
れんげちゃん、スッと俺と体を入れ換えると。
残りの3つの麺をすぐに掬いだして、もう準備の終っているドンブリに入れてしまった。
「れんげちゃん…?」
「鳴人君、もう、残りの麺は茹ですぎなんだ」
親父が、唇をかみしめながら、そう言った。
試食してみると、確かに、全部茹ですぎだった。
最初の一杯目は、伸びた感じの上に、パサツキ感さえあった。
二杯目も、伸び気味な上に、スープの味が薄いように感じた。
三杯目からは、ちょっと伸びてる感じだが、まあ、判らないといえば判らない位だが。
「親父さん、やっぱり、俺…」
「鳴人君、最初はだれでも初心者なんだ。こんな事で挫けてどうするんだ」
んな事いったって、親父が腕を挫きさえしなけりゃこんな事にはならないのに。
「マスター、麺を入れるタイミングを、もっと伸ばしたらどうでしょう」
「…そうだな。鳴人君が慣れてくるまでは、しかたないな」
「さあ、もう一度です」
そ、そんな、不安そうな真剣な表情で、俺を見ないでくれよ。
判ってる、判ってるよ。
明日の開店までに、なんとか一通りは出来るようにならないと。
気持ちは真剣に。
でも、相変わらず手つきはモタモタしながら、俺は茹で鍋に麺を入れた。
「親父さん…」
「マスター…」
「うーむ…」
ずらりと並んだ、ドンブリの行列。
だが、自分でいうのもなんだけど、まともに茹でられた麺は、一つもなかった。
いや、自分で食べる分として考えれば、まあ、伸びすぎとか、固いとか文句を言えばすむレベルのものだが。
しかし、お客に出せる状態には、ほど遠い。
例えていえば、いや、例えたくはないのだが。
れんげちゃんが来る以前の、あの不味かった来々軒のラーメンみたいなものだ。
あの味でいいなら、なんの問題もないのだが。
…いや、この高級麺を使って、しかも行列の出来るラーメン屋としてのプライドとして、俺の茹でるこんな麺は、とても出せたものではない。
全く、自分でいうのもなんだが、ラーメンを不味く造るというのは、本当に造作もないというのがよく判る。
しかもスープや具が抜群に美味いだけに、麺のマズサが強烈に引き立つのだ。
俺が客なら、スープだけ飲み干してそのまま帰るし、もう二度と店にはこないだろうな。
自分でいうのもなんだが、それが当然の理、自明の理というものだろう。
そう思って、親父の顔を伺ってみると。
なにか、決心したような表情を浮かべている。
おいおい…
「いや、鳴人くんなら出来る。出来るはずだヨ。きっと出来る。うん、うん」
うんうんって、なにを一人で頷いているんだ?
「マスター、予定通り、お店を開ける、んですか?」
こわばった笑顔で、れんげちゃんが尋ねる。
「いや、うん、開ける、開けるヨ。ウチのラーメンを楽しみにきて下さるお客さんに、ご迷惑はかけられないからネ」
「…親父、さん、ほんとに、いいんですか?」
いいにくいけど、今の俺じゃ、ちょっと茹で方は無理だとしか言えないぞ?
「いいんだ。鳴人君なら出来る。きっと出来るヨ」
そんな、確信こもった目で見つめられても、なあ
一体、なにを根拠にそんな事言い切れるんだ?
「鳴人君は、ウチの、来々軒のラーメンを“アイ”してくれているんだ。だから、出来る、きっと出来るヨ!」
…アイ?
なにを言い出すんだ、この親父は。
そういえば、れんげちゃんも、常連さんになってくれた労働者風の年配の男の人も、なんかそんな事言ってたよなあ。
でもねえ、昨日の今日でハイどうぞって出来てしまう程、ラーメンって甘いものじゃないんだと思うんだけどねえ。
高価な食材を散々無駄にして、練習を重ねる鳴人君。
これ、捨てちゃうの?
そうですよ。お客様に、とてもお出し出来ませんから。
やっぱり、俺が麺方なんて無理なんじゃ。
イヤ、君なら出来る。きっと出来るヨ!
一体、何を根拠に…




