83 判る。今なら、よく判る
麺方。傍で見ているのと、自分でやってみるのでは大違い。
あれ、親父、もっと簡単そうにやってたぞ?
親父に出来て、俺に出来ないはずは無い、んだけどなぁ…
心配そうに見守る、れんげちゃん。
かたわらに立っている、親父。
グラグラと煮立った麺茹で用の大鍋の前で、俺は自分が見られているのを意識しながら、じっとお湯に突っ込んだザルの中の麺を睨み付けていた。
「親父さん、そろそろ…」
「まだ、まだだな」
麺を上げるタイミングは、俺もドンブリを用意している関係で、なんとなく判るつもりではいたけど。
実際に自分で麺を睨みながらと茹でるというのは、全くの別物だった。
練習用にほぐした麺の下ごしらえも、親父は片手しか使えないので、俺の手ほどきしか出来ない。
れんげちゃんは接客の他に、俺のやっていた下準備も引き受けることになるから、麺にはタッチ出来ない。
だから、俺がほぐしたのだが、そうなると、麺自体が微妙に代わってくるので、やはり茹で加減は親父が見ていなければならないらしい。
どうも、麺茹では、ただ単に時間を決めていればよいという類ではないみたいだ。
俺も、そのコツというか、技術を身に付けられれば良いのだが、昨日今日で判るはずもないし。
「よし、今だ」
「はい」
鍋の中を泳ぎ回る麺を、平ザルで掬いあげて、手首を振るってお湯を切る。
ちやっつつ、ちやっつつ…
なんとも、まだるっこい音が響く。
そして、麺はカゴの中にへばりついたままだ。
親父さんが湯切りをしている時は、麺が空中で踊っていた。
俺のは、とてもじゃないけど、湯切りにはなっていない。
「あれ、あれ…」
「鳴人くん、チガウよ、こう、こうだ…」
見かねて親父が手を出そうとしたが。
「イテッ、イテテテ…」
ああ、無茶はよせって。
しょうがなく、れんげちゃんが即席でつくった塩スープのドンブリにそのまま麺を入れる。
麺の味そのものを確かめる事のできる、ごくあっさりとした透明なスープの中に、ボチャンと、塊そのもののように、俺の茹でた麺が沈んでいった。
普段なら、美味そうな匂いを立てるスープの海の中に、生命を得て解け広がって行くかのように麺が納まっていくのだが。
そして、そんな様子がリズミカルに生き生きと繰り返されていくのが、俺は大好きなのだが。
すでに、試食しなくても判る。
このラーメン、絶対に失敗だ。
俺が来々軒で働き始めたころ、れんげちゃん、俺のもたついている間に出来たラーメンを、見た瞬間にダメ出しして作り直させていたけど。
あの時は、どうしてイケナイのか、よく判っていなかったけど。
判る。今なら、よく判る。
この麺、すでに“死んで”いる。
「さ、食べて見ましょう」
でも、れんげちゃん、俺の背中を押すようにしてそう言ってくれた。
「あ、ああ」
「そうだな」
それぞれ、箸を突っ込んで、麺を啜ってみる。
「…芯が、まだ残ってますね」
「…途中で固まって、そのまま伸びちゃってる」
「…あっしのタイミングが、悪かったかなあ…」
「いや、麺をほどく俺の手つきがダメなのかも」
氷温熟成麺を、手で、体温で、一本一本、解氷していくかのように解きほぐすのが、来々軒の麺である。
扱い方を熟知していても、不自由な左手しか使えない親父と、全くのシロウトである俺が下ごしらえしてみた所で、本来の味わいが出るはずもない。
「とにかく、練習するしかないですね」
れんげちゃん、キッパリと言い切ってくれるけど。
そう簡単に出来そうなもんじゃ無いと思うけど、ねえ。
あ、これ、昔の来々軒の麺だ。
あの、どうしようもなく不味かった麺の味だ。
手つき、手早さ、手慣れ感。
親父と、俺。
麺方が違うだけで、ここまで味が変わるものかよ…




