73 ここだけは別の空間を形成していた
ちょいと長いですが、ここは一気読みでヨロシク。
うわーん、とでもいう感じだろうか。
冷えた戸外の空気を追い出しに掛かるかのように、香ばしい匂いが漂っていく。
すでに、客がチラホラと引き寄せられ始めている。
かき集めてきた大小様々なナベの上で、素晴らしくイイ匂いのスープが出番を待っている。
横のテーブルでは、れんげちゃんが見る見るうちに、売れ残りの食材を捌いて具を作っていく。
俺も、発泡スチロールのドンブリや割り箸の確保、釣り銭の準備や、補充用の水の確保など、飛び回って働いた。
「おいおい、いくら売れ残りそうだとはいえ、こんなに沢山の具材、捌ききれなかったらどうするつもりだ?」
「大丈夫ですよ。その時は、全部わたしが買い取りますから。その代わり、全部捌けたら、鳴人さんのお話を聞いて上げて下さいね」
小麦粉を大きなボールに開けながら、れんげちゃんは親父の顔を見てにっこり笑う。
具も、スープの材料もある。
麺が、無い。
だから、麺を打つ。
今、ここで。
彼女はそう言って、強い瞳で俺を見つめた。
だから、俺は彼女を信じた。
信じて、後の事一切合切の支度をしている。
そして、れんげちゃんは。
ポリタンクから、水をボールに注ぐ。
大量の卵と、別に作っておいたらしい、小魚を砕いて煮詰めて冷ましておいたスープを混ぜて。
そこに大量の小麦粉を注ぎ込み、ものすごい勢いでこね始める。
彼女の額から、みるみるうちに汗が吹き出してきた。
小柄な肩が大きく揺れるのと同時に、テーブルもギシギシと音を立てる。
帰りがけのお客達も、匂いに引き付けられたまま、彼女のパフォーマンスに足を留めて、見入っている。
チラッと、れんげちゃんは俺の顔をみた、気がした。
ピンときた。
いつも一緒に働いている時の、あの感覚だ。以心伝心のように伝わる。
「まもなく、出来立て打ち立てのラーメンが出来上がります。今しか食べられない、今、ここでしか食べられませんよ!
今年最後の思い出ラーメン、今しか食べられませんよ。
一杯500円、500円ですっ!」
来々軒で培った、張りのある大声でお客に呼びかける。
値段は、とっさの思いつきだが、損はしないはずだ。
それこそ、来々軒で作っているラーメンとは違う。
メンもスープも具も、出来合いの、普通のものしか使っていない。
いや、普通なんていったら、他のラーメン屋に怒られるな。
なんたって、おせち料理の材料の売れ残り。有り合わせの、余りものなのだから。
しかも、店舗を構えているわけではないから、余計な費用など掛からない。
悪い言い方になるが、はっきり言ってインチキラーメンである。
しかし。
作っている職人は、超一級のラーメン職人である。
そこら辺のラーメン屋など、話にもならない。
れんげちゃん、ボールからこね上がった麺材を取り出した。
両手で掴んで引っ張ると、まるで餅が伸びるように引き伸ばされていく。
そのまま片方に持ち替え、お客に向かって振り回す。
おおっ、というザワメキの中で、最前列のお客の鼻っ柱を掠めて、伸びた麺材が彼女の手元に戻っていく。
まるで、しなやかに伸びる鞭のようだ。
彼女の手が鮮やかに動くたびに、一本の太い麺材が2本、4本、8本、16本と増えていく。
れんげちゃん、完全にパフォーマンスを狙っている。
事実、もうお客は彼女の一挙手一動作に見とれたまま、魔法でも掛けられたかのように動けない。
32本、64本、128本…
麺の本数が倍々ゲームで増えていくのと比例して。
人だかりも、みるみる大きくなっていく。
みな、買い物袋をぶら下げたまま、その重さも感じないかのように見入って、いや、魅入っているのだ。
おっと、俺まで見入っている場合ではない。
店で沸かしている大鍋を、急いで持ってくる。
バーナーには限りがあるから、いい匂いを立てていた調味スープ鍋を下ろして入れ換える。
すでにれんげちゃんは、お客の前で麺を切り分け始めている。
と、スッと俺の側に近寄ってきて、そのまま、再びグラグラと沸き始めた大鍋の中に指を突っ込んだ。
「れ、れんげちゃん!」
「火力が弱いから、大丈夫ですよ。それより、鳴人さんが麺を茹でて下さいね」
「お、俺が?」
「後の一切はわたしがやります。お父様にこれ以上手伝って頂くわけには行きませんから」
クソ親父なんて、特になにもしてないじゃないか。
「お忘れですか?私たちがなぜ、鳴人さんの実家に伺ったのか?」
「…いや」
忘れてた、なんて言えない。
にしても、俺、来々軒の親父さんの代わりなんて、出来ないよ…
「大丈夫ですよ。わたしが、丹精込めて打った麺を信じてください」
とかいいながら、お客の前においたもう一つのバーナーの上に中華鍋をおいて、たっぷりと油を引いている。
「…判った」
「3分です。麺に花が咲きますから、そこで揚げて下さい。お湯は切らなくていいです。そのまま、メインスープとして使いますから」
麺に、花??
れんげちゃん、目で俺に、麺を茹でるように合図する。
そのまま、彼女は中華鍋の中に具材をドサドサとぶち込んだ。
中華鍋を大きく傾けると、バーナーの火が鍋に引火し、大きな火柱が立ち上って天を焦がした。
うわあぁぁ…
おおおぉぉ…
寒空を一気に吹き飛ばす、大きな火柱。
彼女の周辺が、一気に熱気を帯びる。
だが、見とれている場合ではない。
何気なさそうに麺を茹でていた、来々軒の親父のまねごとを、俺がしなくてはならないのだ。
しかし、麺に花、なんて言われてもなあ…
と。
麺を茹でている大鍋から、なんともいい香りが漂い始めてきた。
おもわず引き込まれそうで、ついついナマツバを飲み込む。
潮の、潮の香りだ。
麺から、そう、れんげちゃんの打った麺から、出汁が溶け出し始めているのだ。
鍋の底から、沸き上がるように麺が膨らんでくる。
表面まで盛り上がって、四方に散ってまた沈んでいく。
それは、美しい華だった。
白い花びらを散らしては消えていく、潮の薫り豊かな麺の花だった。
「れんげちゃん!」
「いいですよ」
すでに、発泡スチロールに調味スープを混ぜたものが用意されている。
それも、ずらりと。
は、速い。いつ並べたんだ?
なんて戸惑う暇はない。
菜箸で麺を掬っては、ドンブリに放り込む。
が、上手くできない。
麺が鍋や自分の体に吸いついてしまう。上手く掬えないのだ。
「あ、ゴメンナサイ。わたしやりますから」
スッと体を入れ換えると。
れんげちゃん、右手首を細かく動かした。
鍋から飛び跳ねるように、麺が宙を舞い、計ったようにドンブリの中に飛び込んでいく。
まさに、あっと言う間の早業だった。
続いておたまを取り出すと、同じ要領でドンブリに向かって撥ね飛ばしていく。
全弾命中。
しかも、水滴が跳ねたりすることもない。
具の沢山詰まった中華ナベも、片手で軽々と持ち上げて、ドンブリの上を舞わせる。開いている片手が、機械の様な正確さで具を落とし込んでいくのだが、一見雑なように見えて、出来上がりは丁寧に並べたのだとしか思えない飾りつけである。
こりゃ、俺の出番はないな。
でも、まだやる事は沢山あるんだ。
「鳴人さんっ!」
「あいよ!」
言われるまでもなく、俺はお客の前にラーメンを並べ始めている。
「お待たせしましたっ! はい、500円になります!はい、二人前、はいアリガトウございますっ!はい、お釣り…」
それからの俺たちは、もう汗みずくで働いた。
いや、れんげちゃんが、ほとんど仕切っていた、という所か。
麺も具もスープも、彼女が一人でやっていた。
そしてそれは、異様に速く、全く無駄が無かった。
それどころか、彼女の魅せるパフォーマンスの一つ一つが、客の足をほぼ完璧に留めて釘付けにしてしまい、確実にラーメンを注文させていくのだ。
調味スープ、麺から溶け出すメインスープの、二重に漂う凄まじくいい香り。
中華鍋から吹き上がり、空を焦がす真紅の炎。
生き物のように舞いうねり、妖しく魅惑的なダンスを踊る麺材。
宙を飛び交い、テーブルを汚すこともなくすっぽりと収まる、茹で上がった麺やスープ。
そして。
俺たちの周辺では、ただひたすら、麺を啜り、スープを飲み干す音が異世界的な空間を形作っていた。
誰も、なにも言わなかった。
たた、俺の「アリガトウございます!」の掛け声しか、響かなかった。
年末の、冷えた寒空の中で、ここだけは別の空間を形成していたのだ。
書いてて、タマランですね。
創作の醍醐味ってヤツですよ。




