69 君もキビシイですね
信用できない奴に、決算書を最初から見せたりしないぞ。当然だろう?
ハハ、君も厳しいですね。まあ、それ位じゃないと、私の相手は務まりませんからね。
何を偉そうに言ってるんだ、失敗続きのダメ野郎のくせに。
何を偉そうに言ってるんだ、バイト程度の大学生のくせに。
おっと、話が違う方向に逸れちゃいそうだな。修正修正…
俺は、親父とれんげちゃんに、同意を求めるように視線を向けた。
俺としては、気に食わない奴ではあるけど、まあ、きちんとした仕事はしそうだとは思えるんだが。
親父は、意味が分からないようで「君に任せるよ」というような笑顔だし。
れんげちゃんも、微かに頷く位ではあったが、俺に任せてくれるようだ。
「根岸さん、これ、店の決算書なんですけど」
「ハハハ、もう手元にあったんですか。君もキビシイですね…」
まあね。ラーメンの味は、帳簿を覗けばかなりの線まで判っちゃうからね。
信金野郎、さすがに帳簿を見つめる目は真剣で、いかにも本職らしい。
手持ちの鞄からメモ帳と電卓を取り出して、なにやら計算を始めた。
「…材料費は、これだけの味を保つには削れないでしょうね?」
「ええ」
すでに散々話し合った結果だ。
「値上げは…いや、この値段でこの味というのが大きいしな」
「この値段では、やはり融資はダメなんですかネ?」
親父が、心配そうに訪ねる。
奥さんへの義理立てで、決めている値段ではあるし。
と、根岸、顔を上げて親父をじっと睨む。
「イエイエ、自分はそこまで経営状況に口を挟むつもりはありません。先程お話しましたように、自分は美味しい店を盛り立てるという事に、社会的使命感すら感じています。この素晴らしいラーメンがこの低価格で食べられるという、来々軒さんの熱意と技術を、より多くの人たちに味わって貰いたいんです。
だから、ご亭主、ぜひともこの味を、このラーメンを続けて頂きたい。おおいにこだわって頂きたいんですよ」
「根岸さん…」
親父、感激しちゃって、信金野郎の手でも握りしめたいような勢いだ。
ふと調理場を見ると、やっぱりというかなんというか、れんげちゃんが後ろを向いて泣いてるし。
ほんと、この親娘、よく似てるよ。例え血が繋がっていなくても。
「だからこそ、店を広げてもっと沢山のラーメンを出せるようにするというのは、正しい方針なんです。
ただし、店の面積も去ることながら、調理場の広さ、設備も代えなければ、もっと沢山のラーメンを作る事はできないでしょうね」
「そうですね」
当然のことだよな。
「自分の知っている業者を通せば、信用の置ける施工をしてくれるのですが、何分費用がかかる。内外装込みで、大体一千万位掛かりそうですが…」
「一千万…ですか?」
うっひゃあ、信金野郎、大きく出たな。
そりゃ、カネを貸せば貸すほど自分の成績にもなるだろうし。
知り合いの工務店を紹介するとなれば、ウラでリベートも期待できるってか。
俺の見立てでは、その半分で工事は済ませられそうと思ってたがな。
「もちろん、この建物のオーナーさんとも相談しなければならないし、工事にかかる工務店とも相談になりますが、まずはご亭主の御決断次第ということなんです」
「うぅむ…」
さすがに、親父も考え込んだ。
「もちろん、急な話ですから、じっくり検討して頂きたい。自分も支店長と掛け合って、ご亭主が納得のいく融資を、できるだけ安い利率で行ないたいのです。
融資金額に見合った担保か保証人を付けて頂ければ、絶対に説得してみせますよ」
ハハ、やっぱり、担保か保証人の話に、なるよなあ。
来々軒に、担保になるような資産があるはずもない。
保証人だって、最後の手段としか考えていないけどね。
「ただ、この店は、今の味、今の値段で充分ヤレます。今の倍の量、一日八百食作って捌ければ、この程度の借金、二年以内に返済できるでしょう。これは、長年金融業に携わってきたプロの目から見てお話ししています」
確かに、今の状況で、ほぼトントンの収支状況なのだ。だから、売り上げが倍になれば、確実に収益は上がる。
んな事は判ってるんだよ。その無茶をどうやって通そうか悩んでるんだよ。
「今日は、この辺で失礼します。自分も、正式な資料を集めて来ますので、また改めて検討しましょう。
ラーメン、本当に美味しかった。なによりも、ご亭主を初め、従業員の皆さんの熱気、仲の良さを感じましたよ。この店は、本当にいい。いい店です」
いいよもう、さっさと帰れ。
「では、これで」
信金野郎は、そのまま店を出ていった。
「アリガトヤシタッ!」
「アリガトッシタッ!」
親父が大声で見送ったその声に釣られて、俺まで声を掛けてしまった。
れんげちゃんが、テーブルを片づけにやってくる。
「根岸さん、いい人ですね」
なんとなく、俺を気にしているようではあるが。
だって、嫌いな奴ということには代わりはないんだし。
「まあ、ね。ただの、食い逃げ野郎って訳では無いみたいだし」
それなりに、ラーメンへのこだわり、情熱は持ち合わせているんだな。
「ほんと、良かったです。あの時、無理にお断りしなくて。あの方、自分はマスターの大切な商談相手だから、下手に追い出したりしたら、わたしが後で叱られるぞ、だなんて言ってたんですよ」
「なんだよ、それ…」
全く、強引な奴だなあ。
「まあ、結果としては、そういうことになったんだネ。れんげのお手柄だヨ」
親父、上機嫌でそんなこと言い出す。
「あ、ありがとうございます!」
れんげちゃんも嬉しそうでなによりなんだけど…
「あ、あのさ、もしかして、あの信金野郎、ラーメン代、払っていかなかったんじゃない?」
「はい。大切なお客様から、そんな代金なんて、受け取れませんよ?」
れんげちゃん、当然のようにそう言っているけど。
アイツ、結局の所、勝手に押しかけてきて、タダでラーメン食べていって、酒まで飲んで、愚痴って、適当なこと並べ立てて逃げてっただけじゃないか。
「…やっぱりアイツ、食い逃げ野郎だ…」
俺は、親父やれんげちゃんに聞こえないように、心の中でそう呟いた。
何を偉そうに言ってるんだ、食い逃げ野郎のくせに。
なんて、俺が言うべき立場でもないんだよな。
でもなあ、食い逃げには変わりないんだよな。




