47 でも、止められなかった
あぁ、ようやく終わったぜ。
親父め、こういう帳簿仕事はサボらないで、その都度やっておけよなぁ。
まあ、手書きだと本当に面倒臭いんで、パソコンで入力しちゃえばいいんだけど。
親父、どう見てもパソコンいじれなさそうだしなぁ。
俺に頼んで、正解なのか。
「よし、終わりっと。後は決算して、印刷して…」
「わあ、もう終わったんですか?」
れんげちゃん、びっくりした顔で俺を見ている。
「いや、結構時間が掛かった方だよ。パソコンのセッティングとか、初期入力とか、色々あったしね」
そういえば、まだ彼女、去年の分の伝票のスクラップ、終わっていないようだ。
「残りの伝票整理は、まとめて俺がやっとくよ。決算書の印刷も、結構掛かりそうだし」
プリンターやパソコン本体がしきりにカチャカチャいっているが、一向に印刷を始めようとはしない。
あまりに旧式のプリンターで、しかもバッハメモリが不足して、いちいちパソコン本体のハードディスクにお伺いを立てている始末だ。
まったく、中古品だから文句の持っていきようがないな。
今年分のスクラップノートを取り出して、伝票の山をドンドン張っていく。
「え?え?」
「…ん?なに?」
れんげちゃん、目を丸くして俺を見ている。
「あの、伝票、きちんと分けて、その、タイトルつけて…」
「ああ、俺はだいたい分かるからいいんだ。日付も、毎日とか毎週とか決まってるから、一々分けるの面倒だし」
「で、でも、わたしの時は…」
俺は頭も上げずに答えた。
「そりゃ、初心者なんだから、当然だよ…」
作業を続けているうちに、なんか様子が、雰囲気がおかしい事に気付いた。
ふと、顔を上げると。
れんげちゃん、なぜか泣いているんだ。
目に、大粒の涙を一杯に浮かべて。
それを、拭いもせずに。
涙が、ぽろり、ぽろりとこぼれて、頬を伝って流れ落ちていく。
「どどど、どうしたの?」
なんだ?
俺、なんか、気に障る事、言った??
「だって、わたし、鳴人さんの、鳴人さんの…」
声も上げずに、でも、しゃくりあげている。
まるで、イタミを堪えきれなくなった子供みたいだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ…」
思わず、俺はれんげちゃんの両肩に手をおいた。
「どうして泣くんだ?俺、なにか君の気にいらない事言ったか?!」
口調がキツクなってるのが、自分でも判る。
判るけど。
れんげちゃんを、相手にしてるんだけど。
でも、止められなかった。
止めなかった。
明らかに、彼女、理不尽だったから。
俺の理解の範疇を、それも常識的な理解の範疇を、超えていたから。
れんげちゃんは、ビクリと肩を震わせた。
その振動が、イタミが、俺の手を通して、俺のココロに伝わってくる。
でも、なにを考えているのかは、さっぱり判らなかった。
「黙っていても判らないよ」
「…だって、わたし、鳴人さんの…」
「俺の、なに?」
「…」
黙ったまま、肩を震わせて、細い瞳を精一杯見開いて、白い頬に伝わり落ちる涙。
ただ、それだけで、なにかを伝えようとしているのか?
言いたい事我慢して、ずっとそうしているのか?
俺は、言いたい事我慢できなくて、それで色々諍いを起こして、世の中嫌になった事沢山あるけど。
でも、本当は、そういうの嫌で。
来々軒の仲間、だから。
俺にとって、初めて見つけた、俺を受け入れてくれる大切な人だから。
そしてれんげちゃんは。
俺にとって、親父と共に、初めて本音でぶつかり合えた、人だから。
俺にとって、本当に大切な人だから…
「れんげちゃんッ!」
「…わたし、鳴人さんの、鳴人さんの足手まといだからッ!」
感極まったように、うわっと泣き出すと。
俺の胸に飛び込んできた。
必死で、彼女が怪我をしないように、俺は自分の体をクッションがわりにして倒れた。
「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ…」
まるで子供のように泣きじゃくる。
その細い腕が、俺の体に巻きついて、顔を起こすのを力一杯拒否している。
泣き顔を、見られたくないらしい。
「な、な、な、なに言ってんだ…足手まといは、俺の方じゃないか…」
「チガウ、違うもん…」
俺の胸に顔を押しつけながら、不器用に首を降る。
参ったなあ…
俺は、小さい子をあやすように、彼女の背中をさすってやる。
もう一方の手で、その小さな頭を優しく撫でながら、言った。
「違ってなんかないよ。俺は、君に救われたんだ。
あの、ただ息をしているだけの人生を、君と君の情熱に救って貰ったんだ。
親父も…親父さんも、多分そうさ。
ただ日がな一日、人目を避けるようにして、息をひそめていただけの親父が。
今は、いっぱしのラーメン屋の亭主じゃないか」
れんげちゃんは、恥ずかしそうに、それでも顔を上げた。
「違う…違います…わたし、そんな…」
「だから、こんな事務仕事くらい、俺にとってはなんでもないんだ。
俺も、もう来々軒の一員なんだ。
だから、俺に出来ることは俺がやるよ。
そして、君には君の出来ることがたくさんあるはずだよ。
覚えてるだろ?俺が、初めて来々軒で働き始めた頃のこと。そんな昔の事じゃないし」
れんげちゃん、ようやく微笑み始めた。
「よく覚えてます…それが、今日の、わたし…?」
俺はなにも言わず、ただ笑って返した。
「…そうですね。ゴメンナサイ、取り乱しちゃって。そうですよね、鳴人さん、あの時、わたしみたいに泣いたりしなかったのに…」
「ハハ、確かにね。実は、その代わりに…」
「…なんです?」
「もうこんな仕事ヤメテやるって思ってた」
「…」
れんげちゃん、目をパチクリさせると。
「プハハハッ!」
急に笑い出した。
「ハハハッ、おかしいだろ? あれだけ威勢のいい啖呵切った男がサ。
だから、れんげちゃん、別にこんな仕事が出来なくたって、泣かなくてもいいんだよ。誰にも言わないから、安心していいよ。その代わり…」
「フフフ、ハイッ。わたしも、鳴人さんの初日の事は、内緒にしておきますね」
「そういう事。二人だけの秘密にしておこう」
「ハイッ!…あっ、ご、ゴメンナサイッ!重かったでしょう?」
慌ててれんげちゃん、俺の体の上からどいてくれた。
「い、いや、大丈夫。れんげちゃん、軽いんだね」
…とても、気持ちよかったなんて、本人の前では言えない。
「ほんとにゴメンナサイ。あの、本当に、大丈夫ですか?」
涙を拭いながら、でも俺の事を気づかってくれる。
「ああ、全然平気だよ」
「そうじゃなくて、あの、お顔、真っ赤ですけど…」
…れんげちゃん。そりゃあ、しょうがないってものだと思うけど。
でも、彼女、そういう事、ぜんぜん気にも止めてなさそうだった。
れんげちゃん、メンタルが変だろう。
そこ、泣くところかぁ?
いや、変じゃないよな。
俺も、仕事の初日は、マジで泣きたくなったもんなぁ。
本音を、本気をぶちまけられた相手に、俺も本気で、本音をぶちまけるしか、ないよなぁ。




