124 ホント、女心と秋の空とはよく言ったもんだよ
エレベーターが階下に到着して、店の正面に回ろうとした俺の服の裾を、れんげちゃんが掴んだ。
「え? 皇龍のラーメンを食べにいくんじゃないの? 俺、話のタネに一度は食べてみたいと思ってたんだよね」
「食べる価値なんてありませんよ。“皇龍”の作っているものは、ラーメンなんかじゃありませんから」
「え…?」
珍しく、れんげちゃんが怒っている。
そりゃ、君にしてみれば、入りづらい事情があるかもしれないけどさ。でも、お客として入る分には判りゃしないでしょう?
大体、そのつもりでここに連れて来てくれたんじゃないの?
ホント、女心と秋の空とはよく言ったもんだよ。
…なんて、怒ったりなんかしない。
それが、可愛い女の子とデートするコツだから。
「そ、そんな…折角こんな遠くまで来たのに?」
とにかく、ご機嫌を損ねないように、下目遣いに彼女を見てみると。
俺のその顔が可笑しかったらしく、プッと吹き出してくれた。
なんとか彼女のお許しを得て、一緒に正面玄関に回り込む。
店の前に出来ていた行列は、キレイさっぱり無くなっていた。ちょうど、開店直後だったらしい。
だが、俺たちのように車から降りてきた客や歩いてきた家族連れなどが、吸いよせられるように後から店内に入っていく。
広い玄関の真上には、ネオンに縁取られた“ 皇 龍 ”の文字が踊っており、文字の間を縫うように、長い龍がうねって飛んでいるようなデザインが施されており、実際に頭部から四分の一ほどは看板から突き出して、うねうねと動いてみせる派手さだ。
その緑色の龍身の所々に取り付けられた電球が、チカチカと光り、しかも時折、口からホンモノっぽい炎まで吐いてみせている。外で待つ客たちへの、ちょっとしたサービスと宣伝といった所か。
さすがに中は混んでいるようで、店の入り口付近で5分程待たされた。
その間に案内係らしい二十代後半位の女性が、端末装置を片手に手慣れた様子で注文を取りに来る。
「いらっしゃいませ、ご注文はいかが致しましょう?」
メニューが見当たらないので、どうしようかと思うまもなく、壁の上の方に掲げられた、木製の大きな看板が目に停まる。
「 味 : 醤油 ・ 味噌 ・ 塩」
「 麺 : 固い ・ 普通 ・ 柔らかい」
「スープ: 濃い ・ 標準 ・ 薄い」
「 具 : 並 ・ 豪華 ・ 贅沢」
とある。無論、大盛りや替え玉も自由自在だ。
そうだよ。ラーメンの記事で見た事があるのを思い出した。ここのラーメンは豪快な手打ち麺を自在な茹で方で楽しめて、自由に選べるスープの濃さで自分の好みに調節できるんだった。
そしてなんといっても一番のウリは、トッピングがコースに合わせてセルフで使い放題、掛け放題というところなんだよ。
頑固なラーメン屋の親父に押しつけられた味に縛られているなんて、自由な現代人にはそぐわない。埋もれた個性を目覚めさせるラーメン探しの旅をプロデュースしよう、というキャッチコピーが、雑誌の紙面一杯にデカデカと載っていたっけなぁ。
「ご注文は、お決まりですか?」
にこやかに微笑み掛ける案内係のお姉さんに、ついつい鼻の下を伸ばしそうになるのをなんとか我慢して「味噌、普通、標準、並…えっと、やっぱり豪華にして」と手早く注文をすませる。
こういう混雑店では、俺たち客も店の運営に協力する必要があるから、メニューに迷いは禁物だ。いくら席を待っている間とはいえ、後ろの客に睨まれるのもイヤだし。
れんげちゃんは、案内係の彼女に負けない位に、にこやかに微笑むと。
「お任せします。お店が自信を持って食べさせてくれるものを出して下さい」と言った。
「は?」
目を見開いて、とまどう案内係。
「だから、お任せしますので、自信を持って出せるラーメンをお願いします」
「あ、あの…少々お待ちください」
どうやら、マニュアルには無いらしい。
れんげちゃんも苦笑して「あ、じゃあ、いいです。鳴人さん…いえ、この人と同じもので」と、あっさり引き下がった。
「あ、は、はい、かしこまりました。味噌普通標準豪華を二人前ですね。お先に御会計よろしいでしょうか?」
「食べた後じゃ、ダメなんですか? そんなに自分たちが出すラーメンに自信がないんですか?」
お、おいおい。
どうも今日は、れんげちゃんの様子が変だな。
他のお客たちも、何事かとこっちを見始めている。
「…なんて、あなたにそんな事を言っても仕方がないですよね」
肩をすくめて、自分の財布を取り出し始めたれんげちゃんに、俺もちょっと安堵する。
って、デートの食事代を女の子に払わせる程、俺は不作法じゃないぞ。
「いいよ、お昼代位、俺に払わせてよ」
「いえ、今日はわたしがお誘いしたんですから」
押し問答する間もなく、さっさとれんげちゃんはお金を払ってしまった。ホント、手が早いというか、要領が良いというか。
二人前で、ちょうど3000円。
話には聞いていたけど、ラーメンにしてはかなり高いように思える値段の違いは、そのまま具のレベルの違いなんだそうだ。
ちなみに、具の“並”を選ぶと700円。
今回注文した“豪華”だと、一気に跳ね上がって1500円。ランチタイムにしては割高になるけど、俗にいうディナー料金だと思えばいい。
ちなみに“贅沢”のお値段は…やめよう、こんな所で話すべき事じゃない。
「ごめん、お金は後で返すよ」
「ほんとにいいんですよ。わたしこそ、無理言ってお誘いしたんですから」
いつもの柔らかい笑みで、俺の言葉を受け流すと。
「でも、来々軒では、お客に味付けを選ばせるなんて事、絶対にありませんよね」
耳元でそんな事を囁いてくる。
「あ、ああ……」
ハハ、顔は笑っていても、目が笑ってないよ。
こういう表情、親父によく似てるよなぁ。
まさに頑固一徹なラーメン屋の大将、といった所か。
もしかして、彼女がこの店に怒っている理由は、その辺にあるのかもしれないな。
俺としては、こういうやり方も時代のニーズに合わせているんだろうと思うし、これだけ繁盛しているという事は、つまり万人に受け入れられているという事でもあるし、無下に否定しなくてもいいんじゃないかとも思うんだけど。
ま、来々軒の中でならともかく、こんなところで余計な事を言うつもりはない。
なんたって、成り行きとはいえ、れんげちゃんとのデート。自分からぶち壊す程、俺は野暮じゃない。
とはいえ、れんげちゃんの方だけ見つめているというのは、結構難しい。
実は、さっきの案内係のお姉さんもそうだけど、この店、ウエイトレスにかなりの美人を揃えているようだ。例えば席に案内してくれるお姉さんのスラリとした後ろ姿は、ちょっとしたモデル並み体型だったりする。
他にざっと見渡しても、みんな街中で男たちから振り向かれる位の美人ぞろい。
しかも薄灰色に細い濃紺の縦縞が入ったワンピースの制服は、妙に体に密着して滑らかなボディラインを見せつけているし、スカート丈も、太股が中程まで見える位に短い。黒のストッキングで包まれてはいるものの、何かの拍子に屈んだりしたら、うっすらとパンティが見えるかもしれないよなぁ、などと邪念を抱かせたりもする。
そんなウエイトレスの女性たちが10人程、フロアを優雅に行き巡っている。
それと二人ばかり、黒服のそれこそ元はホストでも勤めていたかのようなイケメンの男たちが、それとなく全体に気配りを入れているようだ。
…ここ、ほんとにラーメン店、なんだよなぁ。
第一、カウンター席なんて、全く見当たらない。
雰囲気のあるソフトな曲線美の備え付けの衝立が、席の間をさりげなく囲っており、4人から6人掛けの個室を造り出している。ぼんやりとした照明で別世界が造り出されている、そんなボックス席が20以上はありそうだ。デートスポットとしてもお勧め、というのも充分に頷ける。
奥の方には大きな座敷も用意されているようで、どうやら観光バスのツアーが組まれているというと大まじめに書かれていたのは、本当の事らしい。




