121 俺は、コケタ
「じゃーん!」
「どしたの、これ?」
「もちろん、お借りしたんですよ。常連のお客様に、レンタカー会社にお勤めの方がおられまして…」
アパートの横に、ピカピカの軽自動車が停まっていた。
天井が丸っこくて、同じように大きくて丸いヘッドライトが、デフォルメされたぬいぐるみを思わせる。
パステル調の柔らかな赤いボディカラーも、いかにも女の子っぽい好みの車だ。
「れんげちゃん、運転免許なんて持ってたっけ?」
「えっへっへ。実は持ってたんですよっ」
随分と嬉しそうに、俺のためにドアまで開けてくれる。
あれ?
前にラーメンの試食をさせてくれた時、自分は運転免許が無いから、宅配便の人たちに材料の吟味をお願いしているとかなんとか言っていたような、気がするんだけど。
でもまあ、現にこうして借りてきた車がある位だから、問題ないよな。
俺の体にはちょっと狭そうに感じた車内だが、天井は高いので意外に乗りやすい。
おっ、最新のナビつきじゃないですか。さっすがレンタカー。
どうせ他には誰も乗らないスリードア仕様なんだと、シートをずらして広くしているかたわらで。
なぜか、れんげちゃんが四苦八苦している。
ん?
「どうしたの?」
「えっと、足が届かなくって…」
シートが前にずれて行かないらしい。
「ああ、座席の下のレバーを引きながら前に出せばいいんだよ」
俺の言葉に、ごそごそと腕を伸ばして何かいじくってはいたが。
「……動かないんですけど」
ちょっと困った顔のれんげちゃん。
「だって、こっちは動くよ? ちょっと失礼」
彼女の上を跨がるようにして、レバーを引きながらシートを前にずらしてやる。
意外に大きい胸に触れそうになるのをなんとかかわしながらの作業は、結構神経を使ったが。
小柄な彼女ごとシートをずらす事なんか、麺をいくつも茹でる作業に比べたら、お安い御用だ。
「うわぁ、凄い。さすが男の人ですね」
「いや、たいしたことじゃないよ。…この車、運転してきたんじゃないの?」
乗って来たのにシートがずれている、というのは変だな?
「いえ、レンタカーの営業の方が、届けて下さったんです。自分で車を取りに来るのは大変でしょうからって」
へえ、最近じゃ、そんなサービスもしてくれるんだ。便利になったもんだ。
「じゃあ、行きますよ」
彼女がキーを回すと同時に、ナビの画面も起動し始める。水玉がシャボン玉のように幾つも飛び出してくる画面のオープニングメッセージと共に「ようこそ、ドライブサーブへ!」と明るい女性の声でガイダンスしてくれた。
「へえ、カッコイイなぁ。おっ、ちゃんと来々軒の脇に現在位置が表示されてるんじゃん。…なるほど、表示切り替えで平面マップにもバードビューにも出来るんだ。
…ところで、なんでエンジン掛けないの?」
そう、さっきから車は止まったままで、エンジンは動いていないのだ。電気系統のスイッチは入っているんだけど、セルモーターを回していないんだよね、れんげちゃん。
「行き先の入力でもするの? エンジンは掛けて置かないと、すぐにバッテリー上がっちゃうよ? ナビって結構電気食うし。
…れんげちゃん?」
何を思ったのか、れんげちゃん、キーを逆に回してスイッチを切ってしまった。
当然、ナビも「ご利用、ありがとうございました」とかメッセージを残して切れてしまう。
あれ、俺があんまりナビの方に注目したから、すねちゃったとか?
ああ、付き合い始めたばかりの女の子って、時々、そういう男には理解しがたい嫉妬心を抱いたりするからなぁ。
いやでも、れんげちゃんに限ってそんな事はないだろうし。
第一、俺たちまだ付き合ってもいないんだし。
俺が一方的に告白しただけで、それも色気もなんにもない、ラーメン一筋みたいなセリフだったしなぁ。
「あの…」
「ハイハイ?」
とにかくなんでもいい、怒らせてしまったみたいだし、こういう時はまずは下手に出なければ。
ホント、女心と秋の空はよく判んないよなぁ…
「エンジンって、どうやって掛けるんでしたっけ?」
「ハイハイ、エンジンはですねぇ、えっとぉ…」
エンジン?
きょとんとなって顔を上げた俺の視線の先で、真顔で困っている(そう、怒っているように見えなくもない)れんげちゃんがいた。
「エンジンって、れんげちゃん、運転免許持ってるんじゃないの?」
「持ってますよ。このまえ、お父さんと母のアルバムを整理している最中にひょっこり出てきたんです」
「出てきたって、免許が?」
ああ、普段は運転しないから、仕舞っておいたんだね。
「ええ。母の免許が」
…俺は、コケタ。




